写真表現の多様性

     

  ぼくのような手のかかる仕事は、専用の仕事場がなければ仕事にならない。
    
 ぼくが初めて自宅兼用のスタジオを持ったのは1960年で、東京都港区麻布本村町にあ
った。それは普通の木造2階建ての借家だったが、持ち主が大工さんだったので1階の8畳
と6畳の2間の間仕切りを取り払ってもらって14畳。続く庭に3畳のサンル−ムも建て増
したので、合計で17畳になる。                          
 これだけあればカメラの引けも十分で、暗室は3畳の女中部屋を改造した。最後にふと思
いついて、玄関のドア−に辛子色のペイントを塗ったので、チョコレ−ト色の建物にはちょ
っと粋なアクセントになり、通りからも一段と目立ち、訪問者の目安になった。
    
 広さはまずまずだが、天井の高さはそのままだからスカイライトが使えないのが不満だっ
たが、欲をいえばきりがない。都心で持つ写真家の事務所兼専用スタジオは、ほとんどがマ
ンションの流用で、みんな低い天井で我慢していたのだ。
    
 とにかく、10年余りこんなスタジオで、西武デパ−トをはじめ多くのコマ−シャル・フ
ォトを量産した。ところでまったく余談になるが、この家にはちょっとした話題があった。
それはぼくが借りる直前まで、当時有名な女優といわれた有馬稲子さんが住んでいたので、
出前を取る時など「元有馬邸」といえば、町名・番地を言わなくても間違いなく届いた。

     

         

                

           

 サンルームにて(麻布本村町)

  ピンクラブ (年度賞)

< ゴルフか 仕事か >

    
 1960〜71年までの約10年間の<麻布本村町時代>は、デパ−トを主体とした生涯
最大量の写真を撮影した頃で、とぼけた弟子が4×5のコンタクトを積み上げて物差しを当
て、「今日は〇〇センチだから、売り上げは〇〇万円だ」などとバカなことを言っていたこ
とを思い出した。
    
 もちろん、手のかかる特殊技法の実験も続けられていたが、ぼくにとって一番記憶に残っ
ているのは、ストレス解消の特効薬になったゴルフである。この当時、自称か他称かわから
ぬが、写真界で最高の権威ある?ゴルフの会がピンクラブであった。          
 この忘年会の記念写真には、林忠彦氏の師匠、加藤恭平さんをトップに、船山克、中村立
行、早田雄二、秋山庄太郎、稲村隆正、中村正也、藤井秀樹氏など、デザイナ−では伊藤憲
治、増田正氏など、この世界でのそうそうたるところが並んでいる。         
    
 みんな仕事もよくやったが、ゴルフも良くやった。                 
 ぼくが手にしているのが、このクラブの年度賞の盾である。伊藤憲治さんの素晴らしいデ
ザインで、みんなの垂涎の的であった。それを2年続けてぼくがとったので、早田雄二さん
が2っは贅沢だ、どうしても分けて欲しいと最敬礼をするので、あっさり差し上げた。  
    
 これも青木功に教わった余裕である?。とにかくこのころは、馬力があった。ぼくはアイ
アンが好きで、日本では珍しいドライビング・アイアンを特注して、振り回していた。  
    
 仕事も体もバランスのとれていたその時代の証明が、このランニング・シャツを着て屈託
のない表情をしたこの顔であろうか。まだまだ筋力もあった40代の前半である。

   

             

     
  次のスタジオは1972年、南麻布に何とか自前のスタジオをもつことができた。場所は
有栖川公園に近く、隣は麻布プリンスホテルで実にわかりやすい所であった。
   
 このあたりは、各国の公、大使館があり、それらの職員の住居が多く、この家も外国人が
住んでいた庭つきの古家だったが、住居としてまだ十分使えるので、空地の庭いっぱいに、
かねてから念願の天井が高いスタジオを新設した。新築のスタジオにあわせて古家の外装も
新しく真っ白にしたので、人呼んで「ホワイト・ハウス」ということになった。
     
 この当時は、個人が都心に本格的なスタジオを持つことは、かなりむつかしい時代であっ
たことや、またぼくの特殊表現の暗室機材を紹介する意味もあって、オ−プン直後には早速
編集者が取材にやって来た。
   
 コマ−シャル・フォト誌に掲載されたのが、下の1ペ−ジである。雑誌の複写が不鮮明で
説明文は読めないので、以下に別記しておいた。

    

   

   1・スタジオ全景

   1972年、麻布に新設されたスタジオ。
   かなり横幅の広いスタジオである。
   天井には超大型のスカイライトが2基並んでいる。
   俯瞰撮影も可能。
   写真の左端にみえる箱型のものは、タングステン40KWの調光器。       
   この左に暗室がある。
   

   2・暗室

   この中で、ウルトラCの特殊技法が展開される。
   基本的な設備は特に大げさではないが、そこにある道具類には特徴がある。
   天井から吊り下げられているのは、ポイントソ−スライト。
   ブレを起さないで、ボルテ−ジを切り替えることができる。
   100ボルトからトランスを使って使用する。
   

   3・4 暗室用具

   露光用タイマ−・レジスタ−パンチ・8×10用・4×5用
   レジスタ−ピン・8×10プリンティングフレ−ム
   濃度計(EE)・拡大眼鏡(修正用)
   修正用薬品類・修正用具
   静電防止除去ブラシ・小型電気掃除機
   エアブラシ・スプレ−ガンなどの器材
         

   5・デ−タ・ノ−ト資料

   デンシティによるオパシティの露出倍数表
   カラ−パッチ・色分解用フィルタ−
   ポイントソ−スライトには、ニュ−トラルデンシティフィルタ−を使う。
   オメガ引伸機・中判以下用引伸機・フィルタ−フレ−ム
   その他に普通の写真家とちがって色分解や合成に使用する印刷製版用の      
   フィルムが常時スタジオに置かれている。
    
    
   

 [ 付記 ]

   編集者の書いた説明では、わかりにくいところを補足しておく。
    
 ○スタジオの広さは、個人用としては広い方で20坪。天井の高さは、4.2m。
 ○4.2mの高さと超大型のスカイライトで、大型の家具でも均一な照明が得られ
  る。 高い天井は後にカラ−・ペンジュラムの制作にも役立った。
    
 ○スタジオの広さと容量の大きい電源は、基本的な照明の質に関係する。
  (例えば、ある被写体を1mの距離から100wの電灯で撮る場合と4、5mの
   距離から照明して撮る場合を想定すると、何倍も明るい照明器具が必要になる
   が、遠くからの方が均一な光質になる。無限大の太陽光による照明は、更に均
   一で、影の境界はシャ−プになる)
    
 ○露光用タイマ−は、0.1秒単位での露光が可能で色光の正確な露光には必需品。
 ○濃度計は、反射光と入射光の測定が可能。
 ○暗室の流し台は、全紙バット4枚が並べておかれる。