part.39            写真表現の多様性

     
    
    展覧会というものは、おもしろい。沢山の写真を撮っていると、映像にはかなり強い 
 と思っていても、印象深く脳裏に残るものは数少ない。ところが、展覧会に出品した作 
 品の数々は、本物といった印象で隅々までよみがえり浮かび上がってくる。      
  でも、それはただある満ちたりた時間があったことの思い出、そのとき自分が生きて 
 いた証拠だけが充満した瞬間への追憶が大きいかもしれない。            
                                         
 ぼくが、「展覧会というものは、おもしろい」というのは、若いころ関西の前衛写真家集
団、丹平写真倶楽部に所属したことによると思う。          
 四国の田舎で中学3年ころから写真をはじめたぼくは、写真の展覧会を見たこともなく、
半切・全紙という印画紙のあることも知らなかった。ぼくがはじめて見た丹平の月例会はす
べてが全紙での出品で、サイズの大きさによるボリュ−ムと内容のすばらしさに言葉も出な
いほど圧倒された。                            
    
 やがて、奈良に住む会員の藤井辰三氏の暗室作業を見せてもらい、中古の引伸機を買い込
んで3ケ月後には何とか全紙のプリントができるようになった。しかし、ズブの素人といえ
るぼくには、35ミリのネガから大きな引伸しへのコントロ−ルはかなり難しかった。
 覆い焼き・焼き込みには苦心惨憺、粒子の粒々にまで愛着を覚えたその原画が、広いデパ
−トの展覧会場に並べられた時の作品としての存在感は、ぼくにとっては写真雑誌の印刷に
よる小さな口絵などとは、全く次元の異なる感動があった。   
    
 先輩たちの全紙の作品も、それぞれ手作りのクセがあり、個性あふれる印画の違いがハッ
キリ現れていて楽しいものであった。とにかく、画面サイズの大小、印画紙と印刷やパソコ
ン画面との違いは、体験しないとわからない。                    
    
      
 ぼくが色々な展覧会に出品した作品は、すでにこの講座にかなり掲載してきたので、今回
は講座を連続して見ている人には、制作の過程でそれらのバリエ−ションの展開がわかるも
のを主として選んでみた。そんな選択をしているうちに、ふと気がついたことは、そのおお
よそがぼくたちのグル−プ展、つまり日本広告写真家協会展(APA展)に出品したものだ
ったということであった。                             
                                         
 展覧会には、公募展・グル−プ展・個展などいろいろ特色があるが、APAのグル−プ展
などは協会のト−タルとしての力量も問われ、成功率を考えてリ−ダ−たちはテ−マの選択
にもずいぶん気を使う。下手をするとゴッタ煮かドングリの背比べにもなりかねない。  
 一方APAのメンバ−は、日頃の広告写真では新鮮味もなく、会場では埋没してしまうの
で、コマ−シャルを離れ、自由奔放な作品を展示できるチャンスでもある。       
    
 ぼくの場合も、グル−プ展はお互い八方破れで腕を競う場と心得て、振り返れば毎度締め
切りに追われながらの試行錯誤、ああでもない、こうでもないと根をつめて仕上げたものが
作品になっていたようだ。                             
 今回も作品の技法は、軽く触れるにとどめ、思い付くままの感想を述べることにする。

             Love          1973

  

原画

       

「 Love 」

  
 これは、第13回 APA展(1973)に出品した作品。テ−マは、<愛>であった。
    
 ぼくは、秀作といえる合成写真のプロセスを分析して行くと、そのスタ−トではほんのわ
ずかな材料が連係し、それらの材料の単純さが、単純さの故に驚くほどの組み合わせの自由
から大作を生む例が多いように思う。
 音楽で言えば、モ−ッアルトの音楽の構成のような感じである。
    
 この作品は、その反対を行く実験作のつもりで始めたものでかなり荒っぽい構成である。
見る人によれば、原画で良いのではという言葉もあったが、ぼくはより壮大なシ−ンをと考
えていたので、対比となる材料をと思案していた。そんな時、ふと見た自分の大きな手のひ
らに気づいた。材料は足もとでなく手近にあったのだ。
     
 はじめ、色光で照明した手のひらだけを合成したが、違和感がとれず、白い卵をのせてち
ょっとブラし、シルエットの馬にも縞模様を少し加えた。
 この馬の原画は、Part23の「夕日」の時に撮ったものである。

    

       

                   檻 A               1975

  

                   檻 B                 1975

「 檻 」

   
  これは、第15回 APA展(1975)に出品した作品。
 テ−マは、< 告白的「女」 AND THE FASHON >  という。
    
 この年度のテ−マは、誰がどんないきさつで決めたのか、一風変わったタイトルである。
 告白的「女」というのは、どう解釈すればよいのか、文学的な解釈ではチャチっぽく写真
にならないであろう。会員諸兄もどんな作品を提出してくるものか、まるで見当がつかなか
った。
    
 ぼくも、しばらく何をやるか、ずっと白紙状態が続いていた。ぼくは本来テ−マなどとい
う曖昧なものにはこだわらないが、ある日、全紙大のライト・テ−ブルに無造作に置かれて
いる自家製のカラ−チャ−トを見て、これを材料に何物かを作って見ようと思った。
    
 そんな意識が脳の底辺にあったためか、数日後の夜明け前、うつらうつらで半眠状態のと
き、この画面に近いものが目をつむったままの脳裏に浮かんできた。それがどこからやって
来るのかは分からない。それはいつものことである。
 この構想は、あたかも奔流のように実に鮮やかに現れ、チャ−トの黒い縦線が檻のようで
女が捕らわれていた。そんなイメ−ジが次々と現れたのは、日頃飽きるほど大量にチャ−ト
をつくっていたせいだろうか。
    
 後はヌ−ドモデルを呼んで、白バックでなるべく動きのあるポ−ズを指示しながらスナッ
プし、単純に重ねたモンタ−ジュで終わった。花は別個に撮影し、風景は「夕日」の別ポジ
を使いバリエ−ションを創った。              
 これがテ−マにふさわしいか、どうかは、見る方の判断にお任せする。
                              (Part18 参照)

    
                         

              女 A         1973

  

         女 B        1973

                        

「 女 」

  
   
  これは、展覧会の作品ではないが、構成材料が万博「矛盾の壁」のテストピ−スを使って
いるので、そのバリエ−ションの一例として取り上げた。
    
 この頃は、モノクロからカラ−へ転換したものも多い。もちろん染料、絵筆での人工着色
ではなく色光の露光で行うが、カラ−チャ−トを見ながら微妙なバランスをとることがキ−
ポイントになる。以下の例ではボリュ−ムを与えるために、人物以外の部分の色彩に墨やカ
ラ−粒子状のタッチを加えたところもある。 
    
    
 「女」A
    
   墨流しの強烈な赤と赤紫、こんな舞台衣装があったらどうだろう。  
  これはミスティックな形と心理的な別空間を演出する実験を重ねていた頃の作品。 
   目の上でカットしたトリミングは、画面のバランス上から行ったが、これほどのカ
    ットは、これが初めてであった。
    
 「女」B
    
   ヌ−ドのバックとして、テストピ−スをホリゾント風に使ったもの。      
  バックの顔の前後にあるハイライトはアクセントとしてシアンの色光を露光してある。
   この材料はつかみ所のないものだが、ベ−シックにもアクセントにもいろいろバリ
    エ−ションとして使えた。
    
  「女」A は、後にチソットの時計のポスタ−、雑誌広告、TVのCFに使用した。
    
                        (Part36 矛盾の壁 参照)

         

         

   

                      < 銀河系 > (the galaxy)            1978

  

                   < 銀河系 >  部分            1978

           

       

「 銀河系 」

  これは、 ’78APA国際写真展 に出品した作品。テ−マは、< 生きる > 。 
    
 この作品には、あり余る思い出がある。
 この展覧会の企画は、ぼくの発案に始まり、実行委員長秋山庄太郎、副委員長玉井瑞夫と
いったことから、展覧会の当事者として神経をすり減らし、締切り間近になっても応募者、
会員、海外からの作品のことばかりが気になって、自分の作品は最後の最後、締切り目前や
っと手をつけた。
 ところが、この夏の異常な熱さか、田舎の母親が急に亡くなり、素っ飛んで帰ってきたら
もうギリギリ、締切り日の朝は徹夜で暗室から出てきた。
    
 ぼくは小学生の頃から天体に興味があり、47倍天体望遠鏡という奴を良く覗いていた。
そんなわけで、<生きる>というテ−マが決まった時、まず浮かんだのは宇宙。星が生まれ
星が死ぬ、オリオン座のシ−タ星−−マゼンタとブル−のすばらしいガス状星雲の天体写真
を見ていると、容易にその中に赤ん坊のうごめく姿が二重像となって浮かんだ。
 これが、ぼくの最初のカラ−によるプランであった。
    
 われわれが見られる2億5千光年の彼方から、極微小の地球まで果てしないなかで身近に
感じられる銀河系。そのなかに赤ん坊から老人まで、男女、あらゆる生物、見たこともない
物質がある。地球がある。赤ん坊の姿は象徴であり、社会性をもつ「生」そのもの。
    
 それが時間がなくなり、カラーでの制作が間に合わず、万博のモノクロ原画をソラリゼ−
ションした銀河を思わせるイメージとアクリル板の上でセミ・シルエットに撮った赤ん坊の
合成がこの作品になった。
 ぼくは、いずれそのうちに最初のカラ−によるプランでの作品をと思いながら、未だに実
行できないでいる。
  ぼくはロマンチストだと思う。独創と新奇を追うその夢は、ぼくが好きな音楽を聞くとき
感じるかなしさ、空の青さ、海の匂いのような表現になるであろうか。
    
                         (Part36 矛盾の壁 参照)
    
     ( ’78APA国際写真展 ポピュラ−・フォトグラフィ賞、金丸賞、受賞)
     
     
   (後書き)
 
     ぼくは協会の写真展では、デモンストレ−ションとしての作品も発表してきた。
   朝鮮半島と日本との間での紛争時には、<日本の漁場を守ろう>という作品を、ま
  た原爆実験が行われたころには、<ストロンチユム90>(Part13)を出品した。 
    この<生きる>という国際展の<銀河系>もその一環だと思っている。
 
     この作品は、超短期の制作でぼく自身は充分満足のゆくものではなかったが、写
  真家以外の審査員、殊に谷川俊太郎、開高建、新井静一郎氏などからの強い推奨を
  受け金丸賞を受けることになったが、その理由が今回の<生きる>というテ−マの
  解釈、表現にふさわしい社会性とスケ−ルがあるという講評があり、一応我が意を
  得た思いがある。                              
      アメリカのポピュラ−フォトグラフィ賞も同様で、洋の東西を問わず評価が変わ
    らないことにまた意を強くした。
   
  (注)
 
   この国際写真展は国内、海外で展示されたが世界各国の著名なプロの写真家集
   団35ヶ国の写真家達の参加作品と一般海外、国内の公募の入選作品が写真集
   「生きる」に集録されている。またコマ−シャル・フォト1978年11月号に特集
   として63名の作品が抜粋紹介されている。
                     
   「生きる」という解釈表現も様々でユニ−クなポ−ランドの作品をはじめ各国
   ともそれぞれ相当にバラエティがあり、チャンスがあれば参考に見られたい。
   ぼくの作品は、特異な表現としてカメラ毎日1978年11月号の口絵に取り上げら
   れ簡略な技術解説はコマ−シャル・フォト1978年11月号に述べている。

         

       

南麻布 新スタジオにて

 スタジオでは、35ミリはほとんど
   
使われず、軽量で扱いやすいサムソン
   
の三脚セットに、中型・大型カメラを
   
載せていることが多かった。
  
     
  この写真をクリックすると、
    
「スタジオと暗室」の話があります。