< 矛盾の壁 >

ポスタリゼーションのマスク作成

  

原 画

完成品

原 画

完成品
  
        

 以下は、赤壁の先端、長さ 3.6m  の部分の処理変化に使われたマスク例である。
 原画には、壁写真のツナギ部分を確実にするために、あらかじめプリント上にトンボを打
つてある。拡大倍率が大きいため、印画伸縮の誤差修正に意外の手間がかかったが、マスタ
−ネガ上では、最後に 1/ 5 ミリの精度を得た。

     

マスク (1)     原画に近いポジ表現

マスク (2)     (1)のネガ表現

マスク (3)     ハイライト・マスク

マスク (4)     ハイエスト・マスク

マスク (5)     ポジ表現(やや薄い調子)

マスク (6)     ポジ表現(少し変わった調子)

       

  
       
 この場合は、12種ほどのマスクが試作され、最終的には上記の6種のマスクを選び
下記の組み合わせで、赤壁の各色光の露光をした。露光量はカラ−パッチで決定する。
 各色光は照明用カラ−ゼラチンでも可能だが、純度のよい色を出すためには、純正な
B、G、Rのフィルタ−を使った色光の3原色(青、緑、赤)の加色混合による。
          (この項の詳細は、Part18 写真家の色彩学(1) 参照)
     
       
        レッド(シャド−)     (2)+(6)
        マゼンタ(ハ−フ・ト−ン) (3)
        イエロ−(ハイエスト)   (1)+(5)+(6)
        ベ−ジュ(ハイライト)   (1)+(4)+(6)

          
< 必要な用具、フィルム、その他 >
    
 こうした作業には、製版用のコダックのレジスタ−ピン、レジスタ−パンチ、プリンティ
ング・フレ−ムなどを使用し、精度を守るためフィルム乾燥時の湿度、温度に注意した。
 色光はトライ・レベルポイントライトやオメガ引伸機に色フィルタ−をつけて露光する。
マスキング用のフィルムは、ノ−マル・フィルムの他、主として製版用のコマ−シャル、リ
ス、グラビア、ブル−センシティブなどのフィルムを使うことが多かった。
                                       
    
 マスク作成時のキ−ポイントになる各種フィルムのテストは、コダックのグレ−・スケ−
ルを使って、露光・現像を行い、A、B、M点の濃度を濃度計で測定し、示性曲線を調べ、
それらのカ−ブのどの部分を使うか、濃度はどの程度にするか、ネガとポジの組み合わせを
考えて、相当量のテスト・ピ−スを作るのが一般である。               
 特に、原画のハ−フト−ンのどの部分を取り出すかによって図柄が非常に変わる。
    
 この手法は、簡単にいえば各種フィルムの性質・特性、つまり調子の硬軟と濃度差の組み
合わせを利用し、原画にあるハイエストからディ−プ・シャドウまで、希望する部分のト−
ンをセパレ−トして取り出し、各種のネガ、ポジのマスクを作ることである。      
 ぼくの場合は、非常にデリケ−トなト−ンを取り出す時は、プロセスの途中でハ−フ・ソ
ラリゼ−ションなどを使うこともあり、一般のポスタリゼ−ションよりバラエティが多いと
いわれた。

         

                テ−マ館空中展示施設の世界セクション        

     転換の壁 (正面奥 ( 高さ 3.6m × 左右 3.6m )
 この原爆は長崎上空で投下されたものをNASAから取り寄せたもので、当時はカ
ラ−写真がないのでモノクロからカラ−を作ることになった。          
 そのままの表現では弱いので、原画からリスフィルムで粒子を荒くしたモノクロ−
ムとズ−ムで光芒を作り、これにオりジナルを加えたものをダイトランスファ−で合
成した。後は数種類のト−ンセパレ−トしたネガ・ポジを使ってポスタリゼ−ション
でカラ−表現にした。

             

正面

矛盾の壁(赤)

矛盾の壁(青)

          

                

 
     

          

< 浜松砂丘での撮影 >

  

7名のスタッフで

玉井と花火マネージャー

 矛盾の壁の原画は、浜松砂丘で閃光、炎、爆発物などを7名のスタッフで撮影した。  
 江戸の花火師にたのんで、映画の特撮に使う爆薬や大型小型の発煙筒、たくさんのドラム
缶にガソリン、重油、古タイヤなどをほうりこんで電気的に発火させ、とにかくどんどん景
気よく燃した。(この撮影には、あらかじめ警察と消防に届出をしておいた)     
      
 3台の4×5カメラで、時間制限を受けながら3日間にわたって撮影したが、もう風も冷
たい12月、寒さと煙を吸い込んで、2日目あたりから全員が風邪ひき症状を呈し、後でレ
ントゲンを撮ったら、肺が白くなっていて、ぼくは3日ばかり高熱がつづいてダウンした。
     
 ところで、花火も上がらぬこの煙代が約30万円とか。高かったか、安かったか? 帰宅
後、助手君たちは、咳をしながらそんなことを話題にしていた。

   
         

< 只今、仕事中 > 
      
 これはロケを終わって、やっとラストのマスタ
−ネガをつくるため、8 ×10カメラで複写をはじ
めたところであろう。照明も変化をはじめ当時の
大型ストロボ、ト−マス・バルカ−が見える。
     
 時間に追われて全員休みなし、文字通り同じ釜
の飯を食う毎日だった。この頃ぼくは46歳、こ
の仕事が辛かったという記憶はない。弟子たちも
みんな若く、雰囲気は明るかった。
 1日80本、ヘビ−スモ−カ−のぼくは、いつ
もくわえタバコだった様子がよくわかる。
    
 右端の一人は名前がわからない。弟子の友達が
きても忙しければ、すぐ手伝わせたので、多分そ
の一人だったのであろう。そんなフランクなつき
あいもあって、多くの人に支えられ、タイムアッ
プ寸前、この仕事を終えることができた。

            
             

「ポスタリゼ−ション」という言葉      
  ぼくは、この言葉に何となくこだわりを持っている。
 ぼくが手探りで特殊技法らしいことをはじめた1960年代の初期には、ポスタリゼ−シ
ョンという言葉はなかった。                           
     
 コダックの製版用フィルムを多用することから、コダックの技術書ハンドブックのほとん
どは手元にあり、新しい発表があるとすぐ送ってくれた。         
 そのうちに、「ポスタライジング」という用語が現れて、ぼくのやっていることにいくら
か似ていると思ったが、ア−ト志向の強かったぼくのト−ン・セパレ−トはもっと厳しいと
ころまで進んでおり、この内容と解説記事はシンプル過ぎて物足りなく、ほとんど参考にな
らなかった。                        
        
 しかし、コダックの技術解説の製版技術者向けのレリ−フ、ト−ンライン・プロセス、ソ
ラリゼ−ションなどは、使用する用具の具体的な作り方まであって懇切丁寧、行き届いてい
て、便利であった。     
    
 ポスタリゼ−ションという言葉を見かけたのは、1860年代の末期で、ちょっと目をそ
らしているうちに現れたといった感じであった。
 ぼくは、当時作品の技術解説で、この技法の固有名詞がなかったので「ト−ンセパレ−ト
をするポスタライジングに似たもの−−」などとあいまいな説明をしていたので、この言葉
の命名について早速、東京コダック本社の友人に尋ねてみたが、彼は全く知らないという。
               
 ぼくはこの命名者は、多分ぼくと似たようなことを60年代初期からやっていたスイスの
ルネ・グレブリ−あたりだろうと思ったが、アメリカの本社でも誰がいつ命名したものかわ
からず、ルネでもないという返答であった。            
     
 そんなわけで、コマ−シャルフォトの1970年5月号に「万博に参画した写真家たち」
という原稿を頼まれたとき、名なしの技法では一般に通用しないので、こうした技法のごく
初期からの愛用者であるぼくは、釈然としないまま、初めて「ポスタリゼ−ション」という
用語を使った。                        
          
 この万博のポスタリゼ−ションでは、モノクロの報道写真を生かすために相当控えめな色
彩表現としたが、他の目的や単独作品への色光選択は、マスクの組み合わせを変えながらさ
らに豊富な表現が可能である。
    
 原理は簡単だが、奥は深い。マスクの作り方と色光の微妙な選択で、色の光は紙一重のと
ころで生きたり死んだりする。ぼくはそんなところに魅せられてきた。
 ぼくが求めるポスタリゼ−ションの究極は、ダイヤモンドでいえば、虹色の光ファイヤ−
の輝きを追求するようなもので、一般の色変化のバラエティを楽しむポスタリゼ−ションと
はまた異なる。                                  
     
 ぼくがポスタリゼ−ションという言葉に何となくこだわりを持つているというのは、それ
だけの理由ではない。photo shopなどに見られるデジタル手法によるソラリゼ−
ションやポスタリゼ−ションと、ぼくたちがやって来たアナログでの表現とは、方角も内容
もあまりに違いすぎるので、同じ用語でいいのだろうかと思うからだ。         
 これらについては、またチャンスをみながら、デジタルに詳しい人たちと話したい。