雑 草  年代不詳

    
 ぼくがプロになった頃は、まだカラ−写真は珍しく、表紙などモノクロ写真に人工着色を
したものもあったが、いかにもインチキ臭くてぼくは嫌いだった。
 そんな頃、自分流の怪しげなマスクをつくリ、かなり風変わりだが、自分好みの色でモノ
クロからカラ−写真ができるわけだから、おもしろくて仕方がなかった。        
      
 これは手当たり次弟、ポスタリゼ−ションで何でもカラ−写真に転換してしまったごく初
期の頃のもの。ありふれた雑草と石ころだけの写真だが、これだけ変貌すると、何となく作
品らしく見えるものだと思ったものである。植物の葉の輪郭の線は、丹平時代に覚えたソラ
リゼ−ゼ−ションを応用した。

       

    

           

< 写真と印刷 >

 
 ぼくは、part9の裏話で、丹平写真倶楽部の東京展のために上京したことがきっかけ
で、1951年11月に玄光社に入社し、写真雑誌「写真サロン」の編集部に勤務することになっ
たことを述べた。
    
 ぼくは、オリジナルの写真のことなら全紙のプリントをやってきたので、すぐ引伸の原稿
などを書くようになったが、編集・印刷については全くのズブの素人だった。      
 それが、2〜3ケ月もすると持ち前の好奇心から印刷に非常な興味を覚え、出張校正など
自ら志願してゆくようになった。それは写真の製版や校正の現場が見られるからだった。
        
 写真誌のトップ・ペ−ジは、ア−ト紙に刷られるプロ写真家の作品で、仕上がりにはこと
さら気を使っていた。この最重要な口絵は松本精喜堂という小さな町工場で印刷していた。
 一般の応募作品や本文は大日本印刷といった大手がやっており、ぼくは本末転倒かと思っ
たが、この町工場のおやじさんと親しくなるにつれて、この人が凄腕の持ち主であることが
わかり、合点がいった。彼はぼくのむつかしい注文に応じて、針で点をけずりおとす技術な
ども見せてくれた。
     
 後に、カラ−写真の製版や印刷の実態を知るほどに、印刷物の仕上はかなり工芸的性格が
強いことがわかり、ある場合には名人芸といわれる技量が要求されることを知った。   
 それは原色版印刷等ではカラ−写真の連続諧調と印刷の網点諧調の本質的な違いによるた
めであった。

             
                       

< 手始めはポスタリゼ−ションから > 

 マスキングとは 
 こうした印刷では、マスキングとかマスクといういう言葉がよく出てくる。      
 これを一口にいえば、写真的な方法でマスクというものをつくり、それでカラ−フィルム
原稿の色や諧調を補正する技術である。もう少し詳しく言えば、@全体のコントラストを下
げる(諧調補正マスク)Aある色についてだけコントラストを下げる(色補正マスク)の二
つがある。色フィルタ−を通した光で露光したマスクは、色に対して選択的に作用する。
      
 また、色補正を使う理由は、印刷に使う3原色インキの色が理論のうえで理想と考えてい
る色と違うために、色補正マスクをかけないで、分解してつくった版をそのまま印刷したの
では、でき上がりの色が濁って原稿とかけ離れてしまうからである。

  ぼくのマスクは常識外  

    
 ぼくは印刷上のマスクの話を前説として話したが、この道に詳しい訳ではない。その後ス
クリ−ンレスといった技術にはじまり今日の印刷技術の発展ぶりを知らないので、今は殆ど
知らないといった方が正解であろう。                        
    
 ぼくは印刷上のマスクがより原画に近い表現のためにあることを現場で見ているうちに、
ある日、突然、写真表現の技法として、その正反対の使い方をやればどうなるだろうかとい
うアイディアが浮かび、それがぼくの新技法のスタ−トになった。
    
 そんなことから、ぼくのような常識はずれの使い方をするものをマスクといってよいもの
か未だにこの言葉にこだわっている。
 ぼくのマスクは、一般印刷上のマスクとは正反対の全くかけ離れたもので、黄色の馬車の
影が紫色の補色を見せるような、写真創作上の勝手な色彩を露光表現するためのネガやポジ
のようなものである。
     
    
 ぼくがこの技法に手をつけはじめたのは、1960年代の初期であった。
 それは、現実にある色をレンズを通してカラ−フィルムに記録するよりも、より純粋な色
彩表現を求めて、直接カラ−フィルムに色光を露光するための、濃淡さまざまのモノクロ・
フイルムは、<玉井式マスク>とでもいうべきもので、ポスタリゼ−ションはそんなことか
ら生まれた。
   
 玉井式マスクは、普通のフィルムのほかに、必要に応じて製版用のグラビアフィルム、リ
スフィルムなどで、ハイエストライトからディ−プシャド−までの段階を3〜5段階にセパ
レ−トするほか、ハ−フソラリゼ−ションで、ハ−フシャド−などさらに細かく諧調をとり
だすこともある。その他は、一般的な合成時のボケマスクやデュ−プ時のハイライト・マス
クなどがある。
    
 用具は、当時はほとんどがコダック製品で、焼枠用のプリンティングフレ−ム、見当合わ
せのレジスタ−ピン、レジスタ−パンチ、光源としてポイント・ソ−スライト、透過原稿・
反射原稿用の濃度計、0.1 秒単位の露出タイマ−や自作のカラ−チャ−トなどである。
    
 平版、原色版、凸版、グラビヤなどの製版、印刷などいろいろな工程を見る内に、その道
のベテランに友人、知己を得たが、いずれも大変な懲り屋で、ぼくの特殊表現のプロセスに
多くのアドバイスを受けたことはありがたかった。その後、ぼくは印刷としては、ダイトラ
ンスファ−という発色、耐久性から理想的とおもわれるカラ−・プリントなども自宅でやっ
てみたが、印刷の世界でも個性的な表現には、それぞれにまた独自の技術がみられた。
     
 そんなことから、ぼくのようなコマ−シャルの分野では、ほとんど印刷物が最終の発表の
場である場合、浮世絵に刷り師のサインがあるように、デザイナ−や写真家の表示に加えて
貢献度の高い印刷技術者の氏名も表示すべきだと思うようになった。