< 王子の狐 >
        
  こうした講座での歴史的な作品の掲載は、なるべく多くの資料から公平に紹介しなけ
 ればと思う。しかし、最後のつめになると自分の好き嫌いがかなりはっきりしている方
 なので、いわゆる教科書的な選択にはならない。              
     
 そんな自覚から、ほぼ代表的な作品が選ばれたが、僕のかたわらには最後まで、広重のい
わゆる「王子の狐」が残っていた。                         
 つまり、広重のこの絵には、僕がまた別の非常な愛着を持っているからである。その昔、
20歳代に初めてこの絵を見たとき、ショックで僕の目は点になってしまった。浮世絵は誇
張された型ものばかりと軽率に思っていたのが、この作品に接してから見方が変わった。 
                                   
 これほど民話を、しみじみと詩情豊に伝えた作品を僕は見たことがなかった。
 僕は写真の上では、前衛的な仕事をしたいと思い、また前衛を志す者は、その反対位置に
ある文化、古い伝説や民話、方言なども大切にしなければならぬと思ってきた。     
    
 子供達に見せる昔話の絵本でも漫画のような挿絵ばかりでなく、こんな「王子の狐」のよ
うな素晴らしい本物の絵を見せてやるべきではないか。ベッドのそばに何気なく貼っておい
てやればいい。子供のストレ−トな感性は、充分こうした絵を理解できるようになる。
    
 名作である。けっして「狐」に化かされているわけではない。
 そんなわけで、裏話で「鑑賞」として紹介することにした。

      

「王子装束えの木」 安藤広重

「名所江戸百景」        <王子装束えの木・大晦日の狐火>  安藤広重   
  王子稲荷は関東八ケ国の稲荷の総元締めで、圏内の狐に位階を授けるという。
    
 毎年、大晦日の夜、社にほど近いエノキの下に集った狐はここで衣装をととのえて稲荷社
に参上する。近在近郊の農家では、狐が灯すキツネ火の量で新年の豊凶を占った。作品は、
その伝説を図案化したもので、後方の森が王子稲荷である。              
                                         
 この作品は、今日では版画史上最高の傑作という人もいる。確かに作家広重を中心に、彫
り師、刷り師の三者の呼吸はピッタリである。とりわけ刷りがすばらしく、寒空にきらめく
星、その星明かりに照らしだされた榎の木の小枝は、キラ刷りで表現されている。闇につつ
まれた森の木々の先にはわずかに緑がふくませてあり、間近に来ている春の息吹を感じさせ
る。延々とあやしく燃えるキツネ火など、長い民間伝承が詩情豊かに描かれている。
       
 この絵の色合いは実に渋いもので、夜というよりはほのかな夜明けのように感じる。
 画面が小さいのでわかりにくいと思うが、このキツネたちは口々に小さな松明をくわえて
おり、手前には17匹、右手遠くには4、50匹程のキツネが、広重らしく実にていねいに
細かいタッチで描かれている。
     
 余談になるが、どの資料にも広重は温厚で勤勉とある。人足の賃金の2倍くらいの安い画
料にも満足して、ただ黙々と版下絵の制作に従事したという。彼は他の絵師と違って、版元
との約束に背いたことも期日をたがえたこともなく、懸命におよそ8000枚の版画を描き
ながら、その生活は一向に楽にならなかったらしい。先妻の櫛、笄までも売り払って写生旅
行の費用にあて、後妻もまたその都度借金に歩いていたという。            
     
 そんな彼の生活の中から生まれた作品の傑出した一枚がこれである。

             
        
< 言葉遊びでは? >  
           
 ぼくは今回の話の終わりの方で、日本の伝統色名が忘れられてしまいそうだという話を書
きながら、もう20年も前、田中康夫(いま長野県知事になっている)が書いた<ブリリア
ントな午後>という小説の内容を、かなりはっきりと思い出した。
 僕の話は、まったく余談だが、ちょっと変わった話題として、取り上げてみた。
     
 この本は、「トップ・モデルを主人公に、ファッションの世界の光り輝く一瞬の充実と仮
装の空しさを描いて、現代の最も若い意識と都市風俗を封じ込める」といった新聞広告で、
かなり若い女性に注目されていた。                     
 その当時、「26歳の著者の才気あふれメッセ−ジ」といった広告文を見て、ぼくも好奇
心から女子学生にこの本をちょっと借りてきて、一気に読んでみた。       
 この本の筋書きは至極平凡で、何と言うこともなかったが、色彩語の使い方において象徴
的な作為が見られた。                               
    
 少し具体的に例を上げてみよう。
 彼は都電の車体色を「萱草色」という言葉で表現している。「萱草(かんぞう)色」とい
う色彩語を知らなくても恥ずかしいことではない。現代の社会では、分からない人の方が普
通であろう。萱草色は、萱草(カンゾウ=ユリ科の多年草)の花のような「黄みがかったう
すい黄赤」である。「源氏物語」にみうけられるような、古い色名で、カンゾウの花の色に
似ているからこそ萱草色と呼ばれた。ただし、それは染色名であった。
     
 また、「梔子(くちなし)色」は、大多数の読者はクチナシの白い花をおもいうかべるの
ではなかろうか。クチナシの実による古代の染色を考える人は、中年以上で食物の色づけを
知り、「わずかに赤みがかった鈍い黄」を思い浮かべる人で、そう多くはあるまい。
 ちなみに、これらの難しい漢字には、作者自らがルビをふってあったが、色についての解
説は、最後まで一切なかった。                           
     
 彼の意図は、明らかに日本の古代や近世の色彩語、「伝統色名」を多用し、更にその対象
物にカタカナ洋語をくっつけ、「梔子色のニット・ワンピ−ス」と、いわれてもわからない
人の方が多いことを、充分承知の上でのカラフルな表現である。そして題名の「ブリリアン
ト」に象徴される、キラキラ光る、光沢のある、華麗、才気縦横のといつたイメ−ジの文章
作法による「新しい関係の創出」を狙ったものである。
     
 この辺まではいいが、彼は菊が「刈安(かりやす)色」である。というのには驚いた。 
菊は、自然の植物であり、刈安(カリヤス=イネ科の多年草)もまた自然の植物である。し
かも、刈安色はカリヤスの葉や茎などの煎汁を灰汁媒染してえられる染色である。なぜ、菊
が刈安色でなければならないのか。刈安染めによる色彩は「にぶい黄」であろうが、色彩語
「刈安色」が、現代に使用される例はきわめて少ないであろう。
      
 「常磐(ときわ)色をしたテ−ブル・クロスの上に、柑子(こうじ)色のガ−ベラの花を
浮かべたグラス−− 」、「チエリ−・レッドにみえた花瓶が薄暗い光りの中で、蘇枋(す
おう)色に見える。」、「彼女たちは、それぞれ、茜(あかね)色、珊瑚色、桔梗色のドレ
スを着て−−」などはかなり想像がつくだろう。                   
 知られているようで、わからない色、「鶸(ひわ)色の草が混じった海岸−−」では、鶸
という鳥の羽のような色、黄みの強い黄緑色であり、また「錆浅葱(さびあさぎ)色のスカ
−ト−−」は、浅葱はわずかに緑色をおびた薄い青だが、錆がつくと浅葱色より彩度の低い
わずかに緑色がかった灰青色ということになる。  
    
 「少女の髪には、猩々緋(しょうじょうひ)色のリボンが結ばれている。」となると、普
通であれば、恐ろしいと思うかも知れない。「猩々」は能楽の曲名にある。東洋での想像上
の動物で、形は人に、顔はサルに似て、赤い顔をして、人語を解し、酒を好むという。緋が
ついて、やや黒みを帯びたあざやかな深紅色。(動物では、オランウ−タンのことをいう)
      
 とにかく、20以上のこうした色名が次々と出てくる。読者は、普通は文章を読みながら
その色を脳裏に描き、そのシ−ンを想像するものである。以上のような色彩語でカラ−の情
景がすんなり浮かぶのは、平安王朝時代の貴族ぐらいではなかろうか。
      
 僕は読み始めた時、スタジオ撮影やその周辺の実情などよく調べたなと思うくらい微に入
り、細にわたって書かれていたが、あまりにカッコよくキレイごとすぎる表現が軽薄で、心
中「写真家もモデルも、写真の世界はそんなに甘くはないぞ」と少々気分がわるくなった。
       
 しかし、小説家が文章作法に苦心し「新しい関係の創出」を図るのは分からぬわけではな
い。ぼくもクリエイティヴな仕事をする同業者として、彼の意欲を買い、後押しするぐらい
のつもりで読みはじめたが、そうは行かなかった。僕がうんざりしたのは、日本人にとって
現在では難解とおもわれる日本の古代や近世の色彩語、「伝統色名」の野放図な瀕出が過ぎ
た彼の強引さであった。         
 日本人の優れた色感を示す重ねの色目などをあらわす「伝統色名」は大切にしたい。もう
少し、親切心があってもよかろう。
        
 田中という小説家は、語源に無頓着である。言葉の来歴も無視している。色彩語について
の十分な理解なしに伝統色名をならべて、効果を上げようとしたのであろうが、これは国語
辞典ではなく色見本帖を見ながら書いたものであろう。
 現象としての色彩と色彩語の表意との関係には、誤りは見受けられない。しかし、如何に
も奇態な文章である。                              
      
 読後の率直な僕の感想としては、小説家は言葉をもっと大切にするはずではなかったか。
色彩語は言葉遊びに使われたに過ぎず、読むほどにキザ、独りよがりが見え隠れして、忍耐
強い日本の読者を小馬鹿にしたような印象をうけたものである。もちろん、彼の女性ファン
とは違って、当時のプロ写真家たちの評判は相当に悪かった。こんな作品では、つかの間の
ブ−ムにすぎないだろうとみていたが、その通りになった。
     back