part.18          

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 さて、「色」の話をどこから、どのように、話して行けば一番分かりやすいものか、ぼく
は話す相手によってはいまだに戸惑う。ぼく自身色気づいた中学時代に意識した「色」は、
好き嫌いがあるだけと割り切り、以後はその延長に過ぎなかったようだ。        
        
 ところが、ぼくが写真家になり多少なりとも色を知るにつれて、全容を伝えようとすると
中々相手が理解してくれず長話になってしまう。 そこで、その行き着いた先の結論を何と
か短い言葉で伝えようとするが、簡単にいうのはもっとむつかしいことも判ってきた。  
       
 簡潔に言うと、『色という「物」はない』『色は物にあたって反射してきた光りを見てい
るだけ』『色彩は光からとらえるもの』『光は波動。電磁波だ』ということ。つまり、冷静
に考えて見れば至極あたり前のことである。                     
       
 しかし、色について初めてぼくの講義を聞く学生たちは、まるで判じ物を聞いているよう
な顔つきになるが、当日はまたか、致し方がないと思う。そこで、光がなければ色は見えな
い。だから、諸君も目を閉じて見たまえ。本日の講義はこれで終わりだ。もし目をつむつて
も色を見たいという者があれば、まぶたの上から眼球を押えると、青い玉が見え、その背景
はすこし赤紫に見えるはずだ。といったことで初回の講義は終わったが、回をかさねるにつ
れ彼らもだんだん理解していった。                         
       
 この結論には初め戸惑うが、誰でも結局はそこに行きつくので心配はない。その理論は、
「裏ペ−ジ」で、話すことにする。
         
 そんなわけで、一応理屈は後にして、僕の仕事を通じて感じてきた色の楽しさ不思議さ、
そして『色は感覚である』ことの実際を具体的に述べ、デリケ−トなところ、それらを裏づ
ける論理は、後から追々に述べることにする。






            1968               

  
 ぼくは広告写真家であったが、かなりア−ト志向も強く頑固な性格もあってか、いわゆる
「物撮り」といわれるカタログやチラシの商品撮影だけのハンコを押すような仕事、同じこ
との繰り返しは、とても性に合わず経営上やむをえぬ時以外はやらなかった。当然、商売は
下手で、友人や計理士は勿体ない、これだけの腕を持ちながらどうして営業をおかないのか
などといわれてきたが、好きなことだけをやってよく生きてこられたものだと思う。
     
 仕事は、いくらかでも僕の好奇心を満たす、何らかのクリエィティブなものしか引き受け
ないわけだから、本やパンフレットの表紙、ポスタ−、カレンダ−、TVコマ−シャルなど
手数のかかるものばかりで、量産はできない。
     
 注文するクライアントの方も、僕が何を創るかはっきりは判らぬので、過去の作品を見て
大体あんな感じのもの、後はお任せという。僕はそれだけ責任を感じるので、さらにクリエ
ィティブな発想が出てくると、更に変えてしまうので、僕自身も最後まで何ができるか判ら
ないこともあった。不思議な商売である
     
 この<卵>という作品は、本の表紙で比較的初期のノ−マルなもの、当時の標準的な作品
といってよかろう。
 被写体の卵の最大のものはダチョウで、白鳥、鶴、エミウなどいろいろ、最小はウズラで
ある。この仕事はライティング以外、写真家というよりデザイナ−といったところもある。
あの時代はア−トの大衆化が進行し、デザインが日常生活に深く広く浸透し大きな転換期を
迎えつつあった。  
     
 その認識から、僕がデザイナ−的感覚も持たねばならず、広告の目的をはずさないで僕の
好みが、バックの材質、色選びから画面構成まですべてに及ぶことになるのは当然のことだ
った。この作品の構成は、明快でなかなか評判がよかった部類である。         
 僕はこんな仕事で造形上のキ−ポイントになる構成力、色彩感覚については、瑛九のとこ
ろで相当に鍛えられていたので、余程のことがない限り楽しんでやれたのは幸せであった。
      
 ア−ト・ディレクタ−、デザイナ−と一緒の仕事も多かったが、ディスカッションをして
いるうちに3人寄れば文殊の知恵とか、思いもよらぬ発展が見られることもあり、楽しいこ
とも多かったが制作上の苦しい思いは忘れてしまうものである。   
 やがて、僕はこうした日々が続くと、またその先への模索を始めることになる。

      

< カラ−ライトの効果 >

 ぼくは色の深さを知るほどに、色の専門書を読みあさり、色彩学会の機関誌も送ってもら
っていたが先々の流行色の研究や世間より早めの発表記事は、また広告の世界で役立った。
     
 そのうちに、色そのものの表現にも興味を持ち始めた。それはたびたび述べるように、絵
画が抽象期を迎え、物の形だけにとらわれず内面から抽出したものや固有色を離れた色その
ものでの構成を試みるようになったことと同じように、僕もカラ−の色そのものでの構成に
もトライしてみるようになってきた。
 それはある被写体の色をレンズを通してフィルムに移し、それから印刷された色を見るよ
りも、フィルム上に、光りそのもの純粋な色光そのものを直接露光する実験である。   
      
 この段階では、当然の成り行きから「光の3原色」青(B)、緑(G)、赤(R)による
加色混合と「色の3原色」イエロ−(Y)、マゼンタ(M)、シアン(C)との補色関係の
微妙さを作品で表現しようとしたものなど、僕は興味の赴くままに創っていった。    
 これらを研究し知ることは、一般の撮影でも光の読み方、色のコントロ−ルに最大の威力
を発揮することになる。
    
 たまたま、「コマ−シャル・フォト」という写真家やデザイナ−、これらの学生、TVC
M制作関係者などが購読する専門誌があり、その中に写真の専門的な技術を紹介する「CP
テクニック」というコ−ナ−があったが、ここに僕のこの時期の実験的な作品についての記
事が掲載されている。
     
 解説者は、当時の新進気鋭の写真評論家、「吉村伸哉」氏である。氏は秀れた評論家であ
ったが、写真評論だけではあきたらず、自らも前衛的な季刊誌「写真映像」というユニ−ク
な本を出版していた。この本の徹底した映像へのこだわり、内容の確かさにぼくは惚れ込ん
でいたが、僕の解説をしたしばらく後に年若くして他界され、将来を期待されていた写真評
論家だけに非常に惜しまれた。
     
 写真に限らず、絵画でも一般に美術評論家の評論が文学的な表現に終始する主観的な独白
に過ぎないのは、「色のものさし」で寸法を測らないことにあることを、稲村先生が嘆いて
おられたが、吉村氏は色彩の理論にも精通し、僕が会った評論家でこれらの点で信頼のおけ
る人は、美術評論家の針生一郎氏と彼の2人であった。小林秀雄氏の色彩論は解説の仕方に
少し無理があった。
      
 そんなわけで、吉村氏の解説は論理的で、キ−ポイントをはずさず、的確な説明がされて
いるので、彼に敬意を払いこれを僕の解説に代えさせていただくことにした。
 これらの作品とそのバリエ−ションは、後に各地でのぼくの個展に展示されたが、いわゆ
る玄人好みといわれ、一般以上にプロの間で評価された。
     
 以下は、写真評論家・吉村伸哉氏の解説をそのまま転載する。

      

             

「コマ−シャルフォト」 CPテクニック/14 1968年 9月号より
         

< 加色混合の変化の面白さ >

  解説 吉村伸哉

              色彩にも空間と時間がある
    
      
 玉井瑞夫氏のカラ−・ライティングによる作品は、テクニック的な面白さもさることなが
ら、結果の美しさからいっても、作品としての完成度からいっても、この連載中白眉のもの
で、さすが基本的なデッサンのできている写真家はちがう、とたいへん感心させられたしだ
いである。
     
 デッサンといったが、玉井氏の場合はフォルムのデッサンも正確なら、それ以上に「色」
のデッサンも正確だ。玉井氏のように平均点の高い作品を作りつづけている写真家の秘密は
何よりも、急がば回れ、ということで、カラ−フィルムの特性についてコツコツと積み上げ
られた基礎研究にある。                              
 思いつきやセンスだけではいつか息切れするときがくるし、それ以上に1作1作を完成さ
せるのに無駄と手間がかかりすぎる、ということだろう。
     
 玉井氏の自称「色気違い」は、国産のカラ−フィルムが発売されたころからはじまってい
る。玉井氏は、たとえば多重露光で加色混合する場合、どの色とどの色が混じり合えばどう
なるかを(単に原理的な興味からでなく、精度で)徹底的に研究しつくしているし、また露
光の量による発色の変化を、1色について数十種類のテストチャ−トを作るなど、精密なフ
ィルムの基礎デ−タ−を持っている。
     
 こういうふうに、タテからもヨコからも、カラ−フィルムの特性を知りつくしておけば、
結果はつねに予測できるし、またいつも自分の思うとおりの発色ができるので、作品の精度
も高まれば、技術上のミスも排除できる。
    
 さて、この色ライトを変えての多重露光のシリ−ズは、「フォルムに空間と時間があるよ
うに、色彩にも空間と同時に時間もある」という玉井氏の自説を形象化したもの、とでも表
現すればてっとり早いかもしれない。−−−時間とともにあでやかに変化する色彩、という
か、時間を感じさせる色彩、というか、単純な幾何学的抽象のようでいて、微妙な経時的変
化を感じさせる傑作である。
     
以下、各写真につて技術解説をしてみよう。([玉井註]は、僕の制作・感想メモである)

         

        

     3つのタマゴ    1968         

           

 3つのタマゴ 
 ごらんのとおりで、3つのタマゴを並べて写したというべつに変哲もない写真。
 ただしこのタマゴには、光の第一次三原色(赤、青、緑)がそれぞれ3方からのピンスポ
ットで照明してある。その結果、まるで加色混合の原理の教科書的イラストのように見事、
かつ典型的な発色をしている。−−−もちろんこの場合、純粋の3原色でなくてもいいわけ
で、タマゴに当てる3原色の色をわずかに変えてゆくと、どんな色でも、またどんな明度で
もだすことが可能なわけだ。
     
 写真家が基本として当然知っていなければならないことを、実験しながら、同時にその実
験がそのまま制作にもつながりうる、という、一石二鳥的な試みである。
    
 [玉井註]3原色の光りは、製版時に使用するコダックの基本的な3色分解用フィルタ−
  の赤(No.25)、青(No.47B)、緑(No.58)を白色光につけた色光。
  あの鮮やかでかなり濃い3つの色が重なると、明るく白くなるという驚きと実感は、貴
  重な体験である。
     
  初めてカラ−ライトを動かしながら、2色、3色と重ね、また色光の強弱を変えての微
  妙な色彩の変化、神秘ともいえる不思議さを目の当たりにすると誰も感動するようだ。
  僕はこの実験を始めてから、やっと色の世界に自分の身を移したように感じた。   
  タマゴの天部で、3色が重なると加色混合の原理で、白になることが証明されている。

       

        

     トレーシング・ペーパー  1968            

            

 トレシング・ペ−パ− 
    
 この正体は、トレシング・ペ−パ−である。これを折りたたんだあと広げて、グリ−ンと
レッドの光源をそれぞれピンスポットで2方向から当てている。紙が波打っているところか
ら、微妙な光の強弱を生じ、2色の混合光線とは思えない複雑な色の変化を見せた。   
      
 加色の激しいところは一種の補色状態になって、ちょっと形容できないような不思議な発
色をしている。複雑でデリケ−トなこの色彩の空間が、技法的にはうそのように単純、かつ
明快な手続きで作られている。学ぶべきところが多い着想であろう。
      
 [玉井註]この作品は、ほんの思いつきから、フトやって見たもの。
  撮影は、わずか5分で終わったが、中身は濃い。この時の視覚的なショックは今でも覚
  えている。僕は動きが欲しくて、露光中の最後にフッと息を吹きかけた。右上の端にそ
  の変化が見られる。こんなちょっとしたことが、作品に生気をあたえることがある。 
  真っ白い紙でも試みたが、トレペのほうが半透明の性質から、ライトを当てる方向での
  グラデ−ションの変化が多く、バリエ−ションも面白かった。
     
  後に、那須カントリ−へゴルフに行ったとき、ロビ−で複製とはいえマチスの名作のと
  なりに、ぴったり並べてこの作品が飾られていたのを見つけた時は、びっくりし、恐縮
  した。ぼくの個展のとき、絵の好きな理事長が買ったらしい。
  ついでに、色彩理論だけに限って、玉井流の解説を加えれば、この理事長は「日頃は、
  絵の具という色をまぜあわせた減色混合の色彩だけを見ていたが、たまたま光の加色混
  合による新鮮な色彩のおもしろさにも興味を持ちはじめた」ということであろう。

         

       

     チューリップ   1968        

          

 チュ−リップ 
 チュ−リップの花を上から撮影したもの。開きかけたチュ−リップのツボミはライトの熱
で急速に開花していく。それにカラ−ゼラチンを変えながらピンスポットを当てて多重露光
をくりかえす(この場合は、16〜17回ほど)、つまりチュ−リップが開いてゆく過程が
さまざまな色のリングの軌跡となってなって記録されてゆく、というわけだ。
     
 またここで、色のリングのかさなりの部分に加色混合による発色の変化も加わっている。
花弁の動きが機械的でなく、微妙で有機的なゆれを見せているところも面白い。−−技巧的
な写真だが、技巧をこえての素晴らしさを持っている。
     
 [玉井註]スタジオでは、花は単独で写すことは少なく、アクセサリ−として使うことが
  多い。もちろん、アクセサリ−としても目的に合わせて花の開き加減を選ぶわけだから
  フラッド・ランプを点けたり消したり調節する。                 
      
  ぼくも小物にはかなり凝るほうだが、アメリカの写真家には、もっと上手(うわて)が
  いた。彼は家具撮影の途中で、卓上に置くアクセサリ−の大きさが気にいらず、セット
  をしたままでニュ−ヨ−クを3日も探し歩き、やっとお気に入りを見つけて4日目に撮
  影が終わったという。ぼくは、日本にそんな奴はいない、さすが大した根性だと言った
  ら、そんなこと誰でも当たり前だといわれた。
  (バックの花のパタ−ンは、ミラ−ジュ・フィルタ−により、後処理で加えたもの)

      


               カラ−・チャ−ト      ◎これは、研究資料として作成した玉井専用のカラーチャートである。      

   

カラー・チャートの一例

     

 ここでは、専門用語はさけて、一般向きの解説をする。
     
 これは、透明なモノクロ−ムのフィルムに、最明部(白)から最暗部(真黒)まで、絞り
でいえば半段差の20の階段状になった帯状の白黒のチャ−ト(ステップ・タブレット)を
使い、その下にカラ−フィルムを置いて、上から色光を与えて作られたものである。プリン
タ−その他の機材は、写真製版用のものが多く、感材も製版用も多種多様、ぼくの暗室は印
刷所並になった。                         
     
 白黒のチャ−トの濃淡は、濃度計で測定して数値的にわかっており、色光の露光も0,1
秒差まで厳密に記録されたものを作るので、このチャ−トの応用範囲は非常に広い。 
 チャ−トの基本的なものは、製版用のカラ−フィルタ−からはじめるが、その露光比を変
えることであらゆる色を出せるから、自分に必要な基本色のカラ−チャ−トを作れる。  
 次に、何回もの色露光では能率が悪いので、舞台照明用のカラ−ゼラチン・フィルタ−で
のカラ−チャ−トも作っておくと便利であった。
     
 この制作には相当な手数と費用がかかる。つまり、カラ−フィルムにもデ−ライト、タン
グステン用の別があり、メ−カ−別に多種多様の発色特性があり、また照明用のカラ−ゼラ
チン・フィルタ−はメ−カ−ごとの色彩、濃淡があるから大変な種類になる。消費フィルム
はあっという間に、100枚、200枚を越える。新しいフィルムやゼラチンが出る度に増
加し、整理も大変である。 
 研究所は別にして、当時写真家でこんなことをやっていたのは、スイスのルネ・グレブリ
と僕ぐらいのもので、現在もあまりいないのではなかろうか。
    
 ぼくは、このカラ−チャ−トと濃度計を手元におき、いつも参考にしてきた。
 その効用は、工業的な厳密さを除いて、僕は写真に必要ならあらゆる色彩をカラ−フィル
ム上に、即座に作り出せるようになったことである。特殊表現ではこれは必須の制作上の条
件であり、資料である。
     
 撮影上では、構成時の微妙なカラ−・バランスに、敏感に反応する感性が磨かれる。
 僕はこんなことをしているうちに、それ以前よりは自分が関心を持った多くの絵や写真の
色彩を識別、記憶する能力は、かなり上昇したように思った。             
       
 しかし、カラ−バランスは難しい。創作では、色盲のようなアンバランスなことは、よも
ややるまいと思うが、単なる良いカラ−バランスさえ保てば良い作品になるとは限らず、ギ
リギリのバランス、息をのむようなバランスともなれば、難しさはいいようがなく、僕はま
た全く初心者のようなものだなと感じ、生身の色の道も難しいようだが、相変わらずカラ−
の色の道も果てしないものだとよく思う。

この写真をクリックすると  色の基本的な解説があります。