今回は、「静物写真」について考えてみたい。
静物といえば、室内の卓上におかれたパンや果物などが描かれた古めかしい絵が頭
に浮かぶ人が多いのではなかろうか。さらに題材は人形や花、生活必需品、趣味や
骨董品、オブジェに至るまで範囲は非常に広い。
静物写真もほぼ同様であったが、カメラの機動性から戸外へも題材は広がって行った。
花でいえば花瓶に生けられた室内の花から戸外での自然そのままのクロ−ズ・アップまで
ある。だだ花も少し離れた距離からのものは花を主題とした風景写真ということになるが、
その境界は定かではない。ぼくが鳥取砂丘で撮ったマンドリン(Pert7「私の風景」第
三回)などは、広大な自然バックの静物写真だろうが、ぼくはそうともいいきれず「マンド
リンのある風景」という題名にした。
1950年代初期は写真の分類もかなり大雑把で、営業写真(肖像写真)、人物写真、風
景写真、静物写真、報道写真くらいだったが、写真界の急速な発展につれて女性専門のプロ
写真家は女性専科、子供ばかりを撮っている人は小児科などと病院なみの呼ばれ方をされた
り、報道写真家、山岳写真家、広告写真家、建築写真家、動物写真家、城郭写真家、海中写
真家などと細分化されて行った。
混沌としたこの年代、プロ写真家になった当時のぼくは、モダニズムの表現とはいえ、わ
ずか1枚の「瑛九氏」のポ−ト・レ−トで肖像写真家といわれるジャンルに置かれ、次いで
発表した作品で静物写真家と呼ばれ、スタジオを持つようになってからは広告写真家、最後
は特殊表現写真家と業界の呼び名は変えられて行った。
ぼくは、1952年、大阪から上京し、「写真サロン」という写真雑誌の編集者になり、
編集の仕事をやりながら、わずかな時間を見つけて、写真を撮り写真展その他に発表してい
た。今回は、そんな頃、特異な静物写真家と呼ばれるきっかけになった作品の話である。
それはまた「静物写真」という少し古めかしい表現だが、そこは新しい未知数を含
む分野であることに気づき、トライしてもらいたいということでもある。
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