この作品のタイトルは、「ポスター習作」(1)(2)とすべきだったかもしれない。
展覧会場で、何度か『性的人間』、『現代の信仰』というサブタイトルについて質問を受けた。
この作品のどこが「性的人間」で、どうして「現代の信仰」なのかといった質問には閉口したが、
どうしてこんなサブ・タイトルをつけたかは解答ができる。(原作はB全版でかなり迫力がある)
私は、昭和42年から43年への2年間、平凡社刊「現代人の思想」全集22の表紙のために写
真をイラスト化したものを創っていたことから、その年のAPA展(日本広告写真家協会展)に何
かユニークなものをと思って2点の連作を出品し、タイトルを『平凡社「現代人の思想」全22巻
のためのポスター試作』とした。 (こんな長たらしく、バカ正直なタイトルは珍しい。)
また、2点の作品を識別するためのサブ・タイトルは、1・2でも、A・Bでもよいわけだが、
多少のいたずら気を含めて全集各巻の題名の中から自分の気に入った『性的人間』『現代の信仰』
を選んで、サブ・タイトルとした。
私は、アートとして写真や絵画などの鑑賞は、タイトル(題名)にはこだわらず、見る人の自由で
率直な感性で鑑賞すべきと思う。また作者は誰しも、題名にこだわり狭い世界で鑑賞されるのを喜ぶ
わけがない。それぞれ個性の違う人々に、タイトルという枠で統一したイメージで見て下さいという
こともなかろう。
音楽でも、ベートーベン交響曲 第五番 <運命>は、運命の2字にこだわらず、第五番でよく、
<悲愴>は、ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13でよい。その方が幅が広くなる。人は情緒
的な言葉には弱く、画面の中からその意味を捜そうとする。これは本末転倒である。これらの曲から
運命や悲愴をみなくても感性が足りないというわけでもあるまい。これら何れの<題名>も後からつ
けられたものといわれ、ムンクの「叫び」という題名も同様である。
もっとも、ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2<月光>は、この月光という言葉
が聴覚の中から視覚を浮かび上がらせているようなうまいタイトルと感じる。私のつけたサブ・タイ
トル『性的人間』『現代の信仰』も、そんな位に見られたかと思っている。いづれにしてもタイトル
は何かの話題にする時の呼び名・符丁くらいに考えておいてよかろう。要するに結論は一切の先入観
をさけるため、タイトルは見ず、あなたのハートで見てほしいということである。
蛇足ながら、この作品は1967年度の最高賞を受け、特殊表現でもあったことから
簡単に、玉井の例の「黒猫」、「太陽の顔」といった符丁で通じるようになった。
また、私にとっては1950年以来16年にわたる特殊技法による作品が、一応の結
実を見た記念作になった。
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