<玉井瑞夫繧繝彩色塾>
☆ ワンポイントレッスン (25) ☆
< 自分史における写真 >
昨今も相変わらず、「自分史」を書こうという静かなブ−ムが続いているという。
これにも自分史適齢期というのがあるらしく、男性が62歳前後と67歳前後で、
女性は50歳前後と60歳前後だと雑誌にあった。
この傾向は全国的になってきて、新聞社や自治体主催の自分史講座というものま
であるらしい。ところが、そんな講義を受けてもこの自伝による自分史というのは
意外に難しく、大半の人々が書くという行為に気負いがあり、なんとか名文で自己
表現をしょうという焦りが先行したものが多いという。
ある雑誌での「こうした人の文章は、やたらと形容詞が多く、修飾しすぎて上げ
底の折り詰めみたいになる」という藤本義一氏の解説は可笑しかった。
この事は、写真でも要注意である。
ところで、自分史には人生を振り返って改めて記録しようとする文章による自伝
に限らず、私小説、短歌、俳句、手芸、絵画、写真その他表現はさまざまだが、最
終の形はだいたい本になる。
ここでは、写真における自分史といえるもの、それもアマチュア写真家でも、こ
れだけの写真集ができるという、無駄な、もってまわった表現は微塵もない代表的
な例を取り上げ、それが成立するキ−ポイントを裏話として解説してみたい。
この作者は、ぼくより1歳年上の古い友人、近藤真次郎氏である。
この写真集は、50点程の写真で構成されているが、全部を掲載するわけには行
かず、15点を選んで大要を伝えることになったが、近藤氏のコメントが少ないの
で、(注)としてぼくの感じた印象、感想も加えておくことにした。
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表紙 (かぐら面)
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雪国
< やまこしの記 >
(1976 〜 1980)
近藤真次郎写真帖
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初冬の大久保集落 (1976年 30所帯)
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新潟県古志郡山古志村
東西7km・南北9kmに点在する23の集落を合わせた一山が村。春から秋までは、
牛角力と錦鯉の市。冬は豪雪。最大積雪5m強を記録。一夜に1mの降雪は稀では
ない。大久保集落は、神楽の里として名を知られている。
かぐら面は、塞の神の日に現れる。
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納戸の鮭
半年にも及ぶ冬の生活は、雪との闘いに明け暮れる。除雪の事を雪ほりと云う。
掘らねばならぬ程に降り積もる。お年寄りのいる家では、遠い昔からの習慣が身に
しみていて、陸の孤島と化した往事の雪国での暮らしが垣間みられる。
(注)
つるされた魚は折々に、身を剃ぎながら食べてゆくという。骨も頭も貴重な蛋白
源である。蜘蛛の巣がついた裸電球と鮭の切身がシンプルで、絶妙な魅力ある構成
になっている。
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牛角力
山古志の牛角力は「神事としての牛の角突き」で、400年以上の伝統を誇る。
人の相撲と同様に番付制で、カケゴトはしない。美しいブナ林に囲まれた五月の幕
開けの闘牛場は、清々しく一見の価値がある。
(注)
説明的な闘牛場の写真だけでは、訴えるものがない。この牛を手塩にかけて育て
てきた青年の颯爽として自信に満ちた顔と目をむいた牛の顔との対比は迫力がある。
試合直前の緊張感あふれる秀作である。
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糸くり工場
孫べえさん宅の別棟に、麻糸を作る工場があった。女工さん(?)たちは意外に
明るくて楽しそうに糸くりをしていた。現金収入のための、内職というよりは本職
のように見うけられた。
過去形の言葉は、数年後に工場を閉ざしたからである。なんでも、安い外国産に
押されて、仲買人との間で折り合いがつかなかったとか。悲しいことである。
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五月の風
五月の風が吹くと、北斜面のブナ林に残る根雪もゆるみ、徐々に解けて地面に吸
い込まれてゆく。子供達は、もうじっと家の中などには居ない。
(注)
この村のスケ−ルを思わせるささやかな鯉のぼり。雑然としているようだが無駄
はない。風薫る五月のさわやかさが伝わる、この地方の生活感のあふれた風景だ。
写真集には、錦鯉の養魚場のシーンでは、全く同じ位置からすっぽり深い雪につ
つまれた風景が添えられている。
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大久保神楽
神様が依り代とされる樹をご神木という。神様は、このご神木に在って神楽舞を
ご覧になるのが、殊の外お好きである。お神楽の伝統を持つ山古志村は幸せである。
大久保集落には、寛政年代に角兵衛獅子によって伝えられたという、八種の神楽
が伝承されていて、折々に神楽舞が行われている。
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塞の神(ドント焼き)
塞の神
村のサイノカミは、道祖神楽と左義長の混淆された形式をとる。厳格な儀式はな
く、大声も出さず火振りも見られない。村の立地条件と時の流れのせいであろうか。
雪中での静かな祭りである。
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いろり端
家籠り
炉端を訪れて語らったり、雪かきのとき以外には外に出ず、特に何をするという
こともない。また酒か。
根雪が固まり、雪の少ない頃は、来客でもなければ無聊の日々である。お年寄り
だけが、せっせと内職に精を出す。
(注)
作者はこの作品については「何も言うことはない。見てくれの通りだ」という。
つまり、毎年のことながら長い冬籠りでは、もう話も尽きてしまうということであ
ろう。そんな村人の生活を撮ろうとした、作者の確かな目を感じる秀作である。
こんなシ−ンもこの一家の人々と本当に親しくなれてこそ撮れたことであろう。
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根雪ゆるむ朝
根雪ゆるむ
(注)
根雪がゆるみ、ようやく春の気配が感じられる風景。
このシ−ンでは、左側の掃除をする婦人が利いている。点景として小さく写って
いるが、これが在る無しでは、雰囲気がかなり変わる。「やまこしの記」の写真撮
影は、この部落の日の出の撮影から始まった。
これは、アサヒカメラ創刊50周年記念特別大コンテスト・モノクロ5枚組のテー
マ写真「街角で」に、入賞した「根雪のゆるむ朝」の中の1枚である。
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< あとがき >
いま、十年昔を振り返る。国道17号。雪の難所・三国峠が行く手を阻む。
1月15日小正月の行事「塞の神」に日時を合わせ、峠の吹雪をついて一路「やまこし」を
目指し、凍結の雪道をひた走りに走る。真夜中の道程東京より300km。
足かけ五年、来る年も来る年も引き寄せられたのは何故だろうか。雪中の行事に魅せら
れてか、素朴な村人の心にひかれてか、無心を誘う炉端の炎が恋しくてか。その何れをも
肯定する。確かに心の乳房がそこにはあった。
日曜と祝日の二連休日に限られたこの撮影行は、時間にゆとりがなく、その上あまりに
も遠すぎる村ではあった。
平成元年の晩秋、所用で柏崎へ行く機会に恵まれた。帰途、山古志村に立ち寄って、久
々に孫兵衛夫妻にお会いすることができた。ご健在ではあったが、お年を召されて往年の
面影は薄く、村の様子も可成り変貌していることに気付いた。気忙しく過ぎた、僅か十年
と思っていたこの歳月は、私の写真をえらく古風な姿にしてしまった。
過ぎた日々は、もう還らないことをしみじみ思うと、これらの写真は何となく捨て難く、
記録写真の一部としてならば、何らかの意味もあろうかと考え、まとめてみる気になった。
作品とは云えない写真も、削除したほうがよいものも、他に適切なものがないために、写
真の構成上入れざるを得なかった。
加えて、山塊に散る集落を一つ一つ巡りながら写してゆくということも、当時の私の能
力では十数年を要したことであろうし、その間の世の変転の速さを考え合わせると到底不
可能に近く、写力からしてもこれ以上の写真が撮れたとは思えない。
ただ、一集落に片寄った描写で山古志と題をつけたことは、いささか誇大であったかも
しれないことを、一言お詫びしなければならないと思う。
私には二人の写友がいる。今井和夫君と外山和雄君である。今井君は自動車運転もベテ
ランで、夜の雪道をラッセル車のように前輪駆動で駈け走り、毎回東京から現地へ運んで
いただいた。外山君は写真暦が古く巧者で、私の先生として多くを彼から学んできた。
こんな意味から、この写真帖は三人合作とも云えるもので、両君には厚く御礼を申し上
げたい。
(平成2年12月)
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