採鉱課長宅跡
採鉱課長宅跡に残る食料庫。天然の冷蔵庫として利用されていたらしい。
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小足谷接待館と傭人社宅
明治期に入って急速に鉱業の近代化が進なかで、それに伴う各界の要人が頻繁に来山するようになった。
そこで明治34年(1901)一般人が経営していた泉亭を改装して別子接待館として営業を開始した。
因みにこの年10月には住友家15代家長(友純公)が宿泊されている。
この煉瓦塀も恐らくその時点で築かれたものであろう。
この50mほど先に見える煉瓦塀を廻らせた邸宅の跡あh、歴代の採鉱家長が住んでいたと言われている。
その隣が醸造課長宅で、これより、小足谷に沿って20棟ほどの傭人社宅やクラブなどが建ち並んでいた。
また、醸造所に向けて下がるところの住居跡は明治19年に開校した小足谷尋常小学校のあった所で、明治22年黒橋に新築開校した別子尋常小学校に統合されてからは、改装されて教職員の住宅になっていた。
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