ハッジ 巡礼

イスラミックセンター編著


(二)ハッジの重要性


 巡礼の精神は、すべてのものを犠牲にする心にあります。それは個人的な楽しみ 、現世の悦楽、富の取得、近親者や友人との団欒、衣服や見せかけの虚飾、出産、民族、教養、職業、または社会的な地位に対する誇りなどのすべてを投げ打って、アッ ラーに帰依する心なのです。



 この自己犠牲の精神は、「アッラーの友(ハリーロッラー)」と呼ばれた預言者アブ ラハムによって最高に発揮されました。



 預言者アブラハムの物語は、クルアーン第三七章 第一〇〇ー一〇九節に次のように 詳しく述べられています。



 (アブラハムが言った)「主よ、正しい人物のむすこを、わたしにお授け下さい」。 そこでわれは、優しい思いやりある一男児(イスマイル)の吉報を伝えた。そしてその息子がかれと共に働く年頃になった時、かれは言った。「むすこよ、わたしはおまえを、犠牲にささげるのを夢に見る。さあ、おまえは何と考えるか」と。かれは答えて言った。「父よ、あなたが命ぜられたようにして下さい。もしアッラーのおぼしめ しならば、わたしは耐え忍ぶ者であることが、あなたにおわかりでしょう。」そこで かれら両人は命に服し、かれが額で地にうつぶせになったとき、われはかれに告げた「アブラハムよ、なんじは、確かにあの夢を実現した」。まことにわれは、このように正しい行いの者に報いる。これは明らかに一試練であった。われは大きな犠牲で、かれをあがない、われは後の幾世代にわたり、かれのためにこの祝福をとどめ、「アブラハムの上に平安あれ」とたたえさせた。



 この物語に関係のあるいくつかの出来事は、四千年もの昔(西暦紀元前二千年)のこ とですが、今日のわれわれにとっても、きわめて明白で直接的な意味があり、またかれらは、ムハンマドの時代にもそれを行ったからです。



 アブラハムがこの世で何ものにも換えがたい自分の息子をアッラーの命に従って犠牲にしようとしたことは、たとえばどんなに貴重なものであろうと、アッラーの命令は それ以上に重要であることを示したものです。



 アッラーに帰依する心を実現するのに、これほどはっきりしたやり方はないのです。このようにメッカ巡礼は、すべてのものを犠牲にして、アッラーに帰依するという重要な精神を具現するものです。



 また巡礼の行事は、イスラーム信者すべての間の同胞感を高め確認するためのもので あって、それは世界中から集まった信者が行うこの大集会において、一つの具体的な 形をとって演出され、強調されるのです。もしこの巡礼の真の精神が、巡礼者がそれ ぞれの故郷に帰った後も、かれらの日常生活に引き続き持ち込まれるならば、巡礼の時間中に得られたとまったく同じような同胞感や結束が、人々の間にかもし出されるに相違ないでしょう。



 この巡礼時間には、われわれ人間のあいだにある、すべての差別や相違点は拭いさら れてしまいます。その時間中は、それぞれ異なった文化的背景、複雑な社会、経済、教育水準のムスリム(イスラーム教徒)が、すべてアッラーの呼び声に応えて参集し、巡礼用の衣服である二枚の白布を身にまとい、皆がただ一つの目的、すなわち偉大 なるアッラーをたたえるために、まったく同じやり方で、同じ儀式に参加するのです。



 すべての信者がまったく同じ行動をし全員が同じ目的をもっていることは、人間はみなアッラーからみれば平等な存在であり、すべての者がアッラーに対して義務があることを巡礼の精神を通して強く表現しています。



 このようにして、人々は巡礼の務めを遂行することによって、最後の審判の日にはすべての人間が全能の神アッラーの前で平等な立場に立って、報奨と懲罰を受けるものであることを心に深く悟るのです。



 メッカへの巡礼によって、すべての信仰はイスラームの起源、その増大と発展、アッ ラーへの信仰の確立の過程や、聖預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)や初期のイスラーム信者たちが辿った苦闘の道を知ることができます。







ホームページへ戻る