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投稿時間:2007/08/29(Wed) 01:47
投稿者名:うんむらふま
Eメール:ummu_rahmah@infoseek.jp
URL :
タイトル:Re^4: アッラーの性質

アッサラームアライクム

こんにちは、アイーシャーさん
また少しお話させてください。

What is Islam? イスラームとは何か (イスラミックセンタージャパン発行小冊子より)
〜イスラームにおけるアッラーの概念は、多神教での神々の概念と異なり、通俗的に使われる山の神とか海運の神などのようにがぎられた性質のものではありません。
アッラーはアラビア語で唯一絶対の神を意味します。彼は創造者、万物の存在の精髄であり、英明・公正にして慈悲心あふれ、宇宙に偏在し全知全能で森羅万象を決定し、生・死・復活等を司る絶対的・超越的な存在なのです。
私たち人間の生命はもちろん、極微の世界から極大の世界の一切はアッラーの定められた法則に従っています。アッラを身近に意識することによって、人類は宇宙とその中の人間に意義を理解することができます。そしてあらゆる迷信と怖れから開放され、アッラーへの義務を認識し、全人類がアッラーの庇護を受ける一家族であることを確認します。〜

ディーヌ・ル・ハック 真理の教え (アラブイスラーム学院 アシュラフ安井訳より)
〜「アッラー」とは固有名詞で、宇宙や人間それにありとあらゆる被造物の主(ラッブ)で、被造物の唯一無二の崇拝の対象(イラー)のことを指します。アッラーご自身アッラーと命名され、それは「真の崇拝の対象(アル・イラーフ・ル・ハック)という意味です。
人間の崇拝の対象は存在する唯一無二のアッラーだけですが、崇拝の対象であればそれが事物であろうと人間であろうとすべて「イラー」といいます。日本語では一般に「神」という言葉をあてています。崇拝の対象が複数であれば「アーリハ」といいます。この点明確に「アッラー」という言葉とはっきり区別されなければなりません。従って、「アッラーの神」という言い方は正しくないことが分かります。〜

イスラーム 世界宗教の教えとその文明 (イスラーム文化センター小冊子より)
〜アッラーは世界を創造し、人間を創造した造物主ですが、姿も形もありません。人間はアッラーを見ることはできないとされています。
しかし、イスラームの教えによれば、聖クルアーンを読むことで、アッラーがいかなる存在であるか知ることができます。
たとえば「純正章」、この章の題名は唯一神についてもっとも純正な教えが書かれている、という意味です。
また、アッラーがどのような存在であるかについて次のように言われています。ー集合章22・23・24節必読ー
このように、唯一神の慈悲、強大な力、無限の叡智、世界の創造などについて、聖クルアーンは教えています。たとえ姿や形はわからなくとも、神について知ることができるというのが、イスラームのメッセージです。〜

特集・信教の自由(アッサラームNo.20イスラミックセンタージャパン冊子より)
〜ムスリムは理不尽な手段を使って人々の思考の過程に介入することを禁じられているが、同じようにイスラームではあくまでもイスラームの教えを拒もうとする非信者の説得をあきらめてはならないと教えている。その途中で立ち止まることは絶望を意味する。
ある人間が光明を見、真理を理解することはないと決め付けて、その人に絶望するという態度は、その人の持って生まれた能力への侮辱になるだけでなく、人類全体に対する侮辱にも通じる。
それはつまり、人間はその誕生の時に神から神を信ずる心を授けられているという「ディーヌ=ル=フィトラ」の概念を否定することなのである。
非信者を真理に導くために示す証拠は無尽蔵にある。ムスリムならば、当然、自らの信奉する真理を十分に理解しているはずである。万一、非ムスリムの考え方を正しく論駁できないような場合は、もう一度勉強をし直さなければならない。〜

『東と西の宇宙観ー東洋篇』より
〜明代には、東西の本格的な交流が開始された。16世紀末に中国でキリスト教の布教をはじめたイエズス会のマテオ・リッチは科学教育に力をいれた。そこで中国人は丸い大地という西の宇宙観を学ぶ。リッチは、神の創造物としての宇宙の見事さを教育することで、神の偉大さを説こうとしていた。同時に、キリスト教の神を儒教の「天」と同一視して「上帝」や「天主」とよんでいた。ここに東西の宇宙観の共通点を見、中国人に身近な宗教であることを示そうとしたのだが、リッチのキリスト教の布教は成功とはいえなかった。〜

神道の信仰ー神の理解 (世界「宗教」総覧より)
〜神は純粋の大和言葉(日本語)である。明治4年、プロテスタント・キリスト者が日本布教にあたり新訳福音書の翻訳に初めてこの語を用いた。神といえば全知全能、絶対であり、この世界の創造者だと思っているのはキリスト教信者だけではない。ところが神道の神はこうした信仰とは全く性格を異にするものである。日本人は物と霊とを区別しなかった。物質(material)という語は西洋から来たものであり、自然という言葉さえ日本人は道教から学んだ。本来の日本語による「もの」は物の怪であったり、物の気・物の化でもあるのである。しかし総てが霊的存在であるといっても、総てが神であるわけではない。本居宣長は「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏きものをば神とは言ふなり」と述べている。神道が多神教と呼ばれるものであり、汎神教でないのはこの定義によっても明らかであろう。〜

いろいろ調べて長くなってしまいました!申し訳ありません。
この辺で、失礼致します。

 


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