何でも質問箱FAQ
FAQについて
2005/3/19(土) 2:20
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坂本龍馬は何故暗殺されたか? |
2005/3/12(土) 1:49
・何故龍馬が暗殺されたのか?ということだとしたら、暗殺を企てた側が、龍馬を邪魔な存在だと思ったからでしょう。 ・伏見奉行所捕吏二名射殺の件です。京都守護職公用局の指示により、京都見廻組に龍馬捕縛命令が出されました。 抵抗すれば臨機に処理するように、という指令なので実質的には殺害命令ですね。 (『手代木直右衛門伝』、『佐々木只三郎伝』)。要するに政治犯としてではなく、単純な刑事犯(殺人罪)として処置されたということですね。 |
「サカモトリョウマ」は「竜馬」ですか「龍馬」ですか? |
2005/3/19(土) 1:20
・龍馬が自分で書いた手紙には「龍馬」と書いてあったそうです。 ・当時に人は読みが同じなら漢字は特に決まりはなかったみたい。 ・龍馬です。竜という漢字は当時ありません ・どちらも正しい、となってますが龍馬自身は一度も「竜馬」とは書いていません。 |
龍馬暗殺の真犯人は? |
2005/3/21(月) 0:22
・明治三年、刑部省で見廻組の今井信郎が自分達がやったと証言した口書が残っています。三十三年に改めて犯人は自分達であると公表し、これが見廻組が最有力と言われる由縁です。これを補強する史料が発見されたという話も近年雑誌で見ましたが、また一方で薩摩が下知したという史料が見つかったという話もあり、どちらも私は史料自体を見ていませんので、詳しいことは申し上げられませんが、個人的には今井が明治三年という早い時期に嘘を言う必然性がなく、見廻組説でよいのではないかと今のところ思います。 ・実行犯は、見廻組。指示出したのは、京都守護。 ・原田左之助だ、見廻組だ、といろいろ諸説ありますが、 裏にはどうも薩摩藩が絡んでいたりと、やっぱり今のところは”謎”というところだそうです。 ・小林久三という人の「龍馬暗殺」という本によると実行犯が薩摩藩士で黒幕がグラバーで さらにその背後に世界的なユダヤ人組織が絡んでいたと書いてありました。 ・実行犯が見廻組で、黒幕が大久保利通なんじゃないかと思います ・黒幕はおそらく薩摩主戦派です。 ・大正四年の八月五日木曜日付朝日新聞の、十一面に竜馬を暗殺したという人の記事が出てます。 ・佐々木只三郎、今井信郎ら京都見廻組。 ・薩摩黒幕の伊藤甲子太郎たち犯人説もあるそうです ・諸説が多々あり、結局のところ謎であるということになるかと思います。 ・見廻組が実行犯で影に何かが動いていた、が今の定説のようですね。薩摩藩が有力なのか、、、 ・岩倉具視が殺ったたいう説もあります。 ・実行犯の自供で、佐々木只三郎を中心とする見廻り組の戦果だということははっきりしています。 そうすると、黒幕は京都守護職以外にありえないと思います。 ・明治三年、刑部省で見廻組の今井信郎が自分達がやったと証言した口書が残っています。 三十三年に改めて犯人は自分達であると公表し、これが見廻組が最有力と言われる由縁です。 これを補強する史料が発見されたという話も近年雑誌で見ましたが、また一方で薩摩が下知したという史料が見つかったという話もあります。 ・見廻組隊長佐々木只三郎の指揮のもと手練れの今井信郎が斬ったということで間違いないのでは。 後に今井が犯行を供述してるし、かつて佐々木只三郎の部隊が清川八郎を暗殺したときと手順が酷似してるのがなによりの証拠。 幕府が直接手を出すわけにもいかず、かといって新撰組には任せられない高度な政治テロを行っていた見廻組。暗殺指令は誰が...? ・裏で糸を引いてたのは西郷だってうわさも・・・ ・原田のは「はめようとした」説強いですね。暗殺前日伊東って「狙われてるから気をつけて」って龍馬たちに言ったらしく、見廻組の後ろに伊東が、更にその後ろに真の黒幕がいたという説も聞きました。「こなくそ」は薩摩藩の言葉の「こげなくそ」の聞き間違いではなかったかとも言います。見廻組説が出たのは実行犯の今井信郎が自白したためです。 ・龍馬暗殺に彦根藩が関与していたのではないかとみられる密書が発見された、との新聞記事がありましたね。つまり、実行犯佐々木只三郎の実兄にあたる会津藩士手代木直右衛門が、彦根藩金奉行あての密書(11月16日付)のなかで「内密に相談したい事件がある。訪ねたが留守だったので、後日、万端残らず申し上げたい」と述べていると。会津藩の前後の動向と照らしあわせてみると、この「事件」は龍馬暗殺を指していると思われると。ただ密書には年号が記されていないため、暗殺に彦根藩が関与したという確定はできないとのこと。 ・見回り組みの説が今もっとも有力だと思いますが、色々見回り組みで自白している人は何か矛盾をしているところがあるそうです。 私個人的には薩摩・土佐の仕業ではないかと思われます。そして「こなくそ」とゆう言葉についてですがこれは何かの史料(?)で読んだのですが、ひょっとしたら「こげなくそ」だったら・・・。そしたら、それはなんかどっかの方便でそれが薩摩の人達が使うだとかなんとか・・・。まぁ、あいまいな答えですいません。原田説はほとんどないと思います。 ・説は3説あります。有力説は幕府黒幕で、見回り組みの仕業。見回り組みはほぼ決定。 ・永遠のテーマですな ・西郷or大久保黒幕による薩摩説を声高に唱えているのは菊地明を始めとする“新選組最前線”の面々であって、まっとうな歴史家は今井信郎ら京都見廻組説を定説としている。 ・有力な説では西郷黒幕説と後藤像二郎黒幕説があります。佐幕派の黒幕説は最近あまり見かけません。 ・「新撰組」「京都見回り組み」「薩摩藩」、以外なところだと、徳川御三家の一つ「紀州藩」という「説」もあります。「紀州藩説」の「動機」に「衝突事故」があるといわれています。これは、「竜馬」の所有する船と「紀州藩」の所有する船とが航海の途中、「衝突」してしまい、「竜馬」の船が沈没した事件です。一説には、この時「竜馬」はかなりアクドイ「脅迫」や「誹謗中傷」を大々的に展開して、「世論」を味方に付け、「多額の賠償金」を「紀州藩」からとったそうです。まあ、「竜馬」と言えど「人間」ですから、「後ろめたい」事の一つや二つはあるわけです。又、こうしてみると、「竜馬」はそこらじゅうに「恨み」を買っていたともいえます。 |
坂本竜馬って? |
2005/3/21(月) 0:40
・大政奉還を考えた人、亀山社中を作った人薩長同盟の仲立ちをした人 ・土佐藩出身の郷士。薩長同盟を結ばせた。 ・竜馬の情熱は幕末に実際に生きた竜馬だけのものであり、その中で成立するものです。竜馬の思想は横井小楠の流れで公議政体派ですが別に民主主義とは関係ないです。ただ後に中江兆民とか板垣ら民権派が、土佐勢力の源流として竜馬の名を語るので混同されてるみたいですが。だから坂本直柔が新政府にいたらおそらく征韓派だったような気がする。私が言いたいのは、明治の日本にはそれほど選択肢はなく、大久保ら維新の生き残りは必死に日本の独立を維持し先進国となる基礎をつくってくれたということです。彼らは彼らで役割を果たしました。そのなかで坂本直柔は政府の役人でなく「世界の海援隊」として財閥化し、市場を求めて帝国主義の一翼。あくまでも19世紀はそれが世界的な時勢でしたから・・・。まあだから幕末の竜馬に希望を持つわけで、こんなことを言うのヤボだとは百も承知ですが。 竜の字は権力を自身で掴むために働いたのでは無く当時の国民が個人としての自由を保証され束縛されずに生きていける世の中にしたかったのです。現代人からそれを想像するのは無理かもしれませんが当時は生まれた家により一生が決まってしまうのが当然であり生涯の選択権というものがなく、身分から結婚相手など一生に関わることは大抵が事前に決まっており(士農工商)そんな世の中を竜の字はかえたかったのあり、そこまで考えた当時の指導者は他にいませんでしね。 ・勤王の士ってのが人間の最大の評価になった時代の話です。維新の第一義を王政復古とするならば、維新回転の功績者であるほど「勤王の士」といえます。船中八策の第一に政権の朝廷復帰を唱ってる竜馬なら十分だったわけです。これが戦後の史観だと、竜馬の民主的な部分を強調する事になります。ちなみに左翼史観でも、西郷らの革命?に立ちはだかる形となった竜馬を「反動」と評した人もいたりしました。まあようするに、価値基準をかえればいろんなふうに見えてしまうということで、歴史上の人物、今の我々にとっての竜馬も、今の我々が生きる時代と切り離された客観として考えることはできないということを言いたかったわけです |