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なぜ、この頃の人たちは名前を改名しているのですか? |
2005/3/16(水) 1:34
・維新前は、復古調の名前が好まれることもあった。維新後は、例えば太政官の要職を拝命するにあって、藩に在職する本名とは別に、 「源…、藤原…」等のように臣下に相応しい名を発明するケースもある。 姓名を大胆に変えて威厳をつくろう者もあれば、勝海舟のように 「号」を主に使用したり、漢籍にちなんだ名(〜之助は古くさい!)を新規作成するなど、 この時期いわば上下野ともにひとつの流行でもあったようです。要は自己アピールですな。 ・また別に、「過去の自分を消し去りたい」的に改名した者もいる。維新によかれと思って暗殺剣をふるった浪人の中には、 維新後「これでは自分はただの殺人鬼でしかないではないか」と考えた人々は、下野においても、 また新政府での職探しにも不都合がないように、まったく別人になりすましたようです。 はなばなしく剣に散れば、勇名をはせたものの、生き延びた為に、新政府から汚名を注がれることも珍しくなかったようで。 ・確か、明治維新後は官位に関する名前の使用を禁ずる、という法令が出て、武士の名前などはそれに類するものが多かったので、改名せざるを得なかった、と読んだことがあります。スケ、エモン、サエモン、ヒョウエ、とか。たしか、ある会津藩士の敗者の維新史というような新書で、戸籍上は新しい名前にして、家族は世襲の旧名で呼んでいた、という記述があったように記憶しています。 ・改名というわけではなくて、元々、武士には名前が二つあったらしくて、(坂本龍馬直柔、大久保一蔵利通など)明治になって、そんなの面倒じゃんってな感じで名前を一つにするとうことになったらしいです。 ・当時は戸籍上の名前(本名にあたる)を諱(イミナ)と通称と号(ペンネームのようなもの)があり更に変名がありで、当時の人もしばしば混乱していたそうです。あと、幕末の頃は自分の名前や漢字表記にはこだわっていなかったそうで、自分でも勝手に違う漢字を使用したりで、意味があるのかないのかはわかりませんが、1人あたり複数の呼び名がありました。 ・志士たちはいついかなる時に命を狙われるかわかりません。その為、変名・偽名をつかって暗殺者の目をくらましていたのせしょう。これと同じように隠語などもつかっていたようです。皇室→太陽家・薩摩→円十郎 というような。 ・自分の身分を隠すために名乗った。変名⇒仮の名前ってともかな。 |