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カテゴリ:新撰組関係
山南敬助について
2005/3/21(月) 1:15
・山南敬助は「仙台脱藩」と、されていますが、実は仙台出身を証明できる物は、何もありません。また、仙台藩の家臣録にも「山南」と、云う姓はありません。したがって、変名かも知れませんが、それなら何故仙台の地名を名乗ったのかなど、不明な点が多々残っています。

・裏話ではないかも知れませんが、明里さんとの別れ話は、どうやら作り話だったみたいです。あと、大津への脱走説も、史実かどうかはかなり怪しいらしく、彼の死については謎が多いみたいです。

・新撰組内の位置付けは土方歳三と同等なものでしたが、伊藤甲子太郎の参加後は次第にその差が生じてきました。8.18の政変や芹沢鴨の密殺には名を連ねていますが、肝要な池田屋騒動では病のため屯所で療養、参戦できませんでした。元治2年(1865)2月21日、書置きを残して脱走しましたが、大津の宿で沖田総司に発見され屯所へ連れ戻され、23日、隊規により切腹を命ぜられ、沖田の介錯で死亡しました。

・剣は北辰一刀流千葉周作の門人といわれています。

・山南敬助に限らず新選組隊士に関しては、今日では良質のレファレンスブックが整備されていますので、まずはそちらで伝記事項を確認することからお勧めします(『新選組大人名事典』、『新選組大事典』、『新選組事典』など)。なお管見の範囲内ですが、山南を単体で論じた文献に以下のものがあります。
単行本所載の論考としては、●大内美予子「山南敬助」(『新選組隊士列伝』)、●菊地明「西本願寺と山南敬助の死」(『沖田総司の謎』)、●鈴木亨「山南敬助−謎につつまれた脱走幹部」(『新選組100話』)、●石田孝喜「山南敬助−脱走した新選組総長の切腹」(『新選組隊士秘話』)、●伊東成郎「山南敬助−憂鬱なる浪士狩りの戦士」(『血誠新撰組』)、●菊地明「山南敬助」、「山南敬助の脱走」、「山南敬助の切腹」(『新選組101の謎』)、●山村竜也「山南敬助−北斗の剣」(『新選組剣客伝』)、●新宮正春「山南敬助−脱盟」(『土方歳三−熱情の士道、冷徹の剣』)
また、雑誌記事としては以下のものがあります。○大内美予子「総長山南敬助脱走」(『歴史と旅』6巻7号)、○赤間倭子「山南敬助脱走事件の謎」(『歴史と旅』7巻12号)、○吉田光一「山南敬助のこと−二つの遺品から」(『幕末史研究』25号)、○山村竜也「山南敬助」(『歴史読本』39巻16号)、○古賀茂作「山南敬助『割腹』事件の真相」(『歴史読本』40巻13号)、○石田孝喜「総長・山南敬助」(『歴史読本』42巻12号)、○清水隆「山南敬助」(『別冊歴史読本』23巻41号)

・大津脱走については同時代人の証言がなく後世になって急に出てきたもの。山南の最期について隊士から話を聞いたはずの西本願寺の西村兼文の書には「憤激して自刃」とあるのみで、元治元年から(おそらく負傷で)長期療養の期間があり、副長としての責務をまっとうできていない事に悩んで、屯所内で自ら切腹したと思われる。



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