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衆道について
2005/3/19(土) 1:23
・色々と意見があるようですが、江戸時代の風俗に関する研究書を読む限りでは、江戸時代に男色はその存在を認められてはいたようです。井原西鶴等も『好色一代男』で「色道ふたつに寝ても覚めても夢介と替名よばれて」と書いているように、色道は女色と男色の双方の存在が認められていたと思われます。ただ、男色は女色のように公然と行われていたのではなく、比較的限られた状況で連綿と受け継がれてきたようです。例としては女色を禁じられていた僧侶の世界等があげられるでしょう。

・近世に入ると歌舞伎の流行と共に、舞台に出演する若衆を陰で売るような商売が成立します。これが後に陰間茶屋へと発展していくのです。江戸・大阪・京都などには、未だにこの陰間茶屋が軒を連ねた通りの名残があります。隆盛を誇る陰間茶屋に対して幕府も非常に頭を悩ましていたようで、たびたび禁令も出されています。天明年間がそのピークだったらしく、天保の改革で大々的に取り締まられた後は、衰退したとされています。

・平賀源内などは、この男色に非常に興味を持っていたらしく、大阪の陰間茶屋を取り上げて番付などを作り、店ごとに細かい批評をしたりもしています。また、男色に関する川柳や冊子も残されている事から、江戸時代には、現在私たちが考えるよりも男色は社会的にその存在を認められていたものだと思われます。歳三の件に関しましては、未だ史料自体をこの眼で確かめてはいないので確かな事は言えませんが、男色の経験もあったという事は聞いた事があります。当時としてはさほど珍しい事でもありませんが。

・戦国時代からも男色はありましたし、江戸時代においても男色家は掃いて捨てるほどいました。当時はちっとも珍しいことではなかったし、別に「いやらしいこと」とも思われていませんでした。男であれ女であれ、美しいものは良い、という考えだったんですね。男色についてもかなり大らかに受け止められていました。明治以後、キリスト教が浸透して、「男が男に惚れるなど言語道断」という感覚が広まっていきました。

・昔は男色始め、色町や夜這いなど結構普通にありましたし、第一愛などという概念が無かったのですから性とかに関しては今よりは軽かったのではないでしょうか。



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