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カテゴリ:坂本龍馬関係
龍馬暗殺の真犯人は?
2005/3/21(月) 0:22
・明治三年、刑部省で見廻組の今井信郎が自分達がやったと証言した口書が残っています。三十三年に改めて犯人は自分達であると公表し、これが見廻組が最有力と言われる由縁です。これを補強する史料が発見されたという話も近年雑誌で見ましたが、また一方で薩摩が下知したという史料が見つかったという話もあり、どちらも私は史料自体を見ていませんので、詳しいことは申し上げられませんが、個人的には今井が明治三年という早い時期に嘘を言う必然性がなく、見廻組説でよいのではないかと今のところ思います。

・実行犯は、見廻組。指示出したのは、京都守護。

・原田左之助だ、見廻組だ、といろいろ諸説ありますが、
裏にはどうも薩摩藩が絡んでいたりと、やっぱり今のところは”謎”というところだそうです。

・小林久三という人の「龍馬暗殺」という本によると実行犯が薩摩藩士で黒幕がグラバーで
さらにその背後に世界的なユダヤ人組織が絡んでいたと書いてありました。

・実行犯が見廻組で、黒幕が大久保利通なんじゃないかと思います

・黒幕はおそらく薩摩主戦派です。

・大正四年の八月五日木曜日付朝日新聞の、十一面に竜馬を暗殺したという人の記事が出てます。

・佐々木只三郎、今井信郎ら京都見廻組。

・薩摩黒幕の伊藤甲子太郎たち犯人説もあるそうです

・諸説が多々あり、結局のところ謎であるということになるかと思います。

・見廻組が実行犯で影に何かが動いていた、が今の定説のようですね。薩摩藩が有力なのか、、、

・岩倉具視が殺ったたいう説もあります。

・実行犯の自供で、佐々木只三郎を中心とする見廻り組の戦果だということははっきりしています。
そうすると、黒幕は京都守護職以外にありえないと思います。

・明治三年、刑部省で見廻組の今井信郎が自分達がやったと証言した口書が残っています。
三十三年に改めて犯人は自分達であると公表し、これが見廻組が最有力と言われる由縁です。
これを補強する史料が発見されたという話も近年雑誌で見ましたが、また一方で薩摩が下知したという史料が見つかったという話もあります。

・見廻組隊長佐々木只三郎の指揮のもと手練れの今井信郎が斬ったということで間違いないのでは。
後に今井が犯行を供述してるし、かつて佐々木只三郎の部隊が清川八郎を暗殺したときと手順が酷似してるのがなによりの証拠。
幕府が直接手を出すわけにもいかず、かといって新撰組には任せられない高度な政治テロを行っていた見廻組。暗殺指令は誰が...?

・裏で糸を引いてたのは西郷だってうわさも・・・

・原田のは「はめようとした」説強いですね。暗殺前日伊東って「狙われてるから気をつけて」って龍馬たちに言ったらしく、見廻組の後ろに伊東が、更にその後ろに真の黒幕がいたという説も聞きました。「こなくそ」は薩摩藩の言葉の「こげなくそ」の聞き間違いではなかったかとも言います。見廻組説が出たのは実行犯の今井信郎が自白したためです。

・龍馬暗殺に彦根藩が関与していたのではないかとみられる密書が発見された、との新聞記事がありましたね。つまり、実行犯佐々木只三郎の実兄にあたる会津藩士手代木直右衛門が、彦根藩金奉行あての密書(11月16日付)のなかで「内密に相談したい事件がある。訪ねたが留守だったので、後日、万端残らず申し上げたい」と述べていると。会津藩の前後の動向と照らしあわせてみると、この「事件」は龍馬暗殺を指していると思われると。ただ密書には年号が記されていないため、暗殺に彦根藩が関与したという確定はできないとのこと。

・見回り組みの説が今もっとも有力だと思いますが、色々見回り組みで自白している人は何か矛盾をしているところがあるそうです。 私個人的には薩摩・土佐の仕業ではないかと思われます。そして「こなくそ」とゆう言葉についてですがこれは何かの史料(?)で読んだのですが、ひょっとしたら「こげなくそ」だったら・・・。そしたら、それはなんかどっかの方便でそれが薩摩の人達が使うだとかなんとか・・・。まぁ、あいまいな答えですいません。原田説はほとんどないと思います。

・説は3説あります。有力説は幕府黒幕で、見回り組みの仕業。見回り組みはほぼ決定。

・永遠のテーマですな

・西郷or大久保黒幕による薩摩説を声高に唱えているのは菊地明を始めとする“新選組最前線”の面々であって、まっとうな歴史家は今井信郎ら京都見廻組説を定説としている。

・有力な説では西郷黒幕説と後藤像二郎黒幕説があります。佐幕派の黒幕説は最近あまり見かけません。

・「新撰組」「京都見回り組み」「薩摩藩」、以外なところだと、徳川御三家の一つ「紀州藩」という「説」もあります。「紀州藩説」の「動機」に「衝突事故」があるといわれています。これは、「竜馬」の所有する船と「紀州藩」の所有する船とが航海の途中、「衝突」してしまい、「竜馬」の船が沈没した事件です。一説には、この時「竜馬」はかなりアクドイ「脅迫」や「誹謗中傷」を大々的に展開して、「世論」を味方に付け、「多額の賠償金」を「紀州藩」からとったそうです。まあ、「竜馬」と言えど「人間」ですから、「後ろめたい」事の一つや二つはあるわけです。又、こうしてみると、「竜馬」はそこらじゅうに「恨み」を買っていたともいえます。



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