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5-27.(ムハンマドよ)アーダムの2児の物語の真実を民に語れ。かれら両人が犠牲を捧げた時、1人は受け入れられたが、外は受け入れられなかった。言った。「わたしはきっと御前を殺してやる。」かれは(答えて)言った。「アッラーは、唯主を畏れる者だけ、受け入れられる。」

وَاتْلُ عَلَيْهِمْ نَبَأَ ابْنَيْ آدَمَ بِالْحَقِّ إِذْ قَرَّبَا قُرْبَانًا فَتُقُبِّلَ مِن أَحَدِهِمَا وَلَمْ يُتَقَبَّلْ مِنَ الآخَرِ قَالَ لَأَقْتُلَنَّكَ قَالَ إِنَّمَا يَتَقَبَّلُ اللّهُ مِنَ الْمُتَّقِينَ 27

5-28.「仮令あなたが、わたしを殺すためにその手を伸ばしても、わたしはあなたを殺すため、手を伸ばしはしない。わたしは万有の主アッラーを畏れる。

لَئِن بَسَطتَ إِلَيَّ يَدَكَ لِتَقْتُلَنِي مَا أَنَاْ بِبَاسِطٍ يَدِيَ إِلَيْكَ لَأَقْتُلَكَ إِنِّي أَخَافُ اللّهَ رَبَّ الْعَالَمِينَ 28

5-29.本当にわたしは、あなたがわたしの(先に犯した)罪と、あなたの(殺人の)罪とを負って、あなたが火獄の住人になることを望む。そしてこれは不義を行なう者の応報である。」

إِنِّي أُرِيدُ أَن تَبُوءَ بِإِثْمِي وَإِثْمِكَ فَتَكُونَ مِنْ أَصْحَابِ النَّارِ وَذَلِكَ جَزَاء الظَّالِمِينَ 29

5-30.しかしかれの(利己的な)心は、その弟を殺すのを望ましいこととし、遂にかれを殺害(人類最古の殺人者と)して、失敗者の1人となった。

فَطَوَّعَتْ لَهُ نَفْسُهُ قَتْلَ أَخِيهِ فَقَتَلَهُ فَأَصْبَحَ مِنَ الْخَاسِرِينَ 30

5-31.その時アッラーは、1羽の大カラスを遣わして地を掘らせ、その弟の死体を、如何に覆うべきかをかれに示された。かれは言った。「ああ情けない兄弟の死体を葬るのに、わたしはこのカラス程のことさえ出来ないのか。」こうしてかれは後悔する者の1人となった。

فَبَعَثَ اللّهُ غُرَابًا يَبْحَثُ فِي الأَرْضِ لِيُرِيَهُ كَيْفَ يُوَارِي سَوْءةَ أَخِيهِ قَالَ يَا وَيْلَتَا أَعَجَزْتُ أَنْ أَكُونَ مِثْلَ هَـذَا الْغُرَابِ فَأُوَارِيَ سَوْءةَ أَخِي فَأَصْبَحَ مِنَ النَّادِمِينَ 31

5-32.そのことのためにわれはイスラエルの子孫に対し、掟を定めた。人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである(と定めた)。そしてわが使徒たちは、かれらに明証を齎した。だが、なおかれらの多くは、その後も地上において、非道な行いをしている。

مِنْ أَجْلِ ذَلِكَ كَتَبْنَا عَلَى بَنِي إِسْرَائِيلَ أَنَّهُ مَن قَتَلَ نَفْسًا بِغَيْرِ نَفْسٍ أَوْ فَسَادٍ فِي الأَرْضِ فَكَأَنَّمَا قَتَلَ النَّاسَ جَمِيعًا وَمَنْ أَحْيَاهَا فَكَأَنَّمَا أَحْيَا النَّاسَ جَمِيعًا وَلَقَدْ جَاءتْهُمْ رُسُلُنَا بِالبَيِّنَاتِ ثُمَّ إِنَّ كَثِيراً مِّنْهُم بَعْدَ ذَلِكَ فِي الأَرْضِ لَمُسْرِفُونَ 32

5-33.アッラーとその使徒に対して戦い、または地上を攪乱して歩く者の応報は、殺されるか、または十字架につけられるか、あるいは手足を互い違いに切断されるか、または国土から追放される外はない。これらはかれらにとっては現世での屈辱であり、更に来世において厳しい懲罰がある。

إِنَّمَا جَزَاء الَّذِينَ يُحَارِبُونَ اللّهَ وَرَسُولَهُ وَيَسْعَوْنَ فِي الأَرْضِ فَسَادًا أَن يُقَتَّلُواْ أَوْ يُصَلَّبُواْ أَوْ تُقَطَّعَ أَيْدِيهِمْ وَأَرْجُلُهُم مِّنْ خِلافٍ أَوْ يُنفَوْاْ مِنَ الأَرْضِ ذَلِكَ لَهُمْ خِزْيٌ فِي الدُّنْيَا وَلَهُمْ فِي الآخِرَةِ عَذَابٌ عَظِيمٌ 33

5-34.だがあなたがたがとり抑える前に、自ら悔悟した者は別である。アッラーは寛容にして慈悲深くあられることを知れ。

إِلاَّ الَّذِينَ تَابُواْ مِن قَبْلِ أَن تَقْدِرُواْ عَلَيْهِمْ فَاعْلَمُواْ أَنَّ اللّهَ غَفُورٌ رَّحِيمٌ 34

5-35.あなたがた信仰する者よ、アッラーを畏れ自分の義務を果してかれに近づくよう念願し、かれの道のために奮闘努力しなさい。あなたがたは恐らく成功するであろう。

يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُواْ اتَّقُواْ اللّهَ وَابْتَغُواْ إِلَيهِ الْوَسِيلَةَ وَجَاهِدُواْ فِي سَبِيلِهِ لَعَلَّكُمْ تُفْلِحُونَ 35

5-36.信仰を拒否する者は、仮令地上にある一切のもの、更にこれに等しいものを積み重ねて復活の日の懲罰をあがなおうとしても、決して受け入れられず、痛ましい懲罰を受けるであろう。

إِنَّ الَّذِينَ كَفَرُواْ لَوْ أَنَّ لَهُم مَّا فِي الأَرْضِ جَمِيعًا وَمِثْلَهُ مَعَهُ لِيَفْتَدُواْ بِهِ مِنْ عَذَابِ يَوْمِ الْقِيَامَةِ مَا تُقُبِّلَ مِنْهُمْ وَلَهُمْ عَذَابٌ أَلِيمٌ 36

5-37.かれらは、業火から出ることを願うであろうが、決してこれから出ることは出来ない。懲罰は永久に続くのである。

يُرِيدُونَ أَن يَخْرُجُواْ مِنَ النَّارِ وَمَا هُم بِخَارِجِينَ مِنْهَا وَلَهُمْ عَذَابٌ مُّقِيمٌ 37

5-38.盗みをした男も女も、報いとして両手を切断しなさい。これはかれらの行いに対する、アッラーの見せしめのための懲しめである。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。

وَالسَّارِقُ وَالسَّارِقَةُ فَاقْطَعُواْ أَيْدِيَهُمَا جَزَاء بِمَا كَسَبَا نَكَالاً مِّنَ اللّهِ وَاللّهُ عَزِيزٌ حَكِيمٌ 38

5-39.だが悪事を行った後、罪を悔いてその行いを改める者には、アッラーは哀れみを垂れられる。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。

فَمَن تَابَ مِن بَعْدِ ظُلْمِهِ وَأَصْلَحَ فَإِنَّ اللّهَ يَتُوبُ عَلَيْهِ إِنَّ اللّهَ غَفُورٌ رَّحِيمٌ 39

5-40.あなたは天と地の大権がアッラーに属することを知らないのか。かれは御望みになっている者を罰し、御望みになっている者を御赦しになられる。アッラーは凡てのことに全能であられる。

أَلَمْ تَعْلَمْ أَنَّ اللّهَ لَهُ مُلْكُ السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضِ يُعَذِّبُ مَن يَشَاء وَيَغْفِرُ لِمَن يَشَاء وَاللّهُ عَلَى كُلِّ شَيْءٍ قَدِيرٌ 40

5-41.使徒よ、互いに不信心に競う者のためにあなたの心を痛めてはならない。かれらはロで、「わたしたちは信仰する。」と言うが、心では信じてはいない。またユダヤ人の中には、虚偽を聞き出すことばかりに熱心で、あなたの処に全く寄りつかない者がいる。かれらはその言葉を(正しい)意味から歪めて言う。「もしこれが、あなたがたに与えられたもの(律法と同じである)と思うならば、受け入れなさい。だがあなたがたに与えられたものと同じでないならば、用心しなさい。」アッラーが一度試みにかけようと御望みの者には、あなたはかれらのため、アッラーに対し何の権威もない。これらの者は、アッラーがその心を清めるのを、望まれない者たちである。かれらは現世において屈辱を受け、来世においても酷い懲罰を受けるであろう。

يَا أَيُّهَا الرَّسُولُ لاَ يَحْزُنكَ الَّذِينَ يُسَارِعُونَ فِي الْكُفْرِ مِنَ الَّذِينَ قَالُواْ آمَنَّا بِأَفْوَاهِهِمْ وَلَمْ تُؤْمِن قُلُوبُهُمْ وَمِنَ الَّذِينَ هِادُواْ سَمَّاعُونَ لِلْكَذِبِ سَمَّاعُونَ لِقَوْمٍ آخَرِينَ لَمْ يَأْتُوكَ يُحَرِّفُونَ الْكَلِمَ مِن بَعْدِ مَوَاضِعِهِ يَقُولُونَ إِنْ أُوتِيتُمْ هَـذَا فَخُذُوهُ وَإِن لَّمْ تُؤْتَوْهُ فَاحْذَرُواْ وَمَن يُرِدِ اللّهُ فِتْنَتَهُ فَلَن تَمْلِكَ لَهُ مِنَ اللّهِ شَيْئًا أُوْلَـئِكَ الَّذِينَ لَمْ يُرِدِ اللّهُ أَن يُطَهِّرَ قُلُوبَهُمْ لَهُمْ فِي الدُّنْيَا خِزْيٌ وَلَهُمْ فِي الآخِرَةِ عَذَابٌ عَظِيمٌ 41

5-42.かれらは虚偽ばかりを聞き、禁じられたものを貪る。かれらがもしあなたの許に来たならば、かれらの間を裁くか、それとも相手にするな。もしあなたが相手にしなくても、かれらは少しもあなたを害することは出来ないであろう。またもし裁くならば、かれらの間を公平に裁決しなさい。アッラーは公平に行う者を愛でられる。

سَمَّاعُونَ لِلْكَذِبِ أَكَّالُونَ لِلسُّحْتِ فَإِن جَآؤُوكَ فَاحْكُم بَيْنَهُم أَوْ أَعْرِضْ عَنْهُمْ وَإِن تُعْرِضْ عَنْهُمْ فَلَن يَضُرُّوكَ شَيْئًا وَإِنْ حَكَمْتَ فَاحْكُم بَيْنَهُمْ بِالْقِسْطِ إِنَّ اللّهَ يُحِبُّ الْمُقْسِطِينَ 42

5-43.かれらには律法があるのに、どうしてあなたに、裁判を仰ぐのであろうか。その中には、アッラーの(公平な)裁決があるのだが、かれらはそういうものを持っていても、なお背き去る。これらの者は(真の)信者ではないのである。

وَكَيْفَ يُحَكِّمُونَكَ وَعِندَهُمُ التَّوْرَاةُ فِيهَا حُكْمُ اللّهِ ثُمَّ يَتَوَلَّوْنَ مِن بَعْدِ ذَلِكَ وَمَا أُوْلَـئِكَ بِالْمُؤْمِنِينَ 43

5-44.誠にわれは、導きとして光明のある律法を、(ム−サーに)下した。それで(アッラーに)服従、帰依した預言者たちは、これによってユダヤ人を裁いた。聖職者たちや律法学者たちも(裁いた)。アッラーの啓典の護持を託されていたからである。かれらはそれに対する証人でもあった。だからあなたがたは人間を恐れず、只われを畏れなさい。僅かな代価で、われの印を売ってはならない。そしてアッラーが下されたもので裁判しない者は不信心者(カーフィル)である。

 

إِنَّا أَنزَلْنَا التَّوْرَاةَ فِيهَا هُدًى وَنُورٌ يَحْكُمُ بِهَا النَّبِيُّونَ الَّذِينَ أَسْلَمُواْ لِلَّذِينَ هَادُواْ وَالرَّبَّانِيُّونَ وَالأَحْبَارُ بِمَا اسْتُحْفِظُواْ مِن كِتَابِ اللّهِ وَكَانُواْ عَلَيْهِ شُهَدَاء فَلاَ تَخْشَوُاْ النَّاسَ وَاخْشَوْنِ وَلاَ تَشْتَرُواْ بِآيَاتِي ثَمَنًا قَلِيلاً وَمَن لَّمْ يَحْكُم بِمَا أَنزَلَ اللّهُ فَأُوْلَـئِكَ هُمُ الْكَافِرُونَ 44

5-45.われはかれらのために律法の中で定めた。「生命には生命、目には目、鼻には鼻、耳には耳、歯には歯、凡ての傷害にも、(同様の)報復を。」しかしその報復を控えて許すならば、それは自分の罪の償いとなる。アッラーが下されるものによって裁判しない者は、不義を行う者である。

وَكَتَبْنَا عَلَيْهِمْ فِيهَا أَنَّ النَّفْسَ بِالنَّفْسِ وَالْعَيْنَ بِالْعَيْنِ وَالأَنفَ بِالأَنفِ وَالأُذُنَ بِالأُذُنِ وَالسِّنَّ بِالسِّنِّ وَالْجُرُوحَ قِصَاصٌ فَمَن تَصَدَّقَ بِهِ فَهُوَ كَفَّارَةٌ لَّهُ وَمَن لَّمْ يَحْكُم بِمَا أنزَلَ اللّهُ فَأُوْلَـئِكَ هُمُ الظَّالِمُونَ 45

5-46.われはかれらの足跡を踏ませて、マルヤムの子イーサーを遣わし、かれ以前(に下した)律法の中にあるものを確証するために、導きと光明のある、福音をかれに授けた。これはかれ以前に下した律法への確証であり、また主を畏れる者への導きであり、訓戒である。

وَقَفَّيْنَا عَلَى آثَارِهِم بِعَيسَى ابْنِ مَرْيَمَ مُصَدِّقًا لِّمَا بَيْنَ يَدَيْهِ مِنَ التَّوْرَاةِ وَآتَيْنَاهُ الإِنجِيلَ فِيهِ هُدًى وَنُورٌ وَمُصَدِّقًا لِّمَا بَيْنَ يَدَيْهِ مِنَ التَّوْرَاةِ وَهُدًى وَمَوْعِظَةً لِّلْمُتَّقِينَ 46

5-47.それで福音の信者(キリスト教徒)にはアッラーがその中(福音書)に示されたものによって裁かせなさい。凡そアッラーが下されるものによらずに、裁く者は主の掟に背く者である。

وَلْيَحْكُمْ أَهْلُ الإِنجِيلِ بِمَا أَنزَلَ اللّهُ فِيهِ وَمَن لَّمْ يَحْكُم بِمَا أَنزَلَ اللّهُ فَأُوْلَـئِكَ هُمُ الْفَاسِقُونَ 47

5-48.われは真理によって、あなたがたに啓典を下した。それは以前にある啓典を確証し、守るためである。それでアッラーが下されるものによって、かれらの間を裁け。あなたに与えられた真理に基づき、かれらの私慾に従ってはならない。われは、あなたがた各自のために、聖い戒律と公明な道とを定めた。もしアッラーの御心なら、あなたがたを挙げて1つのウンマになされたであろう。しかし(これをされなかったのは)かれがあなたがたに与えられたものによって、あなたがたを試みられたためである。だから互いに競って善行に励め。あなたがたは挙って、アッラーに帰るのである。その時かれは、あなたがたが論争していたことに就いて、告げられる。

وَأَنزَلْنَا إِلَيْكَ الْكِتَابَ بِالْحَقِّ مُصَدِّقًا لِّمَا بَيْنَ يَدَيْهِ مِنَ الْكِتَابِ وَمُهَيْمِنًا عَلَيْهِ فَاحْكُم بَيْنَهُم بِمَا أَنزَلَ اللّهُ وَلاَ تَتَّبِعْ أَهْوَاءهُمْ عَمَّا جَاءكَ مِنَ الْحَقِّ لِكُلٍّ جَعَلْنَا مِنكُمْ شِرْعَةً وَمِنْهَاجًا وَلَوْ شَاء اللّهُ لَجَعَلَكُمْ أُمَّةً وَاحِدَةً وَلَـكِن لِّيَبْلُوَكُمْ فِي مَا آتَاكُم فَاسْتَبِقُوا الخَيْرَاتِ إِلَى الله مَرْجِعُكُمْ جَمِيعًا فَيُنَبِّئُكُم بِمَا كُنتُمْ فِيهِ تَخْتَلِفُونَ 48

5-49.それでアッラーの下されるものによって、かれらの間を裁き、決してかれらの私慾に従ってはならない。アッラーが、あなたに下される(教えの)どの部分についても惑わされないよう、かれらに用心しなさい。かれらがもし背き去るならば、それはアッラーがかれらの犯した罪の一部を、懲しめられると御考えなっておられると知れ。人びとの多くは本当にアッラーの掟に背く者である。

وَأَنِ احْكُم بَيْنَهُم بِمَا أَنزَلَ اللّهُ وَلاَ تَتَّبِعْ أَهْوَاءهُمْ وَاحْذَرْهُمْ أَن يَفْتِنُوكَ عَن بَعْضِ مَا أَنزَلَ اللّهُ إِلَيْكَ فَإِن تَوَلَّوْاْ فَاعْلَمْ أَنَّمَا يُرِيدُ اللّهُ أَن يُصِيبَهُم بِبَعْضِ ذُنُوبِهِمْ وَإِنَّ كَثِيراً مِّنَ النَّاسِ لَفَاسِقُونَ 49

5-50.かれらが求めるのは、無明(時代)の裁判であるのか。だが信心堅固な者にとって、アッラーに優る裁判者があろうか。

أَفَحُكْمَ الْجَاهِلِيَّةِ يَبْغُونَ وَمَنْ أَحْسَنُ مِنَ اللّهِ حُكْمًا لِّقَوْمٍ يُوقِنُونَ 50

5-51.あなたがた信仰する者よ、ユダヤ人やキリスト教徒を、仲間としてはならない。かれらは互いに友である。あなたがたの中誰でも、かれらを仲間とする者は、かれらの同類である。アッラーは決して不義の民を御導きになられない。

يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُواْ لاَ تَتَّخِذُواْ الْيَهُودَ وَالنَّصَارَى أَوْلِيَاء بَعْضُهُمْ أَوْلِيَاء بَعْضٍ وَمَن يَتَوَلَّهُم مِّنكُمْ فَإِنَّهُ مِنْهُمْ إِنَّ اللّهَ لاَ يَهْدِي الْقَوْمَ الظَّالِمِينَ 51

5-52.あなたは、心に病ある者がかれらの許に走るのを見るであろう。かれらは、「わたしたちは災難にあいはしないかと恐れる。」と言っている。だがアッラーは、恐らく(あなたがたに)勝利を与え、または御許から聖断を与えられよう。かれらは心の中に秘密を抱くもののために、酷く後悔することになるであろう。

فَتَرَى الَّذِينَ فِي قُلُوبِهِم مَّرَضٌ يُسَارِعُونَ فِيهِمْ يَقُولُونَ نَخْشَى أَن تُصِيبَنَا دَآئِرَةٌ فَعَسَى اللّهُ أَن يَأْتِيَ بِالْفَتْحِ أَوْ أَمْرٍ مِّنْ عِندِهِ فَيُصْبِحُواْ عَلَى مَا أَسَرُّواْ فِي أَنْفُسِهِمْ نَادِمِينَ 52

5-53.信仰する者は言う。「これらの者は、あなたがたと一緒(の協力者)だと、アッラーにかけて、力をこめて誓った者ではないか。」かれらの行いは虚しく、必ず失敗者となるであろう。

وَيَقُولُ الَّذِينَ آمَنُواْ أَهَـؤُلاء الَّذِينَ أَقْسَمُواْ بِاللّهِ جَهْدَ أَيْمَانِهِمْ إِنَّهُمْ لَمَعَكُمْ حَبِطَتْ أَعْمَالُهُمْ فَأَصْبَحُواْ خَاسِرِينَ 53

5-54.信仰する者よ、もしあなたがたの中から教えに背き去る者があれば、やがてアッラーは、民を愛でられ、かれらも主を敬愛するような外の民を連れてこられるであろう。かれらは信者に対しては謙虚であるが、不信心者に対しては意志堅固で力強く、アッラーの道のために奮闘努力し、非難者の悪ロを決して恐れない。これは、アッラーが御好みになられた者に与えられる恩恵である。アッラーは厚施にして全知であられる。

يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُواْ مَن يَرْتَدَّ مِنكُمْ عَن دِينِهِ فَسَوْفَ يَأْتِي اللّهُ بِقَوْمٍ يُحِبُّهُمْ وَيُحِبُّونَهُ أَذِلَّةٍ عَلَى الْمُؤْمِنِينَ أَعِزَّةٍ عَلَى الْكَافِرِينَ يُجَاهِدُونَ فِي سَبِيلِ اللّهِ وَلاَ يَخَافُونَ لَوْمَةَ لآئِمٍ ذَلِكَ فَضْلُ اللّهِ يُؤْتِيهِ مَن يَشَاء وَاللّهُ وَاسِعٌ عَلِيمٌ 54

5-55.誠にあなたがたの(真の)友は、アッラーとその使徒、ならびに信仰する者たちで礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、謙虚に額ずく者たちである。

إِنَّمَا وَلِيُّكُمُ اللّهُ وَرَسُولُهُ وَالَّذِينَ آمَنُواْ الَّذِينَ يُقِيمُونَ الصَّلاَةَ وَيُؤْتُونَ الزَّكَاةَ وَهُمْ رَاكِعُونَ 55

5-56.アッラーとその使徒、と信仰する者たちを友として助ける者は、アッラーの1党で、必ず勝利を得る者たちである。

وَمَن يَتَوَلَّ اللّهَ وَرَسُولَهُ وَالَّذِينَ آمَنُواْ فَإِنَّ حِزْبَ اللّهِ هُمُ الْغَالِبُونَ 56

5-57.信仰する者よ、あなたがたの教えを嘲笑し、戯れごとにする者を友としてはならない。それは先に啓典を与えられた者の中にいるが、信仰を拒否する者たちの中にもいる。もしあなたがたが信者ならば、アッラーを畏れなさい。

يَا أَيُّهَا الَّذِينَ آمَنُواْ لاَ تَتَّخِذُواْ الَّذِينَ اتَّخَذُواْ دِينَكُمْ هُزُوًا وَلَعِبًا مِّنَ الَّذِينَ أُوتُواْ الْكِتَابَ مِن قَبْلِكُمْ وَالْكُفَّارَ أَوْلِيَاء وَاتَّقُواْ اللّهَ إِن كُنتُم مُّؤْمِنِينَ 57

5-58.あなたがたが(人びとを)礼拝に招く時、かれらはそれを嘲笑し、戯れごとにする。それはかれらが理解しない民のためである。

وَإِذَا نَادَيْتُمْ إِلَى الصَّلاَةِ اتَّخَذُوهَا هُزُوًا وَلَعِبًا ذَلِكَ بِأَنَّهُمْ قَوْمٌ لاَّ يَعْقِلُونَ 58

5-59.言ってやるがいい。「啓典の民よ、あなたがたがわたしたちを非難するのは、只わたしたちがアッラーを信じ、またわたしたちに下されたもの(クルアーン)、また以前に下されたもの(律法、福音)を信じるためであるのか、只あなたがたの多くがアッラーの掟に背く者たちであるためではないか。」

قُلْ يَا أَهْلَ الْكِتَابِ هَلْ تَنقِمُونَ مِنَّا إِلاَّ أَنْ آمَنَّا بِاللّهِ وَمَا أُنزِلَ إِلَيْنَا وَمَا أُنزِلَ مِن قَبْلُ وَأَنَّ أَكْثَرَكُمْ فَاسِقُونَ 59

5-60.言ってやるがいい。「アッラーの御許の応報で、それよりも悪いものを、あなたがたに告げようか。それはアッラーが見放した者、御怒りを被むった者、サルまたはブタとされた者、そして邪神に仕える者、かれらは、最悪の境地におり、(正しい)道から遠く迷い去った者たちである。」

قُلْ هَلْ أُنَبِّئُكُم بِشَرٍّ مِّن ذَلِكَ مَثُوبَةً عِندَ اللّهِ مَن لَّعَنَهُ اللّهُ وَغَضِبَ عَلَيْهِ وَجَعَلَ مِنْهُمُ الْقِرَدَةَ وَالْخَنَازِيرَ وَعَبَدَ الطَّاغُوتَ أُوْلَـئِكَ شَرٌّ مَّكَاناً وَأَضَلُّ عَن سَوَاء السَّبِيلِ 60

5-61.かれらがあなたがたの許に来た時、「わたしたちは信仰する。」と言った。だがかれらは実に不信心で入り、また不信心で出て行く者たちである。アッラーはかれらの隠すことを熟知なされる。

وَإِذَا جَآؤُوكُمْ قَالُوَاْ آمَنَّا وَقَد دَّخَلُواْ بِالْكُفْرِ وَهُمْ قَدْ خَرَجُواْ بِهِ وَاللّهُ أَعْلَمُ بِمَا كَانُواْ يَكْتُمُونَ 61

5-62.かれらの多くが、互いに競って罪悪と反逆にはしり、禁じられたものを、貪るのを見るであろう。かれらの行うことの何と醜悪なことよ。

وَتَرَى كَثِيراً مِّنْهُمْ يُسَارِعُونَ فِي الإِثْمِ وَالْعُدْوَانِ وَأَكْلِهِمُ السُّحْتَ لَبِئْسَ مَا كَانُواْ يَعْمَلُونَ 62

5-63.なぜ聖職者や律法学者は、かれらが罪深いことを語り、または非法なものを貪るのを禁じないのか。かれらの行うことの何と醜悪なことよ。

لَوْلاَ يَنْهَاهُمُ الرَّبَّانِيُّونَ وَالأَحْبَارُ عَن قَوْلِهِمُ الإِثْمَ وَأَكْلِهِمُ السُّحْتَ لَبِئْسَ مَا كَانُواْ يَصْنَعُونَ 63

5-64.ユダヤ人は、「アッラーの御手は縛られている。」と言う。縛られたのはかれらの手で、そう言ったことによってかれらは見限られた。いや、かれの御手は広く開かれて、御心のままに、惜しみなく与えられる。だがかれらの多くは、主からあなたに啓示が下されたのを見て、きっと反抗と不信心を増長しよう。われがかれらの間に投じた敵意と憎悪とは、本当に復活の日まで続くであろう。かれらが戦火を燃やす度に、アッラーはそれを消される。またかれらは、地上において害悪をしようと努める。だがアッラーは、害悪を行なう者を御愛でになられない。

وَقَالَتِ الْيَهُودُ يَدُ اللّهِ مَغْلُولَةٌ غُلَّتْ أَيْدِيهِمْ وَلُعِنُواْ بِمَا قَالُواْ بَلْ يَدَاهُ مَبْسُوطَتَانِ يُنفِقُ كَيْفَ يَشَاء وَلَيَزِيدَنَّ كَثِيراً مِّنْهُم مَّا أُنزِلَ إِلَيْكَ مِن رَّبِّكَ طُغْيَانًا وَكُفْرًا وَأَلْقَيْنَا بَيْنَهُمُ الْعَدَاوَةَ وَالْبَغْضَاء إِلَى يَوْمِ الْقِيَامَةِ كُلَّمَا أَوْقَدُواْ نَارًا لِّلْحَرْبِ أَطْفَأَهَا اللّهُ وَيَسْعَوْنَ فِي الأَرْضِ فَسَادًا وَاللّهُ لاَ يُحِبُّ الْمُفْسِدِينَ 64

5-65.啓典の民がもし信仰して主を畏れるならば、われはかれらのすべての罪障を抹消して必ず至福の楽園に入らせるであろう。

وَلَوْ أَنَّ أَهْلَ الْكِتَابِ آمَنُواْ وَاتَّقَوْاْ لَكَفَّرْنَا عَنْهُمْ سَيِّئَاتِهِمْ وَلأدْخَلْنَاهُمْ جَنَّاتِ النَّعِيمِ 65

5-66.もしかれらが律法と福音、そして主からかれらに下されたものを順奉するならば、かれらの上からも足許からも、必ず(豊かに)糧を与えられるであろう。かれらの中には、正義を行う一団もいる。だが多くの者の行うところは、邪悪である。

وَلَوْ أَنَّهُمْ أَقَامُواْ التَّوْرَاةَ وَالإِنجِيلَ وَمَا أُنزِلَ إِلَيهِم مِّن رَّبِّهِمْ لأكَلُواْ مِن فَوْقِهِمْ وَمِن تَحْتِ أَرْجُلِهِم مِّنْهُمْ أُمَّةٌ مُّقْتَصِدَةٌ وَكَثِيرٌ مِّنْهُمْ سَاء مَا يَعْمَلُونَ 66

5-67.使徒よ、主からあなたに下された(凡ての)ものを、宣ベ伝えなさい。あなたがそれをしないなら、かれの啓示を宣べ伝える使命は果せないであろう。アッラーは、(危害をなす)人びとからあなたを守護なされる。アッラーは決して不信心の民を導かれない。

يَا أَيُّهَا الرَّسُولُ بَلِّغْ مَا أُنزِلَ إِلَيْكَ مِن رَّبِّكَ وَإِن لَّمْ تَفْعَلْ فَمَا بَلَّغْتَ رِسَالَتَهُ وَاللّهُ يَعْصِمُكَ مِنَ النَّاسِ إِنَّ اللّهَ لاَ يَهْدِي الْقَوْمَ الْكَافِرِينَ 67

5-68.言ってやるがいい。「啓典の民よ。律法と福音と主からあなたがたに下された、(凡ての)啓示を順守するまでは、あなたがたが立つ拠り所はないのだ。」ところが主からあなたに下ったものは、かれらの多くの者に、頑固な反抗と、不信心を増長させた。だからあなたは不信心の民に就いて、心を悩ましてはならない。

قُلْ يَا أَهْلَ الْكِتَابِ لَسْتُمْ عَلَى شَيْءٍ حَتَّىَ تُقِيمُواْ التَّوْرَاةَ وَالإِنجِيلَ وَمَا أُنزِلَ إِلَيْكُم مِّن رَّبِّكُمْ وَلَيَزِيدَنَّ كَثِيراً مِّنْهُم مَّا أُنزِلَ إِلَيْكَ مِن رَّبِّكَ طُغْيَانًا وَكُفْرًا فَلاَ تَأْسَ عَلَى الْقَوْمِ الْكَافِرِينَ 68

5-69.本当に(クルアーンを)信じる者、とユダヤ人、サ―ビア教徒、キリスト教徒で、アッラーと終末の日を信じて善い行いに励む者には、恐れもなく憂いもないであろう。

إِنَّ الَّذِينَ آمَنُواْ وَالَّذِينَ هَادُواْ وَالصَّابِؤُونَ وَالنَّصَارَى مَنْ آمَنَ بِاللّهِ وَالْيَوْمِ الآخِرِ وعَمِلَ صَالِحًا فَلاَ خَوْفٌ عَلَيْهِمْ وَلاَ هُمْ يَحْزَنُونَ 69

5-70.われは且つて、イスラエルの子孫と約束を結び、使徒たちをかれらに遣わした。ところが使徒が、かれらの好まないものを齎す度に、かれらはある者を嘘付きと呼び、ある者を殺害した。

لَقَدْ أَخَذْنَا مِيثَاقَ بَنِي إِسْرَائِيلَ وَأَرْسَلْنَا إِلَيْهِمْ رُسُلاً كُلَّمَا جَاءهُمْ رَسُولٌ بِمَا لاَ تَهْوَى أَنْفُسُهُمْ فَرِيقًا كَذَّبُواْ وَفَرِيقًا يَقْتُلُونَ 70

5-71.そしてかれらは(そのために)試み(の懲罰)がないものと考えていた。それでかれらは盲目や難聴者となったが、その後アッラーは、かれらの悔悟を許しなされた。それでもかれらの多くはまたも、自ら盲目や難聴者となった。アッラーはかれらの行うところを、御存知であられる。

وَحَسِبُواْ أَلاَّ تَكُونَ فِتْنَةٌ فَعَمُواْ وَصَمُّواْ ثُمَّ تَابَ اللّهُ عَلَيْهِمْ ثُمَّ عَمُواْ وَصَمُّواْ كَثِيرٌ مِّنْهُمْ وَاللّهُ بَصِيرٌ بِمَا يَعْمَلُونَ 71

5-72.「アッラーこそは、マルヤムの子マスィーフである。」と言う者は、確かに不信心者である。しかもマスィーフは言ったのである。「イスラエルの子孫よ、わたしの主であり、あなたがたの主であられるアッラーに仕えなさい。」凡そアッラーに何ものかを配する者には、アッラーは楽園(に入ること)を禁じられ、かれの住まいは業火である。不義を行う者には援助者はないのである。

لَقَدْ كَفَرَ الَّذِينَ قَالُواْ إِنَّ اللّهَ هُوَ الْمَسِيحُ ابْنُ مَرْيَمَ وَقَالَ الْمَسِيحُ يَا بَنِي إِسْرَائِيلَ اعْبُدُواْ اللّهَ رَبِّي وَرَبَّكُمْ إِنَّهُ مَن يُشْرِكْ بِاللّهِ فَقَدْ حَرَّمَ اللّهُ عَلَيهِ الْجَنَّةَ وَمَأْوَاهُ النَّارُ وَمَا لِلظَّالِمِينَ مِنْ أَنصَارٍ 72

5-73.「アッラーは三(位)の一つである。」と言う者は、本当に不信心者である。唯―の神の外に神はないのである。もしかれらがその言葉を止めないなら、かれら不信心者には、必ず痛ましい懲罰が下るであろう。

لَّقَدْ كَفَرَ الَّذِينَ قَالُواْ إِنَّ اللّهَ ثَالِثُ ثَلاَثَةٍ وَمَا مِنْ إِلَـهٍ إِلاَّ إِلَـهٌ وَاحِدٌ وَإِن لَّمْ يَنتَهُواْ عَمَّا يَقُولُونَ لَيَمَسَّنَّ الَّذِينَ كَفَرُواْ مِنْهُمْ عَذَابٌ أَلِيمٌ 73

5-74.かれらは何故、悔悟してアッラーに返り、その御赦しを求めようとしないのか。誠にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。

أَفَلاَ يَتُوبُونَ إِلَى اللّهِ وَيَسْتَغْفِرُونَهُ وَاللّهُ غَفُورٌ رَّحِيمٌ 74

5-75.マルヤムの子マスィーフは、一人の使徒に過ぎない。かれの以前にも使徒たちがあって、逝ったのである。かれの母は誠実な婦人であった。そしてかれら両人は食べ物を食べていた。見よ、われは如何にかれらに印を明示したかを。また見よ、如何にかれら(不信者)が迷い去るかを。

مَّا الْمَسِيحُ ابْنُ مَرْيَمَ إِلاَّ رَسُولٌ قَدْ خَلَتْ مِن قَبْلِهِ الرُّسُلُ وَأُمُّهُ صِدِّيقَةٌ كَانَا يَأْكُلاَنِ الطَّعَامَ انظُرْ كَيْفَ نُبَيِّنُ لَهُمُ الآيَاتِ ثُمَّ انظُرْ أَنَّى يُؤْفَكُونَ 75

5-76.言ってやるがいい。「あなたがたはアッラーの外に、あなたがたに害もなく益もなく、役立たないものに仕えるのか。アッラー、かれこそは全聴者にして全知であられる。」

قُلْ أَتَعْبُدُونَ مِن دُونِ اللّهِ مَا لاَ يَمْلِكُ لَكُمْ ضَرًّا وَلاَ نَفْعًا وَاللّهُ هُوَ السَّمِيعُ الْعَلِيمُ 76

5-77.言ってやるがいい。「啓典の民よ、真理を無視してあなたがたの教えの法を越えてはならない。またあなたがたは先に迷い去った者たちの、私見に従ってはならない。かれらは多くの者を迷わせ、(自らも)正しい道から迷った者たちである。」

قُلْ يَا أَهْلَ الْكِتَابِ لاَ تَغْلُواْ فِي دِينِكُمْ غَيْرَ الْحَقِّ وَلاَ تَتَّبِعُواْ أَهْوَاء قَوْمٍ قَدْ ضَلُّواْ مِن قَبْلُ وَأَضَلُّواْ كَثِيراً وَضَلُّواْ عَن سَوَاء السَّبِيلِ 77

5-78.イスラエルの子孫の中、不信心な者は、ダーウードやマルヤムの子イーサーの舌で呪われた。それはかれらが従わないで、法を越えたためである。

لُعِنَ الَّذِينَ كَفَرُواْ مِن بَنِي إِسْرَائِيلَ عَلَى لِسَانِ دَاوُودَ وَعِيسَى ابْنِ مَرْيَمَ ذَلِكَ بِمَا عَصَوا وَّكَانُواْ يَعْتَدُونَ 78

5-79.かれらはその行った悪事を、互いに戒めなかった。かれらの行ったことの何と醜悪なことよ。

كَانُواْ لاَ يَتَنَاهَوْنَ عَن مُّنكَرٍ فَعَلُوهُ لَبِئْسَ مَا كَانُواْ يَفْعَلُونَ 79

5-80.見なさい、かれらの多くは、不信心な者と親密にしている。何と醜悪なことを自ら進んでするものよ。アッラーはかれらに激怒なされ、かれらは懲罰の中に永遠に住むであろう。

تَرَى كَثِيراً مِّنْهُمْ يَتَوَلَّوْنَ الَّذِينَ كَفَرُواْ لَبِئْسَ مَا قَدَّمَتْ لَهُمْ أَنفُسُهُمْ أَن سَخِطَ اللّهُ عَلَيْهِمْ وَفِي الْعَذَابِ هُمْ خَالِدُونَ 80

5-81.かれらがもし、アッラーと聖預言者を信じ、またかれらに下されたものを信じたならば、かれらを親しい友としなかったであろう。だがかれらの多くは、主の掟に背く者である。

وَلَوْ كَانُوا يُؤْمِنُونَ بِالله والنَّبِيِّ وَمَا أُنزِلَ إِلَيْهِ مَا اتَّخَذُوهُمْ أَوْلِيَاء وَلَـكِنَّ كَثِيراً مِّنْهُمْ فَاسِقُونَ 81

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