援助活動12月10日
ラワルピンジー市。
 最初に今回の活動の実労部隊となるマルカズ_ッダアワ ワル=イルシャード(『布教と導きセンター』と訳しおこうかな。以降M.D.I.)のメンバー5,6名と到着直後約6時間に渡り意見交換をした。依頼していたとおり、援助地域の調査は詳しくできていた。話しの中で、現在最も援助が必要なのは、カンダハルから逃れてくる外人部隊の家族だということだったが、今回の援助対象は、アフガン難民なので、原則的にはアフガン人を対象とすることを伝えた。M.D.I.のメンバーは、私たちの意思を重要視するあまりに、これといった強引な一つ具体策を提示してこないので、時間に余裕の無い私たちはどうしても不安を感じることになった。
 夜は、ジャーナリストと意見交換。その後場所を変えレストランで食事をご馳走になる。ジャーナリストの目から見た救援活動の実態を教えてもらった。(写真はジャーナリストとの意見交換)
 この日の打ち合わせで、調査はできているもののM.D.I.から出される計画は具体性に欠けており、また、ジャーナリストの意見はM.D.I.に対する批判が多かった。そこに現れたのが、聖職者協会サミーウルハック師の秘書と称するシャムス氏であった。実は私の後輩であり、何かの時に相談に乗ってほしいと前もって頼んでいた。不安感を隠せない私たちは、彼を夜中に呼び出した。母を昨日亡くした彼を呼び出すのは引け目を感じたが,この際、最も必要と感じだ人材だった。
 シャムス氏は、イスラマバードとペシャーワルの物資の価格表を持参し、発注した場合の対応などを具体的に説明してくれた。名句をよく発するA氏は一言「ジブリールがおりた。」
 彼のコーディネーターとしての参加は私たちに安心感を与えてくれた。しかし、このかれが事件を起こすことになろうとは、私たち3人誰も気が付いてなかったことである。
援助活動12月11日
ラワルピインジ-市⇒ハッカーニ神学大学⇒ペシャワル市。ペシャワル市にて。
夕方より、あぶは発注のためイスラマバードへ引き返す。
ペシャーワルに向かう道路を横切るロバ
街道を猛スピードで飛ばす車は、こういう大事故に繋がる。通りすがりの野次馬が集まるのは日本だけではない。
これをみてから、私たちがもしも命を落とすとしたら、アメリカの爆撃や、山賊の襲撃なんかではなく、交通事故だと思うようになった。
イスラマバードから現地ペシャワルへ向かう途中、イスラム聖職者協会会長サミーウルハック師の本拠『ハッカーニイヤ宗教大学』に寄る。タリバンの最高指導者ムラー=ウマル師もここに学んだ時代があった。
『ハッカーニイヤ宗教大学』の看板の前でご機嫌のあぶ。
ペシャワルでの打ち合わせ。聖職者協会のシャムス氏と、M.D.I.のメンバーたち。ほとんどみんながかぶっている帽子を、同行のA氏は『北部同盟帽』と名づけた。
配布場所を見学。さまざまな物資が積まれている。ここでは、方針を決定するための質問を行なった。
ファミリーパックの中味を検討。
質問をするあぶ。
物資調達と配布の分担を決定。「時間がないのだ!解ってくれ!」と前置きして、シャムス氏紹介のイスラマバードの業者に発注することを伝え、配布はM.D.I.へお願いした。
発注のためイスラマバードへ。イフタールは、途中の野外レストランで、座っているのはベットの上、ここに寝そべりながら食べることができる。この地域の人たちの贅沢。隣は一緒にいったヤーセルさん。

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