シンガポール・タイ訪問

2006年6月6日〜12日
 突然一通のマレー語のメールが届いてきた。差出人はAbu Bakr。知らない人だ。内容を読んでいくと、最後にイスラムダアワ大学時代の親友プラパートの名前が出てきた。しばらく考えると思い出した。このアブーバクルという人は、シンガポール-タイ間の貿易をやっているシンガポール人で、以前プラパートの話の中に出てきたことがある。
 私が最後にプラパートと会ったのは、彼に長男が誕生してまもなくのことで17年前のことである。以後、彼の電話番号が変わったのか、バンコクの市外局番が変わったのか、音信不通となったままであった。アブーバクルは、ネット検索で偶然私のアドレスを発見、メールをしてみたとのことであった。私と面識もないのによくぞメールを送る気になってくれたと感謝をしている。私は、即座に知っているならプラパートの連絡先を教えて欲しいと返信した。待つこと3,4日ついにプラパートの電話番号を入手した。すぐに私はプラパートへ電話をした。その中で、バンコクに会いに行くからと約束した。
 次男を連れての1週間の旅は、シンガポールに2泊3日バンコクに4泊5日とアレンジした。
 さてここからは写真を見ながら進めていこう。
シンガポール Paya Lebar駅。宿はこの駅の近くに取った。この駅の近くにはMalay Kampongがあり、ムスリムの多い地域である。 象徴マーライオンは工事中。
シンガポールの目的のひとつはバドミントンの国際試合観戦。マレーシアのMisbun Sidekと今年度の日本での講習会の打ち合わせをしてきた。写真は会場であるSingapore Indoor Stadium。 Indoor Stadiumの大会風景。
マレーシアの国民的英雄ミスボンが、教え子であり元全英チャンピオンのハフィズ ハシムの足をマッサージしているところ。
 私とミスボンはマブダチ。お互い精神的に支えあっている。彼はアッラーが与えてくれたバドミントンの技術を後進に伝えることが自分の使命だと信じ、身を粉にして指導の日々に明け暮れている。私との語らいは心の安らぐひとときでもあるようだ。彼は私をイマームと呼んでいる。
シンガポールでは、さらにMuslim Converts Associationダールルアルカムを訪れ、アシスタントマネージャーのアニース氏と話をした。その団体が作成したビデオを見せてもらった。また、私の方からは日本人が入信するときに使ってもらえるように、日本語コーランとパンフレットを送ることを約束した。
 
さて、バンコクに移ってきた。写真は親子ではないクラスメイトだったプラパートと私である。お互い年を取ったが、学生時代同様仲良しの子供のような関係は変わりない。 ホテルに近くにある幹線道路沿いのモスクの入り口
金曜集礼はプラパートがイマームをするアティーク モスクで。これが門である。 アティーク モスク(Atiq Mosque)のミフラーブ部分。
アティークモスク入り口。 入り口にはいろいろな募金箱が並んでいる。モスク募金、ジャワ島地震募金、孤児支援募金などだという。
1階が女性の礼拝スペース、2階が男性礼拝スペース。ほぼ東京モスクと同じくらいの広さである。 モスクの前は店が並んでいる。金曜礼拝後は人で賑わう。
国王即位60周年記念のイベントのため金曜でも学校は休み。子供たちも多く目に付いた。 今日は土曜日。土曜日、日曜日の午前中は、イスラム子女のための、イスラム教室を開いている。約40名ほどの生徒が集まってくる。先生はプラパート。
今日は1時間だけ特別授業として私がアラビア語で話し、プラパートが通訳をした。話の主な内容は、この子達を励ます意味で、イスラム社会作りの重要性。そして最後に、仏教社会の中にあるムスリムという点でタイと日本のムスリムは似た環境にある。君たちは私たちの手本となるのだから自覚して頑張れと結んだ。その後の、質疑応答では、次々と活発な質問が飛んできた。 最後に記念撮影をし、日曜学校を後にした。
もう一人大学時代の同級生スーポットが会いに来てくれた。イスラム学校の先生をしているそうだ。3人とも容姿は変われど、雰囲気は変わらない。「若かりし頃のまんまだ」と。私の宿泊していたメナムリバーサイドホテルにて。 私とプラパートは滞在期間中、話が尽きず、毎日10時間ほどしゃべっていた。子供たちは息子を連れ歩いてくれ、子供たち同士で楽しんでいたようだ。写真は夜ホテルに帰ってきたところを撮影。
 帰国後も子供同士の交流が行われるそうである。
バンコクの電車 チャオプラヤ河畔のホテル前からシーロム地区を臨む。