コタバル訪問1

2005年6月20日〜22日
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 私にとってコタバルは思い入れのある場所のひとつである。思い入れのある場所とは、イスラム入信の気持ちを堅め目指した街コタバル(Kota Bharu)、3日間高僧ムハンマドアリ師に師事したマラッカ州マスジドタナ(Masjid Tanah)、それから実際に留学したマスジドネガラ(Masjid Negara)と、サバブルナム(Sabak Bernam)の4箇所である。
 さて、コタバルは私が30数年前シンガポールでムスリム家庭を見て入信を決意した後、目指した街であった。さらに、マレーシア留学している間、ヒッチハイクで度々目指したのはいつもコタバルであった。また、エジプトで個人的に指導をしてくれたマレーシア人マワルディー先生(今は故人)はコタバル郊外クナリの里(Kampong Kenali)の聖者ワリー=クナリの子孫であった。この町は、私にとって特別な町である。でも、20数年前マワルディー先生に町を案内してもらって以来の久しぶりの訪問となった。時間のない旅ははじめて飛行機でコタバルに乗り入れることになった。
 ピカピカの空港ビルには、『ようこそダールルナイーム クランタンへ』と一番上にジャウィで、次に大きくローマ字のマレーシア語で、そして英語で書いていた。ジャウイがあるとは、さすがコタバルだ。懐かしい。  ホテルはサファーイン(Safar Inn)というマスジドと道を挟んで向かいにあるものを日本出発前から地図を見て選び、電話で予約を入れておいた。古めかしがロケーションは抜群であった。一泊78リンギ(約2400円)
サファーインホテルのレセプションの女性。 部屋の窓から見えるマスジドヌグリのドーム。
 コタバル町中で最も大きいマスジドヌグリ(別名マスジド=ムハンマディー)。
 30数年前、このマスジドの前に立ちイスラムへの決意をしていた時代があったのだが、こんなマスジドだったのか記憶が定かではない。今回は一ムスリムとしてこのマスジドで礼拝が出来たのだ。
マスジドの看板。
『マスジド=ムハンマディー
(マスジド ヌグリ)』と書いてある。
 
このホテルの周りにあった主な建物を写真に撮ってきたので紹介しよう。なかなか趣があるものが多い。
ジャハル宮殿(クランタン州の王族の伝統と民俗博物館。) 大バライ宮殿
1844年スルタン=ムハンマド2世(Long Senik Bin Long Tan)が建てた宮殿でその後もスルタンの住居になっていた。いまでは政府の事務所として使われている。
イスラム博物館:マスジドに隣接している。 ハンディクラフト博物館:ホテルの斜め前。
石宮殿:なんでこんな名前がついたのか?マレー語の語感でいえば、それまで木造だった宮殿が、この宮殿をコンクリートで作ったからそのように呼ばれるようになったのだろう。(?)1939年スルタン=イスマイルの宮殿として建立。ホテルに隣接してる。 正面には、ホテルサファーイン、石宮殿、その後ろにはマスジドのドームが見える。右手にハンディークラフト博物館、左手がバライ宮殿。その道を歩くヒジャーブの女性。ここはコタバルで最も趣のある道だと思う。
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