タイトル | : Re: 質問 |
投稿日 | : 2012/11/10(Sat) 17:55 |
投稿者 | : 匿名の一人 |
私の勘違いだったらごめんなさい。
もしかしたら、匿名さんは、どなたかムスリム(イスラーム教徒)の方からサダカを出すように言われたのですか?
それも、「善行」の意味ではなく「金銭援助」という意味でのサダカを。
匿名さんの最初の書き込みと、おばさんさんへのご返信を読んでそう感じました。
もしそれでお悩みの場合は、宜しければ少し詳しく(勿論人物特定されてしまうような内容は伏せて)書かれてはいかがでしょうか。
そうしたら、もしかしたら匿名さんが求めていらっしゃる回答が得られるかもしれません。
もし金銭でのサダカだとしても、それはおばさんさんが書かれたように、自分の家族一番に(両親が必ず妻子に優先されるということはありません)、その後は親族や知人等々で「困っている人」にサダカする、という順になります。
そして、この「困っている人」というのは、通常(あくまで通常)「衣食住に困っている人」や「生死にかかわる問題を持った人(病人とか)」を指し、衣食住が足りている人などはサダカ対象者でない、とは言い切らないまでも、「困っている人」の優先順位で後ろに回ります。
現代では「最低限度の教育を受ける」等も「困っている」に含まれるかもしれません。
有名なハディースに「上の手(=施す人)は下の手(=施される人)より優れている」というのがありますが、これの意味は「自分の家を犠牲にしても他人のためにどんどんサダカ(金銭援助)を出せ」という意味ではありません。
これは、ある男が全財産を売り払って得た金塊を預言者様に贈ろう、とした時に、預言者様が「お前が全財産を売り払って得たこの金塊を差し出したら、お前の家族はこれからどうなるのだ?お前の家族は他人の前に(施して下さい、と)手を差し出すことになるだろう。そんなことはしてはいけない」という意味で言われた言葉です。勿論預言者様はこの男からこの金塊を受け取りませんでした。
だから自分が困るような状況に追い込んでまで(それも誰かに強要されて)他人を優先する必要はありません。
だから程度によって違いますが、「自分さえよければ」というのもいけないでしょうが、「自分が困ってでも絶対に他人を優先」させなければ罪だ、地獄に落ちる、ということではありません。