タイトル | : Re^4: 都内にスーフィが、、? |
投稿日 | : 2009/03/07(Sat) 19:01 |
投稿者 | : Salam <spiderwort77@hotmail.com> |
上の回答から、預言者モハメッドの教えを純粋に学んでいるとありますので、アミーナさんの学ばれているものとまた違うものだと思いますが、今日別のスーフィーと自称する人のサイトを発見しましたので、ご紹介します。
ここでもスーフィーマスターという人が登場してきて、その人の名前はRiyaz Ahmad Gohar Shahiで、自分のことを最後のイマム マハディーだと言っています。(ハディースにある、イマムマハディーの父の名前はAbdullah,この人の父の名前はAl Hajj Sayyed Fazal Hussain,ハディースの内容と異なることからイマムマハディーではない事が分かります。またこの時点で、この人が正しい知識をもったモスリムではない事が分かります。)
この人の教えでイスラムからかけ離れてるのは、アッラーの存在を認めた上で全ての宗教を肯定していること、イスラムはアッラーの存在と、預言者モハメッドの教えに沿うこと意外はイスラムではありません。真のスーフィーとは正しいイスラム理解を持ち、それを実行している聖人の事です。過去のカリフ達はその例であり、スーフィーとは預言者達に極力近い生活、行動、理解をしていた人たちを指します。
また、ここのサイトもそうですが、1度も預言者モハメッドの名前がでてきません。(預言者モハメッドの教えに従わないものはモスリムではありません。)
そのかわりに、このスーフィーマスターの’教え’、愛を詠っています。
アッラーの名前を復唱するのはもちろん大切なことですが、アッラーが何かも正しく理解できていない、他教徒がそれを復唱したとしても意味を持たないこと。(神=神の子だと理解している人の指す神はアッラーとは異なります。)復唱する事によって心の中に愛を感じるようになり、心が満たされる、という内容が書かれています。
預言者モハメッドの教えに従わないということは、悪行を犯した後の地獄での懲罰を知らないわけで、例えば姦通を犯すことが良いことだと理解している他教徒がアッラーの名前を復唱するだけで楽園に行けると信じていたものの、実際は地獄で懲罰を受けることになると、この人のしてきたことは無駄になります。
イスラムは心に愛を感じることが目的ではなく、アッラーを信じ、預言者モハメッドの教えに沿って正しくモスリムとして現世を生き、それを来世に反映させるのが目的です。預言者モハメッドの教えなしに、正しい理解なしに、イスラムを学ぶことはできませんし、アッラーの存在を理解する事はできません。
誤解を避けるために、あえてそのサイトを掲載しませんが、多くの人々がこのような偽イスラムに影響されているかと思うと残念に思います。イスラムに触れる人が正しい教えを身につけ間違った情報から守られますように、アーミン。
Salam