[リストへもどる]
一括表示
タイトル親との接し方
記事No983
投稿日: 2008/10/14(Tue) 18:02
投稿者アイシャ
アッサラム アライコム
ムスリムおよびムスリマの皆様へ質問があります。
親との接し方(親がムスリムではない)は皆さん
どうなさっていますか?
私は、母親のみ現在健在ですが、ムスリマではありません。(母は仏教徒です)
母親として、尊重はしていますが、たびたび、とまどうことがあります。(つまり、ムスリムとしてのイスラム教の教え、生活の仕方などノンムスリムとは違う)私は、国際結婚し、結婚当初は、大変結婚に母は反対でした。
現在は、私の二人の子供を孫としてかわいがってはおりますが、母との接し方に戸惑います。
母がイスラム教徒に改宗して欲しいと願っておりますが、実際は難しいように思えます。
皆様はどうでしょうか?

タイトルRe: 親との接し方
記事No989
投稿日: 2008/10/17(Fri) 21:17
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>

http://www.islam-qa.com/ja/ref/182

上記のようなサイトで詳しく説明されています。

あなたの言葉の中に、「ガールフレンドの両親は我々の宗教を拒絶しているが、私はかれらを深く愛している」とあるが、アッラーと最後の日を信じるムスリムの男性が、アッラーと最後の日を信じず、アッラーが禁じることを禁じず、真の宗教を行わず、イスラームの宗教を拒絶する非ムスリムを、どうして愛することができるのか、驚かされる。これはクルアーンのアッラーの御言葉に反しているのではないだろうか。 スーラ・アル・ムジャーダラ(抗弁する女章 58:22) (意味の解釈): 「あなたは、アッラーと終末の日を信じる民が、アッラーと使徒 (ムハンマド- 彼に平安とアッラーのご加護を)に反抗するような者と親交を結ぶところを見ないであろう。たとえかれらの父や、子、兄弟や親族であっでも…」 あなたがかれらを呪い、かれらに対して武器を取り上げよと言っているのではない。しかしながら、彼らが全宇宙の主を否定し、信仰を否定することを忌み嫌い、また彼らが守っている虚偽の宗教を憎しむことが、あなたの義務である。一方では、心の中では嫌っていようとも、かれらを親切に扱い、かれらに優しくすることに異論はない。アッラーがあなたを通じてかれらをお導きになられるかもしれない。これらの二つの考えを注意深く考えるならば、対立も矛盾もないであろう。 さらに、彼女の両親が禁じられた行為(豚肉を食べること、飲酒など)を家の中でしないかぎり、あなたがたが結婚後、かれらと同居することに問題はない


私もお母様に親切にすべきではあると思いますが、お母様がイスラムを受け入れるまでは愛してはいけないと思います。特に子供がイスラム教徒でイスラムを知っていながらあえてイスラムを拒絶する事は大変な大罪です。心の中で仏教を憎み一日も早くお母様が正しい宗教に目覚めるよう努力してください。そしてお母様と会ったりお孫さんを会わせるのはいいですが、それはお母様がイスラムに反することをしない限りです。仏教徒とおっしゃいましたが、仏像などの偶像を拝んだり、お酒を飲んだり、ハラムの物を食べたりするようならば訪問や来訪は避けるべきでしょう。そういった行為を私たちは嫌うべきです。もちろんムスリムの子に見せてもいけない。
私も親を呪ったり攻撃したりはしませんが、イスラム教徒ではないので心の中で一定の距離を置き、子供もあまり会わせないようにしています。親が真実の宗教に目覚めるまでの辛抱です。ムハンマド聖人さえもイスラム教徒にならずして死んだ母のために祈る事はされなかった。神アッラーに任せた。

タイトル違いますよ!!@途中参加ムスリム
記事No993
投稿日: 2008/10/18(Sat) 08:31
投稿者猫君
私もムスリムです。母が無教徒です。
途中参加ムスリムさんは大きな間違いがある。
「お母様がイスラムを受け入れるまでは愛してはいけないと思います」>違うよ!
預言者SAWのおじさんとかは多神者だったなのに抱きしめてくれたり、優しくしてくれたりしていたよ。非ムスリムの家族が居ても、是非愛するようにしましょうね。
外人で日本語が弱くて済みません。

タイトル違わないのです。
記事No1000
投稿日: 2008/10/21(Tue) 18:21
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>

猫さんアッサラ−ムアライクム
まずは下記のサイトをご覧ください。
http://www.islam-qa.com/ja/ref/182
日本語が苦手ということですが当サイトは英語や、アラビア語、フランス語、ウルドゥー語、インドネシア語などでも見れますので猫さんの得意の言葉があれば、それで見てもらってもかまいません。

あなたの言葉の中に、「ガールフレンドの両親は我々の宗教を拒絶しているが、私はかれらを深く愛している」とあるが、アッラーと最後の日を信じるムスリムの男性が、アッラーと最後の日を信じず、アッラーが禁じることを禁じず、真の宗教を行わず、イスラームの宗教を拒絶する非ムスリムを、どうして愛することができるのか、驚かされる。これはクルアーンのアッラーの御言葉に反しているのではないだろうか。 スーラ・アル・ムジャーダラ(抗弁する女章 58:22) (意味の解釈): 「あなたは、アッラーと終末の日を信じる民が、アッラーと使徒 (ムハンマド- 彼に平安とアッラーのご加護を)に反抗するような者と親交を結ぶところを見ないであろう。たとえかれらの父や、子、兄弟や親族であっでも…」 あなたがかれらを呪い、かれらに対して武器を取り上げよと言っているのではない。しかしながら、彼らが全宇宙の主を否定し、信仰を否定することを忌み嫌い、また彼らが守っている虚偽の宗教を憎しむことが、あなたの義務である。一方では、心の中では嫌っていようとも、かれらを親切に扱い、かれらに優しくすることに異論はない。アッラーがあなたを通じてかれらをお導きになられるかもしれない。これらの二つの考えを注意深く考えるならば、対立も矛盾もないであろう。 さらに、彼女の両親が禁じられた行為(豚肉を食べること、飲酒など)を家の中でしないかぎり、あなたがたが結婚後、かれらと同居することに問題はない

この文は私が考えた文ではありません。一般的なイスラム法学者の意見です。そしてこの文は正しいと全てのムスリムは確信できるでしょう。なぜならたとえ、親や兄弟であっても無心者は愛してはいけないとクルアーンにしっかり書いてあるからです。
クルアーンに書いてない事で、あなたと私の意見が違うのはかまいません。しかしクルアーンにかいてある事は私もあなたも同じ意見でなくてはならない。じゃないとそれはイスラムではなくなってしまう。無信者の親は愛してはいけません。これは信仰です。
私たちイスラム教徒が一番に愛さなくてはいけないのは親でも子でもなくアッラーです。
そのアッラーを否定する人をなぜ愛することができるのか?アッラーを否定する人を愛することは、アッラーを愛さない事と同じです。これは大変な罪です。
以下も参照してください。


アッラーに讃えあれ。 1. そうである。それは正しい。アッラーの宗教を信じない者をカーフィルであると確信しない者は、カーフィルについてあっラーが我々に教えたことを信じていないことになる。イスラームの宗教が過去のすべての宗教を破棄し、人々はすべて過去の宗教が何であれ、この宗教に従わなければならないことを信じていない。 アッラー曰く(意味の解釈): 「イスラーム以外の教えを追及するものは、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。」 [イムラーン家章 3:85] 「(ムハンマドよ)言ってやるがよい:『人びとよ、私はアッラーの使徒として、あなたがた凡てに遣わされた者である。』 [高壁章(アル・アアラーフ) 7:158] 2. アル・カーディ・アイヤードによると:「ムスリムの宗教以外の宗教を信じる者、それに合意する者、ムスリムの宗教に疑いを持つもの、他の宗教が正しいという者、また外見はムスリムでイスラームを信じているが、他のことがすべて間違っている者は、カーフィルである。」 (アル・シファーア・ビ・タリーフ・フクーク・アル・ムスターファ、 2/1071) 3. シェイク・ムハンマド・イブン・アブダル・ワハービ(彼にアッラーの御慈悲を)によると: イスラームを無効にする最も重大な10か条 1. 配偶者も連れもいないアッラーに対する信仰で他の者を配すること。この確証はクルアーンの節に示される(意味の解釈): 「誠に、アッラーは(信仰で)(何ものをも)かれに配することをお赦しになられない。だがその他のことは御心に適えば適えば、御赦しくだされる。」[婦人章(アン・ニサーア) 4:116]. アッラー以外のもの、ジンや墓などに供物を捧げることも含まれる。 2. 自分とアッラーの間に介在者を置き、自分との仲裁を依頼する者は、学者の見解によるとカーフィルである。 3. ムシュリキーンをカーフィルとみなさないもの、またはカーフィルであることを疑うもの、またはムシュリキーンのやり方が正しいと思う者は学者の合意によって、カーフィルとみなされる。 かれらを列挙した後、かれは次のように述べた(かれにアッラーの御慈悲を): イスラームを無効にするこれらのすべての例では、その人物が冗談を言ったのか、真剣であったのか、恐れをなしていったのかは問題ではない。何かを強制された場合は例外である。このようなことは頻繁に起こっており、非常に危険である。ムスリムは注意し、自分に起こらないように気をつけなければならない。アッラーの怒りと痛ましい懲罰を受けるようなことから身を守ってくださるようにアッラーに祈らなければならない。ムハンマドにアッラーのご加護を。 (ムッアッラファータル・シェイク・ムハンマド・イブン・アブダル・ワッハーブ、 212, 213). 1. 規則(フクム)に関しては、シルクとクフルは同じである。 イブン・ハズム曰く: クフルとシルクは同じである。カッフィールはすべてムシュリクである。これはアル・シャーファや他の人々の見解である。 (アル・フィスル、 3/124). 2. ユダヤ人とキリスト教徒はクッファールであり、ムシュリキーンである。アッラーは申された(意味の解釈): 「ユダヤ人はウザイル(エルザ)はアッラーの子であるといい、キリスト教徒はメシアを、アッラーの子であるという。これはかれらが口先で言うところで、昔の不信心な者の言葉を真似たものである。かれらにアッラーの祟りあれ。彼らは心理からなんと迷い去ったことよ。… かれら (ユダヤ人とキリスト教徒)は、(アッラーによって命令されずに自分の欲望にしたがって正当、禁止と決めたことに従うことで)アッラーをおいて律法学者や修道士を自分の主とし、またマルヤム(マリア)の子メシアを(主としている)。しかしかれら(ユダヤ人とキリスト教徒)は、唯一なるイッラー(神―アッラー)に仕える以外の命令―ライラハイラフワ(誰もアッラー以外に使える権利を持っていない)を(タウラート(トーラ)とインジール(福音書)の中で)受けていない。 かれの外に神はないのである。かれらが配するものから離れて(高くいます)かれを讃える。 [悔悟章(アッ・タウバ) 9:30-31]. アブ・フライラの伝承によると、アッラーのみ使い (かれに平安とアッラーのご加護を)は申された:「ムハンマドの魂が委ねられた唯一のものによって、ユダヤ人もキリスト教徒も、私の言葉を聞かず、私が使わされたことを信じずに死ぬ者は、煉獄の住民になる。」 (ムスリムの伝承、 153) ユダヤ人がカーフィルではないという者はすべてアッラーの御言葉(意味の解釈)を信じていないことになる。 「かれらの拒否のため、かれらは仔牛(に対する信仰)を心の中に飲み込んでしまった。」 [雌牛章(アル・バカラ) 2:93] 「ユダヤ人のあるものは(啓典の)字句の位置を変えて、『わたしたちはあなた(ムハンマド)の言葉を聞いた、だが従わない。』と言い、また『あなた(ムハンマド)は、聞かされないことを聞け。』またその舌をゆがめてラーイナー(アラビア語では、『気をつけて我々のことを聞きなさい。我々もあなたの言葉を聞く』であるが、ヘブライ語では、『侮蔑』を意味する)と言い、また宗教(イスラーム)を中傷する。だがかれらがもし、『わたしたちは聞きます、そして従います』『我々に分からせてください』と言うならば、かれらのために最もよく、また最も正しい。だがアッラーはかれらが不信心なために、見はなされた。…」 [婦人章(アン・ニサーア) 4:46] 「かれらは約束を破り、アッラーのアヤー(証拠、確証、節、教訓、印、啓示など)を信じないで、無法にも預言者を殺し、『私たちの心は覆われている(使徒が伝えたことを理解しない)』と言う。そうではない。かれらが不信心なために、アッラーはその心を封じられたのである。だから信仰するものは極少数である。かれら(ユダヤ人)は不信心のため、またマルヤム(マリア)に対する激しい中傷の言葉(彼女が不正な性交渉を持った)のために。『わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子イーサー(イエス)を殺したぞ』と言った。しかしかれらがかれ(イーサ)を殺したのでもなく、また彼を十字架にかけたのでもない。ただかれらにはイーサ(イエス)に見えただけであり、(かれらが殺したのは)別の男である。…」 [婦人章(アン・ニサーア) 4:155-157] 「本当に、アッラーとかれの使徒たちを信じないで、アッラーとかれの使徒たちの間を、分けようと欲して(アッラーを信じて、かれの使徒たちを信じない)、『わたしたちはあるものは信じるが、あるものは信じない。』と言い、その中間に、一つの路を得ようと欲する者がある。これらの者こそは、本当に不信心者である。われは不信心者のために恥ずべき懲罰を備えている。」[婦人章(アン・ニサーア) 4:150-151] キリスト教徒がカーフィルではないという者はすべてアッラーの御言葉(意味の解釈)を信じていないことになる。 「『アッラーこそは、マルヤム(マリア)の子メシアである。』と言う者は、確かに不信心者である。…」 [食卓章(アル・マーイダ) 5:17] 「『アッラーは三(位)の一つである。』と言う者は、本当に不信心者である。しかしイッラー(神)以外に神はないのである(誰も崇拝される権利を持たない)。もしかれらがその言葉を止めないなら、かれら不信心者には、必ず痛ましい懲罰が下るであろう。 [食卓章(アル・マーイダ) 5:73] ユダヤ教徒とキリスト教徒について、我々の預言者を信じず、従わない者はアッラーの御言葉を信じていない。 「本当に、アッラーとかれの使徒たちを信じないで、アッラーとかれの使徒たちの間を、分けようと欲して(アッラーを信じて、かれの使徒たちを信じない)、『わたしたちはあるものは信じるが、あるものは信じない。』と言い、その中間に、一つの路を得ようと欲する者がある。これらの者こそは、本当に不信心者である。われは不信心者のために恥ずべき懲罰を備えている。」[婦人章(アン・ニサーア) 4:150-151] アッラーが下されたこれらの確証から明らかなように、他に何が言えるであろうか。アッラーに讃えあれ。我々はアッラーのお導きを請う。預言者ムハンマドにアッラーのご加護を。


私の親も異端ですが、あなたは堂々と自分の親が無教徒だといっている。親がイスラムを信仰しないという立場を取ることを許容している。なぜイスラムを信じ、アッラーが唯一の神だと信じるあなたがそう信じない人の立場を許容し、かつ愛する事ができるのか?それは完全に信仰と矛盾している。いやそれでも親を愛しているというのなら、親がイスラムに入り天国に行くことは願わないのですか?愛する人がイスラムを否定し地獄へ行くを許容し、かつ愛しているといえるのですか?
私とあなたがすべき努力は親がイスラムに入るように導くことです。イスラムに入ろうとしない親を愛することではありません。それは偽りの愛です。本当に愛している人のことを思うなら天国に行ってほしいと願う。私はそう願うので、今はあえて親を愛さない。これは信仰であり、真実の愛です。
あなたも私も勉強中、知らなかったことは許される。でも猫さんは今日、ムスリムはムスリム以外愛してはいけないとクルアーんにかいてあることを知ったので、実践する義務が生まれました。お疑いならもよりのモスクでイマームに尋ねていただいてもかまいません。まったく同じ答えが出るはずです。

タイトルRe: 違わないのです。←違いますよ。
記事No1002
投稿日: 2008/10/24(Fri) 13:38
投稿者moiz   <moiz@aa.com>
>お疑いならもよりのモスクでイマームに尋ねていただいてもかまいません。まったく同じ答えが出るはずです。

どうでしょうね。サイトをひとつ参照しただけで、
セカンドオピニオンを取ることもせずに断定的なことを
仰るのはあまりお勧めしません。

ムスリムでない人については、イスラムに導かれるよう
お祈りをしましょう、というのには同意します。
ですが愛なき祈りなど、どれほどの価値があるか
よく考えてみてください。

あなたはどのようにしてシャハーダに至ったのですか。
イスラムの教えを知らなかったあなたに、
愛と知識を分け与えた同胞がいたからではないのですか。
神の無条件の愛があったからではないのですか。

もしも仰る通りにムスリムでない人を拒絶していたら、
誰一人としてイスラムに導かれる人はいなくなって
しまうことでしょう。
愛なしに、どうして人がイスラムに導かれるでしょうか。

タイトルRe^2: 違わないのです。←違いますよ。
記事No1003
投稿日: 2008/10/24(Fri) 14:07
投稿者シンショーヴナ
> あなたはどのようにしてシャハーダに至ったのですか。
> イスラムの教えを知らなかったあなたに、
> 愛と知識を分け与えた同胞がいたからではないのですか。
> 神の無条件の愛があったからではないのですか。

@私は結婚を機に改宗しました。
結婚とか関係なくシャハーダした方達を凄く羨ましく感じると共に、自分のシャハーダが純粋でない(=結婚がきっかけの二次的シャハーダ)と感じ、凄く恥ずかしく感じていました。

しかし、ある「自分でシャハーダ」されたムスリマ講師が、「あなた方は結婚と信仰という二つの恵みを同時にアッラーに与えられて羨ましい」とおっしゃいました。
私を含め、結婚を機に改宗した、その場にいた方達が
「そんなことないですよ。先生の方が素晴らしいじゃないですか。結婚なんか関係なくご自分で改宗されて」と言ったら、
「私の改宗だって、アッラーがそうして下さらなかったら決して改宗はなかった。アッラーの愛で改宗することができたのです」と答えられました。

他にもそれぞれ別の機会でしたが、2,3人の「単独シャハーダ」の講師の方々も、「自分のシャハーダは自分の努力ではない。アッラーが愛して下さってそう望んでくださったから改宗できたのだ」とおっしゃいました。

この言葉を聞いて、どれだけ救われたか。そして、どれだけ今まで以上にアッラーの愛を感じたことか。

・・・預言者様sawsが、アーイシャ様がカーフィルの実母に会ってよい、とおっしゃったハディースは有名ですよね。
確かに話を掘り下げれば、アブーバクル様はカーフィルでい続ける妻(アーイシャ様の実母)を離縁しましたが、それは親子の縁までを切る、ということではないことが明らかにされました。

確かに、預言者様sawsはご自身のご両親に関して否定的(=天国の住民ではない)発言をされましたが、あれはあの方のご両親がすでに他界、「精算」がされてしまっているからで、「まだ精算が決まっていない」存命中の親きょうだいには、ドゥアーをし、改宗するようできる限りの努力をするべきだと思います。

タイトルRe^3: 違わないのです。←違いますよ。
記事No1006
投稿日: 2008/10/24(Fri) 22:10
投稿者moiz   <moizddin@gmail.com>
恥ずかしいことは何ひとつないでしょう。
純粋でないシャハーダなどひとつもないですし
シャハーダはゴールではなく始まりに過ぎません。
結婚が人生のゴールではないのと同じですね。

我が子が自分の信じている宗教と別の宗教を選ぶとき、
ご両親の感情はどのようでしょう。
裏切られたと感じてもおかしくはないでしょう、
悲しいと感じてもおかしくはないでしょう。
それでも子供の選択を信じて、見守ろうと努力なさる
ご両親を私は多く見ましたし、その深い愛情を私は尊敬します。

人間は完璧ではありませんから、
時には衝突もあるかも知れません。

それでも私たちが神の前に無力であることを知り、
胸を開くのは私たちではなく神であることを知れば、
後は自分自身が良いムスリムであれるよう祈る以外に
一番良い努力はないでしょう。



> > あなたはどのようにしてシャハーダに至ったのですか。
> > イスラムの教えを知らなかったあなたに、
> > 愛と知識を分け与えた同胞がいたからではないのですか。
> > 神の無条件の愛があったからではないのですか。
>
> @私は結婚を機に改宗しました。
> 結婚とか関係なくシャハーダした方達を凄く羨ましく感じると共に、自分のシャハーダが純粋でない(=結婚がきっかけの二次的シャハーダ)と感じ、凄く恥ずかしく感じていました。
>
> しかし、ある「自分でシャハーダ」されたムスリマ講師が、「あなた方は結婚と信仰という二つの恵みを同時にアッラーに与えられて羨ましい」とおっしゃいました。
> 私を含め、結婚を機に改宗した、その場にいた方達が
> 「そんなことないですよ。先生の方が素晴らしいじゃないですか。結婚なんか関係なくご自分で改宗されて」と言ったら、
> 「私の改宗だって、アッラーがそうして下さらなかったら決して改宗はなかった。アッラーの愛で改宗することができたのです」と答えられました。
>
> 他にもそれぞれ別の機会でしたが、2,3人の「単独シャハーダ」の講師の方々も、「自分のシャハーダは自分の努力ではない。アッラーが愛して下さってそう望んでくださったから改宗できたのだ」とおっしゃいました。
>
> この言葉を聞いて、どれだけ救われたか。そして、どれだけ今まで以上にアッラーの愛を感じたことか。
>
> ・・・預言者様sawsが、アーイシャ様がカーフィルの実母に会ってよい、とおっしゃったハディースは有名ですよね。
> 確かに話を掘り下げれば、アブーバクル様はカーフィルでい続ける妻(アーイシャ様の実母)を離縁しましたが、それは親子の縁までを切る、ということではないことが明らかにされました。
>
> 確かに、預言者様sawsはご自身のご両親に関して否定的(=天国の住民ではない)発言をされましたが、あれはあの方のご両親がすでに他界、「精算」がされてしまっているからで、「まだ精算が決まっていない」存命中の親きょうだいには、ドゥアーをし、改宗するようできる限りの努力をするべきだと思います。

タイトルIslamQAと言うページ
記事No1008
投稿日: 2008/10/28(Tue) 08:59
投稿者猫君
ISLAMQAはたまに熱心すぎるのオピニオン(意見、ファトワ)があります。そのページを見ないほうがいいです。
ある時そのページで学生は学校の中で音楽が流れているのを訴えてISLAMQAの答えは学校に行かないほうがいいです。これが熱心すぎる。
ISLAMQAを使わないでください。私も始めて入信してからそのページを見ていろいろな誤解しました。

タイトルRe: IslamQAはすばらしいページです。
記事No1009
投稿日: 2008/10/28(Tue) 18:53
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>
どうしてそんなこと言うんですか!
イスラムQAはすばらしいページです。私はこのページをはじめて見て自分のイスラムに対する底の浅い理解を恥じ、また、正確に出展をあげて述べられている解説に感動しました。
逆に皆さん人生で迷いが生じたらこのページを見てください。

だいたい熱心すぎることの何が悪いのでしょうか?熱心な人が熱心でない人から注意されるなんて聞いたこともありません。

熱心なイスラムと熱心でない2種類のイスラムがあるわけではありません。イスラムはただひとつです。猫さんのように自分の都合の悪いものは熱心すぎるから悪いというのは不信心の極みです。もっと勉強してください。

イスラムQAは、あらゆる言葉に正確にクルアーンやハディースからの出典が付けられています。けして著者の独断ではなく、正しいイスラムです。あなたたちのように、出典も明確にせず、自分の意見をただ言うだけでは駄目です。
最低限度、クルアーンには従ってください。

タイトルRe^2: 違わないのです。←違いますよ。←やはり違わないのです。
記事No1005
投稿日: 2008/10/24(Fri) 19:07
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>
moizさんアッサラームアライクム

この問題にはすでに結論が出ています。
スーラ・アル・ムジャーダラ(抗弁する女章 58:22) (意味の解釈): 「あなたは、アッラーと終末の日を信じる民が、アッラーと使徒 (ムハンマド- 彼に平安とアッラーのご加護を)に反抗するような者と親交を結ぶところを見ないであろう。たとえかれらの父や、子、兄弟や親族であっでも…」
クルアーンに書いていないことには議論の余地がありますが、クルアーンにそうだと書いてあることには議論の余地がありません。クルアーンにおいて、たとえ親兄弟であろうとアッラーを拒むものとムスリムが親交を結ぶことはないと書いてあったら、そうなのです。そう書いてある事を知らなかったのならいいですが、もうその事を知ったのですからこれには従わなくてはいけません。
確かにいくつかのリベラルなイスラム教国にはクルアーンが明確に禁じていることにまで許可を出すフトワも稀に出ています。
アッラーの御名を唱えていない肉も食べてもいいとか、酔わない程度なら酒を飲んでもいいとか、多神教徒との結婚も認めるとか、他宗教への改宗も認めるとか・・・しかしそういった事はその国の中だけで通じることであり、その国以外のムスリム、特に正統派のムスリムには到底受け入れられることではありませんが、治外法権なのでそれはそれでいいです。
日本は確かに特殊な事情があります。日本人ムスリムの大半が改宗者であり、その親はカーフィルです。そのような特殊な事情を考慮して、将来的に何らかのフトワが出る可能性はあります。しかし現時点の日本イスラムはそのような特殊なフトワを出したりできるような状況ではなく、現時点で私たちが従わなくてはいけないのはもっとも正当なイスラム、伝統的な基本的なイスラムなのです。それにおいてこの問題は答えが出ている。

異教徒の親を攻撃したり憎んだりする必要はない。会ってもいい。ただしできる限り避けよ。そして相手の宗教を認めてはいけない。

それに尽きるのです。そして仮に、何らかの特殊なフトワが出たとしても、それは複数のウラマーの間で、いくつもの来源、出典を元に厳選な話し合いの元に決められることです。個人的な意見で、私はこうしたら良い、ああしたら良いというのではいけないのです。

私がひどく不快感を感じるのは、親が異教徒である。その事をあたかも当然、当たり前、仕方の無いこと、それが普通かの様な前提で話が行われることです。それがなぜ普通なのでしょうか?ではあなたがイスラムに改宗したのは普通の事ではないのでしょうか?イスラムを心の中では特殊な宗教だと思っている。だから親がイスラムに改宗するなどありえない、そう思っているのではないでしょうか?そんなことはありません、イスラムは万人に開かれた宗教です。あなたが信じられて、なぜあなたの親が信じられないのか?その場合考えられるのは、あなたが親に伝える努力を怠っているか、親がイスラムを正しいと自覚しながらも頑なに拒んでいるかの二つに一つです。前者ならもっとがんばりなさいと言う。後者なら避けよという。それだけです。

タイトルRe^3: 違わないのです。←違いますよ。←やはり違わないのです。
記事No1007
投稿日: 2008/10/24(Fri) 22:13
投稿者moiz   <moizddin@gmail.com>
ワアレイクムサラーム。

>そして仮に、何らかの特殊なフトワが出たとしても、それは複数のウラマーの間で、いくつもの来源、出典を元に厳選な話し合いの元に決められることです。個人的な意見で、私はこうしたら良い、ああしたら良いというのではいけないのです。

それはどうでしょうね。

ウラマーは、ファトワを求められたら
「これはあくまでもこの時点での私個人の見解に過ぎず、
今後変わる可能性もある、神のみが全てをご存知である」
というような意味の文言を必ず付け加えます。
つまり特殊ではないファトワなど存在しません。

一つの問題に対し、多様なウラマーが出した
多様なファトワが存在するのが常態です。
その中から、当事者は自分の問題解決に
一番ふさわしいと思われるファトワを選びます。
ただしあくまでも参考にするだけで、
最終的には自分で決めないといけません。
イスラムに聖職者がいないというのはそういう意味です。

>私がひどく不快感を感じるのは、親が異教徒である。その事をあたかも当然、当たり前、仕方の無いこと、それが普通かの様な前提で話が行われることです。それがなぜ普通なのでしょうか?ではあなたがイスラムに改宗したのは普通の事ではないのでしょうか?イスラムを心の中では特殊な宗教だと思っている。だから親がイスラムに改宗するなどありえない、そう思っているのではないでしょうか?

預言者はイスラムについて「変わったものとして始まり、
変わったものとして終わる」と仰っています。
ですので少しは特殊なのかも知れません。

またこのツリーの主題について私は特に不快感を感じませんでしたが、
あなたが不快感を感じていることについては理解しました。
残念です。

再度お話できる機会があるといいですね。



> moizさんアッサラームアライクム
>
> この問題にはすでに結論が出ています。
> スーラ・アル・ムジャーダラ(抗弁する女章 58:22) (意味の解釈): 「あなたは、アッラーと終末の日を信じる民が、アッラーと使徒 (ムハンマド- 彼に平安とアッラーのご加護を)に反抗するような者と親交を結ぶところを見ないであろう。たとえかれらの父や、子、兄弟や親族であっでも…」
> クルアーンに書いていないことには議論の余地がありますが、クルアーンにそうだと書いてあることには議論の余地がありません。クルアーンにおいて、たとえ親兄弟であろうとアッラーを拒むものとムスリムが親交を結ぶことはないと書いてあったら、そうなのです。そう書いてある事を知らなかったのならいいですが、もうその事を知ったのですからこれには従わなくてはいけません。
> 確かにいくつかのリベラルなイスラム教国にはクルアーンが明確に禁じていることにまで許可を出すフトワも稀に出ています。
> アッラーの御名を唱えていない肉も食べてもいいとか、酔わない程度なら酒を飲んでもいいとか、多神教徒との結婚も認めるとか、他宗教への改宗も認めるとか・・・しかしそういった事はその国の中だけで通じることであり、その国以外のムスリム、特に正統派のムスリムには到底受け入れられることではありませんが、治外法権なのでそれはそれでいいです。
> 日本は確かに特殊な事情があります。日本人ムスリムの大半が改宗者であり、その親はカーフィルです。そのような特殊な事情を考慮して、将来的に何らかのフトワが出る可能性はあります。しかし現時点の日本イスラムはそのような特殊なフトワを出したりできるような状況ではなく、現時点で私たちが従わなくてはいけないのはもっとも正当なイスラム、伝統的な基本的なイスラムなのです。それにおいてこの問題は答えが出ている。
>
> 異教徒の親を攻撃したり憎んだりする必要はない。会ってもいい。ただしできる限り避けよ。そして相手の宗教を認めてはいけない。
>
> それに尽きるのです。そして仮に、何らかの特殊なフトワが出たとしても、それは複数のウラマーの間で、いくつもの来源、出典を元に厳選な話し合いの元に決められることです。個人的な意見で、私はこうしたら良い、ああしたら良いというのではいけないのです。
>
> 私がひどく不快感を感じるのは、親が異教徒である。その事をあたかも当然、当たり前、仕方の無いこと、それが普通かの様な前提で話が行われることです。それがなぜ普通なのでしょうか?ではあなたがイスラムに改宗したのは普通の事ではないのでしょうか?イスラムを心の中では特殊な宗教だと思っている。だから親がイスラムに改宗するなどありえない、そう思っているのではないでしょうか?そんなことはありません、イスラムは万人に開かれた宗教です。あなたが信じられて、なぜあなたの親が信じられないのか?その場合考えられるのは、あなたが親に伝える努力を怠っているか、親がイスラムを正しいと自覚しながらも頑なに拒んでいるかの二つに一つです。前者ならもっとがんばりなさいと言う。後者なら避けよという。それだけです。

タイトルRe^4: 違わないのです。←違いますよ。←やはり違わないのです。
記事No1010
投稿日: 2008/10/28(Tue) 19:25
投稿者途中参加ムスリム   <assalaamalaikum@yahoo.co.jp>
愛の概念が違うのではないですか?
異教徒である親を愛する。イスラムを頑なに拒み異教の習慣を固執し続ける親を愛し続ける。
それが結局誰のためになるのか?親の為になりますか?
イスラムを知らずして死んだ人にはまだ天国へのチャンスが残っている。しかし一度、イスラムを知って、イスラムをあえて拒み続ける人には天国への門はありません。あなたたちの親はもうイスラムを知っているのです。あなたたちが優しい主人と幸せな家庭に恵まれイスラムが正しい神の道だとすでに知っているのです。なのにイスラムを拒む。世間体か、民族への固執か、理由はそれぞれでしょうが・・・それでも親を愛する。クルアーンが禁じていても・・
それが親の為になるのでしょうか?
愛する人が地獄へ行くのを黙って見ているとは恐れ入ります。それとも、イスラムを信じていなくても自分の親は立派だから天国に行けるだろうなどと思っているのでしょうか?だとしたら信仰が足りません。今一度クルアーンを読んでみてください。アッラー以外の異教の神や先祖を拝むものは地獄に行くと書いてあります。
私は親にも一緒に天国に行ってほしいから、今はメッセージを伝えるだけ。愛しはしない。親は先祖を拝んだり、火葬にしたり、酒や豚肉を口にしたり、明確にクルアーンが禁じていることをするので今は私から会いには行かない。特に子供は。子供はまだ未成熟だから何が正しいか間違っているか分からないから余計に
ただし物理的、金銭的な援助は喜んでする。それはむしろ、ムハンマド聖人も推奨していることである。ただし心で愛することはできない。愛とはアッラー信じるものに対してのみ向けられる感情である。そうでない人は愛しません。それが信仰です。

タイトルRe: 驕輔o縺ェ縺縺ョ縺ァ縺吶
記事No6203
投稿日: 2013/05/16(Thu) 20:41
投稿者Jase   <ie.brasil@hotmail.com>
参照先http://www.google.com/
You've maagned a first class post

タイトルRe: 違いますよ!!@途中参加ムスリム
記事No7108
投稿日: 2013/10/29(Tue) 18:05
投稿者スーパーコピー時計   <watchsupercopy@163.com>
参照先http://www.watchsupercopy.com
スーパーコピー時計,2013年人気コピー時計,スーパーコピーブランド
2013年最新の更新のローレックスの腕時計
http://www.watchsupercopy.com/watchs-rolex/index-1.htm

2013年最新の更新のガガミラノコピー時計
http://www.watchsupercopy.com/watchs-gagamilano/index-1.htm

タイトルRe^2: 親との接し方
記事No1012
投稿日: 2008/10/31(Fri) 07:24
投稿者異教徒の親に敬意を払う初心者
ご回答を拝見しとても悲しくなりました。

私のイスラム教の知識は浅いですが、預言者pbuhが異教徒の葬式に出る理由を聞かれ、「異教徒の葬式には人間に対する敬意を払うために出るべきだ」と答えられたことを学びました。このことからわかるように、異教徒に敬意を払うことは間違った事ではないのではないですか?お子さんをご両親に会わせないなんて、彼らをないがしろにするべきではないと思います。あなたとご両親の関係が昔からどのようなものであったかは存じませんが、「彼らを避けるべきだ」なんて、敬意の「け」の字も無いようなことをおっしゃらないで下さい。

私はイスラム教について勉強中ですが、いつも多々ある解釈に目を通す努力をしています。クルアーンは世界に存在する経典の中で最も歪曲されていないものだそうですね。それでも、教義を違うように解釈されてしまったこともあるということも知っています。あなたも昨今のいわゆるイスラム教原理主義者達のように、クルアーンをご自分の都合の良いように解釈なさってるのかもしれませんよ。もちろん、私もです。ただ、私とあなたの違うところは、一つの解釈に固執しているかしていないか、ということです。

タイトルRe^3: 親との接し方
記事No6601
投稿日: 2013/07/31(Wed) 15:28
投稿者ウブロコピー   <wuliao146014@outlook.com>
> ご回答を拝見しとても悲しくなりました。
>
> 私のイスラム教の知識は浅いですが、預言者pbuhが異教徒の葬式に出る理由を聞かれ、「異教徒の葬式には人間に対する敬意を払うために出るべきだ」と答えられたことを学びました。このことからわかるように、異教徒に敬意を払うことは間違った事ではないのではないですか?お子さんをご両親に会わせないなんて、彼らをないがしろにするべきではないと思います。あなたとご両親の関係が昔からどのようなものであったかは存じませんが、「彼らを避けるべきだ」なんて、敬意の「け」の字も無いようなことをおっしゃらないで下さい。
>
> 私はイスラム教について勉強中ですが、いつも多々ある解釈に目を通す努力をしています。クルアーンは世界に存在する経典の中で最も歪曲されていないものだそうですね。それでも、教義を違うように解釈されてしまったこともあるということも知っています。あなたも昨今のいわゆるイスラム教原理主義者達のように、クルアーンをご自分の都合の良いように解釈なさってるのかもしれませんよ。もちろん、私もです。ただ、私とあなたの違うところは、一つの解釈に固執しているかしていないか、ということです。
腕時計の実際はきっと2つの陀のはずみ車の運行の精密で正確な度の平均値は微小なものの中で欠けないで腕時計の直立する時の重力の発生の誤差を相殺することができることを計算します。ブレゲはすでにこのこの上なく精確なきんでている設計のために登録しました 3項の利。
ウブロコピー
http://www.watchsogreat.com/wpwares/watches-wp4/

タイトル時計コピー
記事No6939
投稿日: 2013/10/17(Thu) 18:00
投稿者時計コピー   <gsdfysfsfsfsfsfgfg@hotmail.com>
スーパーコピー時計,ブランド時計コピー販売(n級品)店舗 | SuperSakura.Com - ブランド腕時計(ロレックス,ブライトリング,タグホイヤー,オメガ,ガガミラノなど)の最新 情報やイベントを紹介する正規販売店と腕時計コピーの専門サイトです。http://www.supersakura.com/

タイトルブランドアクセサリー
記事No7288
投稿日: 2013/11/06(Wed) 14:55
投稿者スーパーコピー 時計   <ted@gmail.com>
絶妙なアクセサリーの腕時計 コピー最新情報(シャネル、オメガ、ブルガリ、エルメス、ガガミラノなど)
- SuperSakura.Com |スーパーコピー 時計(&#32423;)商店各種類時計コピーアクセサリー、ハンドメイド、ブランドアクセサリーを購入ならこの商品へようこそ。
http://www.etkoaphp.co

タイトルRe: 親との接し方
記事No994
投稿日: 2008/10/18(Sat) 22:30
投稿者さくら
お母様は母として愛する娘の全てを受け入れていらっしゃると思います。それは無償の愛で、なかなかできることではなく親子だからできる事だと思います。
貴女はどうですか?
どうかお二人とご家族が幸せに暮らせる事を祈っております。

タイトルRe: 親との接し方
記事No995
投稿日: 2008/10/19(Sun) 00:41
投稿者PEACE
悲しい事を言わないで下さい・・・。
親子の愛は尊いものです、血をわけた親族なのですから絶対に大事にしてあげて下さい、愛してあげて下さい。

地球には色々な人種・民族・宗教・宗派・思想があります。
多様性を尊重して、自分と他との違いを理解しあう事が大事なのではないでしょうか。
他人の事よりは、まず自分の行動でしめしましょうよ。

タイトルRe: 親との接し方
記事No1013
投稿日: 2008/10/31(Fri) 20:21
投稿者Salam   <spiderwort77@hotmail.com>
> アッサラム アライコム
> ムスリムおよびムスリマの皆様へ質問があります。
> 親との接し方(親がムスリムではない)は皆さん
> どうなさっていますか?
> 私は、母親のみ現在健在ですが、ムスリマではありません。(母は仏教徒です)
ーーー>うちの母も健在で仏教とですが、母とは普通に接していますよ。私がモスリムでなかったときよりもずっとよく接するように努力はしていますが、私がモスリムになったことによって、これだけ私の悪かった所が改善されたんだということを強調するようにしています。それはすべてイスラムのおかげなのだということをできるだけ気をつけて伝えるようにしています。同時にいままでの私のように、母の存在を大切にし、母がいままで私に教えてくれたことにも感謝していることを強調します。そうすることで母は娘が宗教によってかわったのではなく、いままでの娘にプラスアルファーで改善されたのだと気づきます。そうしなければ、ただの変わってしまった娘としかとれなくなりますから。母にはすでに私の伝えなければならないことは伝えましたが、それを理解しているかどうかは別の問題です。理解していないのであれば、伝えたことにはなりませんから。それを今後アッラーが私に時間を許されるかぎり努力していく課題になります。また、母のすることを否定することもめったにしません。生活する上でどうしても食べ物の問題などがでてきますが、私に降り掛かる場合は否定しますが、そうでなければあえて否定はしません。心のなかで断固反対はしていますが。

> 母親として、尊重はしていますが、たびたび、とまどうことがあります。(つまり、ムスリムとしてのイスラム教の教え、生活の仕方などノンムスリムとは違う)私は、国際結婚し、結婚当初は、大変結婚に母は反対でした。
> 現在は、私の二人の子供を孫としてかわいがってはおりますが、母との接し方に戸惑います。
> 母がイスラム教徒に改宗して欲しいと願っておりますが、実際は難しいように思えます。
ーーー>最低限のことをお母様にご理解いただくしかないかと思います。うちの母は私の礼拝のこと、ヒジャーブのこと、食事のことは理解してくれているので私がモスリムとして生活していくことには何もいいません。
なので、子供のことも同じくモスリムがしてはいけないことなどを理解してもらうことが先かと思います。逆にその母をモスリムでないからといって毛嫌いし、自分から話すことは、母に少しでもイスラムを理解してもらうチャンスを放棄するということですから、まったく逆の行為にあたります。

母にとって仏教はずっと生まれたときからその環境にいたわけですし、若い世代のように新しいことを取り入れるのが不得意な世代ではありますが、まず少しずつ理解してもらうしかないですね。本当に難しいかと思います。私も同じように苦労していますからよくわかりますよ。母に正しい道に導かれてほしいとも心から思います。そうなるようにドウアするのみですね。がんばってください。

> 皆様はどうでしょうか?

ーーー>もう一つ、他のレスで葬式についてありましたが、私の父はノンモスリムとしてなくなり、火葬されました。本当につらかったですが、私は自分の伝えることは伝えましたし、アッラーがそのようにお望みにならなかったので父はそうなっただけで、その父を毛嫌いしたりはしません。葬式にも出席し、火葬場まで同行しましたが、自分への悔いと、死のあっけなさに考えさせられました。火葬場までいったその帰り道に、同じように父の焼かれる姿をみた兄が、スブハンナッラー、アッラーにより導かれモスリムになりました。仏教ととして死ぬと、こうして焼かれ、来世でもまた焼かれるんだよ、という話をした直後に、兄がシャハーダをしました。
人の運命はアッラーにしかわかりません。いくら今はイスラムを理解しない父や母がいても、いつどこでアッラーがお導きになるかわかりません。どうか、あきらめないで、時間の許す限り最前を尽くすことをおすすめいたします。
日本がモスリムであふれる日が来ますように。アーミン
Salam

タイトルRe^2: 親との接し方
記事No1016
投稿日: 2008/11/03(Mon) 20:34
投稿者SULTHONI
Assalamu'alaikum wr wb(アッサラムアライクム)

初めて投稿させて頂きます、東南アジアに住んでいます日本人モスレムです。

> それを今後アッラーが私に時間を許されるかぎり努力していく課題になります。
> 母に正しい道に導かれてほしいとも心から思います。そうなるようにドウアするのみですね。

イスラム教徒以外のためのDoaで許されていることは、その人がイスラムに入信することを祈ることだけですので、この理解は正しいと思います。

お赦しを求めることはダメです。↓
9-113. 多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,かれらが業火の住人であることが明らかになった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。

人間関係についてはカーフィルに対してでも敬意を払い、人間社会の中で通常の接し方をしなければなりません。
預言者も敵対しないカーフィルに対しては常に親切にしたと聞きました。(ハディスを示せなくて申し訳ありませんが)

> 逆にその母をモスリムでないからといって毛嫌いし、自分から話すことは、母に少しでもイスラムを理解してもらうチャンスを放棄するということですから、まったく逆の行為にあたります。

これも正しいと思います。逆に、カーフィルを毛嫌いした接し方は高慢であり、正しいモスレムの態度ではありません。(コーランにあります、4-36下記参照)
本人は気付かないのでしょうが、高慢な人達は沢山います。イスラム教徒でも沢山います。まして、カーフィルはもっともっとです。
大変難しいことではありますが、気をつけて行きたい所です。

> 日本がモスリムであふれる日が来ますように。アーミン

自分がイスラムに入信したきっかけは、ALLAH(SWT)を信じることが出来た事です。過去行き詰まりの状態になった時、突然進む道が現れ救われた事が何度かありました。その時はALLAH(SWT)の存在を意識しなかったのですが、最後の難関の後にイスラムを知ってコーランを読むと1400年前の人間が作れる内容ではないと確信しました。
そして、過去のお導きはALLAH(SWT)の御慈悲であったと思い返し、ALLAH(SWT)の存在を信じる心が誕生しました。これもALLAH(SWT)のお導きと感謝しています。

一般教養のある日本人はコーランを1400年前の人間が作れる筈がないと理解出来る筈です。
日本でイスラムが紹介される機会が増えることをお祈りします。

因みにニューヨークは700万人の市民中100万人(?)がイスラム教徒で、更にどんどん増えており、イスラムの休日(Idul Fitri?)を取り入れるとのことです。

最後に、コーランには両親には孝行せよと幾つもあります。

4-36. アッラーに仕えなさい。何ものをもかれに併置してはならない。父母に懇切を尽くし,また近親や孤児,貧者や血縁のある隣人,血縁のない隣人,道づれの仲間や旅行者,およびあなたがたの右手が所有する者(に規切であれ)。アッラーは高慢な者,うぬばれる者を御好みになられない。

6-151. 言ってやるがいい。「さて,わたしは主があなたがたに対し禁じられたことを,読誦しよう。かれに何ものでも同位者を配してはならない。両親に孝行であれ。困窮するのを恐れて,あなたがたの子女を殺してはならない。われは,あなたがたもかれらをも養うものである。また公けでも隠れていても,醜い事に近付いてはならない。また,アッラーが神聖化された生命を,権利のため以外には殺害してはならない。このようにかれは命じられた。恐らくあなたがたは理解するであろう。

8-75. 遅れて信仰に入り,移住してあなたがたと共に奮闘努力した者たちは,あなたがたの仲間である。また血縁関係による近親者は,アッラーの定めにより,互いに一段と近いのである。本当にアッラーは凡てのことを知り尽くされる。

17-23. あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが,あなたと一緒にいて老齢に達しても,かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず,親切な言葉で話しなさい。

タイトルRe^2: 隕ェ縺ィ縺ョ謗・縺玲婿
記事No6263
投稿日: 2013/05/18(Sat) 21:24
投稿者Cheval
参照先http://www.facebook.com/profile.php?id=100003432874448
Last one to utilize this is a rtoetn egg!

タイトルRe: 親との接し方
記事No7107
投稿日: 2013/10/29(Tue) 18:01
投稿者スーパーコピー時計   <watchsupercopy@163.com>
参照先http://www.watchsupercopy.com
2013年最新の更新のローレックスの腕時計
http://www.watchsupercopy.com/watchs-rolex/index-1.htm

2013年最新の更新のガガミラノコピー時計
http://www.watchsupercopy.com/watchs-gagamilano/index-1.htm