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タイトル断食の始まる本当の時刻について
記事No6498
投稿日: 2013/07/19(Fri) 04:17
投稿者ムスリム   <gweojaqoper@yahoo.co.jp>
ファジュルの礼拝が始まる時刻が、断食が始まる時間だなんて、クルアーンの、どこにも書いてないと思います。
「白糸と黒糸の見分けられる黎明になるまで」ようするに、日の出の、空が、あきらかに明るくなり始めた時が、断食の始まる、本当の時間だと思います。
それが、いつから、ファジュルの礼拝の時刻が断食が始まる時間なんていうことになったのでしょうか?
イスラム学者や、モスクの先輩が言っているから、いつの間にか、ファジュルの礼拝の時刻が断食の始まる時間だということになったのではないでしょうか?
そういうものに従うことが、本当にクルアーンに従っているということに、なるのでしょうか?
もはや、クルアーンに従っているというよりは、単に、モスクのコミュニティーに従っているだけのものに、なり下がってしまっているのではないでしょうか?

タイトルRe: 断食の始まる本当の時刻について
記事No6499
投稿日: 2013/07/19(Fri) 12:05
投稿者名無しムスリムさん
答え)

@
ファジュル礼拝の時刻=断食の始まる時刻 →X
ファジュルのアザーンの時刻(≒黎明の時刻)=断食の始まる時刻 →◯

A
クルアーンに従って〜 →X
クルアーンとハディースとイスラム学者と共同体の総意 →◯

タイトルRe: 断食の始まる本当の時刻について
記事No6506
投稿日: 2013/07/20(Sat) 08:20
投稿者あぶ管理人   <info@islamjp.com>
また白糸と黒糸の見分けられる黎明になるまで食べて飲め。その後は日暮れまで斎戒を全うしなさい。2-187に関して

自然に出てくるいい質問だと思います。
ただ、その時刻をファジュルだとしているのは、次の根拠があってのことです。

コーラン解釈の中には、白糸とは昼の白さ、黒糸とは夜の暗さの比喩だと書かれていることが多いと思います。
それには次の決定的なハディースの根拠があるのです。預言者に同じようなことを質問した者がおり、実際に枕の上に白と黒の輪っかを置き比べたみたそうです。そこで、預言者は、「それは昼の白さと夜の暗さという意味なのだよ」と答えているのです。
また、預言者の時代、ラマダーンの断食のスタートはファジュルの時刻で、それ以外の時刻で行われたことはなかったのです。

タイトルサフールをとる時刻について
記事No6520
投稿日: 2013/07/22(Mon) 04:47
投稿者ムスリム   <ajmtjpg@yahoo.co.jp>
今のムスリムの間では、ファジュルのアザーンの時刻が、断食の始まる時刻とされているんですよね?
だから、ファジュルのアザーンが始まる前に、サフールを取らなければいけないわけで、ファジュルのアザーンが過ぎた後は、いっさい食べたりしてはいけないとされているんですよね?
でも、クルアーンには、「白糸と黒糸の見分けられる黎明になるまで食べて飲め。2-187」
と書いてあり、あくまでも、日の出の前までが、サフールをとる時間だと言っているということになりますよね?
だとしたら、今の時期で言えば、東京都内で言えば、ちょうど、だいたい午前4:30になる前くらいの時に、サフールをとるのが、じっさいには好ましいということになりませんか?

タイトルRe: サフールをとる時刻について
記事No6522
投稿日: 2013/07/22(Mon) 08:42
投稿者名無しムスリムさん   <al-nanashi@mail.xxx>
B
今の〜 →X
預言者の時代から →◯

C
午前4:30 →X
午前3:00 →◯

D
好ましい〜 →X
義務 →◯


> 今のムスリムの間では、ファジュルのアザーンの時刻が、断食の始まる時刻とされているんですよね?
> だから、ファジュルのアザーンが始まる前に、サフールを取らなければいけないわけで、ファジュルのアザーンが過ぎた後は、いっさい食べたりしてはいけないとされているんですよね?
> でも、クルアーンには、「白糸と黒糸の見分けられる黎明になるまで食べて飲め。2-187」
> と書いてあり、あくまでも、日の出の前までが、サフールをとる時間だと言っているということになりますよね?
> だとしたら、今の時期で言えば、東京都内で言えば、ちょうど、だいたい午前4:30になる前くらいの時に、サフールをとるのが、じっさいには好ましいということになりませんか?

タイトルRe: サフールをとる時刻について
記事No6526
投稿日: 2013/07/22(Mon) 16:27
投稿者匿名ムスリム
>でも、クルアーンには、「白糸と黒糸の見分けられる黎明になるまで食べて飲め。2-187」
>と書いてあり、あくまでも、日の出の前までが、サフールをとる時間だと言っているということになりますよね?

ですから、管理人さんもおっしゃっているように、「白糸と黒糸の見分けられる黎明」というのは、ファジュルの始まる時間のことです。

タイトルRe: 断食の始まる本当の時刻について
記事No6548
投稿日: 2013/07/25(Thu) 12:06
投稿者匿名3
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/nyumondanshoku_07.html

管理人様。
日の出の2時間前から断食がはじまるのではないですか?


> ファジュルの礼拝が始まる時刻が、断食が始まる時間だなんて、クルアーンの、どこにも書いてないと思います。
> 「白糸と黒糸の見分けられる黎明になるまで」ようするに、日の出の、空が、あきらかに明るくなり始めた時が、断食の始まる、本当の時間だと思います。
> それが、いつから、ファジュルの礼拝の時刻が断食が始まる時間なんていうことになったのでしょうか?
> イスラム学者や、モスクの先輩が言っているから、いつの間にか、ファジュルの礼拝の時刻が断食の始まる時間だということになったのではないでしょうか?
> そういうものに従うことが、本当にクルアーンに従っているということに、なるのでしょうか?
> もはや、クルアーンに従っているというよりは、単に、モスクのコミュニティーに従っているだけのものに、なり下がってしまっているのではないでしょうか?

タイトルRe^2: 断食の始まる本当の時刻について
記事No6554
投稿日: 2013/07/25(Thu) 21:25
投稿者あぶ管理人   <info@islamjp.com>
すごいの発見しましたね。
「断食をする時間は、夜明け前(太陽の昇る約二時間前)から日没までの間です。」

ここでいう夜明け前とは、ファジュル、曙、黎明などであらわされている時刻のことで、それは日の出の約2時間前という説明をくわえたものです。
本日の実際の時間を見てみましょう。
札幌の曙 2:17 日の出 4:18 =2時間1分
東京の曙 3:03 日の出 4:43 =1時間40分
那覇の曙 4:26 日の出 5:51 =1時間25分

このように札幌は確かに2時間の差があります。この季節に限って言えば、南にいくほどその差はすくなくなるようです。

2時間という時間を出してきたのは、日本人にあまりなじみのない曙という時刻がたいたい日の出前のどのくらいかわかりやすく説明したものだと思います。


> http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/nyumondanshoku_07.html
>
> 管理人様。
> 日の出の2時間前から断食がはじまるのではないですか?

タイトル断食の始まる本当の時刻について
記事No6558
投稿日: 2013/07/26(Fri) 00:46
投稿者ムスリム   <gjtpnp@yahoo.co.jp>
「白糸と黒糸の見分けられる黎明 2-187」

は、文面から考えて、どう考えたって、太陽が登る約2時間前のことではなくて、太陽が登る時間にさしかかった頃のことだと思います。
太陽が登る2時間前では、まだ空は真っ暗で、空の暗さと明るさなんて、まったく見分けられないと思います。

私が言いたいのは、もはや、クルアーンよりも、スンナが絶対視されているような状態になっており、いわば、ハディース教のようになっているのが実体ではないかということです。
そういうものに従うのは、純粋にアッラーに従っているというよりも、周りがやっていたから、自分もなんとなく周りに流されて同じことをやっていた、ということになり、審判の時に、「なぜクルアーンに従わずに、そのようなものに従っていたのか」と神に問われかねないのではないかと思います。

タイトルRe: 断食の始まる本当の時刻について
記事No6563
投稿日: 2013/07/26(Fri) 09:48
投稿者とくめい
長文で失礼しますが、イスラム=スンナ抜きのクルアーンのみ、という考えは間違っています!
もちろん第一典拠はクルアーンですが、スンナ(ハディース)はそれに次ぐ第二の典拠になっています。
この2つはインセパラブル。分離できないのです。


アッラーは人間を創造し、その中からある人々(預言者、使徒)を選び、人間がどのようにアッラーの宗教に基づいた生き方をするのかをその人物たちを “見本”として示してくれたのです。もしもそのお手本・例がなかったら、質問者様のように、”僕はこう思う、わたしはこう思う”と千差万別な意見が飛びかい、本来アッラーが意図している本当の宗教どころか、みんながみんなそれぞれの解釈によって”自分の宗教”を作り上げることになってしまいます。しかしアッラーの慈悲により、アッラーは同じ人間の中から特別な人物を選んで、アッラーが意図する本当のイスラムの教えを預言者・使徒の人生を通じて、わたしたち人間に教えてくれました。彼らは私たちと何一つ変わらない人間です。生理、身体、感情的にも私たちと同じです。唯一の違いは彼らにはアッラーからの啓示が下りたと言う事。
その最後の預言者・使徒がムハンマドになります。
*****“本当にアッラーの使徒は,アッラーと終末の日を熱望する宕,アッラーを多く唱念する者にとって,立派な模範であった。(33:21)”


そしてクルアーンの中で、わたしたちは使徒に服従すること命じられています。
*****… また使徒があなたがたに与える物はこれを受け,あなたがたに禁じる物は,避けなさい。 …(59:7)


でも預言者ムハンマドはもうお亡くなりになられ、わたしたちの側にはいません。どのようにして服従しなければならないのでしょうか?

それは、ハディース/スンナの中で命じられたものに服従するということです。
異議、論争が起きたときは必ずクルアーンとスンナに参照し、それらに基づいて解決するようアッラーも仰せられてます。
*****だがあなたがたの主に誓けてそうではないのである。かれらは信しないであろう。かれらの間の紛争に就いてあなたの裁定を仰ぎ,あなたの判決したことに,かれら自身不満を感じず,心から納得して信服するまでは。(4:65)
*****信仰する男も女も,アッラーとその使徒が,何かを決められた時,勝手に選択すべきではない。アッラーとその使徒に背く者は,明らかに迷って(横道に)逸れた者である。(33:36)


なぜアッラーは使徒への服従をそこまで強調するのでしょうか?

それは、使徒が命じたものは何よりも他ない“啓示に基づいたもの”だったのです。私たちがムスリムになるときに発するあの信仰告白 “アラーのほかに神はなし。ムハンマドはアラーの使徒なり”の“ムハンマドはアラーの使徒なり”とは、アッラーへの信仰と大きく関係しています。というのは、ムハンマドが伝達したものもまた、啓示だったからです。アッラーは仰せられてます:
*****あなたがたの同僚は,迷っているのではなく,また間違っているのでもない。また(自分の)望むことを言っているのでもない。それはかれに啓示された,御告げに外ならない。(53:2-4)


このような理由で、わたしたちは預言者のスンナを重んじているのです。
言葉を変えると、啓示は2つの形で下りてきたということになります:クルアーンとスンナ
アッラーが仰せられてます:
*****使徒に従う者は,まさにアッラーに従う者である。誰でも背き去る者のために,われはあなたを見張り人として遺わしたのではない。(4:80)


イスラムとは帰服する/服従するという意味がありますが、この帰服/服従とは(1)アッラーがクルアーンの中で命じたものに服従するということと、(2)預言者を通してアッラーが命じたものに服従するということになります。ですので、預言者への服従はアッラーへの服従となるわけです。わたしたちが本当にアッラーを崇拝したいならば、預言者ムハンマドが示した方法(彼のスンナ)に従わなければいけません。すなわち、アッラーへの帰服/服従の仕方(正しい崇拝の仕方)は預言者がお手本となって示した仕方の以外になにもないということになります。だからといって、わたしたちが預言者を崇拝していると言うことではありません。それはシルクになりますからね。
*****言ってやるがいい。「あなたがたがもしアッラーを敬愛するならば,わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ,あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」(3:31)


アッラーはクルアーンの中で、預言者への服従の報酬を天国、預言者への不服従の報酬を地獄と仰せられてます。
*****これらは,アッラーの定められた決まりである。アッラーとその使徒に服従する者は,川が下を流れる楽園に入り,永遠にその中に住むであろう。それは至上の幸福の成就である。だがアッラーとその使徒に従あず,かれの定めに背く者は,業火に入り,永遠にその中に住む。かれは恥ずべき懲罰を受けるであろう。(4:13 & 14)




その他にも、スンナの重要性というと、スンナがクルアーンを説明するという役目もあります。
例えばクルアーンの中では、礼拝の命令はありますが、詳しい説明は一切ありません。どのように、何時、どこで礼拝をするのかを知るためには預言者のスンナが必要になるわけです。
ハッジ、喜捨、断食、ビジネス、人との接し方、死人の埋葬、屠殺,などなど、クルアーンの中では大雑把に取り上げられているものでも、スンナを見てみてるとその細部に至るまでくわしいことが預言者の言及・行動によって見本として示されています。

<<結論>>
ですので、”クルアーンよりも、スンナが絶対視されているような状態”ではなく、クルアーンは第一に絶対視されますが、その後に次ぐのがスンナの絶対視です。イスラムはクルアーンのみではありませんので。
”ハディース教のようになっているのが実体”というもは上記の間違った前提からの結論ですね。クルアーンとスンナがあってイスラム教になります。

”周りがやっていたから、自分もなんとなく周りに流されて同じことをやっていた、ということに“ はならないように、断食のサフールの時間でも礼拝の仕方でも何事でも、クルアーンとスンナからの証拠をとり元をたどることが大切ですね。アッラーが何と仰せられ、預言者がどのようにされてたのか、と。

”審判の時に、「なぜクルアーンに従わずに、そのようなものに従っていたのか」と神に問われかねないのではないか” の答えは、もうお分かりだと思います。

アッラーが私たちにイスラムの知識と理解を与えてくださることを祈ります。


>
> 私が言いたいのは、もはや、クルアーンよりも、スンナが絶対視されているような状態になっており、いわば、ハディース教のようになっているのが実体ではないかということです。
> そういうものに従うのは、純粋にアッラーに従っているというよりも、周りがやっていたから、自分もなんとなく周りに流されて同じことをやっていた、ということになり、審判の時に、「なぜクルアーンに従わずに、そのようなものに従っていたのか」と神に問われかねないのではないかと思います。

タイトルRe: 断食の始まる本当の時刻について
記事No6570
投稿日: 2013/07/27(Sat) 08:57
投稿者とくめい
補足です。

<スンナとは何か:クルアーン同様の啓示>
http://www.islamreligion.com/jp/articles/653/

タイトルRe: 断食の始まる本当の時刻について
記事No6573
投稿日: 2013/07/27(Sat) 12:16
投稿者匿名3
Fasting in Ramadaan (ISBN 1-898649-02-2)という本の
40ページに預言者様がスフールを食べ終わった後、ある程度の時間が経過してからファジュルの礼拝をしたことが書かれています。

興味のある方はこの本をみてみてください。

タイトルハディースは、あくまでも二次的なもので、クルアーンのように一次的なものではない
記事No6580
投稿日: 2013/07/28(Sun) 04:31
投稿者ムスリム   <safasga@yahoo.co.jp>
クルアーンは、それ自体で、アッラーの最後の啓示で、完璧な書物だから、あるムスリムの間で行なわれているように、ハディースやスンナを、クルアーンと同じように、絶対視するべきでないし、クルアーンのどこにも、ハディースやスンナをクルアーンと同じくらいに絶対視しなさいとは、どこにも書かれていないと、以下のページで書かれています。
ハディースやスンナは、あくまでも二次的な物なのに、もはや、クルアーンと同じように、一時的なもの、絶対的なものとして扱われているのが現状だと言っています。

http://quranvshadith.blogspot.jp/2012/01/does-islam-need-hadith-to-explain-quran.html?m=1

「われは、かれらがそれを理解しないように、その心に覆いを掛け、耳を鈍くした。それであなたがクルアーンの中で、あなたの主、かれだけを語る時、かれらは(真理を)嫌って背を向ける。17-46」

ここで書いてあるようなことが、まさにムスリムの間でも行なわれているように思います。

タイトルRe: ハディースは、あくまでも二次的なもので、クルアーンのように一次的なものではない
記事No6581
投稿日: 2013/07/28(Sun) 05:53
投稿者名無しムスリムさん   <al-nanashi@mail.xxx>
◯啓示以来1400年以上、預言者から教友たち、そしてそれ以降の世代に引き継がれて来たイスラーム学問の伝統とその遺産を否定する所謂「クルアーニーユーン」は、「United Submitters International」「Quran Only」「19ers」など、様々な団体名で知られる。

◯天使ジブリールによる啓示を受けたとする米国人で、神の使徒を自称するラシャード・ハリーファ(Rashad Khalifa)の設立した少数派新興宗教。

◯スンニー派・シーア派共に、それに従う者はカーフィル(不信仰者)という共通見解。


> http://quranvshadith.blogspot.jp/2012/01/does-islam-need-hadith-to-explain-quran.html?m=1

タイトルRe: ハディースは、あくまでも二次的なもので、クルアーンのように一次的なものではない
記事No6587
投稿日: 2013/07/29(Mon) 10:14
投稿者とくめい
名無しで正体不明な人が書いたもの、特にイスラム教に関する記事は、避けたほうが無難ですよ。誰でも何でも好きなこと書けますし、ことがアッラーの宗教だからこそ、情報源はしっかりしたところからでないと。ネット検索で何これ構わず読み当たる勉強の仕方は危険です。

The blogger: "I Have done my OWN research for the past 20 years... My findings are that HADITH are NOT ISLAM!! and are man made to minupilate and fool the masses and an attempt to change ISLAM into a misguided religion like all the rest!"
つまり、<<啓示以来1400年以上、預言者から教友たち、そしてそれ以降の世代に引き継がれて来たイスラーム学問の伝統とその遺産を否定する所謂「クルアーニーユーン」>>
つまり、<<スンニー派・シーア派共に、それに従う者はカーフィル(不信仰者)という共通見解>>

The blogger = NOT MUSLIM

Be aware!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


http://alifta.org/Search/ResultDetails.aspx?languagename=en&lang=en&view=result&fatwaNum=&FatwaNumID=&ID=1206&searchScope=14&SearchScopeLevels1=&SearchScopeLevels2=&highLight=1&SearchType=exact&SearchMoesar=false&bookID=&LeftVal=0&RightVal=0&simple=&SearchCriteria=allwords&PagePath=&siteSection=1&searchkeyword=115116097116117115032115117110110097104#firstKeyWordFound

http://islamqa.com/en/604

http://www.youtube.com/watch?v=1-2PUM2w_9g

タイトルRe^2: ハディースは、あくまでも二次的なもので、クルアーンのように一次的なものではない
記事No6588
投稿日: 2013/07/29(Mon) 10:17
投稿者とくめい
追加。

Great reading:
http://www.islamhouse.com/51809/en/en/books/The_Status_of_the_Sunnah_in_Islaam

タイトルスンナやハディースも大事。
記事No6594
投稿日: 2013/07/30(Tue) 06:38
投稿者ムスリム   <asgashya@yahoo.co.jp>
私が言っていることは、微妙で、誤解を招かれやすい部分があると思いますが、私は、スンナやハディースを全否定しているのではなくて、あるムスリムの間では、盲目的にスンナやハディースに重きが置かれていて、信仰というよりは、単に形骸化されたものに従っているだけにしか見えないということです。
学者が言っているから、先輩ムスリムが言っているから、なんとなく従っているようにしか見えないです。
ちょうど新薬聖書の中のパリサイ人そのものみたいな感じです。
ハラームなことを少しでもしたらダメムスリムで地獄に落ちるぞとか、ボーンムスリムは立派な人格者だとか言っているムスリムをよく見かけますが、そんなの、単にイスラム学者やモスクのコミュニティーに従っているだけとしか思えないです。
もはや、ハディース教ですね。

タイトルRe: スンナやハディースも大事。
記事No6871
投稿日: 2013/10/07(Mon) 23:13
投稿者匿名
> もはや、ハディース教ですね。

私もそう思います。
1番がクルアーンだと言っているだけにしかみえません。