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タイトル預言者様の誕生日について
記事No492
投稿日: 2008/03/20(Thu) 20:04
投稿者チャパティ
アッサラームアレイクム

早速ですが質問させてください。
昨日は預言者様の誕生日だそうですね。
その事を特別に祝うのはビドアだと聞いた事がありますが、本当ですか?
実際に礼拝所に集まったりしてお祝いしているところがあるそうなので気になりました。

その日にあわせて何か特別なイベントをするのはよいのでしょうか?

ご存知の方よろしくお願い致します。

タイトルRe: 預言者様の誕生日について
記事No493
投稿日: 2008/03/21(Fri) 22:53
投稿者うんむらふま   <ummu_rahmah@infoseek.jp>
ワアライクムッサラーム

少し調べてみました。

マウリド批判の議論:
五行の断食や巡礼と結びついた二つのイードとは異なり、12‐13世紀頃に歴史に登場したマウリドは、厳格主義的なウラマーなどから、非イスラーム的な異端的要素(ビドア)として告発されてその正統性が疑問に付され、時としてその廃絶が主張されてきた。実際、預言者のマウリドも、イスラーム世界に広がる過程で、その採否をめぐって深刻な法学的議論がたたかわされた。それを肯定する立場として知られているのが15世紀の後半に出されたスユーティーのファトワーであり、そのなかで彼はマウリドを、シャリーアで禁じられた行為を行わない限りにおいて、容認しうるビドア(ビドア・ハサナ)であると判断した。預言者や聖者のマウリドを祝うこと自体を認めながらも、それでもその機会に催されるさまざまな民族的儀礼や行事の一部が、正統な信仰から逸脱しがちであると警告してきたウラマーは多い。

マウリド[mawlid]:アラビア語で“誕生の場所・時”を意味するが、“聖誕祭”と訳される。マッカにあるムハンマドの生誕地を一種の聖域とし、訪問して祈る慣行はアッバース朝前期にはすでにみられたが、彼の誕生日(ヒジュラ暦第3月12日)を記念する預言者聖誕祭はファーティマ朝後期に始まったとされている。

イスラーム国では、祝日になっているようですね。




> アッサラームアレイクム
>
> 早速ですが質問させてください。
> 昨日は預言者様の誕生日だそうですね。
> その事を特別に祝うのはビドアだと聞いた事がありますが、本当ですか?
> 実際に礼拝所に集まったりしてお祝いしているところがあるそうなので気になりました。
>
> その日にあわせて何か特別なイベントをするのはよいのでしょうか?
>
> ご存知の方よろしくお願い致します。

タイトルRe^2: 預言者様の誕生日について
記事No494
投稿日: 2008/03/22(Sat) 05:04
投稿者チャパティ
うんむらふま様

ご回答有難うございました。

容認しうるビドア(ビドア・ハサナ)と言う言葉、初めて聞きました。

やっても罪にはならないが、それと一緒に正当な信仰から逸脱した行事も行われることがあるので、気をつけなければいけないということですね。

マウリドを祝う事はマクローフと言う事でしょうか?

タイトルRe^3: 預言者様の誕生日について
記事No495
投稿日: 2008/03/22(Sat) 09:49
投稿者ボーンムスリム
アッサラームアライクム

ビドアはすべて容認すべきではありません。
ビドア・ハサナ自体がビドアですよ。

預言者ムハンマドはマウリドを祝っておらず、その後の預言者の側近も祝っておりませんでした。
イスラムは既に完成で、預言者も教えるべきことを全部教えてくださいました。
しかし、マウリドが良い事という人がいれば、預言者はマウリドを教えておらず、教えるべきことを全部教えたということにもなります。
(←これはシーアにとって非常に喜ばしいことになります。)

ちなみに、マウリドを最初に行い、流行らせたのはシーアの人たちだそうです。

アッラーが我等に正しい道を導いてくださいますように心からお願い申し上げます。

> うんむらふま様
>
> ご回答有難うございました。
>
> 容認しうるビドア(ビドア・ハサナ)と言う言葉、初めて聞きました。
>
> やっても罪にはならないが、それと一緒に正当な信仰から逸脱した行事も行われることがあるので、気をつけなければいけないということですね。
>
> マウリドを祝う事はマクローフと言う事でしょうか?

タイトルRe^4: 預言者様の誕生日について(訂正)
記事No496
投稿日: 2008/03/22(Sat) 09:53
投稿者ボーンムスリム
前回の書き込みに間違いがありますので、訂正させていただきます。
ご注意ください。

間違い:しかし、マウリドが良い事という人がいれば、預言者はマウリドを教えておらず、教えるべきことを全部教えたということにもなります。

正しい:しかし、マウリドが良い事という人がいれば、預言者はマウリドを教えておらず、教えるべきことを全部教えたということにもなりません。

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アッサラームアライクム

ビドアはすべて容認すべきではありません。
ビドア・ハサナ自体がビドアですよ。

預言者ムハンマドはマウリドを祝っておらず、その後の預言者の側近も祝っておりませんでした。
イスラムは既に完成で、預言者も教えるべきことを全部教えてくださいました。
しかし、マウリドが良い事という人がいれば、預言者はマウリドを教えておらず、教えるべきことを全部教えたということにもなりません。
(←これはシーアにとって非常に喜ばしいことになります。)

ちなみに、マウリドを最初に行い、流行らせたのはシーアの人たちだそうです。

アッラーが我等に正しい道を導いてくださいますように心からお願い申し上げます。
> アッサラームアライクム
>
> ビドアはすべて容認すべきではありません。
> ビドア・ハサナ自体がビドアですよ。
>
> 預言者ムハンマドはマウリドを祝っておらず、その後の預言者の側近も祝っておりませんでした。
> イスラムは既に完成で、預言者も教えるべきことを全部教えてくださいました。
> しかし、マウリドが良い事という人がいれば、預言者はマウリドを教えておらず、教えるべきことを全部教えたということにもなります。
> (←これはシーアにとって非常に喜ばしいことになります。)
>
> ちなみに、マウリドを最初に行い、流行らせたのはシーアの人たちだそうです。
>
> アッラーが我等に正しい道を導いてくださいますように心からお願い申し上げます。
>
> > うんむらふま様
> >
> > ご回答有難うございました。
> >
> > 容認しうるビドア(ビドア・ハサナ)と言う言葉、初めて聞きました。
> >
> > やっても罪にはならないが、それと一緒に正当な信仰から逸脱した行事も行われることがあるので、気をつけなければいけないということですね。
> >
> > マウリドを祝う事はマクローフと言う事でしょうか?

タイトルこの掲示板はイスラムの掲示板
記事No497
投稿日: 2008/03/22(Sat) 13:14
投稿者あぶ管理人   <akira_hamanaka@yahoo.co.jp>
マウリドについては、法学派、シーアでも解釈が違うし、地域によってもさまざまです。単にマスジドでマウリドにちなんだ説教をするだけで終わるところもあれば、ちとせ飴ならぬマウリド飴をその時期に売って祭りのようになっているところもあれば、休日になるところもあるようです。
さて、ちょっと付け加えたいことは、この掲示板は『イスラム』の掲示板ですから、シーアに対して批判めいたことを書くのは控えましょう。この狭い日本ですから、同じムスリムであれば、少し考え方が違っても尊重しなければと思います。
同じ内容のことを書いても、書き方次第だと思います。その点をご了解ください。

タイトルRe^3: 預言者様の誕生日について
記事No498
投稿日: 2008/03/22(Sat) 15:06
投稿者うんむらふま   <ummu_rahmah@infoseek.jp>
アッサラームアライクム

また少々お話させてください。

ビドア[bid`a]:逸脱。イスラーム的に正しい道から逸れた考え方・行為・モノなどをさす。イスラーム的に正しい道・伝統をさし預言者ムハンマドの慣行であるスンナの対概念。ビドアには軽度のものから重度のものまであり、重度の場合は、異端とも訳しうる。ムハンマドの時代に存在しなかったものの使用や活用をすべて悪しきビドアとみなすかどうかについては、法学において議論があり、ハンバル学派およびワッハーブ派を除けば、必要な革新であり、いちがいに異端・逸脱とはいえないと考える立場が主流である。このような“良きビドア(ビドア・ハサナ)”の近年の例としては、アザーンの際にマイクを用いることなどがあげられる。また、法学における行為の五範疇(義務・推奨・許容・忌避・禁止)のいずれかに入るかは事例によると考えられており、ビドアがそのままイスラーム的に負の価値を表すわけではない。(『イスラーム辞典』より)
追記:ファーティマ朝後期の頃から、預言者の誕生日を祝う祭りが行われはじめた。最初は、参加者は政府高官や宗教者に限られていたようだが、“アイユーブ朝時代になると、スーフィー教団も積極的に参加するようになり、多数のムスリムを巻き込んだ民衆的祝祭の場になっていった。

以下はご参考までに:
預言者ムハンマドはヒジュラ10年(西暦624年)の最初で最後のハッジ(大巡礼)にアラファート平野の慈悲の丘から最後の歴史的な説教を行っている。この最後のハッジはハッジャトル・ウィダー(別れの巡礼)と呼ばれ、最後の説教はホトバトル・ウィダー(別れの説教)と呼ばれている。当時はマイクやスピーカーはなく、テレビもビデオもなかった。そこに集まったムスリムの大観衆に伝えるため、預言者の言葉はラビア・イブン・ウマイヤ・イブン・ハラーフによって文節ごとに大声で復唱された。
『人々よ、わが声を聴け!』は預言者ムハンマドの別れの説教を伝えるものであり、多くの国家や民族に分裂し混乱と緊張の極みにある今日の世界にあって、預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福あれ)の1463回目の誕生日に刊行された。
最後の部分の訳文から―預言者は人々にたずねた。「もし(アッラーに)私のことを問われたら、あなたがたはどう答えるか」。人々は答えた。「私たちは、あなたがメッセージを伝え、神託を完遂し、預言者の使命を遂行したことを証言します。あなたは私たちのすべてのことを完璧に善処なさいました」。

預言者ムハンマドの誕生日が“祝日”であることが問題というより、むしろどのように祝うかが重要な問題であることのようですね。
心静かに、「私は証言します。ただアッラーのほかに神はなく、アッラーには何人も並び立つ者がないことを。そして、ムハンマドはそのしもべにして御使いであることを。私は、アッラーを主として、ムハンマドを使徒として、そして、イスラームを宗教として、満足いたしました」(ムスリム『真正集』)と、私は祈りたいと思います。

長くなってしまいました、申し訳ありません。

タイトルRe^4: 預言者様の誕生日について
記事No499
投稿日: 2008/03/23(Sun) 02:07
投稿者シュクリ
アッサラームアライクム

 当方が学習させてもらっている非政府・非営利イスラム団体(Al−Hunafa)では、本日夕方、
外部から先生を招いて、マウリドにちなみ、預言者S.A.W.の功績に関する講義を聴講しました。講義後、皆 立位(車座)にて
称賛するスラワッを読みました。 11のスラワッはアラビア語のハード・コピーが配られました。

 スラワッ/Sallallah ala Muhammad sallallah alai wassallam..... 次のスラワッ/Sallallah ala Muhammad sallallah alai wassallam..... というように11スラワットの読みを繰り返し、(正確には唄う感じ)後、ドアで〆くくりました。
 それから、マグリブ集団礼拝を終え、会員(ブラザー・シスター)親睦お食事会という、いつもの運びでした。炊き込みバター(たぶんギィー)ご飯は、チョウジ、ナツメグ、アニスなど香りのパンチが効いていて、ヤギ・カレーとは絶妙でした。ちなみに、このコンビネーションでだけ、当方は緬山羊の肉が食べれます。

 以下、講義内容を紹介します。先生はDr.Ahmad(ボストン大電子工学博士号、現在国際イスラム大学で博士号取得に向け研究中)。

1.預言者S.A.W.は、いかに苦難な道のりであっても、また、どんなに精神的に打ちひしがれかけようが諦めることなく果敢なチャレンジ精神でダクワ(イスラム普及)を果たしていった。
2.当時、マスターとその所有の手にかかるもの(奴隷)という二層構造でマッカの社会が構成されていて、人間の平等というコンセプトを浸透させていこうなんていうのは、並大抵のことでなく、それをなし得た預言者S.A.W.の偉業が紹介された。
3.西欧でのシビライゼーションや民主主義こそが、正しい導きであるといえるでしょうか?! 人間に幸福への道をアル・キタブ(アル・クルアーン)をもって示し得た預言者S.A.W.の功績が紹介された。

 現代イスラム社会(多くのモスリム)に欠けているのは、
1.知識を積む努力、学ぶ姿勢および謙虚な態度が消失(結果的にこの3−5世紀で西欧にギャップをあけられてしまう。)
2.教育の重要性を十分理解できてない、
3.本来あるべき、リーダーや先駆者精神に対するイスラムの美徳が喪失
(単に言いなりや惰性でついて行くFollowerになってしまっていて、Leaderの実践が皆無になりつつある。)
4.上記3にあるよう、イスラムの美徳を失うだけでなく、西欧文化への
Followerになってしまっている現実(テイタラク)。
5.女性が以前はもっと強かった。1400年前、アブ・フライダ(?)が、海(ペルシャ湾か地中海か死海かは?)を誰か見に行く者は、おらんかといったのに対し、当時としては死覚悟の冒険に出ることに志願したのはなんと、たったひとりで、それは女性だったし、ご主人の理解で2人で冒険を果たした実績は多くのモスリム女性を勇気付けるものである。
6.上記5にまつわる話として、一人で担げないものも、二人で担ぐ。家族がいっしょなら、乗り越えられる。というのも、リスクを最低限にする知恵が特に女性の母性にあるから。男はすぐ極限だ、と諦めるが女性は、なかなか長期戦にも強いので、世界的にもっともっと大学や社会進出が今後一層進んでいくわけだから、西欧に溝をあけられないためにもイスラム諸国は一層の認識(女性重視)が必要。

 最後に、成功者の3つの条件として、
1.個人のイマンとイスラム(価値観やハラム皆無状態)が100%重なり合った状態を目指せ!(単なる表面的モスリムは成功者になる条件を鼻から 満たしてない。)そんな者はリーダーとしても失格。
    敬意と尊重する心をもった澱みのない強い信仰心をもて。
2.挑戦者たれ!果敢に臨んでいく精神で、解決策を模索するにも、知恵と技術を駆使して、子引出しをコネクトせよ。数学、物理、話術も含め、総動員されたし!
3.リーダーや一番(先駆者・先人)を目指せ!これはイスラムの精神である。

 マインド・セットはPositivism! ドミナントたれ!(影響を及ぼす者となれ。)流されて主張をもたないYesマンはイスラムではいただけません。

Amin ya Arhama Rrahimeen!

タイトルRe^5: 預言者様の誕生日について
記事No500
投稿日: 2008/03/23(Sun) 20:28
投稿者チャパティ
アッサラームアライクム ワラフマトゥッラーヒ ワバラカートゥフ

ご回答くださった皆様、大変勉強になりました。有難うございました。
また私の質問でお気を悪くされた方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。