この結婚話は入信のチャンスです!
が、性急に決めてしまって後悔するのは困りますから、期限を設けてその間じっくり考えたりするといいと思います。期限が来て結論が出なければ、残念ですが、諦めます。
過去に男性と恋愛した経験があり、まだ若い方でしたら、まだ結婚のチャンスは訪れます。
私は地獄怖さ、天災への恐れから入信した単純な人間ですが、繰り返し大地が揺れたとき、心にずしっと来る物がありました。あれが神からの招きだったと思っています。
上に書いたこととは違いますが、あなた様がイスラム教徒の多い国に住めば、自然とイスラムを受け入れるという気もします。
あと、すみません。もしその方が肉体的接触や性交渉を求めてきたなら、それは真面目なムスリムではないですから、結婚はやめたほうがいいと思います。
でも最後にお決めになるのはあなた様です。秀才で頭のいいかただと思いますので、きっと最良の結論を出すことがおできになると思います。
では。^^
> アッサラーム アライクム
>
> はじめまして。Ayaと申します。
> イスラームへの改宗について考えている者です。
> こちらの掲示板は以前から拝見しておりました。
> 改宗について悩んでいることがあり、皆さまのアドバイスをいただけたらと思って投稿することにしました。
>
> 以下は長くなりますが、よろしければお付き合いください。
>
> 私のもともとの宗教は、無宗教のようなものです。
> 他の多くの日本人と同じように、神社にもお寺にも行き、神道や仏教の冠婚葬祭にも出席してきましたが、
> だからといって、阿弥陀如来や観音菩薩が実際に存在すると思っているわけではありませんし、
> 天皇家の皆さんが天照大神の子孫だと思っているわけでもありません。
>
> そんな私が、大学で中東地域を専攻したことをきっかけに、1年程、あるアラブの国に留学する機会を得ました。
> 現地の人々の率直さやおおらかさ、社会のキャパシティーの広さが大好きになり、
> その国を第二の故郷と感じるようになりました。
> そしてそこでの生活の中で、あるムスリムの男性と親しくなり、交際を始めました。
>
> 私にもともと、男女交際は結婚を前提にするもの、という価値観があったこともあり、
> 私と彼は自然と結婚について考えるようになりました。
> そして私たちは、「これからも交際を続けていく意味はあるのか」
> つまり「最終的に結婚できる可能性はあるのか」ということは、
> 「私はムスリマになれるのか」ということにかかっているという結論に達しました。
>
> それはつまり、「イスラームの教えを信じることができるのか」ということだと考えています。
>
> それが私にとって一番大きな悩みです。
> 私には、「信じる」ということがどういうことなのか、分からないのです。
> 私の頭や心がどういう状態になれば、それを「信じている」と言えるのか、分からないのです。
>
> ムスリムであるためには最低限、六つの信と五つの行が必要であると理解しています。
> 「行」のほうは、努力次第で何とか実践できるのではないかと思っているんです。
> 実際、留学中のラマダーンは皆と一緒に断食していましたし、
> 現在(五行ではありませんが)練習として、豚を食べることや飲酒を、自分なりの基準で避けて生活しています。
> ただ、神・天使・啓典・使徒・来世・定命の「信」は、どうすれば信じることができるのか分からないのです。
> もともと私は、「この世界には、何か人知を超えた大きな力のようなものがある気がする」という感覚をぼんやり持っています。
> そういう意味で言えば、私は「神」を数割程度は信じていると言えるのかもしれません。
> でも、たとえばこれこれこういう天使がいるというのは事実か、とか、その天使が預言者ムハンマドに神の言葉を伝えたというのは事実か、とか、
> 死後に来世があるというのは事実か、とか、そういったことは、私は確認していないので知りません。
> ぼんやりとした感覚も、今のところ持っていません。
>
> こんな私がムスリマになれるんでしょうか。
>
> ボーンムスリムの友人の何人かは、
> 「僕も幼い頃は何も分からず実践してた。とりあえず入信して、実践しているうちにわかってくることもあると思うよ」
> と言います。
> また何人かは、「入信するなら、ちゃんと確信が持ててから入信するべきだと思うよ」と言います。
> 私としては、「入信して実践するうちにわかる」という話も一理あると思う一方で、
> 100%絶対にそうだと確信していないうちから、シャハーダのあの言葉を述べることは、虚偽であり、失礼なことなのではないかという心配が強くあります。
> 確信するということは、何らかの判断の根拠があって、「そうに違いない」と思える状態だと思います。
> 私にはイスラームの教義を「きっとそうだ」と言いきる根拠も、「ありえない」と言いきる根拠もないのです。
> クルアーンの読誦を聞いても、手に持ってページをめくっても、モスクに足を踏み入れても、
> 何かすごく特別な感情がわいてきたり、心にビビッときたりしないのです。
>
> ムスリム・ムスリマの皆さんは、どうして確信を持つことができたのですか?
> また、どうすれば私も確信を持つことができると思いますか?
>
> 長文・乱文、失礼いたしました。
> アドバイス、知識のご教示、勘違いの訂正、お叱り、何でもかまいませんので、教えていただけると幸いです。
> よろしくお願いいたします。