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タイトル「アーミーン」について。
記事No466
投稿日: 2008/03/14(Fri) 20:19
投稿者Divane
こんにちは。

先月中国東北部にてムスリム用の小冊子を購入して参ったのですが、
その中に「アーミーン」に関して、以下の様な記述が御座いまして。
曰く、「此の句は4字であり、4人の聖人を指している。aはアーダム聖人、mは預言者ムハンマド聖人、yはヤフヤー聖人、nはヌーフ聖人である。この4字を礼拝の際敬虔に唱えた時は、主が4聖人の位階〔?:原語は「品級」〕を与えて下さる」云々と。

何分この様な字義の解釈には全くの門外漢の身故、
この記述が如何なる典拠に基き、どれほど「一般的」な解釈なのか、正直見当が着きかねております。
若し何か御存知の方がいらっしゃるようですならば、御教示頂けると幸甚です。

宜しくお願い致します。

タイトルRe: 「アーミーン」について。
記事No467
投稿日: 2008/03/14(Fri) 22:05
投稿者伊曼
アーミーンは、「(私たちの祈りを)かなえたまえ」という、命令動詞の意味を持つ名詞であると習いました。

4人の聖人・・という話は一度も聞いたことがありません。

お役に立てずにすみません。

タイトルRe^2: 「アーミーン」について。
記事No471
投稿日: 2008/03/15(Sat) 11:02
投稿者Divane
伊曼さま

御教示有難うございます。
私もお教え頂いた様に理解しておりましたので、
当該書の説明を読むに至って「?」となりまして…。

「4聖人」云々の解釈は、余り「一般的」ではないのでしょうね。

タイトルRe: 「アーミーン」について。
記事No472
投稿日: 2008/03/15(Sat) 11:16
投稿者Memon   <memon3@hotmail.com>
こんにちは。

「アーミーン」に関して、4人の聖人説ははじめて聞きました。私はボーンムスリムですが、今までこんなことが聞いたことはありません。

それに、4文字ということ自体がおかしいです。
そもそも、「amen」というスペルが一般的にキリスト教徒達が使っていると思います。イスラム世界ではアラビア語発音「アーミーン」から英語で書くとき「aameen」が一般的だと思います。

つまり、4人の聖人説はキリスト教徒達にはあるかもしれないが、イスラム世界ではなさそうです。

メイモン

タイトルRe^2: 「アーミーン」について。
記事No488
投稿日: 2008/03/17(Mon) 11:50
投稿者Divane   <tajejam@hotmail.com>
Memonさま

コメント頂き有難うございます。
アーミーンのラテン文字つづりの御教示、勉強になりました。

私が読んだ本は中国の本ですので、
転写には「阿米乃」と漢字を使っていました。
言葉の表記1つとっても、所変われば何とやら、ですね(笑)

タイトルRe: 「アーミーン」について。
記事No480
投稿日: 2008/03/16(Sun) 01:35
投稿者うんむらふま   <ummu_rahmah@infoseek.jp>
突然失礼致します。
少しお話させてください。

手持ちの書籍で、少し調べてみました。
ご判読願えれば幸いです。

アラビア語アーミーンの語根である‘‐m‐nは、セム系の言語において“確かな”という基本的な意味をもち、ユダヤ教、キリスト教も同じ語根から派生したアーメーン、アーメンという言葉をそれぞれ儀礼に用いる。“しかり”“かくあるべし”を意味し、同意の応答を示す表現。アーミーンの言葉は、おもにクルアーン第1章であるファーティハ章の読誦の後に述べられる。金曜日の集団礼拝では、イマームがファーティハ章を読誦し、他の礼拝者はこれを聞くのみであるが、その読誦直後に全員で同時にアーミーンと述べ、ファーティハ章の内容への同意の応答を表現する。この言葉は一斉に述べられることでムスリムの共同体の統一性を表現しているともいえる。

キリスト教会では、「祈り」のあとに「アーメン」と唱和するが、これは「そうです、そのとおりです」という強い肯定、同意を表す言葉である。他の人が祈った「祈り」に、「アーメン」と唱和することは、その人の「祈り」に同意し、「ぜひ聞いてください」と自分も共に神に祈ることになる。

ユダヤ教のシナゴーグで捧げられるリタージュ(吟唱祈祷)は次のようなしめくくりの祈り「カデーシュ」で終わる。「願わくは、神の偉大な御名が、神の御旨によって造られたこの世界であがめられんことを。願わくは、神の国が、汝の生涯に、汝の日々の生活に、(略)、速やかに来たらんことを。然り、アーメンと唱えよ。」

今日のイラク南部、ティグリス・ユーフラテス両河およびイラン西部、カールーン・ディズ両河の河岸の指定地区に居住するサービ教徒は、現地ではメンド(マンデ教徒)と呼ばれているが、正式にはサービ教徒(サービウーナ)と名づけられている。サービ教という名は『コーラン』(5・69ほか)に出てくるサービア人(サービ教徒)に由来するが、『コーラン』のサービア人(複数形でサービウーナ)というのは何をさすか、古来論争の的であった。南イラクのマンデ語(アラム語の一派)を話す人たちは、隣人であるアラブ人によりスッバ(洗礼を行なう者)と呼ばれており、『コーラン』のサービア人はこれと同じと考えられるようになった。古代ユダヤ‐キリスト教、グノーシス派の伝統を継承し、洗礼を重視することから、近世になりこの人たちは「バプテスマ(洗礼者)のヨハネ」の後裔と思われて注目を浴びたが、これは認識されていない。マンデ語・マンデ人という呼称は、サービ教徒が保持する経典にしばしば使われているマンダ(秘密の知識)から出ている。

ノアの箱舟の洪水は、人類の罪に対する刑罰であり、その裁きから救いをもたらすものはノアの無垢な信仰心だけであるとされ、ノアの信仰心は擬似的な洪水体験としてバプテスマの儀式へと発展した。バプテスマ(浸す)は、水に体を浸し清めをなす洗礼儀式であるが、後期ユダヤ教では、異邦人がユダヤ教に改宗する時にこの儀式が行なわれたとある。

アーミーンは、アラビア語で書くと、I(アリフ)・m(ミーム)・y(ヤー)・n(ヌーン)ですが…お話いただいたこれらは神秘主義の思想を反映しているように思われますが、いかがでしょうか?

専門外で極めて私的考察を申し上げましたが、とても興味深く本に夢中になる時が持てて、とても楽しかったです!お礼申し上げます。

もっと、歴史的な背景を学ぶ必要がありそうです。

タイトルRe^2: 「アーミーン」について。
記事No489
投稿日: 2008/03/17(Mon) 11:57
投稿者Divane   <tajejam@hotmail.com>
うんむらふまさま

懇切丁寧な御教示、いたみいります。
本当に勉強になりました。

当該書の記述が神秘主義の思想の反映を受けているのでは、
というお考えですが、
中国のイスラーム哲学がもともと神秘主義の影響を少なからず被っていることを思えば、
確かにそうかもしれません。

いい機会ですので、もう少しだけ自分でも調べてみようと思います。
有難うございました。