いつもムスリムの人にイスラムでは改宗を強制しないって聞かされてたんですが、オトラントの戦いの話を聞いてびっくりしました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/オトラントの戦い
1480年7月28日、70〜200隻のオスマン艦隊がイタリアのアプリア地方(現プッリャ州)にあるオトラントの町の付近に到着した。おそらくこれらの軍はロードス島包囲戦から転進してきたと思われる。7月29日に守備兵と住民はオトラント城の城塞に退却したが、この城塞には大砲が一門もなかった。8月11日に城塞の城壁は大砲に破られて守備兵は殺されてしまった。
男性市民を集めて奴隷にする略奪が行なわれた。ステファノ・アグリコリ大主教らは大聖堂で殺され、ステフェン・ペンディネッリ司教と守備隊の指揮官フランチェスコ・ラルゴ伯爵は生きたままのこぎりで両断された。8月12日にはイスラームへの改宗を拒んだ800人の市民がミネルヴァの丘(今日では殉教の丘と呼ばれる)で斬首され、大聖堂は馬小屋のひとつとして使われた。アルバニアへ奴隷として送られた市民もいた。
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