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タイトルバッシング?
記事No1408
投稿日: 2009/03/30(Mon) 12:32
投稿者Memon   <memon3@hotmail.com>
アッサラーム・アライクム

本日、この掲示板に私の投稿についてNさんという方から私のメールアドレスに直接メールを頂きました。本人によると;
> 真面目に投稿させていただいたのにも関わらずmemonさんにバッシングされかなりきつく批判された事から最近は投稿していません
具体的にいつ私のどんな投稿がバッシングと思われたか判りませんので、弁解の使用がありませんが、私も「真面目」に書いているつもりです。それにも関わらずバッシングと思われたなら謝罪します。
Nさんのメールに最近の具体的な例も一つありました。
> 数日前にサラさんという女性の文章を読みまして彼女が善意で接して助言しているにも関わらずmemonnさんは相手をきつく批判しています。
それは「悩める妻」さんのご相談に対して「サラ」さんのご提案に私が反対意見を書いたことにをさしていると思います。
サラさんだけでなく、私も、ここに意見を書く人みんなが「善意」でかいています。誰も最初から悪気はないだろうと私は信じます。でも善意で書いても人それぞれの意見ですから他の人から見て「それは違うよ」と思う場合もありますね。
私も善意で自分の真面目な意見を書いているのにも関わらず、それはNさんが「バッシング」だ思ったのですね。
サラさんも善意でご提案されたと思いますが、私の人生経験から見て、それは逆効果がある可能性が高いと思ったのでそのように発言させて頂きました。相談者は誰の意見を取るのかは自由ですが、みんな自分なりに相談に対して意見を出すのですね。それが掲示板の本来の目的じゃないでしょうか。

Nさんからのメールは直接私のアドレスあてでしたので、直接返事して弁解しようと思ったのですが、Nさんはメールの最後にこう書かれています。
> 私への返事は無用です。
> このメールを境に即メールアドレスを変更しますので今後は掲示板利用の時に注意していただけましたら幸いです。
自分が言いたいことを一方的に言って、返事を聞かないこの態度こそが「バッシング」じゃないでしょうか。

タイトルRe: バッシング?
記事No1410
投稿日: 2009/03/30(Mon) 18:48
投稿者layla
アッサラームアレイクム

Memonさん、アッラーがすべてをご覧になっているので気にしなくていいと思います。

私も過激な知人に色々言われた経験があります。
うーん。と思いました。

その知人や、このNさんのような方への「ムスリムとしての正しい対応の仕方」とは一体何か、と悩んだのです。

未だにはっきりわかりません。
わからないうちは黙っていようと思い、まだ何もしていません。
知人の心がやわらかくなるようにドゥアーしているだけです。

Memonさん、どう思われますか?

ワッサラーム

タイトルRe: バッシング?
記事No1415
投稿日: 2009/03/31(Tue) 09:51
投稿者ブルべスのアイシャ
アッサラーム アライクム

最近、メールでのダワーは難しいな、とよく思います。どうしても
文章は人によって(あるいは読んだ時の精神状態によって)
受け取り方が変わってくると思います。

某サイトでムスリムとある罪を犯そうとしている非ムスリムが
いましたので、「それは、ムスリムにとって罪です。
考え直して下さい、悪意で書いているのではありません」
とレスをつけましたら「あなたみたいな人(ムスリム)がいるので
イスラム教は嫌われる」と非ムスリムから返事がありました。
かなりへこみましたが、
預言者SAWはダワーの際殺されかけた事もあると思ったら
小さい悩みだな、と気持ちを切り替えられました。

人の心を変えるのは私。ではなくやっぱり
アッラーなんですよね。
やっぱりアッラーは、すごいです。

ワッサラーム

(独り言感覚で書きましたので
気に障る方がいらっしゃいましたらごめんなさい。)

タイトルRe^2: バッシング?
記事No1421
投稿日: 2009/03/31(Tue) 17:31
投稿者うんむらふま   <ummu_rahmah@infoseek.jp>
アッサラームアライクム

横から失礼いたします。

昨日、近くのスーパーで買い物をしていた時のこと

知らない中年女性(私と同じ位かも…)から、突然、声を掛けられました。
質問は矢継ぎ早で、「日本人なの?」「イスラム教徒でしょ?!」「どうしてイスラム教徒になったの?」「あっ、ご主人がイスラム教徒の人?」「他にもたくさん居るの、ここに?」「どこでお祈りするの?」「どうして…どうしてなの…」などなど。

主人が車で迎えに来てくれることになっていたので、こちらも少々急いでおりました。

何からお答えしていいか、「もちろん、日本人です!(日本語を聞いての通りですから)」「主人は日本人ですが…ええっと、もちろんイスラム教徒です」「モスク、あっと、お祈りするところはありますよ」「モスクは私の家ですが、この近くです」「沢山とは言えませんが、いますよ」などなど(トホホ……)

突然の不意打ちに、面喰いました!

いつでもどんな質問にも誠意をもって答えなければと思っていたのに…
ああ私は相手の気持ちにうまく答えることができたのだろうか…
果たして誤解なく分かって貰えただろうか…

「ごめんなさい、突然聞いたりして」
「いいえ、こちこそ。訊ねてくれてありがとうございました」

こんな触れ合いですが、これもダーワの一歩かな?などと思った次第です。

「どうしてイスラム教徒になったのか」という質問の答えは―「神の導きによるものです」
この一言に尽きるということを今度お会いしたらお話したいと思います。

分かり合えるということは、相手の善意に期待するところも大なのではないか、と。
さらに、それは私がそうさせたのではなく、すべて神の取り計らいであるということの証しでもあるのだ、と。
私は、そう思います。

同胞の皆様の上に 神の祝福と平安がありますように

タイトル成長
記事No1416
投稿日: 2009/03/31(Tue) 11:05
投稿者くるみ
    『神様は、慈悲遍く慈悲深い御方』

もし、神様のこの性質を真に理解し、感じていれば、世界中の人が読もうとうと思えば読めるこの掲示板にて、名前を公表し、その人の名誉を傷つける行為は出来ないはずです。

熱心なムスリムであれば、一日のうちに30回以上は『神様は慈悲遍く慈悲深い御方』と、呪文のように唱えているはずです。

もし、自分の子供が親に向かって自分の感じた気持ちを率直に言ったとします。それが、親の意図したことと違い、ただの不平不満やわがままに聞こえたとします。それを、外部の人に言いふらしますか?自分の夫がやった事、言った事が不平不満やわがままに聞こえたしたら、それを外部の人たちに直ぐに公表しますか?

その人が、そう感じたとしたら、私たちはその人たちの気持ちを大切にしなければならないように思います。そして、相手をそのように不快な気持ちにさせたことがあったとしたら、私たちは、自分のどんなことが相手を不快にさせたのか反省し、悔悟しなければなりません。

それが、人間の成長と言うものではないでしょうか?

自称「神の帰依者」で、「自分は結構信仰深い者で、神から愛されているはずだ」と言う自惚れと高慢が自覚無しにある場合、真に悔悟することはありません。表面的な反省で終わります。

ムスリム、クリスチャン、ユダヤ教徒、仏教徒、、、、、全ての人間に共通することです。

ムスリムではない人たちが、「イスラム掲示板」の中で、悪口が実名で公表されているのを見てどのように感じるでしょうか?

また、「ムスリム」と称する人たちが見ても、、、、、。


『神様は、慈悲遍く慈悲深い御方』

神様は、無限に御許し下さいます。

『神様は、慈悲遍く慈悲深い御方』

神様の慈悲が、真に理解されていれば、寛容であり怒らず人の悪を思わないよう、気をつけるかと思います。



参照;  

「そしる」の意味
   他人を悪く言うこと。貶(けな)す 腐す 難じる 棚(たな)下ろしする 中傷 非難 非   議 悪口 雑言 誹謗(ひぼう) 誹譏(ひき) 讒言(ざんげん) 讒謗 譏謗

「中傷」とは、悪口。他人の名誉を傷つけること。

「悪口」とは、他人を悪く言うこと。また、その言葉。あっこう。

タイトルRe: バッシング?
記事No1420
投稿日: 2009/03/31(Tue) 16:45
投稿者SULTHONI   <otani_shin@yahoo.co.jp>
Assalamu'alaikum wr wb

ご参考になるか分りませんが・・・

我々は一般信者です。しかし、一般信者でも高い所にいくと風当たりが強くなります。信仰が強くなればなるほど高い位置に行きます。そして風当たりが強くなり試練も重くなります。

高慢さには気をつけたいものです。しかし、愚かな人間はシャイターンの誘いで故意および故意でない高慢になるとこもしばしばです。

その社会で周りと違うものは注目されます。日本ではイスラム教徒はまだ非常に少ないので皆さんは注目されています、イスラム教徒の代表者として見られています。皆さんの言動が直接的にイスラム教の評価になることを知るべきです。「まだ駆け出しでイスラム教徒の代表なんかではありません」と言っても通用しません。他社へ出張する社員は会社の代表として仕事をしますし相手側もそう対応しますので、それと同じことなのです。

自分は東南アジアのイスラム圏に住んでいますが、ここには日本人のイスラム教徒は非常に少ないので自分はここの国の人たち(主にイスラム教徒)やここの日本人(イスラムでない人)から注目されていると思います。ですから、うかつな言動はできないと言うプレッシャーがありますが、それでもDosaはしょっちゅうです。しかし、間違いあれば都度お赦し貰い、修正して行けば良いと気楽に考えてはいます、一般信者なのですから。

他教徒の日本人から日本人イスラム教徒の嫌な印象を聞いたことがあります。
日本人イスラムの集会にその日本人が体験参加した時のこと、ある日本人女性がその体験者に対して、「ALLAHを信じないなんて可愛そうね」と発言したそうです。その言葉に怒り狂い、イスラム教徒は何と高慢なのだ、二度とその集会には参加しないと思ったとのことです。
イスラム教徒同士の会話では正論でなんてことないのですが、根本的思想が違う人には、正論が正論ではなくなることを理解しなければイスラムへの誤解を作ってしまう例だと思います。

それと、「イスラムの教えは・・・しなければならない」という場合も、その状況により解決までの段階を考えなければならないと思います。正論正論で押していくと逆効果のケースもあるでしょう。
例えば、異教徒との結婚に関して、「イスラム同士でなければ結婚できない」は正論ですが、世の中そんなにぴったり当てはまるケースが全てではありませんので、何年後か先の解決を頭に置きながらも、現状の流れに任せてしまう場合もあると思います。それも運命だと思います。

関係ない話になったかも知れませんが、ALLAH(SWT)の前で実践する信仰を常に思い出しならが日常生活を送れますよう、Amin。

Wassalam

タイトル参考になります。
記事No1434
投稿日: 2009/04/03(Fri) 01:16
投稿者ブルべスのアイシャ
アッサラーム アライクム

自分にあてられたものかわかりませんが
皆さんのご意見とても参考になりました。
ありがとうございました。
(memonさま、横からすみません)
 
ヒダヤって本当に難しいですね。
時々家族にすこしずつダワーするのですが、
理屈っぽい。と言われました。
(自分でも言っていて思ったのですが。)

アッラーにドゥアーするのみです。

ワッサラーム