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タイトルイスラムへの否定的な疑問
記事No1055
投稿日: 2008/11/22(Sat) 13:23
投稿者L.
結婚を機にイスラムに出会い、心から信じることはできなかったものの、否定することもできず、ひとまずやっていこうと思って15年。
今では子供にも恵まれ、私自身もヒジャーブをつけて生活するようになりました。
しかし、15年の間、一度もアッラーの存在を心から確信したことはありません。
哲学としてすばらしい教えであることに感動はしますが、アッラーや、クルアーン、預言者などの逸話や天使、来世の存在、などの信仰の核心となるものの存在を感じることができません。
決して周りへのアピールではなく、ひとまず疑問は横においておいて実践していれば信仰は後からついてくると思って、自分にできることはやってきたつもりです。

自分を欺き続けて15年。 

このところイスラムへの否定的な疑問が次々にわいてきて止まりません。
勉強会にも参加し、夫へもほんの少しほのめかしたりしました。
皆さん優しく返事してくださるのですが、その返事がアッラーが存在し、イスラムが正しい宗教であることが前提の返事なので、今の私にはあまり意味がありません。
夫はもともとムスリムですから私が疑問を持つことに激昂し、話になりません。

いつまで疑問を横において、自分を欺き続ければいいのか。

いまさら夫にはイスラムを信じられないなどとは言い出せない。
15年一生懸命やってみてまだ信じることができない、それどころか否定的な感情すら抱いてしまうようになったものに、どう接したらいいのか。

こんな風に出口のない状態でいるのに疲れました。
心から信じられるようになりたい。と思う気持ちと、信じられないのなら自由になりたい。という気持ちの間で葛藤しています。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1058
投稿日: 2008/11/22(Sat) 20:05
投稿者so
> 哲学としてすばらしい教えであることに感動はしますが、アッラーや、クルアーン、預言者などの逸話や天使、来世の存在、などの信仰の核心となるものの存在を感じることができません。

クルアーンには、科学的事実の証拠などがあります。
それらは、イスラームガイドなどのサイトで解説されてあります。

来世に関しては、論理上の問題といえます。
常識的に考えて、無犯罪な世界が存在することはない。
死刑等の刑罰でも納得するのが困難である重罪がある。
人間はどうしても法で処理できない多くの個人的過ちを犯す。

最後の審判の存在を否定するということは「妥協し、不完全な清算しか求めない」というような思想になるといえるでしょう。

それとも「アッラーの存在を感じない」というのが人生等における不満からきているのでしょうか?

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1059
投稿日: 2008/11/22(Sat) 22:00
投稿者Salam   <spiderwort77@hotmail.com>
> 結婚を機にイスラムに出会い、心から信じることはできなかったものの、否定することもできず、ひとまずやっていこうと思って15年。
> 今では子供にも恵まれ、私自身もヒジャーブをつけて生活するようになりました。
> しかし、15年の間、一度もアッラーの存在を心から確信したことはありません。
> 哲学としてすばらしい教えであることに感動はしますが、アッラーや、クルアーン、預言者などの逸話や天使、来世の存在、などの信仰の核心となるものの存在を感じることができません。
> 決して周りへのアピールではなく、ひとまず疑問は横においておいて実践していれば信仰は後からついてくると思って、自分にできることはやってきたつもりです。
ーーー>イスラムの基礎はお勉強されましたか?基礎といっても礼拝の仕方を習うとか、洗浄の仕方を習うとかそのレベルではありません。イスラムの基礎とはモスリムとして知っておかなければならない事項を身につけるということです。礼拝も正しい方法でしないと意味がありませんが、それ以前に信仰の仕方が間違っていればどれだけ礼拝をしても意味を持ちません。

>
> 自分を欺き続けて15年。 
ーーー>この表現からあなたの信仰は正しいものとは思えませんので、まずここから正す必要があるかと思います。信仰とは正しいかな、正しくないかな、と疑問に思っている時点で信仰していないことと変わりません。別のレスでアッラーの性質を貼付けましたので、それに一度目を通していただけますでしょうか。そこに信仰の基本がかかれています。
>
> このところイスラムへの否定的な疑問が次々にわいてきて止まりません。
ーーー>具体的にどのような否定的な疑問かご紹介していただけないでしょうか。私たちのわかる限りでそれを回答したいと思います。わからないことがあれば知っている人に聞くのが一番です。これだけのモスリムが集まるこの掲示板ですので、きっとどなたか適正な回答をすることができるのではないでしょうか。

> 勉強会にも参加し、夫へもほんの少しほのめかしたりしました。
> 皆さん優しく返事してくださるのですが、その返事がアッラーが存在し、イスラムが正しい宗教であることが前提の返事なので、今の私にはあまり意味がありません。
ーーー>旦那様の姿勢もよくわかります。むしろモスリムであれば当然の態度ではあるのですが、一番近くにいる人に問題を理解してもらえないことほどつらいことはないですよね。問題を噛み砕いてお話してみてはいかがでしょうか。

> 夫はもともとムスリムですから私が疑問を持つことに激昂し、話になりません。
>
> いつまで疑問を横において、自分を欺き続ければいいのか。
ーーー>あなたの場合信仰がないのではなく、向上しないことに疑問を抱いているように思います。私の意見では信仰を高めるには学習のみ、だと思っております。学習することでイスラムの善し悪しがはっきり見えるようになります。そしてアッラーの存在の意味が理解できるようになるかと思います。その証拠にあなたが今生きていること、子供にも恵まれたことなど日常を見渡してもその証拠はそこら中に転がっています。メディアや余計な情報によってイスラムに疑問を抱く前に、それらを疑問視してはいかがでしょうか。地球があり、人間があることを例にとって考えるのも一つです。何がどう縁あってあなたと旦那様が出会い、その間に子供ができたのかを考える、運命について考える、ヒジャーブをかぶる意味を考える、礼拝する理由を考える。そこら中に考える要素はあります。それを考え抜けるかできないか、そこにアッラーのすごさを見いだせるかできないか。アッラーとはアッラーという名の神ではなく、唯一絶対の神、創造者であることをまず学習し、知ること。そして信じること。
>
> いまさら夫にはイスラムを信じられないなどとは言い出せない。
> 15年一生懸命やってみてまだ信じることができない、それどころか否定的な感情すら抱いてしまうようになったものに、どう接したらいいのか。
ーーー>シェイターンは人間を最後の日がくるまで惑わします。
>
> こんな風に出口のない状態でいるのに疲れました。
> 心から信じられるようになりたい。と思う気持ちと、信じられないのなら自由になりたい。という気持ちの間で葛藤しています。
ーーー>まずアッラーの存在を理解し、信じること。それには学習することはもちろん、アッラーにドウアすることもできます。あなたの信仰を高めてほしいとアッラーにお願いしてください。アッラーはこのすばらしい創造物を作った創造者ですので、あなたの信仰を高めることぐらい容易くできます。しかし、その創造者に背を向けるということは創造物として最悪の行為であることももちろんご存知かと思いますので、それだけはどうかなさらないでください。インシャアッラー、あなたの前が開けますように、あなたの信仰があついものになりますように。アーミン。
最後に、アッラーの存在が理解できて、信じることができるようになったとき。声に出して、アシュハドアッラーイラーハ一ラッラー、アシュハドアンナモハンメドワラッスールッラー、を告白してください。(念のためですが。)
Salam

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1060
投稿日: 2008/11/22(Sat) 22:54
投稿者so
> 勉強会にも参加し、夫へもほんの少しほのめかしたりしました。
> 皆さん優しく返事してくださるのですが、その返事がアッラーが存在し、イスラムが正しい宗教であることが前提の返事なので、今の私にはあまり意味がありません。

勉強会に納得されないのでしたら、イスラームガイドだけでは、不十分と思われますので、権威のあるサイトを紹介しておきます。

islamic research foundationとgoogleで検索して、Comparative Religionの中からAtheismを選んでください。

そこにあるExistence of Allahを読んだり、Download Areaを読めば、それなりの結論がでるはずです。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1062
投稿日: 2008/11/23(Sun) 12:07
投稿者L.
みなさんお返事ありがとうございます。

・・・。

という気持ちです。

じっくりお話しなければ私の状態をわかっていただくのは無理なのですが、どうしようもない気持ちで投稿しました。

イスラム的にすべての質問に正しい答えがあるのはわかっているのですが、すべてが「物は言い様、考え様」だと思えてしまうのです。

知識が増えれば増えるほど、懐疑的になっていく自分に情けなさを感じます。

疑問の例としては、

アッラーのなさることすべてには良い意思があり、どんなことにも感謝するべきだ。

この世界にはそんな事いっていられないくらい非常にひどい目にあっている人が山ほどいます。 そんな目にあってる人にそのことに感謝しろ。と言っているのですよね。
身近な例としては、威圧的、否定的、暴力的な夫を持ってしまったために辛い思いをしている妻。 そんな夫とめぐり合わせていただけたことをアッラーに感謝しなければならないのですよね。
数年前、高校の同級生が大変ひどい事件にあい、命を落としました。 そのことにすら良い意味しかなく、彼女の母親は自分の娘が殺されたことに感謝しなければならないのですよね。

アッラーは母親が子を愛するその1000倍以上も彼の被造物である人間を愛している。

それなのに、間違いを犯したからといって、死後、想像を絶するひどい世界(地獄)へ人間を入れてしまうのですよね。 更生の目的で刑務所に入れたり罰を与えたりするなら私も理解できますが、もうやり直すチャンスもないのに地獄へ入れるのって、いったい何の目的があってのことでしょうか。 脅しでしょうか。 私は我が子が間違いを犯したからといって、火の中に投げ入れようとは思えません。 まして、すべての清算が終わってしまい、再挑戦の場が無いのならなおさらです。

イスラムを信仰されて清く美しく生きていられる方をとても尊敬します。

ただ、それが真理であるかというと私には確信がもてないのです。

不愉快なことを書いてしまい申し訳ありません。

タイトルRe^2: イスラムへの否定的な疑問
記事No1064
投稿日: 2008/11/23(Sun) 20:25
投稿者あぶ
いつ信仰持つかは、人それぞれ違います。
アッラーがなかなか心を開いて(信仰を持たせて)くれないこともあります。

瞬時に信仰を持ち入信する人もおれば、あなたのように何年もそのような状態の人もいるでしょう。
あせらなくてもいいですよ。
死が迫るまでに信仰が沸いてくればいいのではないでしょうか。

私は、入信後、学んでも学んでも信仰に辿り着けず、5年以上たってやっとアッラーの存在を感じとりました。そのきっかけは、たあいのないことだったと記憶してます。

タイトルRe^3: イスラムへの否定的な疑問
記事No1071
投稿日: 2008/11/24(Mon) 19:07
投稿者あぶ管理人   <akira_hamanaka@yahoo.co.jp>
参照先http://www.dokidoki.ne.jp/home2/islam/
暴力夫と結婚したことに感謝をすべきか?まずは、その夫は暴力という悪い行いをしているわけですから、なんらかの方法で夫の暴力を治そうと努力すべきです。泣き寝入りすることが善行ではありません。それは間違いです。それと神への感謝はまた問題が違います。

ひどい事件にあって殺されたことは、親とすれば当然悲しむべきことでありますが、信仰ある親ならば、その悲しみを神の与えた予定として受け入れ、ジハードとして散った子供が天国に行けると信じることにより、親の悲しみは癒され、アルハムドリッラーと感謝の気持ちを持つことにより乗り越えられます。

間違いを犯したからと地獄にいれるかどうか、そんなことは決まっていません。アッラーが決めることです。
また間違いを犯してもタウバ(悔悟)しだいでは許されるかもしれません。アッラーは、人の心を読みます。そのタウバが受け入れられるかどうかは、その人の気持ちと、行動にかかってます。
間違いの罪を清算する確実な方法のひとつはハッジ(巡礼)です。受け入れられるハッジを行えればと思います。

簡単に具体的な部分の回答を書いてみました

タイトルRe^4: イスラムへの否定的な疑問
記事No1073
投稿日: 2008/11/24(Mon) 20:56
投稿者so
> 間違いを犯したからと地獄にいれるかどうか、そんなことは決まっていません。アッラーが決めることです。
> また間違いを犯してもタウバ(悔悟)しだいでは許されるかもしれません。アッラーは、人の心を読みます。そのタウバが受け入れられるかどうかは、その人の気持ちと、行動にかかってます。

彼女が聞いてるのは、現世におけることではありません。
「死後のタウバは受け入れられないのか?」
「アッラーは、なぜ地獄という厳しい罰を与えるのか?」
ということです。

タイトルRe^5: イスラムへの否定的な疑問
記事No1080
投稿日: 2008/11/25(Tue) 15:02
投稿者あぶ管理人   <akira_hamanaka@yahoo.co.jp>
> 彼女が聞いてるのは、現世におけることではありません。
> 「死後のタウバは受け入れられないのか?」
> 「アッラーは、なぜ地獄という厳しい罰を与えるのか?」

---------------------------
まずLさんがどこまで教義を理解しているかが充分つかめないので、想像して回答していってます。

まず、天国と地獄は何層にもなっているということは知っておいてください。
次に、神を信じる者は、現世の罪は、現世でもある程度償えます。また、来世でも最初は地獄の某層において償わなければなりませんが、それがどのようなものかは、神のみぞしることです。神がお望みであればその慈悲によって軽減されることもあります。自分の生前のよき行いとその精神であり、また、自分が残した子供たちの行いが自分を救うこともあります。そして、それらの期間限定の償いができれば、後は永遠に天国に住まわせてもらうことになるでしょう。これも神の慈悲であります。

神を信じない者は、地獄の責め苦にあうでしょう。これについても、その人の生前の考え方と行動しだいでは軽減され、地獄の最上層にまで上れるかもしれませんが、それも神のみぞしることです。もちろんここでタウバなど通用しません。
http://www2.dokidoki.ne.jp/islam/quran/quran078.htm
この章やその前後の章に関連した情報が述べられていると思います。

そのようになっております。これは私が勝手に言っているのではなく、コーランからわかる要約です。イスラムの教義がこうあってほしいと希望するものではなく、コーランから読み取らなければなりません。意外と私たちの気がつかない奥義、それまでは誤解していたことが、人生生きているうちにコーランから発見することが多いです。今の理解レベルより来年の理解レベルと進歩していくことを期待します。

警告しておきますが、誰でも天国にいけると思ったら大間違いです。
私自身も自分はまず地獄で償いをすることになると思っています。
日本人でイスラムを学んだからこそ、その責任は重く、それに見合った活動はまったくできていません。いつも神に許しを願いイスティグファールしているくらいです。自分の力の無さにイスティグファールしながら、いつもリセットして、前向こうとしています。
そして、私が信仰者の列に加えてもらっていつか天国に入れてもらえるという保証もないのです。いつ死が来て、信仰者として死ねるかどうかです。

もちろん、シェイフ面をしているイマームが天国に入る保証などありません。
イスラムらしく振る舞いイスラムを裏切るムナーフィクは地獄の最下層です。

ひとときひとときを信仰者でありたいと願いながら生き、死に際しては信仰者で死にたいものです。アーミーン。

タイトルRe^6: イスラムへの否定的な疑問
記事No1085
投稿日: 2008/11/25(Tue) 17:07
投稿者L.
>イスラムらしく振る舞いイスラムを裏切るムナーフィクは地獄の最下層です。

管理人様

私のしていることはムナーフィクのすることでしょうか。

いつも心の隅に持っている疑問なのですが、心で信じられなくても頭では否定できないので、せめて振る舞いだけでも、と思ってイスラムの教えに従っているのですが。

この疑問もあって、イスラムを否定するような疑問を心に抱いても口に出すのは控えてきました。

でも、私の本心は決してイスラムを攻撃することではありません。よりよくイスラムを理解し受け入れたいがためにこういう質問をしてしまいました。

私はもっとも忌み嫌われる偽信者でしょうか。 もしそうなら、もうこういう質問をするのを控えたいと思います。

タイトルRe^7: イスラムへの否定的な疑問
記事No1088
投稿日: 2008/11/25(Tue) 21:27
投稿者あぶ管理人   <akira_hamanaka@yahoo.co.jp>
参照先http://www.dokidoki.ne.jp/home2/islam/
Lさんはムナーフィクではないですよ。
ここに素直にあなたの疑問を投げかけているのですから。

その質問に対してもらったたくさんの人からのレスが、あなたの信仰のプラスになることを期待します。

タイトルRe^2: イスラムへの否定的な疑問
記事No1065
投稿日: 2008/11/23(Sun) 21:54
投稿者so
あなたは「本当にアッラーが天地を創造したか?」ではなく「なぜアッラーが存在するなら、このようなことが起きるのか?」という不満ゆえに信じることができないようです。

> 数年前、高校の同級生が大変ひどい事件にあい、命を落としました。そのことにすら良い意味しかなく、彼女の母親は自分の娘が殺されたことに感謝しなければならないのですよね。

彼女の母は、その事件以前でも以後でもイスラムの教えを知っていたのですか?またあなたは、未来を知らない。
また彼女の母も彼女も完全には、知らない。だから何のいいところも探せない。
だがアッラーは知っている。完全な善をもつには、全知であることが不可欠。ゆえにだれも完全な善をもつことはできない。

Yusuf Estesという人の話ですが、アッラーから見てものすごく悪い人間にも少しいいところがある。
だからこの現世で、それなりの恩恵を与える場合がある。ゆえに彼らは、死後、地獄へ行く。
逆にアッラーから見て、もの凄くいい人間がいる。しかし彼らも少し悪いところがある。ゆえにこの現世では苦しい思いをする。
だがそれゆえに楽園にいける。例えで言えば、飛行機に乗り遅れた。その結果様々なものを失った。だがその後、飛行機は墜落した。
これは乗り遅れたほうがよかったという結論になるでしょう。

> 威圧的、否定的、暴力的な夫を持ってしまったために辛い思いをしている妻。 そんな夫とめぐり合わせていただけたことをアッラーに感謝しなければならないのですよね。

クルアーンは、訓戒です。双方に信仰がある状態で結婚すべきとあるでしょう。訓戒を破った、知らないのは、誰でしょうか?自らが望んでその夫と結婚したということを無視してはいけません。起きたことの解決策は、その彼女とアッラーの関係次第でしょう。私にはそのことに関する知恵がないので、アドバイスはできません。

> アッラーは母親が子を愛するその1000倍以上も彼の被造物である人間を愛している。それなのに、間違いを犯したからといって、死後、想像を絶するひどい世界(地獄)へ人間を入れてしまうのですよね。更生の目的で刑務所に入れたり罰を与えたりするなら私も理解できますが、もうやり直すチャンスもないのに地獄へ入れるのって、いったい何の目的があってのことでしょうか。 脅しでしょうか。私は我が子が間違いを犯したからといって、火の中に投げ入れようとは思えません。 まして、すべての清算が終わってしまい、再挑戦の場が無いのならなおさらです。

アッラーは寛容で慈悲深いと同時に絶対的正義をもちます。
正義と寛容で慈悲深い。この二つのことばは矛盾します。つまりアッラーが愛するのは、全人類ではなく、全人類の中の彼が望む人。

ここで「なぜ選別が必要なのか?」という疑問が生まれるでしょう。
その答えは、私が紹介したサイトのFAQ on Islamにある「 MOST COMMON QUESTIONS ASKED BY NON-MUSLIMS WHO HAVE SOME KNOWLEDGE OF ISLAM」の中の「The Qur’an says several times that Allah is most Merciful and Forgiving but also says many times that He gives severe punishment. Is He Forgiving or Revengeful?」にあります。

タイトルRe^2: イスラムへの否定的な疑問
記事No1066
投稿日: 2008/11/24(Mon) 00:13
投稿者aisha
アッサラーム アライクム
私は、感謝の気持ちが持てる事が幸せを感じられる事に繋がると思っています。
だから、慈悲深いアッラーは私達に感謝しなさいって教えてくれてるんじゃないかなと思いました。
それで私達人間は幸せを感じられるようになるから。
私達が生きやすいように教えてくれているんだと思っています。
話がずれていたらすみません。

タイトルRe^2: イスラムへの否定的な疑問
記事No1067
投稿日: 2008/11/24(Mon) 01:42
投稿者うんむらふま   <ummu_rahmah@infoseek.jp>
アッサラームアライクム

少しお話させてください。
下記、参考までに抜粋のものを記載しました。

今は、あまり時間がありませんので…詳細はまたの機会に書かせてください。

宗教を理解する上で理性は有効に利用されうる。哲学を否定することによって、神学者たちは理性を否定したのではない。むしろ逆に、彼らは理性の価値については、適切な範囲において用いられる限り、それを熱心に支持した。このような立場を支持する根拠をコーランに見出すことは困難ではない。コーランは、人間がその教えを盲目的に信じるよう要求しているわけではなく、信仰者も不信仰者も、共にその理性を行使して思索し、瞑想し、理解するように求めているからである。コーランは、先行者たちに盲目的に従わないように警告し(2章170節・5章104節)、聞く者の理解に繰り返し訴えかけている(3章65節・12章2節)。コーランの教えは神的権威に基づくものであるが、それはしばしば理性的な説得によって信仰を生み出そうと努めている。コーランの中で述べられている儀礼はしばしば理性の中に基礎づけられ、イスラム教徒(ムスリム)たちはその精神や目的を理解するように命じられている。儀礼の多くはムスリム自身の福利に寄与するように企図されている。例えば、礼拝するムスリムは[それによって、神の]不興と不名誉を蒙ることはより少なくなる。なぜなら、礼拝するムスリムは神を思念するからである(20章14節)。ザカート、つまり慈善行為の実践は儀礼ではないが、少数の人間に富が蓄積されることを防止し、富の一部を広く共同体に分与することを企図したものである(9章60節・59章7節)。重要なことは、理性的理解ということは伝統的イスラムの中で非常に高く評価される側面であったということを認識することである。〜オリヴァー・リーマン著・中村廣治郎訳『イスラム哲学の扉』より
ある者は、世界内で生じるものの全ては、善も悪も、行為も言葉も、アッラーの定命と予定によっているのであり、人間の自由意志は全くないと主張した(ジャブル派)。また別のある者は、人間から発するところのものは全て人間の目的と意志の所産であり、人間の能力と自由意志によって実現するもので、アッラーの能力や意志はそれには関係ないと主張した(カダル派)。しかしながら、真理の教説とは、結果を生み出しているのはアッラーの能力と人間の能力という二つの能力の統合したもの―なぜなら、人間から出てくる行為の全てはアッラーの定命と予定によるのだが、人間は自由意志を持っているからである。従って、予定はアッラーに属し、行為の獲得は人間に属するのである。この教説が決定と予定の中間の主張であり、スンナ派の人々はこの主張に依拠している。〜ガザーリ著・松本秋郎訳『イスラームの基礎四十講』より

以上です。

タイトルRe^2: イスラムへの否定的な疑問
記事No1068
投稿日: 2008/11/24(Mon) 06:52
投稿者ブルべスのアイシャ
アッサラーム アライクム

 L.さまはイスラームを心から信じられるようになりたいと
 いうお気持ちもあるのでしたらアッラーをたくさん想って
 (ズイクルをする)みるのはいかがでしょうか。
 アッラーは私たちがアッラーを想った以上に私たちに
 近づいてくださる、というハディースもありますよね。

 友達に最近おしえてもらったサイトより丸写しですが
  
 「アッラーが私たちに与え給うことはすべて良い事で
  私たちの目には(つまり私たち人間の限定的な知識
  においては)災いでもアッラーの英知(全体的な知識)
  においては良いことでそれがどう転じるか私たちには
  知りえないからです。」

 「おまえたちはあるものを嫌うかも知れないがアッラーは
  その中に多くのよきものを備えてくださっている」
  二サー19節

 「おまえたちにとって良いものであってもおまえたちは
  嫌うかもしれない」バカラ216節

 L.さまの道が開けますようドゥアーいたします。
 
 **何か間違いがありましたらお許しください**

タイトルRe^2: イスラムへの否定的な疑問
記事No1096
投稿日: 2008/11/26(Wed) 20:18
投稿者Salam   <spiderwort77@hotmail.com>
アッサラムアレイクム
これだけ多くの方々があなたのレスに対して返答をくださいました。みんな同じ1つのゴールを目指しているモスリムが共同体で存在できるのも、兄弟意識や絆が強いのもイスラムのすばらしいことの一つです。あなたは世界中にモスリム兄弟姉妹がいるのですから、不安があればいつでも投げかければいかがでしょうか。こうして温く迎え入れてくれるウンマが存在することを知っただけでもここに投稿した価値はあったのではないでしょうか。

また、信仰心の向上についてですが、私の場合はアッラーの偉大な存在は理解はしていたものの、なぜ礼拝しないといけないのか、なぜヒジャーブをかぶらなければいけないのかなどは最初からはわかりませんでしたが、序所に体験とともに理解しました。今年になってわかったことも色いろあります。一番の収穫はイスラムは光である。の意味が分かったことです。今まで耳にしていたものの、実際の意味がわからなかったのです。真っ暗なところに先に何があるかわからない所にいると人は恐怖心を抱きます。しかし、そこに光が差し込み先に何があるかがわかるようになると人は怖いとは感じず、楽に先へ進むことができます。障害物があっても、難なくよけて進むことができます。イスラムはまさに足下が見えるようになるその差し込む光であり、それがアッラーの慈悲である。アッラーの慈悲なしに、人は光を見つけることができず、さまよう。
しかし、ここに訪れる方のほとんど、あなたも私も含めて、みんなこの光を発見した人々にかわりはありません。なんてラッキーな人々なんだと、思います。
これらは体験に基づいた、私の信仰心が向上した要素にすぎませんが、まだまだ私の理解していない部分は多く、学習もそうですが、日々考える努力をすることが更なる信仰心向上につながると思います。

私も疑問はいくつもありますが、今毎日少しずつ回答を探しているのは、運命の大道はアッラーによって決められているが善悪の選択をするのは自分である、ということの意味です。もちろん、コーランにかかれているので知っていますが、頭では理解しているけどもまだ本当に理解していない範囲です。また、犠牲祭が近づいていましたが、それについてもいろいろ思いを巡らせているところです。

あなたのトピックから話がそれて申し訳ないですが、私がいいたいことは、信仰心は蓄積されていくものだともいますので、いきなりつくものでもないと思います。またそれにはそれを得る努力が必要であると思います。自分がだめだとか自分に言い聞かせているのは良くないですよ。誰だってだめなところはあると思います。でも最悪になりたくないから人はどうにか努力をするのですから。あなたがここに質問を投げかけているのが、努力している人の証拠です。あなたがイスラムに対する意見が肯定化するよう、すばらしいイスラムを発見できることをお祈りします。アーミン。
Salam

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1069
投稿日: 2008/11/24(Mon) 10:00
投稿者samaru   <h2612@ybb.ne.jp>
私は神道系の教会に生まれ、幼いころからLさんと同じような疑問を持っていました。
理屈ではなく神の存在を確信をもって感じたい。また神が存在するならばなぜ善人が
苦しむのか・・。40年たった今でも人様に対して「神を信じなさい」とは言えません。
ただ朝日が昇るの見るとき、夜に星のまたたきを見る時など、私たちの目には見えない
けれど、何か大きな存在、大いなる意思を感じます。もし神を感じないのならば、
まだ「時」が来ていないからだと思います。それは決して恥ずかしいことでもないし、
悲しむことでもないと思います。「時」が来ていない人はムスリムと自称しながら、
酒を飲み、女性に暴力をふるい、ラマダン中に偽りの聖戦を行います。Lさんはとても
真面目で正直な人だと思えますので、神様の御心にかなう方だと思います。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1079
投稿日: 2008/11/25(Tue) 14:16
投稿者L.
みなさま、お返事ありがとうございます。

もうひとつ長年抱いてきた疑問があります。

アッラーは何のために人間を造られたのですか?

ご自分以外にはなにも必要とされないアッラーがあえて人間を造ったのは。

幼いころから生まれなければよかった、と思い続けて生きてきましたが、イスラムに出会い、勉強し実践もし、それでもまだ信仰心をもてない私はso様のいわれる「アッラーに愛されていない」方の人間なのでしょうか。 そして不信心者、しかもイスラムを知っているのに受け入れない(本当はこんなに受け入れたいのに受け入れられなくて苦しんでいる)人間は、天国には入れないようですね。

現世で何をやってもだめで、苦しくもがいているのですが、そのうえ、このままでは来世で永遠の業火に焼かれるのかと思うと・・・。 あまりにも酷です。


完璧で、すばらしい存在であるアッラーと、罰、仕返し、見返り、地獄などというものが結びつきません。

だめ人間は死後もなお正しい心を授けていただけることなく、焼かれて苦しむのですね。
犯罪者の心理に寄り添うことはなく、悪行には罰を与え、そしてそういう行いの責任はあくまでも人間にあるのですよね。
ある人はいわれなくても道徳的思想を簡単に持つことができ、ある人は罰を受けても、刑務所に入れられてもそれを理解することができない。 その違いの原因はなんなのでしょうか? 救いを受け入れることのできない人間を突き放し、火で焼く・・・。  

アッラーを認めなかったり、複数の神を崇拝した者は、天国へ入ることはできないのですよね。
一般には素晴らしい方だとされていても多神教徒であればアッラーはお怒りなのですよね。 その人には悪気もなく、自分の信じるもののために精進して、清く正しく生きていても。 その人が多神教徒になってしまったのはあくまでもその人の責任なのですよね。

全知全能でありながらあえてシェイタンの存在を許し、悪人を存在させ、現世でも苦しませ来世では永遠の火の中に入れる・・・。

いったい何のために人間を造られたのでしょうか。

タイトルRe^2: イスラムへの否定的な疑問
記事No1083
投稿日: 2008/11/25(Tue) 16:29
投稿者シンショーヴナ
あっさらーむあらいくむ

> アッラーは何のために人間を造られたのですか?
> ご自分以外にはなにも必要とされないアッラーがあえて人間を造ったのは。

@ムスリムに(当たり前ですが)質問したら、「アッラーのイバーダをするために」と答えるでしょうね。私も多分そう答えると思います、「そうアッラーがおっしゃっているから」と。
でも、そこでやっぱり考えちゃいますよね、「何で全知全能、自足の方なのにイバーダするものを作る必要が何故あったのか」って。

それは人間には分からないことだと思います。
人間の理性・知性をはるかに超えた存在の方(アッラー)が、どういう意図で人間を創られたかを語られたとしても。

それはつたい歩きをようやく始めた子供の目の前から「子供にとって魅惑的な」アブナイもの(ほわほわと湯気の出たヤカン、キラキラ光るナイフ、アツアツの美味しそうなスープが入った大鉢など)を次々と隠されてしまった時に、「どうしてその素晴らしいもので遊ばせてくれないの!?」と怒って泣く子供が、親の言う説明が理解でいないのと似ている状況だと思います。

蛇足ですが…娘が9ヶ月頃。どんなにどかしても目の前のアツアツの紅茶のカップをつかもうとして大騒ぎになってしまっていたある日。とうとう業を煮やした主人が、飲み終わって空になったカップ(まだ若干熱い)を、娘の手を取って、触らせました。
もうつかめる!!!という時の娘の顔は大喜びでしたが、カップに触った途端、手を引っ込めました(当たり前だ…)。
それ以降娘が紅茶のカップを触ることは、「大きくなって理解できる」ようになるまでありませんでした。


> 幼いころから生まれなければよかった、と思い続けて生きてきましたが、イスラムに出会い、勉強し実践もし、それでもまだ信仰心をもてない私はso様のいわれる「アッラーに愛されていない」方の人間なのでしょうか。

@多分多くの方々が書かれていたと思いますが(記憶力が悪くて…)、L.さんがアッラーに愛されていないかどうかなど、誰にも分かりません。それに、どの非ムスリムが最期までイスラームを信じないか、逆にどの人間が最期までにイスラームを受け入れるかもアッラー以外ご存知ではありません。

>そして不信心者、しかもイスラムを知っているのに受け入れない(本当はこんなに受け入れたいのに受け入れられなくて苦しんでいる)人間は、天国には入れないようですね。

@「受け入れたいのに受け入れられなくて苦しんでいる」というのは、結局「求めている」からではないでしょうか?「求めている」者をアッラーは受け入れないわけない、と私は思います。

…すっごく「こてこてムスリム」っぽい意見で済みませんが、L.さんは凄くアッラーの目に素晴らしい方で、試されているのかもしれません(個人的推測)…「この状況に耐えて信仰を続けようと努力できるかどうか」という試練を与えられているのかも(個人的推測)。

> 現世で何をやってもだめで、苦しくもがいているのですが、そのうえ、このままでは来世で永遠の業火に焼かれるのかと思うと・・・。 あまりにも酷です。

@多分皆さんも私と同じ意見だと思います、謙遜とかぢゃなく。
他人を見て「あぁ、あの人は素晴らしいなぁ」と思って、自分を見た時、何もできていない自分、あるいは逆に他人以上に頑張っている自分はあまりにも身近すぎて「私は全然ダメだ。天国直行便には乗れず、罰を与えられるに違いない」と悲しくなる、ということがあると思います。
私はしょっちゅうです。ホントに。
自分の信仰が完璧だ、天国にダイレクトに行ける、と確信のある人って、いないんぢゃないかと思います。

> だめ人間は死後もなお正しい心を授けていただけることなく、焼かれて苦しむのですね。

@私も無茶苦茶ダメ人間です…
回答の論点がずれていたらお許しください。

私の心の師匠が教えてくれた話が二つあります(多分両方ハディース)。
@99人殺人した男が改心して、高僧に「赦しを得たい。どうしたらいいか」と尋ねたら、高僧が「お前なんかが赦される訳ない」と答えた。それを聞いて怒ったその男はこの高僧を殺してしまう…中略。赦しを得る為に出た旅の途中でこの男は道で死んだ。天使が2人現れて、この男が(罪人として)地獄に行くのか(悔い改めの道を求めたため)天国に行くのかを議論していたが、彼の手がスタート(罪)よりゴール(赦し)に近かったので、彼は天国に行くことになった。

A最後の審判の時、天国に行くのに1善行が足りない人間がいる。アッラーが彼に「誰かに善行を1分けてもらって来い」と言われて、皆に1つの善行を分けてもらおうとするが、皆必死で自分の善行をくれなかった。そこに、善行を1しか持っていない男がいて、彼にこの1つの善行を分けてくれるように言ったら、彼は「どうせ自分は1つしかなくてどうしようもないから」とすんなり善行1を分けてやった…中略。アッラーが、この善行を1もらった男と善行を1分けてあげた男に「手に手を取って天国に行きなさい」と言った。

私はこの、2番目の話を聞いて涙腺が大解放状態になってしまいました。「そんなんでいいの?」って。

罰の度合いだけでなく、罰の有無さえ私達は推測不可能なのです。善行1の男、どう考えてもカウント上は地獄行きでしょう。それなのに、彼のような人間ですら天国に「何のお咎めもなく」行ける可能性があるんです。

…というか、逆にその他人から善行を譲ってもらった男。必死なのは分かるけど、ある意味、この男の方が逆に地獄行きにならないのが、「日本人的美学(?)」からいうと不思議です(アスタグフィルッラー…)。

閑話休題。

> 犯罪者の心理に寄り添うことはなく、悪行には罰を与え、そしてそういう行いの責任はあくまでも人間にあるのですよね。
> ある人はいわれなくても道徳的思想を簡単に持つことができ、ある人は罰を受けても、刑務所に入れられてもそれを理解することができない。 その違いの原因はなんなのでしょうか? 救いを受け入れることのできない人間を突き放し、火で焼く・・・。  

@人間には、理解しきれないことが沢山あります。アッラーはご存知なのですが。アッラーの英知を私たちは理解しきれない。だから誰が地獄に行くかについて、人間が「不公平だ」と絶望しても、それは前述の「つたい歩きをする幼児の不平」と同じく、アッラーが説明しても、人間に理解しきれないのだと思います。

> 全知全能でありながらあえてシェイタンの存在を許し、悪人を存在させ、現世でも苦しませ来世では永遠の火の中に入れる・・・。
>
> いったい何のために人間を造られたのでしょうか。

バカラ章の初めにあります。「私(アッラー)は地上に代理者(人間)を置くだろう」とおっしゃいました。
それに対して天使達は抗議します。
「何故悪さをする者をわざわざお創りになるのですが?」
アッラーはおっしゃいます。
「本当に私はお前達が知らないことを知っている」と(2:30)。

どんな英知でアッラーがわざわざ悪行をする人間を代理者として置かれたのか、天使ですら分からないのです。悪魔の必要性(?)も然り。ホント、悪魔がいなかったらどんなに楽なことか…

あまり長く書いたので・・・調べられないのですが、クルアーンのある節にこういう部分がありますよね。
「天使が私達にダイレクトに伝えてくれたら信じたのに(と人がこぼす)」
天使が来たらば、それは真実だって、誰だって「悪いことはダメ」って分かっちゃう。
だから天使ぢゃなくて、同じ民の、善い人をメッセンジャーとして送りいれたんですよね。

分からないことは沢山あります。
知ろうと努力して分かるものもあるし、ふとある日、頭は理解していなくとも、「心」が「そうなんだろうなぁ」と納得するものもあります。
また、どんなに調べても「究極まで」分からないことは沢山あります。

だったら、分かる範囲で理解し、努力する。これが私達に与えられたことなんだと思います。

いつも通り支離滅裂な文章で済みません…
良い方向に向かいますように

タイトルRe^3: イスラムへの否定的な疑問
記事No1084
投稿日: 2008/11/25(Tue) 17:00
投稿者L.
ひそかにシンショーヴナ様のお返事を待っていました。

いつも優しいメッセージを書かれていますね。 

ありがとうございます。

頭では私もシンショーヴナ様や他の方のような返事をするでしょう。

しかし、心が弱ったときに頭と気持ちがつりあってなくて苦しくなるのです。

イスラムは説明のつかないことになると、「人間にはわからない」で済ませてしまう。などと思ってしまうのです。

信じる心はいつの日か自然にわいてくるもの。 誰にも説明できないし、強制できないということですね。

ただ、クルアーンを読んでいると、とにかく信じないものへの罰が強調されていて、それが自分を指しているとしたら読んでいてつらくなります。

シンショーヴナ様、私のだめさ加減は「誰かに比べて」というレベルのものではありません。 もう、本当に社会の邪魔者、人の迷惑、歩く失敗作といったところです。 

アッラーの怒りに触れて永遠の業火に入れられることにすら、いつの日か感謝するときが来るのでしょうか。

タイトルRe^4: イスラムへの否定的な疑問
記事No1109
投稿日: 2008/11/30(Sun) 02:08
投稿者sara
アブー・フライラによると、アッラーの御使いは言われた。

「アッラーが誰かに良き ことを望まれると、その者に苦難を与えて試されます。」

(アル=ブハーリーによる伝承)

 

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1089
投稿日: 2008/11/25(Tue) 21:58
投稿者so
>もうこういう質問をするのを控えたいと思います。

私は、Peace TV Indiaをネットで見てるのですが、信仰に関する質問は、非ムスリムからだけでなく、ムスリムからもあります。

時間はかかるでしょうが、あなたの質問にもある程度返答することは可能です。

夜、窓を閉めた状態で部屋の電気をつけて、部屋から外を見てもあまり見えません。
しかし電気を消すと、ある程度見えるようになります。

自分が知っていると思うのは、無信仰に近づきます。
自分が無知である、そう思うことが信仰の基本といえるでしょう。

全世界で人は一時間で約6000人死んでいるといわれます。
人が死ぬからアッラーに納得できないのでしょうか?皆が楽に死ねるようにすべきだったと?それでしたら、人間が開発したもの(車等)で死ぬ人はどうなるのでしょうか?つまり苦痛を感じないようにするべきだった?またこの世の試練など不要だった?悪事をしない存在にすべきだった?偶像を悪行とすべきではなかった?

多くの場合、それなりの答えはあります。もっともそれに納得するかは、その人次第です。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1090
投稿日: 2008/11/26(Wed) 00:21
投稿者モハンマドSK
Salam.
アッラのこといつも感じられる人はすばらしい。
多くのムスリムはそうではないと思います。
私はムスリム家庭で生まれたムスリムですが、38歳でやっとアッラこと少し感じるようになった!。良いことや悪いことがすべてがアッラから来ているという意味少し判るような気がします。
ムスリムになるには自己努力とアッラのロホモト(Rahmat)が必要です。Rahmat与えることできるのはアッラのみです。
我々は祈りしかできません。しかし、アッラを否定せず、祈り(イスラム道)し続ければ、いつか天国に行けることはアッラが人間に約束しています。これが人間の唯一のエネルギー源。
アッラは我々中と外すべてのことがご存知です。Musa(ワライサラム)の心にも一時期このような疑問ありました。Musa(ワライサラム)はムスリムでした。アッラのこと見ないでアッラのことを信じるところがムスリムのすごいところです。

人や環境をせいにしてアッラを否定したら損害受けるのはその人のみです。我慢強く祈り(Rahmat)続けることが重要です。ショイタンの誘導でアッラこと否定されることはアッラのとって一番悲しいことです。


> 結婚を機にイスラムに出会い、心から信じることはできなかったものの、否定することもできず、ひとまずやっていこうと思って15年。
> 今では子供にも恵まれ、私自身もヒジャーブをつけて生活するようになりました。
> しかし、15年の間、一度もアッラーの存在を心から確信したことはありません。
> 哲学としてすばらしい教えであることに感動はしますが、アッラーや、クルアーン、預言者などの逸話や天使、来世の存在、などの信仰の核心となるものの存在を感じることができません。
> 決して周りへのアピールではなく、ひとまず疑問は横においておいて実践していれば信仰は後からついてくると思って、自分にできることはやってきたつもりです。
>
> 自分を欺き続けて15年。 
>
> このところイスラムへの否定的な疑問が次々にわいてきて止まりません。
> 勉強会にも参加し、夫へもほんの少しほのめかしたりしました。
> 皆さん優しく返事してくださるのですが、その返事がアッラーが存在し、イスラムが正しい宗教であることが前提の返事なので、今の私にはあまり意味がありません。
> 夫はもともとムスリムですから私が疑問を持つことに激昂し、話になりません。
>
> いつまで疑問を横において、自分を欺き続ければいいのか。
>
> いまさら夫にはイスラムを信じられないなどとは言い出せない。
> 15年一生懸命やってみてまだ信じることができない、それどころか否定的な感情すら抱いてしまうようになったものに、どう接したらいいのか。
>
> こんな風に出口のない状態でいるのに疲れました。
> 心から信じられるようになりたい。と思う気持ちと、信じられないのなら自由になりたい。という気持ちの間で葛藤しています。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1098
投稿日: 2008/11/26(Wed) 21:33
投稿者so
>運命の大道はアッラーによって決められているが善悪の選択をするのは自分である、ということの意味です。

10-44本当にアッラーは決して人間を害されない。だが人間は自らを害する。

経験豊富な教師が「A子は授業中寝ていて、家族に聞いたら遊びほうけていると返答されたから、試験に落ちる」と思い、実際に落ちた場合、悪いのは、教師でしょうか?アッラーは人の運命を事前に知っていますが選択権は、自分です。

>犯罪者の心理に寄り添うことはなく、悪行には罰を与え、そしてそういう行いの責任はあくまでも人間にあるのですよね。ある人はいわれなくても道徳的思想を簡単に持つことができ、ある人は罰を受けても、刑務所に入れられてもそれを理解することができない。 
その違いの原因はなんなのでしょうか? 

人は、自己の主観を善悪の基準(意識しなくても)とする。悪行をすることは、主観的価値感と外部からの影響の相乗効果(よって個人差がある)によるもの。もっともそれだけでイスラムの教えは、語れません。アメリカの刑務所でイスラムの教えが伝えられ、多くの人がアッラーの恩恵で教えを受け入れました。アッラーが犯罪者の心理を全く無視しているなら、このようなことは起きないと言えます。経済的、環境的、道徳的に有利だから、イスラムの教えを受け入れるわけではありません。

>イスラムは説明のつかないことになると、「人間にはわからない」で済ませてしまう。などと思ってしまうのです。

礼拝等には、普通のイスラム解説本が書いてある以上の意味があります。ですが人間が現世も来世も全てを理解できるという条件がつくなら、アッラーの宗教といえません。シャイターン的思想は、アッラーを自分と同等かそれ以下とみなすことです。

説明がつけば(多数が納得するなら)それが真理であると言い切れる根拠は何でしょうか?あなたの疑問は、信仰あるムスリムが思うものと違い、疑問を信仰ができない言い訳にしているように思います。現在のあなたは「大多数の人が納得できるものこそが真理であるといいのに」と思っているのでは?「イスラムは、なぜこのような真理ではないの?」と思っているのでは?

大多数の人が納得できないものが、真理なのか?
それが真理なら、なぜそのことに責任が生じるのか?
アッラーは何のために人間を創造したのか?
私は、このような疑問に返答したいと思います。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1104
投稿日: 2008/11/27(Thu) 22:06
投稿者so
>その人には悪気もなく、自分の信じるもののために精進して、清く正しく生きていても。 その人が多神教徒になってしまったのはあくまでもその人の責任なのですよね。

91-9,10 本当にそれ(魂)を清める者は成功し、それを汚す者は滅びる。

以前に述べたように夜に窓を閉めて、部屋を明るくすると、外がよく見えない。その代わり、窓に自分の姿が見える。神という言葉は、その人の心の鏡です。実際は神の存在ではなく、自分自身の心を見るのです。自分の姿は、鏡で見たことがある。しかし心の姿は見たことがない。
神などいない、人間の妄想という人は、「自分の心が無価値に等しい」ことを自分で認めたことになると言えるのでは?

59-18あなたがた信仰する者よ、アッラーを畏れなさい。
25-43あなたは自分の思惑を、神として(思い込む)者を見たのか。

信仰ができている人は、アッラーと自分の差は大きいと思えます。 逆の人は、アッラーと自分の差が同等か自分以下だと思うのです。
多神と一神の概念の違いは能力。論理上、全能は、複数存在しえない。

14-30かれらは(人びとを)主の道から背かせるために、アッラーに同位者を配した。
35-8自分の悪行を立派であるとし、それを善事と見る者(ほど迷った者)があろうか。
29-68アッラーに対し虚偽を捏造し、真理が齎されたのに、それを虚偽であるとする者よりも、酷い不義者があろうか。

シャイターンの宗教は、貪欲であり名誉心と金銭欲を隠すことが出来ない。信仰とは、アッラーの全能性、権威を認めて、自己の上に置くもの。

31-6だが人びとの中には、無益の話を買い込んで、知識もないくせに(人びとを)アッラーの道から背かせ、(正しい道に)嘲笑を浴びせる者がある。これらの者には、恥ずべき懲罰が下るであろう。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、他を受け入れることができず、戦争を起こす。多神教は相手を認め、協調するからよい。ムスリムは00だからイスラムはダメ。信仰なんて弱い人間のすることだ。

これらの主張は無知ゆえの虚偽ですが、このような主張をする人達には共通点があります。それは「自分はよく知っている」と思っていることです。彼らは自分自身に欺かれているのです。ゆえに理解できない(しない)のは、その人の責任になるのです。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1113
投稿日: 2008/11/30(Sun) 19:29
投稿者so
>でも、そこでやっぱり考えちゃいますよね、「何で全知全能、自足の方なのにイバーダするものを作る必要が何故あったのか」って。

51-56ジンと人間を創ったのはわれに仕えさせるため。

2-30またあなたの主が(先に)天使たちに向かって、「本当にわれは、地上に代理者を置くであろう。」と仰せられた時を思い起せ。かれらは申し上げた。「あなたは地上で悪を行い、血を流す者を置かれるのですか。わたしたちは、あなたを讃えて唱念し、またあなたの神聖を讃美していますのに。」かれは仰せられた。「本当にわれはあなたがたが知らないことを知っている。」

アッラーに対する崇拝は、人間以前に天使がしています。しかし天使には選択権がありません。

21-16われは天と地、またその間にあるものを、戯れに創ったのではない。
21-17もしわれが戯れを望み、仮りにそうするならば、わが手近なもの(非物質的な霊的なもの)から選んだであろう。
40-57天と地の創造は、人間の創造などよりも偉大である。だが人びとの多くはそれを理解しようとはしない。
45-22アッラーは、天と地を真理によって創造なされた。そして各人は、その行ったことに対して報いられ、不当に扱かわれることはないのである。
46-3われは、真理と期限を定めずには、天と地、そしてその間の凡てのものを、創造しなかった。
57-19アッラーとその使徒を信じる者、これらの者は(真理を愛する)真実な者であり、主の御目には実証者である。
30-8かれらは反省しないのか。アッラーが天と地、そしてその間にある凡てのものを創造なされたのは、唯真理のため、また定めの時のためであることを。

天地をテストの場とするために創造したと読みとれます。

10-99もし主の御心なら、地上の凡ての者は凡て信仰に入ったことであろう。あなたは人びとを、強いて信者にしようとするのか。
39-7もしあなたがたが信じなくても、アッラーはあなたがたを必要とされない。だがかれは、しもべたちの不信心を喜ばれはしない。しかし感謝するならば、かれは喜ばれる。

13-31仮令一部のクルアーンがあって、それにより山々が移動され、大地が裂かれ、または死者に語らせることが出来ても、凡ての命令はアッラーに属すのである。アッラーの御心があれば、人類を一斉に導かれることを、信仰する者たちは未だに納得していないのか。

14-19,20あなたがたはアッラーが、真理によって天地を創造されたことを考えないのか。もしかれの御心ならば、あなたがたを追放して、(その地に)新しい創造物を(あなたがたの代りに)連れて来られよう。それはアッラーにとっては、難しいことではない。

7-42だが信仰して善い行いに励む者は、われは誰にも、能力以上のものを負わせない。
59-19あなたがたは、アッラーを忘れた者のようであってはならない。かれらは、かれら自身の魂を忘れさせたのである。
63-9信仰する者よ、あなたがたの富や子女にかまけて、アッラーを念じることを疎かにしてはならない。そうする者(アッラーを念わない者)は、自らを損う者である。

アッラーに人間が必要なわけではありません。自分自身のために崇拝する必要があるのです。

>全知全能でありながらあえてシェイタンの存在を許し、悪人を存在させ、現世でも苦しませ来世では永遠の火の中に入れる・・・。

全知だからこそシャイターンの存在を許した。

22-3だが人びとの中には、知識もなくアッラーに就いて批判する、反抗的な悪魔などに従う者もいる。
43-36慈悲深き御方の訓戒に目を瞑る者には、われはシャイターンをふり当てる。それは、かれにとり離れ難い友となろう。
7-179われは地獄のために、ジンと人間の多くを創った。

ある種の人達は、シャイターンを望んでいると読みとれます。
 
113-1~5言え、「黎明の主にご加護を乞い願う。 かれが創られるものの悪(災難)から、深まる夜の闇の悪(危害)から、結び目に息を吹きかける(妖術使いの)女たちの悪から、また、嫉妬する者の嫉妬の悪(災厄)から

15-39,40かれは申し上げた。「主よあなたは、わたしを迷わされましたので、わたしは地上でかれらに(迷いを)好ましく思わせ、必ずかれら凡てを、迷いに陥らせましょう。かれらの中で誠実な(恩恵により清められた)あなたのしもベの外は。」

甘いが存在しないと辛いは存在しないに等しい。
感覚とは、主観的なものですが、その逆の感覚を知ったうえではっきり存在します。
シャイターンが存在しないなら、強い信仰は存在できない。
高慢さと穢れを知らない善は、幼稚で無邪気な善。

29-2人びとは、「わたしたちは信じます。」と言いさえすれば、試みられることはなく、放って置かれると考えるのか。

67-2(かれは)死と生を創られた方である。それは、あなたがたの中誰の行いが優れているのかを試みられるためで、かれは偉力ならびなく寛容であられる。

76-2,3本当にわれはかれを試みるため混合した一滴の精液から人間を創った。それでわれは聴覚と視覚をかれに授けた。われは、人間に(正しい)道を示した。感謝する者(信じる者)になるか、信じない者になるか、と。

つまりテストによって選別した人間を仕えさせるために人間を創造したと読みとれます。

タイトルRe: イスラムへの否定的な疑問
記事No1117
投稿日: 2008/12/03(Wed) 11:20
投稿者L.
みなさま、貴重な時間を割いて、ていねいなお答えありがとうございました。

今まで、テクニカルな部分は身についてきたのに心の方がそれに追いつけず悩んでいました。

みなさまの意見を参考にこれからも努力していこうと思います。

みなさまにアッラーからの報償がたくさんありますように。