日本ムスリム協会
イスラム霊園
〒404-0034 甲州市塩山牛奥5013番地 文殊院上 |
日本ムスリム協会が管理・運営するイスラム霊園は、東京から高速中央自動車道に乗ってわずか1時間ほどの場所にある。霊園には三田了一師をはじめ日本イスラム界で活躍した先人たちの墓が多数ある。 |
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地図 |
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高速中央自動車道の勝沼インターチェンジで降りると、国道20号線を東京方面に向かう。すぐに勝沼大橋を渡り、渡り終えれば左折、約300メートルほどで右折し県道38号線を道なりに走って行くと、風景は勝沼の大ぶどう園に変わる。秋はぶどう狩客でにぎわう中、ひたすら道なりに走り、途中右折。心配であれば土地の人に「文殊院」への道をきいてみよう。右折し、JR中央本線の下をくぐった後、道なりに走れば、中腹あたりに文殊院が見えてくる。 |
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道路の左側に写真@の石の道標がたっており「大智山文殊院入口へ」と書いてある。それを見つけたら、すぐに右折する。入口は写真Aである。文殊院への道は車1台がなんとか通れるくらいの広さのコンクリートの道であり、傾斜もきつい。左右にはぶどう園が広がっている。少し行くと写真Bのような道標が立っている。ここを狭い道である右の方に入っていくと、車10台ほど置ける駐車場がある。ここに車を置いて、到着である。
駐車場からは、正面に仏教墓地が目に入る。沢を超え仏教墓地を下からぐるりと周囲を回るように上に登っていくと、広場につく。そこからさらに小さな道を登ると以前よりあるイスラム霊園に辿りつく。上の地図ではイスラム霊園(旧)としている。
もうひとつは駐車場から文殊院へと上っていき、前を通って、さらに上に登ると、新たに造成したイスラム霊園(新)に着く。
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写真 |
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写真@ 文殊院入口を示す道標。この道標の向かい側が写真Aである。 |
写真A 文殊院への進入路、左右はぶどう畑である。道路標識の上に小さく見える白い建物が文殊院である。 |
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写真B 進入路からわずか数十メートルで小さな道標が立つここに来る。ここを右に入る。 |
文殊院仏教墓地 |
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仏教墓地の上にある広場から塩山市を臨む。すばらしい眺望である。 |
イスラム霊園の看板 |
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墓地は段々畑状になっており、このタイプの墓碑が多い。これは日本ムスリム協会の故アブーバクル森本武夫元会長のお墓である。インナー リッラーヒ ワ インナ イライヒ ラージウーン。 |
段々畑状になっている墓地。人はみんな土へと還っていく。イスラム霊園(旧)。 |
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文殊院の上にある新たに造成されたイスラム霊園(新)を下から臨む。看板には、やはり「日本ムスリム協会 イスラム霊園」と書かれている。 |
新霊園は新たに埋葬された墓地が多く、まだ墓碑を作ってないものもある。最近埋葬されたばかりのお墓に祈りをささげて来た。 |
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この墓地に関する詳細お問い合わせは
宗教法人 日本ムスリム協会へ |
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あぶ管理人の一言 |
日本には現在この墓地しかない。東京から近いという好立地だけを手放しでは喜んでいられない。増え続けるムスリムを埋葬するにはこの墓地だけでは全然足りないのである。現在、つくばや神戸で墓地計画はあるが、それらが将来使えるようになったとしても、その時点ではすでに追いつかないほどであろう。各地方に最低ひとつづつはイスラム墓地は必要な時代がやってきた。マスジドはわずかの期間で見る見る増えたが、墓地も増やしていかなければならない。人は生を授かった時点で、すでに死へ向かって歩き始めている。死は例外なく誰にでもやって来るのである。墓地の問題は、ムスリムひとりひとりが今真剣に考えなくてはならない重要な問題である。 2005/9/20 |