東洋のマチュピチュか? 投稿者:abu 投稿日:2009/10/10(Sat) 19:20 No.286 日本のマチュピチュと言えば、丹波竹田城址らしい。 ところが、最近「東洋のマチュピチュ」「四国のインカ帝国」と注目を集めているのが、東平(とうなる)。このホームページを昔から見ている方は、聞いたことのある名だとふと気づいただろう。 実は2002年夏、ここでムスリムキャンプをやっていたのだ。 私は天空の城ラピュタと紹介したかもしれない。 東平は、元別子銅山の工夫が住んでいた町で、なんと険しい銅山の上に、数千人という人が住んでいた。東平以外にももうひとつ大きな町があったが、両方をあわせて1万人を超えていたことがあったそうで、当時とすれば、県都松山市(現在50万都市)に次ぐ人口を誇っていたそうだ。ところが今は人口0人。廃墟だけが残っている。 レンガ作りの建物あとなど、天空の城らしさをかもし出している。 このページの写真がきれいので見てください。 http://blog.goo.ne.jp/yy-naho/e/32cda649b8f148555932ac178caca73a 添付:286.jpg (25KB) |