田坂厚司のインドネシア修行の旅写真集 
 田坂厚司が修行の旅に行ったのは、昨年まで新居浜で仕事していたレナント君の出身地、中部ジャワ州のジョグジャカルタとスマランの間に位置するジャワの平均的な田舎町である。それから、首都ジャカルタのナショナルチームが練習する体育館に寄り、約2週間の修行の旅を終え帰国した。2003年5月7日〜20日
プランバナン遺跡 ボロブドール遺跡
毎日練習した体育館。フロアーはコンクリート・タイル張り、通気性も悪くこれほど条件の悪い体育館は日本ではお目にかからない。隣はパートナーのヘンドリー君。 練習に参加する女子選手。実力はインターハイベスト8の力は十分ある。この地域の女子チャンピオンだそうだ
練習仲間たち。中央は監督。 コートサイドのスナップ。人懐っこいインドネシア人とはすぐに友だちになれた。
練習風景。コートは2面。蛍光灯は横から当たる。ちょっとシャトルが見ぬくい。こういう体育館でさえ、広い地域に一つしかない。狭い新居浜には20以上も立派な体育館があるというのに。 レナント宅の周りは椰子とバナナを栽培している。椰子を担ぐ田坂君。ジャングルで?
日本からの珍客は近所の子供たちの人気者。 ちょっと裕福な家庭の庭には野外コートがある。やはり、コンクリートコート。
レナント宅前に並ぶ着替えのシャツ。 新居浜に仕事に来ていたサリヒン君(右)に会いに行く。左はレナント君。
チームメンバーたちと記念撮影。 大会参加は、トラックの荷台に揺られて移動。数時間、徹夜の強行軍。
大会開会式。体育館はやはりコンクリート。 選手達は、スポンサー会社から支給されるシャツを着て、大会に参加だ。田坂君のチームのスポンサーはたばこ会社だった。
ダブルス1回戦ファイナルゲームの末、破れる。会場の応援は割れんばかりのお祭騒ぎ。こういう雰囲気で対戦するのは初体験。 パートナーはバドミントン学校中退ながら上手だったが、対戦相手は同じバドミントン学校のOBで一枚上。
やはりインドネシア人は人懐っこい、大会会場の外では、記念撮影で引っ張りダコ。 町を歩けば、可愛い女の子が話し掛けてくる。とにかくもてる日本人田坂君。
町は青空市場が延々と続く。 ジャカルタ、チパヨンのインドネシア バドミントンセンター。インドネシア語ではPusat Bulutangkis Indonesia。Bulutangkis とはバドミントンのこと。
ここはナショナルチームが練習する体育館。別世界だ。 あこがれの元ダブルス世界チャンピオン、リッキー=アハマド=スバグジャと記念撮影。上機嫌の田坂君。
シングルスのベテラン選手ヘンドラワンと インドネシアの星タウフィック=ヒダヤットと。彼は野外でサッカーの練習中だった。
ずっと世話になったレナント君と最後のジャカルタの夜。 果物屋さんの前で、インドネシアの笑顔。また、来てね。

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