Jazz Town Journal 0609

JAZZ TOWN FOREVER PLAN 2008 (評論)
(1) 歴史と展望
第8回今治ジャズタウンは平成18年8月27日に成功裏に閉幕しました。今年も二日間に渡って新今治市の全域において様々なステージを繰り広げました。しまなみ海道全線開通記念と銘打った大会だけに8月26日には、伯方島マリンオアシスと大島地区の名駒海岸においてタウンステージを設けました。そして同日の午後には初めてのジャズ甲子園(今治ジャズタウン・ハイスクール・ジャズフェスティバル)が今治市公会堂で行われました。今年は参加高校は4校に限られましたが、来年からは参加校数を徐々に増やして参りたいと計画しています。その他旧市内では更に6箇所において夜遅くまで熱いタウンステージを展開しました。最終日の27日には、恒例の出演者今治ミーティングとジャズクリニックとメインステージ開演前のウェルカム演奏と続きました。メインステージが開幕するとオープニングを飾ったのは、前日のジャズ甲子園で最優秀校に選ばれた松山工業高校吹奏楽部の皆さんでした。高校生たちはジャズタウンに若い力を注入してくれました。その後を「プラネタリウム」、「外山喜雄とデキシーセインツ」、「向井滋春クインテット」、「猪俣猛オールスターズ」と「特別ゲストの尾崎紀世彦さん」と続きました。毎年参加して頂いている向井滋春クインテットと猪俣猛オールスターズは舞台構成の両支柱となっていて、その前後を他の新旧の参加バンドが華を添えました。プラネタリウムのアコーディオンも珍しく、デキシーセインツの真っ赤なブレザーと尾崎紀世彦さんの黒いスーツが好対照でした。フィナーレではスウィングガールズとゴスペラーズとジャズ甲子園で優勝した高校生バンドに加えて当日の演奏者全員が総出で華麗なショウを演出しました。
今年は初めての企画もあり、その準備不足もありましたので幾つかの大会運営上の小さいミスはありましたが、ジャズタウン全体としての平均値は高かったと思います。26日の全市域内の移動をほぼ予定時刻通りに達成したことはスタッフのご努力の賜物です。ジャズ甲子園では審査中の30分間も舞台を空白にしたことも反省点であります。新しい企画に取り組んだために、ジャズタウン全体のテーマが少し霞んでいたことも指摘を受けました。マスコミなどの報道機関の取り上げ方も足りなかったのではないかとか、地元FM放送局との連携や中継も取り入れるべきではないかというご提案も頂きました。今年初めて尾道の夜店でライブ出演出来たことはジャズタウンとしては歴史的な出来事でありました。ジャズタウンがしまなみ海道を渡って対岸交流を開始して、世界へと繋がる第一歩を踏み出したと評価出来ます。夜店に加えてタウンステージも一箇所尾道市内に展開したいという要望も寄せられており来年が楽しみです。今治側の大きな祭典である「おんまく」でも8月の最も暑い時期に今治港前のステージや百貨店の屋上のビアガーデンにも出演しました。7月中は毎週土曜日に何処かでライブを行いました。第8回目の今年はこのように街頭やステージ共に最も多い機会に出演できたと思います。そのために総花的となり一つのテーマを追求するという演出は出来ませんでしたが、ジャズタウンが10回を超えて存続発展する基盤を固めると共にしまなみを渡って世界に発信する橋頭堡を築いたものと確信致します。
思えばジャズが誕生して100年を越えました。ルイ・アームストロングと共にニュー・オーリンズに生まれたジャズはミシシッピ川を遡ってシカゴからニューヨークへと伝わり、今では全世界に普及しています。しかし、この100年の変遷はもの凄いものがあり、最近は一般大衆がついていけない程の変わり様であります。コードとモードを守っている間は人々は楽しんでいましたが、それ以後はジャズの歴史を無視して所謂オリジナルと称する自作自演をミュージシャンが押し付け始めると聴衆は離れて行きました。演奏している本人は得意でも、聴いている市民には何の共感もなくただうるさいだけの音楽に聞こえるのです。ジャズも第二世紀に突入していますが、人々はジャズの原点から流れ続けている美しく楽しい音楽をもう一度待望しているのではないでしょうか。今治ジャズタウンが発足の当初からスタンダードなジャズに拘って来た最大の理由がここにあります。そして原則としてジャズタウンではジャズしか演奏しないという伝統を守っています。ジャズ発祥の国アメリカでもし廃れても、今治ジャズタウンでは昔懐かしいジャズを演奏します。現代は過去と未来を結ぶ接点です。長い伝統と歴史の延長線上に未来があるのですから、現代というこの瞬間に生きる私達は歴史的視点を踏まえて臨む必要があります。未来は突拍子も無いものではなく、過去の長い歴史が継続的に発展する方向の上にあるのではないでしょうか。今治ジャズタウンの取るべき歴史的視点はかくあるべきと大先輩からも助言を受けています。世の中の変わるものと変わらないものを認識して、出来うる限り今治ジャズタウンがその名の通り永遠に続くフェスティバルに成長することを念願するものであります。
(2) 市民参加型のジャズタウン
今治ジャズタウンでは2005年度から、女子高校生を中心とするスウィングガールズとその母親の世代による市民合唱団ゴスペラーズを発足させました。このことは第6回までの市民に聴いてもらうだけのジャズタウンではなく、市民にも参加してもらうジャズタウンへと発展を遂げた歴史的な出来事でした。その前年に上野樹里が主演した映画「スウィングガールズ」がヒットしたことも良い刺激になっています。スウィングガールズは女子高校生が主体ですが、小学6年生から20歳の若者まで含まれています。それに少数ですが男子生徒も参加しています。スウィングガールズの構成員の母親たちが中心となって市民合唱団ゴスペラーズが誕生したことも特筆すべきことであります。そしてこの二つの親子世代の楽団の共演も今年は実現しました。2005年はスウィングガールズのユニフォームは真っ赤でしたが、今年はピンク色で少し控えめでした。これに対してゴスペラーズは黒い色で統一して対照的でした。ゴスペラーズにはトリニダードトバコから来られた妙齢の黒人女性も参加してくれました。2006年度はまた、ジャズ甲子園が始まりました。高校の吹奏楽部を中心にジャズバンドを募集しました。徐々に参加校を増やして文字通りのジャズ甲子園を目指しています。将来全国からジャズタウンに高校生ジャズバンドが来る様になれば、市民の皆さんのご家庭にホームステイをお願いしたり、地元の高校生との交流においても市民の皆さんのご理解とご参加をお願いできれば嬉しく存じます。もし外国の高校生バンドも来れば夢のようなお話ですね。北海道の倶知安ではジャズフェスティバルをもう15回も続けていますが、カリフォルニアの高校生が毎年倶知安でホームステイして大会を盛り上げているとの報告を聞いています。市民の手作りのジャズタウンですから夢は幾らでも広がりますね。また、市民参加型のジャズタウンでは、第一回からボランティアとして多数の市民の方々が大会当日の裏方として参加して頂いています。これらの市民のご協力なしには大会の運営は成り立たないのであります。また、今治出身の出演者が地元の後援会などの後押しで、大会期間前後に今治市でライブを行っています。ジャズタウン本体は関与していませんが、各会場とも盛況を呈していることは喜ばしいことであります。毎年7−8月のジャズタウンの主要期間中に、各種の市民参加のライブや行事が行われることはジャズタウンの波及効果として高く評価できます。もちろん、演奏者の斡旋や調整が必要な時は実行委員長のご協力を仰いでいます。こうしてジャズタウンの周辺にもイベントが広がることは素晴らしいことですので、もっと輪を広げて行きたいと念願しています。
さて、スウィングガールズを体験した若い人達は卒業して県内外の学校に進学したり就職したりするでしょうが、やがて故郷に帰って来る人も多くいます。彼女たちや彼たちはジャズタウンで育ったことを誇りに思って頂きたいと思います。そしてジャズタウンに再び参加して欲しいと念願します。結婚して子育てが一段落すると今度はゴスペラーズに参加して歌ったり演奏したりして欲しいですね。コーラスでもどんな楽器でも嗜んで、一生を通じて音楽に親しむ生活習慣を身に着けて頂ければ、どんなにか人生が豊かになることでしょうか。今治ジャズタウンが市民参加型の大会である限り、親から子の世代へとジャズタウンの輪が伝承されて行くことを期待しています。こうしてジャズタウンの裾野を市民の方々のご協力で拡げることでジャズタウンが市民の音楽祭として定着し発展を続ける原動力になるものと信じるものであります。
(3) テーマと構成
ジャズタウンも回を重ねるに連れてマンネリズムを避けるために、これからは毎年新しい企画が必要になります。何処のお祭りにもテーマがありますね。ジャズタウンが1999年に始まったのは架橋イベントとデューク・エリントン生誕100周年という行事が重なったのは幸運でした。エリントンが生まれてからの100年はジャズ誕生からの100年と重なっているからですね。本場の米国から、「エリントン・フォーエヴァーバンド」という今では信じられない様な米国オールスターズがこの今治にも来てくれたのです。この年は世界中でエリントン100周年を祝いジャズの歴史を振り返る運動が起きていました。今治ジャズタウンもこうして生まれたのです。最初の5年間は何もかも初めての経験ばかり続いたのであっという間に過ぎました。毎年少しずつ出演者の構成を変えるとともに、新しい出演者も招いて来ました。その中で今治ジャズタウンには無くてはならない支柱となる楽団も定着しています。こうして今治ジャズタウンの基礎は既に出来ています。第7回からは市民参加型のジャズタウンに成長発展もしていますので、継続発展の条件は整っていると考えます。これからはその基礎条件の上に継続発展を続けるためにはどうすれば良いかを模索する時期に来ています。ジャズタウンとしての大きいテーマを掲げるとともに毎年の企画や構成に変化をつける必要もあります。しかし、守りの姿勢も重要でありますから、基本を尊重しながら新しいテーマも開拓したいですね。ジャズタウン全体のテーマもありますし、それぞれの出演者が持つテーマもあるでしょう。ジャズクリニックもこの6年間は楽器別に開いて来ましたが、2007年度は楽器間の連携に重点をおいて初めて一堂に会してのジャズクリニックを行う予定です。もし実現すれば日本で初めての企画ということになります。単独の楽器だけバラバラに演奏しても音楽にはなりません。ジャズの即興演奏の極意は各パートの阿吽の呼吸にあるのではないでしょうか。日本のトッププロによる全体クリニックは初めての企画だけに全国の注目を集めることでしょう。その成果を踏まえて次年度はどういうテーマで行くかが見えてくる訳であります。そしてジャズタウン全体としては変わらない大きなテーマも掲げています。テーマが決まれば構成も自然に決まります。参加してくれた楽団をどう配置するかという段階から、このテーマで行くからどんな楽団に参加して欲しいかが決まる様になります。毎年参加している楽団も年度ごとに新しいテーマを見つけて頂きたいですね。こうして今治から全国と世界へジャズを発信する夢が広がりますね。テーマが決まるとシンボル・カラーやデザインも決まりますね。変わらないテーマと変わるテーマと両方が必要ですね。ジャズタウンに参加した市民もそんな流れを感じて貰えれば来年も参加しようと思って頂けるのではないでしょうか。そのためにはメディアや出版物で年間を通じて市民に働きかける努力も必要になりますね。地元のFM放送局にもジャズタウンの定番を開設できると良いですね。第8回も成功裏に終えることが出来ましたが、多彩で平均値は高かったのですが、聴く市民の側からはジャズタウンとしてのテーマがはっきりとは見えないとの声も寄せられました。第9回からはテーマと構成を決めて、それに相応しい演出をすることが必要な段階に初めて到達していると思います。市民とともに楽しんで、市民とともに作って行くジャズタウンにするためにはテーマと構成を研究することが大切です。2005年度のニューオーリンズ支援チャリティーも立派なテーマでした。ジャズの聖地はまだ完全には復興してないとすれば、まだ暫くこのテーマも掲げておくことも必要かも知れません。そのことでジャズの聖地との交流も生まれるのではないでしょうか。ジャズタウン全体のテーマは年毎に変わることはあり得ません。ジャズの歴史を踏まえてその王道を行く姿勢は既に高く評価されているからです。この基本テーマを掲げる限りジャズタウンは継続発展できると信じます。
(4) 登竜門としてのジャズタウン
ジャズタウンも回を重ねて全国的にもその存在を知られる様になると、ジャズタウンでデビューすることがミュージシャン達の登竜門として脚光を浴びるようになります。将来性のある若手を地方の音楽祭で育てる試みは効果的であると思います。ジャンルはあれもこれもという訳には行かないので、例えばヴォーカルを主として今治ジャズタウンから売り出すとか、他の楽器のソロでも有望な新人があれば地元出身であるとないとに係らずデビューしてもらえば良いと思います。後にスターになられたら何年に今治ジャズタウンでデビューしたと経歴に書き込んでくれるでしょう。そうすれば、今治ジャズタウンへの里帰りも可能ですね。世界的なジャズ評論家の岩浪洋三先生も、地方のフェスティバルから新人をデビューさせたら良いと助言して下さいました。また、コンテストも企画すれば良いとも言われました。この点は今年既にジャズ甲子園として実現した事例も生まれています。ジャズ甲子園は年々参加校も増えて何れは全国規模に発展する可能性があります。今治ジャズタウンが若い音楽家の登竜門としての役割を果たすことが出来れば、これほど嬉しいことはありませんね。ジャズタウンは日本の一地方の音楽祭ですが、遠い将来は国際的な登竜門の一つとしてその名を世界に知られる様になりたいと夢見ています。
(5) しまなみから世界へ
今年の第8回ジャズタウンで特筆すべきことは、初めてしまなみ海道を渡って対岸の尾道市の夜店でライブを行ったことであります。しまなみ海道が全線開通したことを記念して行われた対岸交流はジャズタウンの歴史において極めて重要なステップを意味しています。ジャズタウンがしまなみを超えて全国と世界に羽ばたく第一歩であるからであります。ジャズタウンはまだ規模も小さいですが、その生い立ちやコンセプトは個性的であると同時に普遍的な要素を秘めています。ジャズタウンがその名の通り永遠に存続するためには、今こそしまなみを超えて世界へと飛翔しなければならないのです。大企業や国営の放送局が運営する音楽祭では出来ない、個性的で地方から世界にジャズ文化の王道を発信するジャズタウンは既に生まれているのです。もし50年を超えて存続出来れば、規模は小さくてもジャズタウンはジャズの聖地の一つに数えられる様になるかも知れません。そうなれば世界中から聴きに来てくれるでしょうし、今治ジャスタウンに参加することが出演者の名誉にもなることでしょう。ニューオーリンズに生まれたジャズが今治で生まれ代わる事もあり得ると思います。その為には私達は若い後継者を育てなければなりませんね。一人ひとりが自分の役割を次の世代にバトンを渡して行きましょう。その後継者がまた次の世代に渡して行くという循環経路を確立すればジャズタウンは50年でも100年でも続きます。まもなく第10回に迫ろうとする時代にジャズタウンに係っている私達はその為の基盤を築くという役割を与えられているのです。それが「ジャズタウン・フォーエヴァー計画」であります。北京オリンピックが開かれる2008年にはジャズタウンは第10回を迎えます。その年にはジャズタウン・フォーエヴァー計画が遥かな展望に向かって歩み始める時であってほしいと夢を見るような気持ちで願っています。続けることは始めるより遥かに難しいことです。「継続は力なり」と言われる通りです。私達は若い力を信じています。そう信じて次の世代にバトンを渡しましょう。そして「ジャズタウン・フォーエヴァー!」と乾杯しましょう。

平成18年9月28日 ジャズタウン・ジャーナル編集部