Jazz Town Journal 06083

第8回今治ジャズタウンを終えて

猪俣猛先生(2006年8月27日午後10時過ぎ、神戸洋酒クラブにて)

 
記者: 先生、今晩は!
猪俣: 今晩は!
記者: 何時もジャズタウンの為に多大のご尽力を頂きまして誠に有難うございます。
猪俣: いえいえ、何を仰いまして。
記者: お陰さまで第8回も素晴らしいフィナーレで終わりまして、大変に喜んでおります。今日の最高のヴォーカリストの「ハワイの結婚式の歌」も良かったですね。
猪俣: ああ、そうですね。まあ彼しか歌えないですね。返ってジャズには相応しくない曲だったかもしれないけど、あれはあれで良かったんじゃなかな。
記者: はい、あの太平洋の音楽を聞きまして素晴らしいと大変感激致しました。先生はジャズタウンの初めから全部見て頂いて、影のプロデューサーとして育ての親として、本当にご尽力頂いたんですけれども、8回目がおわりましたのであと2回で10回になりますが、これまでを振り返って先生のご感想をお聞かせ頂ければうれしいのですが。
猪俣: そうですね、このコンサートで僕たちが大変感動して良いなと思うのは、何というか、興行師がやるんじゃなくて、すべて市民の皆さんやスウィングキッスの皆さんや市役所の皆さんがスタッフとして動いてくれるという、すべてが手作りのコンサートというのが凄く魅力があると思います。
記者: はい、有難うございます。ちょうど時期が市町村の合併と重なったりして予算面が厳しくなりまして、ジャズタウン自体は年々盛んになるんですけれども、予算の方は少し減少傾向になっています。これをカバーするために、スウィングガールズとかゴスペラーズとか、今度のジャズ甲子園を目指している高校生のジャズバンドとかお招きしたんですけれども、若い高校生に焦点を当てる様な企画も同時に始めているんですけれどもこれは如何でしょうか。
猪俣: それはこれで良いんじゃないですかね。だから、あの出来れば、今年南房総、千葉で三日間続けてやったんですけどね。一日目はアマチュアだけで地元の音楽家で固めてしまう。二日目は色々な所で散ってプロがやると、最後がメインコンサートで公会堂でやると。これはバンドはもう三つ位でよい。あまり沢山出すと返ってお客さんの方も何を聞いてよいのか分からなくなる。毎年ある程度テーマを決めてやった方がいんじゃないかと思いますよ。あんまり色々なことをやるとぐちゃぐちゃになってしまうと思うんで、これ以上のことはしない方がよいと思います。
記者: はい、守りの姿勢も大事であるということですね。
猪俣: そうですね。
記者: 守りながら発展させて行くということですね。出演者今治ミーティングとジャズクリニックとウェルカム演奏というのは三点セットと言われているんですけれども。先生方にお願いしたらジャズクリニックを1時間もやって頂きまして、これは東京でもトップの方に教えて頂けるという機会は滅多ににないと思うんですが。これは本当に素晴らしいことで、今日も松山工業高校の生徒さん最後まで残って先生のドラムスの教室にも、他の楽器の教室にも分散して授業を受けて帰って頂きましたけれども、これは本当に素晴らしい企画やと思うのですが。
猪俣: そうですね。僕自身は今日思ったんですけど、このクリニックも今度は全員が集まって、各楽器の、たとえばサックス奏者が一人、ドラムが一人、ピアノが一人とか、何を我々がやるべきかという講座的なことをやると良いんじゃないかと思います。ドラムだけを教えてもドラムが他の楽器にどういう役割をしているのか分からないので、出来れば来年はそういう風にやって見たいと思っています。
記者: 講座で体系化するということですね。
猪俣: そうですね。
記者: 楽器別と同時に連携というか。
猪俣: そうですね。そこでプロが結局そこでこういう役割をしているということを演奏して実際に見せて上げると以外に良いクリニックになる。これは何処もやってないと思いますね。僕も一回これをやって見たいと思っていました。
記者: 来年は是非とも企画して頂きたいと思いますので、事前にご指導をお願い致します。毎年横の方で聞かせてもらっているんですけど、先生の若い方に教える情熱とパワーに圧倒されますね。若い高校生たちも本当に感激して一生の宝になると思うんです。本当に有難いことで東京でもあんな講義は中々受けられませんよね。
猪俣: そうですね。でも基本的には全国何処に行っても同じ様なことはやっています。僕より彼らは遥かに長く生きて呉れますからね。だから、音楽というものが夢でありそれが彼らにとって別に演奏家にならなくても音楽にふれて良かったなと思って頂ければ良かったなと思っています。
記者: そのクリニックの件はよく研究致しまして来年は更に進める様に企画させて頂きたいと思います。
猪俣: そうですね。場所がね、あちこちで音が重なってやりにくい部分があるんで多分一つで統一してやると意外と面白いじゃないかという気がするんでね。
記者: 一つの教室に複数の楽器の先生が集まって頂くということですね。
猪俣: そうですね。例えばピアノはこういう立場で弾いているとか、ドラムはこういう立場で叩いているとかやって行くと一人15分位で結構ね、で最後にアンサンブルをやると。
記者: そしたら会食したあのミーティング会場の様な所で楽器が並んで頂いたらいいかも知れませんね。
猪俣: そうですね。
記者: よく分かりました。大変素晴らしいご提案を有難うございました。それから先生、これは大分飛び離れた話なんですけれども、この間上海から帰ってきた人がですね、上海にジャズあるのと聞きましたらね、租界時代の古い人がぼちぼちやってるでとかいう話を聞いたんですけどね、あのそれで、ニューポートとかモンテレーとかモントルーとかいう世界のトップのジャズフェスティバルというのは私たち田舎のとはレベルも歴史も違うんですけれども、まあ50年近くも続いているんですが私たちも世代が交代してもこういう地方のジャズフェスティバルが願わくば私たちが引退しても続いてほしいという願望はあるんですよね。
猪俣: そうですね。もうこれは絶対続けて行ってほしいですよね。
記者: 先生のお立場を考えてみても先生がこれだけ情熱を持って今治ジャズタウンを育てて下さったわけですから、これは世代が変わってもですね今治ジャズタウン続いて頂きたいと思われますよね。
猪俣: そうですね。今治という一つのイベントのカラーが出ればね、もうかなり定着しましたからね。あんまり変えちゃうと良くない気がします。
記者: あまり欲張らずに守りながら発展させると。
猪俣: そうですね。僕の希望としてはあくまでスタンダードジャズを中心とした形のジャズフェスティバルを続けて行って欲しいなと。
記者: スタンダードなジャズを中心にこれまでの方針を守るということですね。
猪俣: 結局アメリカの方でジャズがダメになっていってしまったのが、どんどん自作自演の曲が多くて、お客さんの知らない曲を多くやる様になってマスターベーション的なんで、僕音楽ってなお客さんと演奏家が一体になって初めて音楽が出来ると思うんでね。やっぱりみんなが知っている曲を個々の演奏家がお客さんと分かち合いながらやってという様な形はずうっと今までやって来たんでこれは続けてほしいですね。僕も自分のオリジナルは随分書いていますけど、あのみんなの知っている曲を分かち合うと。クラシックがこの300年近く続いて来ているのは、ベートーベンとかモーツァルトとかシューベルトとか、やっぱり良い曲しか演奏しないんですよね。プログラムに変な現代音楽なんか組むとお客さんが入らない。やっぱりジャズも良いジャズが一杯あるのでね。
記者: ジャズの歴史を踏まえた企画が必要であるということでございますね。
猪俣: そうですね。
記者: まあ、先生毎回毎回、日本のトッププレーヤーを招いて頂いてお陰様で地方の一都市なんですけれども今治ジャズタウンの知名度も少しずつ上昇して来ておりましてね、大変有難いことであると思っております。しまなみ海道という高速道路が全線開通しましたので対岸の姉妹都市の尾道市とも交流を始めたいと思っております。この間7月8日に初めて尾道夜店に街頭出演しました。今治の夜店でやるのと尾道夜店で初めてやったんですけれども、お客さんの反応が違うんですよね。向うもジャズバンドあるんですけれどもそういうことをされて無かったみたいで、もの凄い新鮮なというか驚きと言いますか、好奇心が高いというか大勢の方が立ち止まって雨が降るのに聞いて頂いたんですけどね、この様な地道な対岸交流も続けて行きたいと思うんですけど如何でしょうか。
猪俣: それは絶対やるべきですよね。やっぱり橋ってのはそのために着いているんで文化もお互いに交流するという本当の意味で橋渡しで、音楽を通して文化交流というか、そういうものをやって頂けると良いね。
記者: そこで悩みの一つが橋の通行料が普通車ですと往復約一万円いるんですよね。これがまあ非常に高いので。先生、尾道や福山の人が一万円払ってでも今治ジャズタウンを聞きに行こうかという風にまで持っていかないかんですかね。
猪俣: そうですね。その辺何か行政とうまく相談して、通行証があれば半額にするとか、そういうサービスを本当はやってくれるといいんですがね。
記者: 私たち今治市民から見ても、尾道ラーメン美味しいいうて聞いてますけどね、たった500円のラーメンを食べに1万円の高速料金払って行きにくいんですよね。
猪俣: それは無理ですよね、はっきり言ってね。
記者: でもジャズタウンはですね、まあ、1万円払っても聞きに行きたいなと。猪俣先生も尾崎さんも来た言うたら聞きに行きたいなというPRをすれば聞きに来てくれる人も出てくるんではないかと思いますけどね。
猪俣: まあ、ね。これは千葉の方で僕もやったんですけど。やはり、その海ホタル、あの通行料が高いということでね。中々やっぱり東京からの集客が少ない。地元だと本当に人口少ないんでね。そこが完全に悩みの種になっている。
記者: 分かりました。やはり橋は道路行政ですけどね。まあ部分的な割引でもあれば良いなと思うんですけれども。先生はもう本当にジャズに長く従事されて世界のジャズの傾向に熟知しておられると思うんですけれども、ジャズは生まれて丁度100年位になるんですか。
猪俣: そうですね。丁度20世紀の冒頭でニューオーリンズから初めてジャズらしい形が出来て、シカゴ、ニューヨークと移って来て、まあ100年、今もう2世紀目に入ってますからね。
記者: 第2世紀目に入ったジャズなんですけれども、今後はどういう方向に向かうんでしょうか。
猪俣: 僕はジャズはもう一度原点に戻るべきであると思ってますね。あの1930年代のジャズに戻って、その即興演奏というか、ジャズの持つアドリブもそうですけど、メロディの美しさをもうちょっと大事にして行くとジャズはもっともっと拡がると思うんですけどね。なんか、ちょっと最近マスターベーション的な音楽が多いんで、先程も出ましたけどね。オリジナルってのは成るべく避けて頂いて、もう本当に名曲がもう1万とか2万という曲がありますからね。
記者: そうですね。ジャズの百年の歴史を踏まえて、原点を踏まえながら成長発展するということでございますね。今治ジャズタウンは是非ともその方針を堅持しなければいけないと。
猪俣: そうですね。それをね、演奏家が今生きている人間だから、古い曲やっても今の音楽だと思うんですよ。それを勘違いして聞く方が古いよって言う人は、これは僕は間違っている考え方だと思うんで、じゃあベートーベンの「運命」を全然違う形でクラシックの人が演奏したら、お客さんのブーイングを食うと思うんですよ。
記者: それはそうですね。
猪俣: それと同じ様にジャズも名曲、エリントンの曲、ガーシュインの曲という、そういうのをやはり中心にジャズの持つ本来の美しさというものを聴いて頂ける様に、それがジャズタウンの目玉になれば良いと思いますね。
記者: 有難うございます。古典の名曲というのは古くて新しい訳でございますね。
猪俣: そうですね。やる人は今生きているひとがやってますからね。
記者: はい、分かりました。今日もあのう、黒人の方2名ほど大勢の中で目立ちましたけど。ああいう風に一人でも二人でも、ニューオーリンズとかですね、誰か一人でも参加してくれると大変嬉しいんですけどね。
猪俣: ね、やっぱりその辺はやはり予算の面の問題も出てくるでしょうし、大変でしょうけどね。
記者: アメリカ大使館にも今年お願いしたんですけど、中々日程と費用が合わなくてね、今年は誰も来てくれなかったんですけど、それでも来られた楽団の中には黒人の方もいらっしゃたし、ゴスペラーズの中にも今治で働いている英語の先生でしょうかね、若いトリニダードトバコから来られた方が、あの方自身が望んで参加してくれたんですよ。
猪俣: 良いことですね。
記者: 先生、あの8回目も大成功に終わりまして、10回まであと2回なんですけど、登山でいうと8合目、9合目ということになるんですけどね、あと2回どの様なことが一番大事でございますでしょうか。
猪俣: そうですね。やっぱり子供たちを育てて行くということも大事だし、それから、あんまり色々なゲストをというんじゃなくて、ある程度ワンパターンでも良いから同じメンバーがある程度、僕が来たいから言うんじゃないんですけど、あんまり何か有名人であるというだけでなく、隠れたうまいミュージシャンが沢山いますからね。そういう人たちを是非呼んでやって頂きたいなと。お客さんはね、どうしても名前のある人を欲しがるけど、そういう人はお金は高いし、結構なんかぐちゃぐちゃうるさいから。もう自分たちも一緒の今治の人間なんだという気持ちでね、そういうミュージシャンに来て頂いて盛り上げて行くと凄く楽しいコンサートが出来ると思うんで。今まではそれが全部成功して来たと思います。あと2回そのまま行っていいんじゃないですかね。
記者: はい、分かりました。あまり心配せずに第一の峠は越えられると!
猪俣: はい、全然心配いりません。
記者: ありがとうございます。先生にそう言って頂けると大丈夫と思います。先生、昨日は伯方島のマリンオアシスというところでやって頂きましたが、その隣の大島のレストランの前の海岸で野外コンサートをしたんですけど、日が暮れると雰囲気が良くて潮騒の音を聞きながら、涼しい海風が入って来ましてね、実に素晴らしい野外演奏が出来ました。宮哲之さんという大阪から来てくれたミュージシャンが「Aトレーン」を演奏して呉れたんですが、20年は使ったという古いサキソフォーンで最後に工夫して汽笛の音を出してくれましてね、何時までも演奏して欲しかった様な最高の雰囲気の野外コンサートでした。野外演奏とか街頭演奏とかは、やはりジャズの原点じゃないんでしょうか。
猪俣: そうですね。僕もどちらかと言えばメインコンサートよりか、前夜祭の方が好きなんです。僕の方は必ず何処か島でやらせてくれと条件を付けています。
記者: そうですね。先生はそうですね、関前とか島専門で廻って頂いていますね。
猪俣: ええ、その方が絶対嬉しいんでね。
記者: やはり、ジャズタウンという位ですから、街でやるということが大事ではないかと思うんです。先生、最後にジャズタウンをここまで育てて頂いて本当に感謝申し上げていますけど、これは先生と平尾委員長の師弟関係による太い長い縁がありまして、私共本当に感謝していますが、平尾委員長は学生時代どんな音楽青年だったんでしょうか。
猪俣: それはもう、殆どドラム気違いみたいな感じで、たまたまねお父さんが体を壊して、帰りなさいと言ったんでね。でも、ある程度仕事が軌道に乗ったら、やはり昔ドラムをやりたいというイメージがそのまま続いて彼がスウィングキッスを育ててくれて、僕はもの凄い嬉しいですね。だから、師弟というより後輩という感じですね。
記者: ああ、そうですか。有難うございます。彼の後輩も順調に育っておりますしね、次々と世代を超えて先生のお教えが受け継がれる様に努力したいと思っております。先生、今日は本当に有難うございました。
猪俣: いえいえ、どう致しまして。
記者: 先生、来年はまた、びっくりする様な企画がございますか。
猪俣: 来年はだから、僕自身もひとつ面白いことを考えて平尾さんにお願いしたんですが。実は内の娘の女性バンドがかなり良いバンドなんで、是非出来れば連れて来て上げたいなと。私の方も打楽器でジャズをやってみたいなと。
記者: 打楽器だけでですか。
猪俣: もちろん、マリンバとヴィブラフォンは入りますが、かなり面白いものが出来るんで。
記者: さっきも尾崎さんが先生のドラムの伴奏だけで歌われましたよね。
猪俣: ええ。
記者: あれが本当に素晴らしくてね。本当にメロディ楽器が一つもないのに、メロディが聞こえてくる様な素晴らしい伴奏とまた歌手も日本のトップでしたけれども。本当に打楽器というのは音楽の要素の基本の一つなんですね。
猪俣: そうですね。やっぱりそこがしっかりしていると、その歌うと思うんですね。チューニングの問題とか色々あるんですけれども、あれだけ歌がうまいとドラム一本でもやる方もやりやすいし。
記者: ドラムいうのは音楽の心臓という訳で、拍動でリズムを送り出すということでございますね。
猪俣: そうです。
記者: もう本当に素晴らしい。毎回毎回感動しています。有難うございました。ところで先生、あのう古希を迎えられたということですが、本当ですか。
猪俣: はい、だから、多分2010年までは絶対責任もって来ますので、否といってもとにかく強引に来ますんで宜しくお願いします。
記者: 先生、あの古希どころか米寿までも頑張って頂きたいと思います。
猪俣: いえいえ、どうも。そこまで行けるかどうか分かりませんけど。
記者: 先生、今後とも末永く今治ジャズタウンを育て続けてやって頂きたいと思います。
猪俣: はい、出来る限り応援させて頂きます。
記者: 本日はお忙しいのに本当に有難うございました。来年も楽しみにしています。
猪俣: 有難うございました。失礼します。
記者: ありがとうございました。

 平成18年8月28日 ジャズタウン・ジャーナル編集部