Jazz Town Journal 0505

今治ジャズタウンへの提言2005年版

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今治ジャズタウンの歴史
History of Imabari Jazz Town

市民密着型のジャズフェスティバル
Jazz Festival for Citizens

地域交流と対外交流
Local Interchange with International Relationship

通年行事とPR活動
Annual programs and PR Activity

今治から世界にジャズを発信
New Jazz Signals from Imabari

継続発展への戦略
Strategy for Continuos Progress

平成17年5月25日 ジャズタウン・ジャーナル編集部


今治ジャズタウンの歴史
今治ジャズタウンは1999年の架橋記念イベントとして愛媛県が実施した第一回今治ジャズタウンを2000年度からは今治市が引き継いで今日に至っています。今年で第七回目を記録するこのジャズフェスティバルは全国からも注目を集めて日本の主要なジャズフェスティバルの一つとして定着しつつあります。今治ジャズタウンが今日まで成功を収めている最大の理由は、今治方式と言われる独自の路線を歩んで来たためと専門家からは評価されています。今治方式とは開催期間二日の内第一日目を市内各所で行うタウンステージとして、同時多発ライブが繰り広げられます。そして各地で演奏したミュージシャン達はアンカーを努めるクラブ会場に全員が集合して、アドリブ演奏などを楽しみながらフェスティバルの雰囲気を盛り上げて行きます。第二日目には一転して主要会場に集結してメインステージとして盛り上げるという趣向であります。そして第二日の開演前には、三点セットとして出演者今治ミーティング、ジャズクリニック、ウェルカム演奏と繋いでいることであります。この今治方式の演出は全国の他のジャズフェスティバルでは見られない独自の方式であり今では今治の地に定着しています。広域合併を果たした新今治市において開催される初めての大会である今年度は、タウンステージの範囲を拡大しています。合併した12市町村の全てに出張したいところですが、二日間では無理なので、一年間を通じて広域ライブが実現すれば良いと考えられます。
第一回ではデュークエリントン生誕百周年の年にあたり世界中で記念コンサートが行われました。日本でも幾つかの会場で行われましたが、その一つが今治市におけるジャズタウンでした。今考えると信じられない様な豪華な国際スター達が集まっていました。ヴォーカルのヴァネッサ・ルービン、ピアノのローランド・ハナ、フルートのフランク・ウェス、ドラムスのケニー・ワシントン、エリントン楽団生き残りのトロンボーン奏者のアート・バロン、サックスのジミー・ヒース、ベースのレイ・ドラモンド、トランペットのリュー・ソロフなど米国を代表するスーパースター達と大西順子やケイコ・リーなど日本人スターの多くも顔を揃えていました。第二回の2000年にはザ・キングという日本最高のビッグバンドが出演しました。猪俣猛、前田憲男、荒川康男、中牟礼貞則、五十嵐明要、大森明、西条孝之介、右近茂、原田忠幸、村田浩などの日本のトップスター達が大挙して今治に集結しました。しかもザ・キングにとっては最初で最後の東京外での公演になりました。翌年21世紀のカウントダウンと共にこの栄光の楽団は解散したのであります。ザ・キングの他にも優れた演奏家が参加しました。ピアノの名手である辛島文雄とトランペットの名手原朋直が来てくれました。今治出身者もいました。藤本忍とエモーション、長野幸雄と谷本久美子、SUN SHIPたちがいました。松山からも栗田敬子、渡辺綱幸、桜井康雄、九州からダニー馬場らが参加してくれました。またこの年はNHKFM放送がメインステージの中継録音をして後日放送してくれました。
第三回はメインステージを初めて市民の森に移して開催されました。ケイ赤木トリオ、猪俣猛ジャズオールスターズと古関みゆき、原大力トリオ、SUN SHIP、栗田敬子カルテット、長野幸雄&近藤ちづる、タイムファイブの皆さんとジャズ評論家の岩浪洋三さんが特別出演してくれました。照明装置やトイレなどに不備のある野外ステージでの開催には多くの困難を伴いましたが、スタッフとボランティアの皆さんの必死の努力で何とか成功に漕ぎ着けました。タウンステージの方も市内各所で同時多発ライブを展開しました。第四回はメインステージを再び今治市公会堂に戻して開催されました。この年は今治築城400周年の年にもあたり、寿太鼓でメインステージが華やかに開幕しました。ヴォーカルの伊藤君子とトロンボーンの第一人者である向井滋春クインテットが初参加して、猪俣猛セクステット&谷野ゆき、藤村麻紀&内桶好之グループ、ソルティードッグス、峰厚介カルテット、藤本忍&エモーション、SUN SHIP、桜井康雄トリオ、栗田敬子&渡辺綱幸、ダニー馬場&田部俊彦、長野幸雄&谷本久美子と共に盛り上げて頂きました。京都からはサウンドトラップオーケストラが特別参加してフルサイズのビッグバンドの魅力をアピールしました。岩浪洋三先生も引き続いて参加して貴重なコメントを発表して頂きました。タウンステージも順調に展開して今治ジャズタウンの基本パターンが確立したのもこの大会からであります。この年には船上ライブも大島フェリーを借り切って二時間の瀬戸内クルージングをしながら多くのファンがジャズを楽しみました。出演者今治ミーティング、ジャズクリニック、ウェルカム演奏の三点セットが定着したのもこの大会からでした。
第五回は猪俣猛フォースが小林圭を呼んで頂き、向井滋春クインテットと共に今治ジャズタウンを全国にアピールする大会になりました。多くの聴衆が全国から今治に来てくれました。常連と初参加のグループも例年通り集まりました。ソルティードッグス、長野幸雄トリオ、SUN SHIP、ダニー馬場&ファンキースタッフ、栗田敬子DUO&田村美沙、桜井康雄グループ、田部俊彦、谷本久美子の他に北九州からニューアベベ・オールスターズが参加しました。タウンステージも例年通り市内各所で同時多発ライブを展開しました。合併を控えた島嶼部にも初めて出張公演を行いました。岩浪洋三先生も今治ジャズタウンがユニークなジャズフェスティバルに成長しつつあるとコメントを披露して頂きました。また、毎年の全大会を通じて地元のビッグバンドのスウィングキッスジャズオーケストラは出演の他にも大会の裏方として企画と運営にボランティアとしてフェスティバルを支えてくれていることは特筆すべきことであります。第六回からは実行委員会のスタッフも若返り、定着した今治方式に則り例年通りの成功を収めました。向井滋春クインテット、猪俣猛シクステット、宮哲之カルテット、タイムファイブ、キャンディ浅田、SUN SHIP、ダニー馬場&ファンキースタッフ、栗田敬子DUO、桜井康雄グループ、藤本忍&エモーション、長野幸雄の他に広島からビッグバンドとしてヒロシマ・ジャズオーケストラが初参加してくれました。また広島県呉市からTITSも初参加しました。この大会では岩浪洋三さんと共に永六輔さんが特別参加して下さり、軽妙なトークとご自身の歌まで披露して大会を盛り上げてくれました。第七回も既に準備が始まっています。既に全国的なジャズフェスティバルに成長した今治ジャズタウンを継続発展させるためには広域合併を果たした今治市の今後の文化振興政策に期待が掛かっています。スタッフ達も今治ジャズタウンの更なる発展を願って日常活動を続けています。今年の第七回は例年より一週間遅い8月27日と28日に開催されます。第五回に続いて再び小林圭さんとお父さんの小林洋さんの出演が決まっています。恐らくは全国からファンが聴きに来てくれるものと期待が膨らみます。今年も今治ジャズタウンを全国にアピールできる大会になると思います。

市民密着型のジャズフェスティバル
今治ジャズタウンがこれまでに成功を収めてきたのは、市民の為のジャズフェスティバルという姿勢を貫いて来たことが大きいと考えられます。今では恒例となっている「天守閣ライブ」でジャズタウンは始まります。例年では5月に開催される天守閣内部で行われる全国で唯一の企画であります。ジャズと天守閣というミスマッチがまた新鮮であります。日が長くなった夕焼けと共に始まると天守閣の展望台からはライトアップされた来島大橋などしまなみ海道が眼下に望めます。狭い天守閣内で聴衆と陳列台の鎧武者が一緒にジャズを聴いている光景は世にも珍しいジャズシーンですね。夜店ライブとして8月上旬から市内の商店街で毎週土曜日に行われる夜店に合わせて、街角でジャズの生演奏が聞かれます。夜店に来た子供連れの家族や若い世代から熟年までのあらゆる階層の市民が通り掛りに聞いて行きます。この「夜店ライブ」も今治名物の一つとして定着しています。通例は8月の第三土日曜日に行われるジャズタウンのクライマックスでは、第一日目のタウンステージは市内の10箇所近くで同時多発ライブを展開します。うどん屋さん、喫茶店、居酒屋、電力会社のホール、ホテルのロビー、お寺の本堂、教会の礼拝堂、宗教団体のホールなどでもジャズの出前演奏が同時に繰り広げられます。すこしづつ時間差を設けているので、何箇所かの会場を梯子することも出来ます。今年は広域合併の初年度ですから、もっとも遠い関前村まで出張します。また、6月には毎年ジャズストリートを市内の何箇所かで同時多発ライブを行っています。規模は8月の半分くらいですが、広域合併の今年は出張する範囲も拡大されるでしょう。ジャズタウンの一年の総括は11月の「ジャズタウン・フォーエヴァー」で締めくくります。5月から毎月の様に行われたジャズタウンの全てのコンサートのフィナーレを飾る大会です。通常は市内のホテルの大広間で開催します。夏の本番に出演した楽団の一部も来てくれます。このジャズタウン・フォーエヴァーは文字通り、ジャズタウンが何時までも継続されることを願ってジャズタウン本番と同じ回数を積み重ねて今日に至っています。そして、この大会が終わると12月から4月までは、ジャズタウンはシーズンオフとなりますが、この期間中も小さいジャズイベントは市内各所で開催されています。この様に今治市は一年を通じてジャズが聞こえて来る町なのであります。市民密着型のジャズフェスティバルを続けて行く限りはジャズタウンの継続発展が可能であると信じる者であります。全国のジャズフェスティバルで成功を収めているところは例外なしに市民に支持され、市民に密着して市民と共に歩んでいるのであります。一部の大型フェスティバルが巨大なステージだけで開催されているのを見ると、大型予算と大観衆を集める商業的なジャズフェスティバルとは、私達の手作りの市民密着型のジャズフェスティバルは一線を画していると自負しています。

地域交流と対外交流
さて、この様な市民密着型のジャズフェスティバルを長期に渡って継続発展させて行くには視野を広く国内外に向けねばなりません。いきなり国外までは難しければ、近隣の府県や市との交流を始めれば良いと考えます。友好都市や姉妹都市を結んでいる自治体との交流にも進んで参加したいですね。何れは提携している海外の都市との交流も始まることでしょう。近隣のジャズフェスティバルとの相互交流は双方に有効なモティベーションを高め合うことになるでしょう。九州、中国、四国、関西、関東地区との交流も可能なら始めたいところです。既に、毎年ビッグバンドが京都、北九州、広島から参加してくれました。お招きがあればこちらからも相手の都市のフェスティバルに返礼参加したいところです。各地のジャズフェスティバルとの交流は私達にも新しいノウハウを提供してくれるでしょう。
今治市は今年全国でも二番目に多い市町村の合併を成功させました。その総面積は全国でも有数であり、人口も18万人に拡大しました。この合併の歴史的意義を発展させるためにも新しい地域と年間を通じて交流することが基本的に大切であります。ジャズタウンの本番の二日間では廻り切れないので、シーズンの全期間を通じて交流できれば良いと考えます。島嶼部の大島、伯方島、大三島、関前村から陸地部の菊間町、大西町、波方町、玉川村、朝倉村まで全ての地域に年一回は出向いて行きたいと思います。この地道な域内交流によってジャズタウンの継続発展に必要な広範な市民の支持を得られるものと期待する者であります。

通年行事とPR活動
現代はメディアが発達しているので、こうして通年行われるジャズタウンの行事をメディアに載せてPRを計りたいところです。メディアにも色々あります。全国版の新聞とTV、ラジオから地域内の小さい新聞、放送局まであります。そのどちらもジャズタウンのPRには必要であります。PR活動を専門に担当する部門を新設して年間のジャズタウンの行事の際に、県内外の全てのメディアに情報を発信したいと考えます。これまでにも試行錯誤で行って来ましたが組織だっては未だ実施出来ませんでした。PR活動には費用もある程度は係りますが、小額でも積み重ねて定期的に継続的にPR活動を行うことが必要であります。ホームページは既に充実していますので、更に発展させてインターネットを通じて国内外にPRするにはホームページの果たす役割は大きいものがあります。インターネットの速報性と双方向の情報交換を促進するためにも不特定多数の読者からの書き込み欄の設置が望まれます。ファンからの問い合わせや情報提供に丁寧に対応して行くことが現代では重要であります。ホームページを通じて全国のジャズフェスティバルとの情報交換も可能であります。全国版の新聞にも地方版がありますので、この地方版の記事に掲載されることも有効なPR手段であります。地元紙は何時も好意的ですが、全国紙の地方版にも掲載される様な努力も必要であります。市内だけに配布されている無料のPR紙がありますがこのミニコミにもご協力をお願いしたいところです。放送局もTVとラジオがありますが、全国放送のニュースにも登場するところまで行きたいのですが、せめて地方ニュースには採用してもらいたいですね。FM放送も何局かありますが、シーズンを通じて取り上げてもらいたいと思います。FMバリバリの様な地域FM放送局が県内ではいち早く今治市で認可されています。地域FM放送局との連携もジャズタウンのPRでは重要な手段となるでしょう。私は以前に環境運動のマスコミ対策に長年従事した経験がありますが、その時に心掛けたのはメディアの大小を問わず常に平等に資料を配布するという姿勢でした。何か行事をすることが決まると事前に資料を県内外の新聞社とTV局に配布し続けました。環境問題の対立する立場の意見を対等に取材してもらい、全国紙に度々掲載して頂きました。その当時の熱心な記者の皆さんには今も心から感謝しています。1997年に合気道の世界大会を今治市で開催した時には、NHKの全国放送で3分間もニュースで取り上げて貰ったこともあります。何れも地道なPR活動の予期しない成果であります。2003年度に「ジャズタウン・ジャーナル」というパンフレットを発行して全国に配布したことがあります。予算の関係で単年度で終わりましたが、2005年度からは民間ベースで再刊したいと希望しています。ジャズタウンの歴史やその年の記録を参加者のインタヴューを交えて記録に留めれば、PRだけでなくジャズタウンの貴重な記録にもなります。予算を計上して下さる担当課への報告書の参考資料ともなるでしょう。

今治から世界にジャズを発信
ジャズはニューオーリンズに誕生して百年が経過しました。黒人がブルースとしてアカペラで歌っていたのですが、南北戦争が終わり南軍の武装解除で大量の管楽器が捨てられていたのを黒人達が拾って鳴らし始めたとも言われています。だからジャズには管楽器があっても弦楽器が原則としてないのです。初期の大スターであるデューク・エリントンの生誕百周年を記念して、このジャズタウンも始まったと申しましたが、この百年間のジャズの変遷も凄いものがあります。今治ジャズタウンは最初から一貫してスタンダードなジャズをその基本方針としているところが全国的に評価されている重要な原点であります。この意味では今治ジャズタウンは東京や大阪で開催される大型のジャズフェスティバルとは最初から一線を画しています。出演者の水準も高いので、東京や大阪から泊り掛けで今治ジャズタウンを聴きに来ても決して損はしないと自画自賛できると思います。近い将来において全国から多くのファンに来て貰えることを期待したいと思います。その為のPRや受け皿造りを官民力を合わせて作って頂きたいと念願しています。ジャズという音楽の一つのジャンルも常に進化発展をしています。今治に行けばスタンダードジャズが聴けるという常識を全国に定着させたいと思います。また、一方で新しい試みにも挑戦する必要があります。実現はしなくてもそういう姿勢は肝要であります。今治から世界にジャズを発信するという位の気概を持ってジャズタウンの運営に当たりたいものですね。ジャズは元々ダンス音楽でしたのでジャズダンスやジャズミュージカルという分野も既に開発されているのです。伝統的なジャズと先進的なジャズとが競演し融合する時代を何時かは迎えるのではないでしょうか。その時は今治から世界にジャズ文化を発信する時が来ると夢見たいと思います。今治市民と共に町興しの一環としてジャズタウンを発展させて行きたいものですね。

継続発展への戦略
ジャズフェスティバルと銘打ったものは世界に無数にありますが、長年に渡って継続発展しているフェスティバルは少ないのが現状です。日本国内には主要なジャズフェスティバルだけでも20は数えます。今治ジャズタウンもその一つに数えられる様になりました。今後とも今治ジャズタウンが全国のジャズフェスティバルの一つとして継続発展して行くためにはどの様な条件が必要なのでしょうか。このことは常に深く配慮されるべきことであります。昔から事業には天の利、地の利、人の利と三つの条件が示されています。今治ジャズタウンの将来の発展の為にはこの三条件はどう作用するでしょうか。まず地の利ですが、今治の地がしまなみの起点であるということ、東京や大阪などの大都市から遠くにあるという地域性、古来港町として栄えて来たという歴史が有ります。今治ジャズタウンをこれまで支えて来た「今治方式」はこの地の利を十分に生かした方針として定着して来ましたのでこれを堅持することが肝要と考えるものであります。例えば東京ではフェスティバルに参加しても出演者がミーティングすることはありません。自分の出番が終わればすぐ次の会場に向かうでしょう。ジャズクリニックを行う時間も取れません。そして東京では有り得ない組み合わせや20年ぶりの競演などが実現するのも今治ジャズタウンの特色のひとつになっているのです。この地の利は活かしたいと思います。人の利はどうでしょうか。人口が少ないのでジャズ愛好者の数は大都市に比べれば少ないというビハインドがあります。人口18万人でジャズが好きで堪らない人は何人いるでしょうか。例年8月のメインステージに来てくれる人数は2000人が最大とすれば、人口の1%ということになります。しかし、同時期に行われる10箇所前後のタウンステージや夜店ライブなど、および年間を通じて今治市内でジャズに触れる人々の数は少なく見積もってもメインステージの十倍の人口比10%はあるものと予想されます。分母の人口が少ないだけに関東地区や関西地区と比べればファンの実数も少ない訳ですが、この不利な条件を逆手にとってプラス思考で転換するには、市民密着型のジャズフェスティバルを地道に継続して、全ての年齢層にジャズの楽しさを知ってもらう努力を続けることによって、ファンの人口における比率をより高める可能性はある訳であります。天の利とは時とタイミングでありますが、デューク・エリントンの生誕百周年という年にジャズタウンが始まりました。これは天の時に叶っていたと云えます。ジャズ人口が伸び悩む傾向にある現代は天の利は逆風であるかも知れません。しかし、スタンダードジャズを聴かせるジャズフェスティバルがあると世界に知られれば、世界各地から今治に聴きに来ると言うことも夢ではありません。
最後にジャズフェスティバルを実行するには予算が不可欠でありますので財政の問題にも触れて置きたいと思います。第一回は愛媛県が主催して下さったので県の単年度の大きい予算で執行されましたので、世界のトップスター達を今治に集めることが出来ました。この様な億単位の予算は空前絶後であり千載一遇のチャンスでありました。第二回からは地元今治市が引き継いで、約十分の一の予算で企画されました。そして今年の第七回まで継続して予算を計上して頂いています。これは何者にも替え難いことで市当局に感謝申し上げます。この予算無くしてはジャズタウンの今日は有り得ないのあります。今後とも予算が継続されます様にジャズタウンへのご理解とご支持をお願い申し上げる次第であります。民間で集められる寄付金は現在では中々集まりにくいのが現状です。しかし、市の財政を助ける意味に於いても民間の寄付にも期待したいと思います。市民の皆様の熱いご理解と支持を求めて、ジャズタウンの年間を通じた活動を展開して参ることで市民の為の市民によるジャズフェスティバルを継続発展させることが出来ます様にひたすら祈念する者であります。「継続は力なり」と申しますが、継続することほど難しいことはありません。今治ジャズタウンの更なる継続発展を願って、今治市当局と今治市民の皆様に絶大なるご理解とご支持を賜りたいと存じます。今治から世界にジャズを発信できれば私達の喜びはこれに過ぎるものはないと思われます。(完)