この 樹 にそえて ・・・ no.66
伝宗寺の大楠・・・ 藤原北家の出で太宰少弐良範の子藤原純友は、伊予の国司となりながら
やがては瀬戸内に君臨する海賊の首領となった。そして承平・天慶の乱の後、追捕士として派遣された
源経基を返り討ちとし、その逃げ延びたうちの一部がこの地にたどりついたという話が残っている。
その当時からここにあったという楠の巨木は、港から伽藍山にのぼる途中の寺の境内にあった。
幹はどっしりとして重量感に富むが、根元にやや損傷が見られる。樹齢は1000年とも300年とも言われて
確かではないが、まだこれからも永く繁栄していくことだろう。また案内に、日清・日露戦争の前に白い花を咲かせ
戦勝を予見したとされて「勝利の樹」としても尊ばれているという。
伝宗寺の大楠 目通り7.5m/樹高17.5m/枝張り16m/愛媛県三崎町・伝宗寺
《 この近くの海岸沿いに、国指定のアコウ自生地がある。 》