今回は、幼児教育界の偉才、井深大(いぶかまさる)さんのことを、ぼくは門外漢
を承知の上でどうしてもお話がしたくてペンをとった。
写真家はその仕事柄から思いがけない人との数多くの出会いがあるが、井深さんと
の出会いは仕事にはまったく関係がなく、偶然そのものであった。
1968年ある日、麻布に住んでいたぼくは、すぐ近くの品川駅のそばにあるゴルフ用
具製造のグリーンウエイという会社を訪れた。ここでは自分の体格に合ったクラブを手作
りで製造してくれていた。この日、ぼくはドライビング・アイアンの注文に行ったのだ。
その時、そこにおられた先客が井深さんで、ゴルフ会社の社長がぼくのことをひと言、
写真家と紹介したせいからか、「私は電機屋だが、白物はやらない。文化に寄与するもの
しかやらない。」といわれる。(白物というのは、冷蔵庫、洗濯機などを指す業界用語)
とっさに、ぼくは「それで、まずコミュニケーションをスムーズに運ぶテープレコーダ
ーを創られたわけですね。」「私も普通の写真ではなく、文化を目指しています。」
「文明は手で触れられるもので便利なもの。文化は手で触れられないがそこにいると楽
しく心安らぐもの。」と言ったとたん、井深さんは、手を差し伸べながら「ずばりそのと
おり。私は物事を短く簡明にいうのが好きなんだ。」と言われ、握手された。
その間、わずか5分。ある種の意気疎通というのも珍しいが、ぼくの場合はそんな出会
いが多かった。文化と文明の違いはわかりきっているようだが、時々混線しやすいことも
あり、詳しく話しあえば30分以上もかかるだろう。井深さんとは数行の言葉で通じる嬉
しい出会いであった。
それから、数日後、ゴルフ会社の社長から電話があり、井深さんとのお付き合いでちょ
っと御足労願いたいという。
そこで、見せられたのが井深さん手作りのちょっと武骨なマルチストロボであった。そ
のテスター役がゴルフダイジェストの編集長とぼくで、選ばれた理由がゴルフ・ボールが
シャンクでもすると井深さんが危ないので、ハンデキャップがシングルのぼくたち2名だ
という。
井深さんは、僕たちが打った瞬間をポラロイド・カメラで撮り、ゴルフボールが点々と
記録された映像を物差しで測定し、「ただ今の飛距離は、すごいよ、280ヤードだ」な
どという。僕たち2人はモルモットのようなひと時を過ごした。
いづれにしても、当時、わざわざ手作りのマルチストロボをつくるなど、ソニーの社長
はやはり科学者、相当の凝り屋なのだと周囲は感心していた。
井深さんとのお付き合いは短かったが、お人柄は自由闊達、恐ろしく正直、明快で素晴
らしい印象が残っている。(時に、井深さんは60歳、玉井は44歳)
さて、ここからが本題である。
余談が長くなりすぎたが、こんなことから知り合った井深さんは、「ソニーの創業者で
あると同時に、幼児教育に大変な関心を持ち、自分の信じる道を追い続け、1969年に
は幼児開発協会(EDA)を立ち上げて自らその理事長におさまり、続いて1972年、
ソニー教育振興財団などを設立し、幼児教育をはじめ科学振興の研究・事業の支援を開始
した。
以後1997年逝去(享年89歳)されるまで、『21世紀を担う心身共に健全な人づ
くり』を願って、著書、講演、対談など多くのメッセージを遺していることを、ぼくも追
々に知ることになったが、殊更ぼくが言いたいことは、その徹底した真摯な正論が、今日
ほど見直されるべき状況に、日本では猶予ならぬ時が来ているということである。
井深さんがこうした教育に強い問題意識を持つようになった動機は、生まれたお嬢さん
が知的障害児だったことから、もっと早く幼児教育を知り、その対応を始めていれば、も
う少し向上のチャンスがあったのでなかろうかという反省と大学などの共闘紛争(196
8〜70年)で、学生が暴力行為に及ぶことに教育の危機を感じたことによると漏らされ
たことがあった。
そんなお話を伺ったのは、ぼくが井深さんにお会いした1968年には、東大の安田講
堂に学生がたてこもり、騒動がエスカレートする毎日だった。
また、この年の7月に出版された、世界的な大脳生理学の権威、時実利彦博士の「脳と
人間」を入手し、大脳フアンになっていたばかりで、実感があった。(Part13参照)
「特に問題が低年化していること。生徒が先生を殴ったり、校舎を破壊する校内暴力は
大学から高校へ、そして中学にまで及び大きな社会問題になってくる。それが形を変えて
小学校でのいじめとなり、深刻な問題となるだろう。万引きなどの非行もどんどん年齢が
下がり、何よりも悲しいのは、小学生の自殺という現象です。」とも言われた。
現在の日本での親が子供を、子供が親を、子供が子供を殺すという全く救いようのない
惨状を井深さんはどう見るだろうか。まさに井深さんの予言どおりなのだ。
井深さんは、これらの大元を断ち切るための<幼児教育>を、またそれが人種を超え人
が人を信じ合える世界、戦争のない世界への道だと言いながら生涯を閉じられた。
それでは、< 正しい幼児教育とは何か >
井深さんは、1971年、初めて「幼稚園では遅すぎる」という本を出版され、さらに
研究・吟味された続編を執筆され、最後は1997年に他界されたその年の春にも出版さ
れていた。
ぼくが何とか通読したのはその間の9冊であるが、この講座では井深さんの論評を主と
しながら、世界を含めて幼児教育人名辞典などにもある17名の人々の一部の評論も交え
て、その大要をできるだけ簡明に紹介することにした。
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