part.53          

     
    

      
   今回は、幼児教育界の偉才、井深大(いぶかまさる)さんのことを、ぼくは門外漢
 を承知の上でどうしてもお話がしたくてペンをとった。 
  写真家はその仕事柄から思いがけない人との数多くの出会いがあるが、井深さんと
 の出会いは仕事にはまったく関係がなく、偶然そのものであった。 
     
   
 1968年ある日、麻布に住んでいたぼくは、すぐ近くの品川駅のそばにあるゴルフ用
具製造のグリーンウエイという会社を訪れた。ここでは自分の体格に合ったクラブを手作
りで製造してくれていた。この日、ぼくはドライビング・アイアンの注文に行ったのだ。
     
 その時、そこにおられた先客が井深さんで、ゴルフ会社の社長がぼくのことをひと言、
写真家と紹介したせいからか、「私は電機屋だが、白物はやらない。文化に寄与するもの
しかやらない。」といわれる。(白物というのは、冷蔵庫、洗濯機などを指す業界用語)
     
   
 とっさに、ぼくは「それで、まずコミュニケーションをスムーズに運ぶテープレコーダ
ーを創られたわけですね。」「私も普通の写真ではなく、文化を目指しています。」 
 「文明は手で触れられるもので便利なもの。文化は手で触れられないがそこにいると楽
しく心安らぐもの。」と言ったとたん、井深さんは、手を差し伸べながら「ずばりそのと
おり。私は物事を短く簡明にいうのが好きなんだ。」と言われ、握手された。 
    
    
 その間、わずか5分。ある種の意気疎通というのも珍しいが、ぼくの場合はそんな出会
いが多かった。文化と文明の違いはわかりきっているようだが、時々混線しやすいことも
あり、詳しく話しあえば30分以上もかかるだろう。井深さんとは数行の言葉で通じる嬉
しい出会いであった。 
      
   
 それから、数日後、ゴルフ会社の社長から電話があり、井深さんとのお付き合いでちょ
っと御足労願いたいという。 
 そこで、見せられたのが井深さん手作りのちょっと武骨なマルチストロボであった。そ
のテスター役がゴルフダイジェストの編集長とぼくで、選ばれた理由がゴルフ・ボールが
シャンクでもすると井深さんが危ないので、ハンデキャップがシングルのぼくたち2名だ
という。 
    
 井深さんは、僕たちが打った瞬間をポラロイド・カメラで撮り、ゴルフボールが点々と
記録された映像を物差しで測定し、「ただ今の飛距離は、すごいよ、280ヤードだ」な
どという。僕たち2人はモルモットのようなひと時を過ごした。 
 いづれにしても、当時、わざわざ手作りのマルチストロボをつくるなど、ソニーの社長
はやはり科学者、相当の凝り屋なのだと周囲は感心していた。 
    
 井深さんとのお付き合いは短かったが、お人柄は自由闊達、恐ろしく正直、明快で素晴
らしい印象が残っている。(時に、井深さんは60歳、玉井は44歳) 
    
    
   
さて、ここからが本題である。 
 余談が長くなりすぎたが、こんなことから知り合った井深さんは、「ソニーの創業者で
あると同時に、幼児教育に大変な関心を持ち、自分の信じる道を追い続け、1969年に
は幼児開発協会(EDA)を立ち上げて自らその理事長におさまり、続いて1972年、
ソニー教育振興財団などを設立し、幼児教育をはじめ科学振興の研究・事業の支援を開始
した。
    
 以後1997年逝去(享年89歳)されるまで、『21世紀を担う心身共に健全な人づ
くり』を願って、著書、講演、対談など多くのメッセージを遺していることを、ぼくも追
々に知ることになったが、殊更ぼくが言いたいことは、その徹底した真摯な正論が、今日
ほど見直されるべき状況に、日本では猶予ならぬ時が来ているということである。 
     
 井深さんがこうした教育に強い問題意識を持つようになった動機は、生まれたお嬢さん
が知的障害児だったことから、もっと早く幼児教育を知り、その対応を始めていれば、も
う少し向上のチャンスがあったのでなかろうかという反省と大学などの共闘紛争(196
8〜70年)で、学生が暴力行為に及ぶことに教育の危機を感じたことによると漏らされ
たことがあった。 
    
 そんなお話を伺ったのは、ぼくが井深さんにお会いした1968年には、東大の安田講
堂に学生がたてこもり、騒動がエスカレートする毎日だった。 
    
 また、この年の7月に出版された、世界的な大脳生理学の権威、時実利彦博士の「脳と
人間」を入手し、大脳フアンになっていたばかりで、実感があった。(Part13参照) 
   
   
 「特に問題が低年化していること。生徒が先生を殴ったり、校舎を破壊する校内暴力は
大学から高校へ、そして中学にまで及び大きな社会問題になってくる。それが形を変えて
小学校でのいじめとなり、深刻な問題となるだろう。万引きなどの非行もどんどん年齢が
下がり、何よりも悲しいのは、小学生の自殺という現象です。」とも言われた。 
    
 現在の日本での親が子供を、子供が親を、子供が子供を殺すという全く救いようのない
惨状を井深さんはどう見るだろうか。まさに井深さんの予言どおりなのだ。 
    
 井深さんは、これらの大元を断ち切るための<幼児教育>を、またそれが人種を超え人
が人を信じ合える世界、戦争のない世界への道だと言いながら生涯を閉じられた。 
   
    
   
    
         それでは、< 正しい幼児教育とは何か > 
   
 井深さんは、1971年、初めて「幼稚園では遅すぎる」という本を出版され、さらに
研究・吟味された続編を執筆され、最後は1997年に他界されたその年の春にも出版さ
れていた。 
 ぼくが何とか通読したのはその間の9冊であるが、この講座では井深さんの論評を主と
しながら、世界を含めて幼児教育人名辞典などにもある17名の人々の一部の評論も交え
て、その大要をできるだけ簡明に紹介することにした。
 

   

          

孫 (遥己 6ケ月)         

< 幼稚園では遅すぎる >
   
 このタイトルは最初の著作の題名である。その内容は日本よりも外国での反響のほうが
大きかったといわれており、世界の多くの国で翻訳されたベストセラー。井深さんの考え
の原点ともいえる本である。 
    
 クレアモント大学の教授で幼児教育に詳しいピーター・F・ドラッカー氏は言う。 
 今世紀最大の知的な大進歩の一つは、学ぶ過程と「学ぶ生物」としての人間について、
新しい認識を得たことである。 
    
 そして、このことについて井深氏は、私の知る限り、この新しい知識を行動に移し、幼
児の開発へと応用した最初の人である。「幼稚園では遅すぎる」は、すぐれた洞察に満ち
新しい教育学への重要な示唆を豊富に含んだ本である。本書が人間の開発および能力達成
を一体化するために、新しい実り多い出発点であることが、やがて認められるであろう。
と激賞している。 
    
    
 およそ30年に及ぶ井深さんの科学者としての徹底した立証主義は、国内では素晴らし
いスタッフを集めた研究、交流やソニーの工場に設けた保育園・幼稚園などでの熱心なお
母さん方(母親研究員)の協力も生かされた。 
    
 また、大脳生理学など医学の発達にともなう新生児、乳幼児の次々と発見される素晴ら
しい能力の確認のため、自ら世界各国未開の地まで訪れて現場に立ち会い、その驚異的な
事実に考え方も変わり、最後は胎教こそ幼児教育の中で、最もだいじなものと考えるよう
になったという。 
     
 そんなことから、初版の「幼稚園では遅すぎる」と中期、晩年の著作とでは、かなり内
容、表現に変化があるので、この講座ではそれらも加味したものとした。

       

               

かっこいい カマキリ」 2007

「ちょっとこわい セミ」 2007

 ぼくは、かねてからこの「幼児教育」のカット写真になるようなもの、身近な昆虫な
どをと心がけていた。 
       
  このカマキリは我が家の4Fの外階段の手摺の上、セミはリビングの出窓で撮った。
カマキリは、どこからどう見ても虫なのに、虫らしくない表情をしているが、結構愛嬌
もある。このカマキリは、ひとまわり大きくて貫禄があった。 
  
 セミは、午後3頃からよく鳴く。鳴く姿を上から見ると全身で精いっぱい頑張ってい
るようで可愛いものだ。でも下から見るとちょっと怖い顔に見える。 
    
    
 このテーマにふさわしい写真をと思った時、ほんとうに清純な幼児の目で見たら、ど
う見える? といった意識がつきまとったが、それが如何に難しいことかも感じた。 
   
  とにかくそんなことからこの写真は構成など考えず、ストレートに容赦なく切りとっ
た原画のままである。(そんな視線の動きの途中といったフレームの強さはある) 
 
  カマキリなど幼児の雪原のような真白な頭の中に、どんなイメージで焼き付けられる
ものだろうか。そんな映像には自然から宇宙へと拡がって行く感じがほしいなと思う。
    
  
  わが家の孫は、カマキリは好きだがセミは大嫌い。5歳くらいまでは、外廊下などに
落ちている2、3匹の生死不明のセミを見つけると一瞬立ち止まり、一度後ずさりして
から勢いをつけ、全速力で向こう側へ駆け抜けていた。(現在、7歳だが未だにセミと
コオロギは苦手だという) 
   
 幼児心理学では、幼児は母親が恐れるものを、そのまま受け継ぐように怖がるのでお
母さんの日頃の生活態度も要注意だという。(この孫の場合もその的中例であった)

               

            

< 脳細胞の配線は、0歳から始まり3歳までに決まる >

    
 人間の大部分の脳細胞、ハードウエアーの発達は、3歳までにその70〜80パーセン
トを終え、4歳ころからはソフトウエアーとしての前頭葉の発達に移る。 
    
 幼児の右脳は、外からの刺激をキャッチしてパターン化し記憶するといった働きをする
もので、もっとも基本的で重要な情報処理の仕組みは3歳までに形づくられ、思考、意思、
創造、情操といった高度なもの、つまり3歳までに形成されたものを「いかに使うか」と
いう働きは、3歳以後に育てられてゆく。 
    
 だから、3歳までにつくられるハードウエアー自体が良くなければ、もう手遅れになる。
出来の悪いハードウエアーを、3歳以後になって「いかに使うか」をいくら訓練してもよ 
い結果は得られないからである。 
    
 これまでの教育の大きな間違いは、こんな小さな赤ん坊にやたら多くのことを詰め込む 
のは、荷が重すぎて可哀そうだ。3歳までは勝手気まま自由に育て、それから厳しく教え 
ようといった誤った自由放任主義は、単なる親の怠慢にしか過ぎない。つまり「厳しく」
と「自由」の時期を全く取り違えてきたのだ。 
    
 幼児のあいだこそ、やさしく、しかも厳しく鍛え、自我の芽生え始める3歳以後は、し
だいに子供の意思を尊重していくべきが順序なのだ。 
    
 「むずかしい」「やさしい」という大人の判断は、子どもには通用しない。 
幼児はアナログ的な右脳の働き、「パターン認識」というすぐれた脳力をもっているのだ。
    
 それは意味を知るより先に、言葉も行動も雰囲気もすべてをいっしょに受け止めるとい 
ったことである。パターン認識には、形のあるものもないものも含まれている。つまり、
お母さんの匂いとか声、抱き方、身振りなど総合的なものも感じ取って覚えているという。

    

 < パターン時代が人間を決定する 

   
 
 以上の話は、一般に考えられているよりも、すべてが早いほうが良い。と思われるだろ 
うが、0、1、2歳からと3、4歳からといった内容での区別は、はっきりさせておかね 
ばならない。 
 0歳からの第1の時期は、うむを言わせずくり返して覚えさせる時期であり、3,4歳 
以上の第2の時期は、興味に訴え、納得させながら教えてゆく時期である。 
 井深さんは、第1の時期のほうがより重要で、頭脳の面で非常に特殊な時期にあたるの 
で、「パターン時代」「パターンエイジ」と呼んでいた。 
    
 生まれてしばらくは、とにかく肉体的成長だけに専念して、少し知恵がつき始めてから 
考えよう、というのではもう遅すぎるのだといわれる。 
幼児の頭は、ごく自然に水が雪や綿にしみこむように、どんどん吸い込んでゆく。 
 3歳くらいまでの幼児たちは、大人の想像が及ばないくらいの吸収力、天才的な能力を
もっており、与えすぎの心配は無用だ。 
    
 もちろん、まだ与えられたものを機械的におぼえこむだけで、取捨選択したり理解した 
りする働きはなく与えられるままに、頭のなかに配線されてゆく。 
    
 しかし、それが、やがて自分から何かしようという意欲、つまり組み上げたハードウエ 
アーをどう使うかという働きをもった脳細胞を組み上げる時期に差しかかる。それは3歳 
前後とされているが、この時期は子供に何を与えるかよりも、いかに興味を持たせるかが 
非常に重要なポイントになる。 
    
 幼児の時に身につけないと、一生身につかないものがある。 
 外国語のイントネーションや絶対音感、運動神経、絵ごころの感覚的センスなどは、3
歳までにほとんどが決まるものだといわれている。 
 幼児期だからこそ、本物、一流のものを見せ、よいものを与える必要があるのだ。
  
    
 胎児の感性と記憶力の素晴らしさが明確になってきた今日、幼児の能力向上には、すべ
てにおいて環境が最優先する。 
     
 ついでながら、遺伝に関連するジークムント・フロイトの学説は、今日では間違いがあ
ることも認識しておくことだ。体質、容貌は遺伝するが、能力の遺伝子などというものは
存在しないということである。学者の子だから、学者に適しているとはかぎらない。 
     
 高度に発達した創造性には、推理、思考、工夫などという客観性が求められるが、その
出発点は幼児期の主観的な感動、感受性にある。それらは大人から見れば非現実的な幼児
の空想、想像こそが、創造力の発達の出発点となっている。 
 そんな環境をどうして創るかが問題である。

< 「くり返し」は、幼児に興味をもたせる最良の方法である > 

    
 
 世界各地での実験によれば、生後3カ月の赤ん坊でも一日数回くり返し聞かせることを
ある期間続ければ、どんな難しい音楽でも記憶してしまうという。くり返しは頭の中に形
成されるハードウエアに正しい配線をするという重要な意味を持っている。 
    
 くり返しは、ものを記憶していくと同時にそのものに対する興味を増大させてゆく。興 
味が意欲を生み、そして、意欲だけが人間を進歩させてゆくのだ。 
    
 幼児はしゃべれるようになる前に漢字をおぼえてしまうほどの能力を持っているが、パ 
ターン教育の重要なポイントは、まず第一に、同じことを何度もくり返して与えること。 
 第二に、説明や解説などは一切いらないということ。そして第三に、結果を求めること 
を決して急がないということである。 
    
   
 興味を持ったものは、何でも覚えるのが幼児である。 
 貪欲なまでに吸収し、記憶してゆく過程の中で、以後の頭脳の働きや性格形成にもっと 
も重要な役割を果たす意欲とか創造性とかやる気とかいったものが育まれる時である。 
 
 創造力のある幼児の空想に、口をはさまないこと。エンピツやクレヨンはできるだけ早 
くから与えたほうが良い。完成された玩具より粘土や切り紙なども。トランプの神経衰弱 
も幼児の思考力を育てる。 
    
 そんな時期に、2歳半の男の子が2,3ケ月で国産車、外車合わせて40種位は軽く名 
前を言い当てカバーのかかっているものまで、見分けてしまい。3歳過ぎたばかりの女の 
子が、百人一首を覚えてしまい、オトナ顔負けというのも珍しいことではない。 
    
 井深さんのところの漢字教室での実験では、簡単な漢字は好まず、鳩、麒麟といった難 
しい字のほうが、3歳くらいの子どもには人気があり、いとも楽々とおぼえてしまうとい 
う。その理由は人間の顔の微妙な違いさえパターン化して識別できる幼児にとっては、漢 
字の複雑さなど少しも気にならないのだという。 
 言葉は、目と耳の両方から教えたほうが早く覚える。

           

< 「しつけ」こそが教育の基礎 >

    
 
 心の教育の大切さ。人間づくりにおける「しつけ」の臨界期は、受胎からせいぜい2〜 
3歳までだといわれる。 
    
 最近では「親孝行」や「恩返し」といった日本古来の伝統的ルール観念が再び見直され 
る傾向があるが、これも結構なことである。 
    
 幼い頃から人間としての基本的なルールを身につけた子供たちは、その後どんな人生の 
コースを歩むにせよ、他人や社会に深い愛情を注ぐことができ、しかも責任感が強く、自 
分の頭でものを考えることのできる立派な人格に育ってゆく。 
   
 心の教育の基本は「しつけ」から始まる。これも早いほどよい。1歳前から始めよう。 
 しつけには理屈で理解する前に、まず体で覚えておかねばならないことがある。子ども 
の「なぜ?」という疑問に答える前に、何も言わず教えておかねばならぬことがある。 
 そもそも、しつけには、理屈抜きでそう行動したほうが良いということを身につけさせ
る意味もある。 
   
 子どものまだ白紙状態の頭に、はじめて教えられることは、それがいくら厳しくても比 
較するものがないから、そのままストレートに入ってゆく。重荷にはならない。 
       
 その反応の判断は、親が危険と感じてダメよと言えば、悪いこと。お上手ねと頭をなで 
られると、それは良いこと。といった認識でおぼえてゆく。初期のしつけはオハヨウ、コ 
ンニチハ、サヨウナラ、アリガトウ、ゴメンナサイなど、すべてその内容(善悪・良否) 
は親とのやり取りで自然に身についてゆく。 
    
 しかし、母親が子供中心の態度をとりすぎる溺愛は子供の自立心を損なう。権威を失な 
つた母親からは、利己的な子供しか育たない。しつけのムチはムチとわからない時期(2 
歳以下)に使うほど効果がある。育ちとは幼児期に身に付いた生き方のパターンである。
    
 母親の重要な役割は、幼児への無限の刺激の中からよいものを選択することにある。 
 いい子は、親が子供を自由に支配できる3歳までの育て方によって決まるのだ。

     

< 今までの「育児」や「幼児教育」では人間は育たない >

    
 
 間違ったエリート意識から生まれた英才教育は、大間違いである。母親の虚栄心は、子 
供におかしなエリート意識をうえつけるだけである。ビジョンを持たない母親に子供の教 
育はできない。親子で一緒に成長するのが最高の子育てである。 
    
 戦後教育の重大な誤りは、軍国主義放棄を主張するあまり、敗戦の責任を孔子による儒 
教の教えを基本とした集団尊重の図式で考える道徳教育、伝統の否定からはじまった。 
    
 国旗までも放棄する国がどこにあろうか。愛国心の消滅は何をもたらしたか。その第一 
歩は、家族制度の崩壊である。それらは間違いだらけの「教育の自由化」「個性化」とな 
り、ホンネとタテマエが混乱する教育の本質を忘れた論議、現実は情けない。 
    
 日本の教育の方向を決めた福沢諭吉の「実学」。その他戦前の教育を、すべて否定して 
しまっていいのか。 
 明治時代の西欧文明の輸入は、儒教という心の教育があったからこそ科学教育もスムー 
ズにできた。 
    
    
 初等教育の目的は、「知育」つまり知能を育てることだけにあるのではない。これまで 
の日本の極端な知育偏重はアンバランスで、順序としては、「体育」、「徳育」、「美育 
「知育」の順であるべきだ。体を動かす子ほど知能の発育も早くなる。 
    
 幼児教育の本質は、「枠からはみ出す」ところにある。幼児には技術や理論でなく勘を 
身につけさせることも大切である。 
 これからは専門家の知識でなく、人間的な知恵が求められる。 
    
 幼児教育に教科書はない。井深さんたちがやってきたことは、童謡にとらわれない本物 
の音楽を聞かせ、ときには既成の難易度の観念にとらわれない文字や語学の訓練を経験さ 
せるといった方法で、子供の頭脳を、より大きな可能性へと向かって刺激し、脳細胞の配 
線の中に、後年、なるべく多くの可能性を受容できるような下地をつくっておいてやろう 
というのが目的である。   
    
   
 語学、音楽、美学といった理屈よりもセンスが優先されるものは、この時代にパターン 
として受け入れておかないと、後になって入ってきた刺激が妨げとなって、どうしても肝 
心の感覚が身につかない。 
    
 幼児期の教育は、それほどその人に一生に重大な影響をあたえる。「どこかで聞いたこ 
とがある」という体験をできるだけ積むような教育を、手遅れにならないうちにやってお 
きたいものである。

      

< 幼児教育は、天才をつくるためにあるのではない >

    
 
 そもそも教育とは何なのか。唯一の目的は、柔軟な頭脳と丈夫な体をもった明るく素直 
な性格の子供を育てるためである。 
 まして、幼稚園や小学校に入るための予備教育でもない。 
英才教育という言い方も間違いのもとになる。バイオリンや英語、漢字教育なども、幼児 
の無限の可能性を引き出すための手段のひとつなのだ。 
      
 井深さんは、さすが科学者、世界各国、未開の地まで訪ね実証主義を地で行く見聞を基 
礎として書かれた。そんな話のあれこれの中に、「教科書が重たい5歳の高校生」という 
のがあった。これは井深さんがオハイオ州に住むこの一家を直接訪問しての話である
      
 実子さんという日本女性がアメリカに渡たり、アメリカ人で胎内教育・胎教を確信する 
研究者のご主人と結婚したことから、胎内からの育児を子供全員に実践した。つまり、妊 
娠中は胎児に話しかけることが一番大切なことだという。 
      
 その結果、4人のお嬢さんは、すべてIQ(知能指数)が160以上だったことから大 
きな話題を呼び、実子・スセディツクの書いた著書「胎児はみんな天才だ」は、世界の母 
親たちにも感銘を与え、胎内教育ブームのきっかけをつくった。 
 それは、天才教育を目指すものではなく、胎児はみんな天才といえるほどの驚異的な素 
質を持っており、それらのすべてを掘り起こそうという教育の勧めである。 
      
 赤ちゃんは生まれる前から胎内で学んでいて、5ケ月で耳も聞こえているとか。この長
女スーザンは、生まれて1週間くらいで、「ママ」「オッパイ」「キレイ」という片言を
しゃべったという。 
     
     
 スーザンは5歳で高校に入って学力は問題なかったが、宿題や勉強の量が多すぎて、同 
じ年頃のお友達と一緒に遊べなくなった。それに高校の教科書は重くて、小さなスーザン 
には大変なお荷物で、半年で高校は辞めた。その後の彼女は17歳で大学院2年を終わり 
次女は14歳で大学1年生、3女は12歳で高校3年生、4女は10歳で中学3年生。 
    
 また「16歳の大学教授」という話は、幼児教育人名辞典17名中の一人、ドイツのカ 
ール・ビッテは5歳で3万語の言葉を学び、8歳で6ケ国語を話し、9歳でライプチヒ大 
学に入学、13歳で哲学博士の学位を与えられ、16歳でベルリン大学の法学部教授に任 
命された、などとある。 
     
 いずれにしても、専門家が徹底した幼児・胎内教育を行うと、こんなこともあるのかと 
驚くばかりだが、ほほえましくもあった。 
     
 井深さんが親しくしている、この道の先覚者、鈴木鎮一氏はスズキ・メソード創始者。 
バイオリン奏者で国内で約2万名の子供たちが各地の教室で、バイオリン、ピアノ、チエ 
ロ、フルートなどのレッスンを受け、世界では38ケ国にひろがっている。 
   
 バイオリンによるレッスンは通常4、5歳から始めていたが、井深さんのアドバイスを 
受け入れてもっと年齢を下げてみたら、2歳児からのほうが更に効果が上がったという。 
    
 生後5ケ月の赤ん坊でも、ビバルディの協奏曲がわかる。という話も面白い。 
 ソニーの厚木工場の幼稚園で、園児を対象にどんな音楽が好きかを調査した。幼児が一 
番興味を示したのは、なんとベートーベンの第五交響曲「運命」だった。次はテレビで朝 
から晩まで流している歌謡曲が二番目で、幼児用の童謡が最も人気がなかった。 
    
 また、ある赤ん坊はお気に入りのビバルディの協奏曲が終わると不機嫌になり、またこ 
の曲をかけると、とたんにご機嫌になる。ところが、この曲の代わりにジャズをかけたと 
ころ、大声で泣き出したという。

            

           

  
        

< 戦争や人種差別をなくせるのは、今や幼児しかいない >

    
 このわれわれにとって唯一の地球上に、人を信頼し、共存共栄の世界をつくるにはどう 
するか。 
 今のわれわれ大人世代では、心の底からお互いがお互いを信じあい許しあって、住みよ 
い世界をつくって行くのは、至難のわざである。長年にわたって受け継がれた、抜きがた 
い憎しみや、支配・被支配の感情、生理的ともいえる嫌悪感は、そう簡単に消し去れない 
ものである。 
    
 しかし、人種・民族、肌の色による優劣の違いの研究は進み、世界各地でのテストが行 
われ、イスラエルではそれらの生まれたばかりの赤ん坊たちを同一条件で育て、4歳にな 
ったときの測定で、全員が114という高い知能指数を示し、能力差の定説は覆された。 
   
 0歳から3歳ごろまでの、全く白紙状態である幼児には、人種差別の感情も民族間の憎
悪感も無縁である。この時期から民族をわけ隔てなく一緒に育てれば、肌の違いもこだわ
りなく受け入れて成長するだろう。幼児は未熟だからこそ、無限の可能性をもっている。 
    
 井深さんのこの壮大なビジョンに、一歩でも近づけるよう期待したい。 
 ここに挙げた井深さんの本は、大抵の図書館にある。これをきっかけに井深さんの本に 
手を差し伸べる方々が増加し、親子ともに心身ともにクリエイティブで豊かな日々を送っ 
ていただきたい。 
    
    
 以下は、余談である。 
 ぼくは、あの当時の井深さんのことを思い出すたびに、ゲーテが浮かんでくる。 
ゲーテはドイツの詩人、作家という表の顔だけでなく、色彩学の権威でもあった。彼は美
術への強い関心から当時の画家の色彩にたいする知識の幼稚さを嘆き、20年間を費やし
て色彩学、生理色彩学、心理色彩学の貴重な本を書き上げ、出版後も一生の間、研究を止
めることはなかった。(Part29 参照) 
        
 さらに遡上って、ルネッサンス時代には、二つ三つの専門をもつた人が多かった。ぼく 
は若いころからそんな時代に生まれたかったとよく思った。現代でも時にそんな方にお目 
にかかることがあるが、そんな人は厚み深さがあって人間的魅力も豊かである。井深さん 
もそんなお一人であった。いずれにしても見事な人生である。
   
   
 最後に、敢えてぼくの本音を述べておこう。   
  もし、ぼくがここに紹介したような胎児から少なくとも0歳頃からこんな教育を受けて
いたら、もっと冴えた、面白い、不思議な、クリエイティブな展開をみせ、自分自身もっ
と納得のゆく写真家になっていたのではなかろうか。  
   
  もちろん両親には感謝しているが、時代の違いを承知しながらも、それらが殆どなかっ 
たという残念無念さが、これからの世代を担う方々にはこんな本物の教育をと願うばかり 
に、あえてこの原稿を書かせたといえよう。

                       

                       

 

  

井深 大     ソニー名誉会長 1976       インタビューに答える。「なかなか難しい質問だね」といった表情。

自ら手がけた幼児開発システム 「トーキングカード」を手に。        

井深 大  1976

一応、ぼくがこの項のために手にした井深さんの9冊の本のタイトル
を年代順に列記しておく。
   
     
「幼稚園では遅すぎる」(井深大の幼児教育著作集)  1971年 
「0歳からの母親作戦」(ゴマブックス)       1879年 
「0歳児の驚異−一生の知能は環境で変わる」     1985年 
「あと半分の教育−心を置き去りにした日本人」    1985年 
「0歳−教育の最適時期」              1986年 
「0歳からの母親作戦」(井深大の幼児教育著作集)  1991年 
「井深大の胎児は天才だ−教育は生まれ前からは」   1992年 
「胎児から−「知」から「心」へ 21世紀への人」   1992年 
「井深大の心の教育」(ゴマブックス)        1997年
  
    (ポートレートはソニー株式会社広報センター提供)