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        わが家のきゅうり    2006

    

仔象くん

種用きゅうり
                 
               
< わが家のきゅうり >
    
  今回のお知らせは、あまり気の進まない殺風景な話になるので、落語の枕では
  ないがいくらかはリラックスしたい気分から、身辺雑記のひとコマを掲載した。
    
 これは、今年わが家のベランダで育ったピクルス用「きゅうり」。種から蒔き、2ケ月
くらいで3本の苗から数十個が採れた。こんな小さなキュウリは、はじめて見たが大きさ
はちょうどぼくの手の親指くらい、それぞれに素朴で個性のある表情・フォルムがあって、
時にユーモラス、文句なしに可愛いというのが、ぼくの第一印象だった。
     
 食べるのがもったいなくて、毎日並べて眺めるばかりだったが、孫の出産時に産院の新
生児室で、生まれたばかりの赤ん坊たちを見たシーンが連想されて楽しかった。
     
 初ものとして収穫したキュウリには、ちよっと神経を使った。よく見ると象の耳のよう
な小さな葉っぱがついていたので、これを残すように摘み取り、「仔象くん」と命名した。
 ぼくの手のひらに乗っているのは、かれらのラストの記念写真である。種とり用に最後
まで残していたので、旬のものに比べて数倍の肥満児だが、それでも精々ぼくの中指ゆび
程の長さである。
   
 この夏は、腰痛からほとんど外出することは少なかったが、このピクルス用「きゅうり」
は芽生えから終局まで、その生涯の日々を余すことなく見せてくれ、ぼくにバイタリティ
を与えてくれた。
    
    
 ぼくはそんな傍ら、正岡子規の「仰臥漫録」の一節が浮かび、かっての愛読書を探し出
して再読した。本は読む年齢によってまた感懐もかわる。とにかく子規の観察眼にはすさ
まじいものがあり、また反省させられた。
 写真家はついカメラの記録性に頼るところがあるが、詩人・歌人は心でしっかり見つめ
ようとするからであろう。
 
 曲がった「きゅうり」が、ぼくに似ているように思えたわけではない。
        
                               
                     
いつ時間切れになっても
 人生は現在しかない。
 「ぼくは、まもなく83歳。ぼくの持ち時間はもう残り少ない。いつ時間切れになった
としても、何か意義のあることを精一杯やっていればいい」と割り切れば、とよく思う。 
    
 ぼくはあくまで自分の生に執着したい。死後のことは考えない。腰痛など寝たきりで痛
みをこらえながらその時を待つのではなく、最後まで何か意味のあることをやっていたい。
     
 ぼくが若い頃、ショックを受けた現代絵画の激流を走り抜けた人々は、いずれも早世し
ている。
 ゴッホは47歳、瑛九は48歳、岸田劉生は38歳、佐伯佑三は30歳。
 写真家の大先輩、安井仲治氏も38歳。ぼくはその倍以上も生き長らえながら、何をや
ってきたのだろう。
     
 ぼくは小学生時代からの宇宙への興味と中学時代の文化史好みから、写真の二重像とも
いうべき力と結びついた人生観を持つようになった。
    
 宇宙の「宇」は無限の「空間」、「宙」は無限の「時間」。人間はその無限の「空間」
と「時間」のクロスするところに生命を与えられ、自己の人生を一定期間生き永らえた後、
死によって生まれる前の自己に帰ってゆく。
    
 その与えられた自己の生命の一定期間を、生を善しとし、死を善しとし、精一杯に生き、
心安らかに死んでゆけばそれでよいのだと思いたい。これは荘子が「道」で説いた哲学の
影響もある。
    
 それにしても、老齢を迎えての体力と記憶の衰えのきびしさを痛感する日々だが、近頃
民放が「ご長寿クイズ」と銘打った老衰気味のお年寄りを、モノ扱いにした番組など不謹
慎で不愉快だ。さらに末期の癌患者もモノではない人間なのだ。
    
 老人も人間として生きている。人間お仲間同士、人種、年齢を超えて、励まし援け合っ
て生きてゆかねばばらない。95歳の医師、日野原先生のような人助けに情熱と誇りを持
って、ダンディズムさえ感じられる方もいらっしゃる。
       
この年末まで、「講座」と「月例」を休みます
 ぼくは、若い頃、柔道のやり過ぎから脊柱を痛め、20年前から背筋力の衰えとともに
腰痛がひどくなり、好きなゴルフもできなくなった。
    
 温針灸、マッサージなどの治療で何とかすごしてきたが、3年前カイロプラクティック
療法の失敗から更に腰痛は進行し、現在の病名は変形性腰椎側湾症、脊柱管狭窄症で腰が
曲がり間歇跛行症のため最近は通い慣れた広い国会図書館内部での歩行も困難になった。
車椅子では能率が悪すぎる。
    
    
 この講座と美術館への協力資料の作成には、最後の詰めともいうべきものがいくつか残
っており、それらの結末を見るためには、思い切った手術による腰痛治療以外に道はない
というぼくなりの結論に達した。
    
 顕微鏡あるいは拡大鏡下で、脊柱の両側に穴をあけ、周囲を削る手術は高齢者には合併
症を引き起こす恐れがあり、またぼくの脊柱の前後・左右への歪曲は相当にシビアーなも
のがあるため近くにある大学病院の担当医は躊躇したが、ぼくは他の病院での手術を決断
した。今月中旬には入院・手術し、リハビリを含めると3ケ月はかかるという。
     
 そんなことから、しばらく休ませていただき、治療が成功すれば、また新年度から皆さ
んにお目にかかれるものと期待しています。
  前書きを長々と書いたのは、ぼくの性格、生き様は変わらぬことから、そんな期待
 を表明したものです。