part.43          

    
     
   しばらくかなり堅苦しい話が続いたので、この辺で一回、リラックスできる話題を
 提供することにした。話は海外ロケ、取材につながる肩の凝らない四方山話である。
    
  或る目的、テーマを持ってスポンサーつきの撮影に行き、帰ってくるとあれこれ知り合
いの雑誌社から「その他に何か変わったものを撮って来ませんでしたか」と電話がかかっ
てくるのが一般である。
   
 ぼくはそれほど器用な方でないから、それ向きのサービス写真は撮らないが、何となく
自分好みの被写体に出会うとシャッターを切る。生来のアート好みがシャッターを切らせ
て、そんな海外写真の集積が3点のカレンダーになって受賞したり、月刊誌「美術手帳」
で3ヶ月24点連載のグラビア特集になったりしたこともあった。
     
 言ってみれば、それは皆さんの海外旅行の記念写真と大して変わりはない。ただ、プロ
であるだけに、自分の好みには執念深く、「雑多な集積でも、それがひとつのまとまりが
つくような要領」を心得ているといったことはあるかもしれない。
    
 その一番易しく、効果的な表現が連作である。
ぼくが「美術手帳」に掲載したものは、<かたちの風物詩> 「扉」「さまざまな意匠」
「窓」(1966年1〜3月)であった。実に平凡そのものといった題材の選択であるが
ぼくの几帳面というか、きっちりやらねば気が済まないといった気質がそのまま表れてい
るともいえる。
 そんな気質と土木科出身ということもあってか、日頃なんでも水平、垂直な画面構成に
なって本人は閉口しているが、そんなところが、あの四角な窓と扉にぴったり合っただけ
のことであろう。自分の気質どうりの撮影だから、何の抵抗もなく撮影も素早く終わる。
     
 皆さんも海外旅行で何かまとまった写真をと思われるとき、自分の気質を生かした題材
を選んでトライしてみてはとぼくはお勧めする。これなら時期を変え年月をおいても前後
のレベルを変えないで永続でき、かなりの集積ができるので、そこからの厳しい選択で一
冊の本も上梓できることになる。
            
  今回ここに掲載する作品は、そんなシリーズ以外でフランクに撮ってあったものか
 ら、なんとなく話題にできるお気に入りを選択し、気ままな放談をすることにした。
  「船板の窓」と「扉」の2点をのぞき未発表作である。

夜明け B

        夜明け A  (スイス)

              

   「夜明け」A・B (スイス)

   
 「この風景は、ティピカル・スイスだ。」と、同行していたスイスに住む友人が叫ん
だ。飛びっきり早く起きて、車でインターラーケンへ向かう途中だった。
 高い山に囲まれたスイスの、やや平らな牧草地の緑を背景にした朝もやの白さはこと
さら美しい。「夜明けB」もわるくない。まだ陽の射さない日影の村落の空気感がよく
わかる。
     
 初めてスイス空港に着陸するとき、何かの都合でしばらく低空で旋回していたが、退
屈することはなかった。いや、むしろその美しさを楽しみ、こんなきれいなところなら
生涯住みたいとさえ思った。
 それが地上に降りて1週間もするとあまりにきれい過ぎて蒸留水の中にいるような気
分を感じ始めた。その後ニューヨークに渡ると、あの騒々しさが生き生きと感じ、ヨー
ロッパはスロモーすぎる、やはりこの方が生きている感じがするなどと、東京を懐かし
む気分になったりした。そして日本に帰ってしまうと、東京はやはりせせっこましく落
ち着かないと文句を言い、元に帰ってしまった。人間勝手なものだ。

       

      

      

   

    ペンション (スイス)

       納 屋  (スイス)

                         

            

「ペンション」「納屋」(スイス)

     
 スイスの田舎を車でのんびり走っているとき、この風景に出会った。この建物が納屋で
あると気がつくには、少々時間がかかった。中を覗いてみたが人が住んでいる気配はなか
った。
 ぼくは花がいっぱい飾られたペンションのベランダと全く同じように、納屋まで飾るス
イス人気質を見るようで感心はしたが、そう素直に受け入れるわけには行かなかった。
 後で考えてみると、この納屋は村の三叉路、入り口にあり、観光国スイスとして、観光
客へのお迎え、サービスだったのではなかったかと思ったが、それを確かめることもしな
かったので、いまだによくわからない。
      
 アメリカで、ボストンに居を構えた友人が通りに面した我が家の小さな空地に雑草を
いっぱい生やしていると、ご近所の方々がやって来て、お手数がなければ私たちに刈ら
せていただきたいと言ってくるという話を聞いたが、外国ではそれが常識なのだろう。

                  

                                  

        アイガーと墓標  (スイス)       

                   

            

    「 アイガーと墓標 」(スイス)

   
 アイガーを見上げるこのシーンは、ぼくの脳裏に焼きついている。
 それは、ヨーロッパの或る有名な登山ガイドの随筆で、アイガーについて書かれた名文
を読み、それに結びついた印象があったからだ。
       
 彼は狭い岩棚でビバークし、凍てつく満点の星を眺めながら、明日もまたさらに氷壁が
硬く凍りつく厳しい寒さを祈りながら眠るといった話の中で、「私は何時もこんな壁ばか
りを登るのが好きなわけではない。そこに壁があり、客と生死を共にするガイドが私の仕
事なのだ。私は壁の向こうにある廻り道を登るのも好きだ。そこには名も知れぬ草花もあ
り、それらを見ながら登ってゆけるのだ。」とあった。
        
 この墓地には、アイガーの北壁として有名なこの垂直な壁を登り切れず、墜死した人々
の墓もあると聞いていたが、ひときわ大きな墓標はそのシンボルかもしれない。
 ぼくは、あの随筆を知っていたせいか、それは悲しげな風景であった。   

              

                           

ノートルダム寺院 B

      ノートルダム寺院 A (フランス)

                    

            

    「ノートルダム寺院 A・B」(フランス)

     
 ヨーロッパの寺院は、意外に狭い敷地に建っているものがあり、この場合もそんな
例である。肉眼で感じる視覚以上に高さのあるノートルダム寺院を撮るために、ぼく
は急遽、現地でハッセル・ブラッドのスーパーワイドを買うはめになった。
    
 作品Bは、セーヌ河畔から見たこの建物の特徴的な外向きの重厚な部分であるが、
この寺院の中に入り、高いところからの俯瞰撮影は、全く違った風貌を見せてことさ
ら興味深かった。地上からはよくわからなかった各種の像の支柱がはっきり見え、ま
た、近隣の屋上、屋を重ねた建物に接して、新旧、複雑な対比が歴史の現実をつたえ
ている。
   
 ぼくは奈良で多くの寺院を下から上まで色々撮ったが、その表情には一貫性があっ
た。これほど違った様相を見せる建造物は少ない。その後もぼくはそそり立つ槍のよ
うな教会の建物を上から見ようとしたがそんな条件はめったになかった。

                  

                            

コロッセオ B

         コロッセオ A  (イタリア)

                    

            

「コロッセオ A・B」(イタリア)

     
 この楕円形の巨大な建物をわざわざ夜間に撮りに行く旅行者は少ない。この場合、車の
光跡をたくさん入れるためにレンズの絞りを小さくしてかなり長い露出をしたが、点景の
2人は別に頼んだわけではないがほとんど動いていなかった。暗い夜空にくっきりとライ
トアップされたコロッセオは大きく見えた。
    
 昼間見るコロッセオの内部は、まるで殺風景で野良猫の溜まり場のようであった。
 剣闘士が戦ったというこんな建物はもちろんだが、古い寺院やこうした数々の大きな建
物を見ると石造りの執拗な重厚さのせいか、何よりも先に繰り返された栄枯衰盛、人間の
闘争に血塗られた歴史を感じ、ぼくは造形のすばらしさに魅せられながらも、気分が重く
なることが多かった。

                 

                             

      窓辺の猫 (ヴェネツィア)

         船板の窓  (ヴェネツィア)

                      

            

  「窓辺の猫」「船板の窓」(ヴェネツィア)

     
 大運河、サンマルコ広場など一通り撮り終えると次は魅惑的な水の表情、日没と満月の
夜の光と色の饗宴をテーマにする。その次はプライベート・タイムで45の小運河と小路
の趣を楽しむ。そんなことで、ぼくは3回に分けてこの地を訪れた。
       
 ヴェネツィアの裏町を丹念に見て歩くと、こんなゴンドラの船板を利用した扉があちこ
ちで見られた。切り取る場所で平らや曲がりに変化があったが、壁の剥落と似合った趣は
味わい深くぼくにはなかなかのグッド・デザインとして印象に残った。
   
 また、この町の窓には、それぞれ変化のある窓枠にまるで飾り物のように飼い猫が座っ
ているところがあった。どの猫も物見高いというのか、警戒心が強いのか、ぼくの顔を真
正面から見つめる。この猫は気の毒なことに窓枠に金網が張られていて、それに鼻をこす
りつけていた。猫は外に出たいようなそぶりを見せていたが、ぼくが帰ろうとすると、何
かを訴えるように小さくミャーと鳴いた。

                  

                               

      トレヴィの泉 (イタリア)

                     

            

     「 トレヴィの泉 」(イタリア)

    
 この場所は昼間に行くと、たくさんの人がいてコインを泉に投じてはお互いに記念写真
を撮り合っている。そんなスナップを撮っても使いようがないのでぼくは夜に行ってみた。
    
 ぼくのプランは、記念写真を撮られている人を更に撮る記念写真である。これはかなり
条件待ちの時間が長かった。この場合、10人以上の集合でボリューム的には満足だったが
平板になりがちで、そんな時この男性が現れて、一瞬いい前景になった。
    
 ぼくは現地で、絵葉書を買うことはほとんどなかったが、ホテルで見ることはよくあっ
た。決められた仕事の現場は、出国前に調べてあるが、新しい建物などの情報を得るには
具体的な絵葉書が手っ取り早く、現地への道案内もホテルで詳しく説明してくれるからだ。
    
 現地のことで、日本できっちり情報を得ておかねばならないのは、食べ物のことである。
 殊に、スシ、ラーメンなど本当においしいところを知っているのは、日本の写真家で友
人に一声かければ、海外各国の穴場を、パリ、ロンドンの横丁の裏筋まで教えてくれ、地
図まで用意してくれるので助かる。

                     

                              

    修道女 (イタリア)

       結婚式  (フランス)

                          

            

「修道女」(イタリア)「結婚式」(フランス)

     
 この「結婚式」は、かなり大きな式と思われ、男女とも隙のない正装が板についていた。
ぼくはずっと離れて見ていたが、頃合を見てこの女性にカメラを指差しながら会釈すると、
彼女はうなずきながら、さっと衣装を調え軽くポーズをとった。それはまるでプロモデル
並みのすばやさで、ぼくは何も言うことはなかった。
    
 「修道女」は、バチカン近くで遠くからやってくる彼女たちの風貌が、これまた粒揃い
と見てぼくは挨拶代わりに片手を挙げてスナップしたい意志を示した。彼女たちはこの異
邦人にとても親切で、近くまで来たとき一瞬スピードを緩めてほとんど立ち止ってくれた。
 ぼくは、何点かの写真の中からそれぞれの国の品位を見せた女性としてこれらを選んだ。
いずれもモデルが素晴らしかったので、ぼくは旅先でちょっとファッションを撮るような
気分になった。

                  

                                   

     ロダン (アメリカ)

       ジャコメッティ (アメリカ)

                   

            

「ジャコメッティ」「ロダン」(アメリカ)

     
 このジャコメッティの作品の題名は忘れたが、多分、「大きな女の立像」の連作(1960
年作)であろう。ロダンの方はリアリズム文学の頂点を示したフランスの小説家バルザッ
クの巨大な像(高さ270cm、1897年作)で、「考える人」とともに彼の代表作である。
 ニューヨーク近代美術館の庭は、あの街中とは思えない広々としたもので、こうした大
きな展示にも格好なレイアウトであることがこの写真でよくわかる。
     
 ジャコメッティのこの大型の作品を見たとき、ぼくは紀元前 500〜2500年頃のイランの
ルリスタン文化の中で生まれた、非常に細長い人物のブロンズ像を手にしたときのことを
思い出した。
        
 このルリスタン期のものは、小さな30cmくらいのものが多いが、そのフォルムは原型と
してこのジャコメッティの作品に類似しており、それを大型にして更に細長くしながらも
力強い表現をしたのがジャコメッティのこの作品のように思えた。
 このすばらしい作品に口をさしはさむつもりではないが、その類似性をどう見ればよい
のか。一口に文化は波動するとは言い切れないものをぼくは感じた。

                 

                           

            扉 (農家の納屋)  (スイス)

                     

            

         「 扉 」(農家の納屋)  (スイス)

    
 初めてのスイス旅行で、緑につつまれた穏やかな田舎風景の中で、このデザインを発見
したときは、さすがスイスと感激したものである。何でもない農家の庭先で、それも農機
具をいれるだけの納屋の扉にこんなデザインをするセンスに驚いた。それは、この土地に
しみ込んだ最も素朴なデザインとして、生かされてきたものであろう。         
    
 掲載作品は、モノクロームだが、この原画は、貸し出しして返却されないままになった
がチョコレート色をした扉に強いカラシ色のペイントで描かれているカラー写真で、それ
をお目にかけられないのが残念だ。
 友人の話では、こんな納屋の扉を開くとポルシェが入っていたりすることがあるという。
     
 ポルシェといえば、ぼくはヨーロッパの撮影旅行では、レンタカーを利用していたが、
ある日、オペルを借りてドイツからイタリヤへ向かうアウトバーンをかなりのスピードで
走っていると、後ろからやってきた車が猛ピードで追い越し、あっという間に小さくなっ
た。それがなんとフォルクスワーゲン、かぶと虫の中古車だったので不思議に思い、同乗
していた友人に聞くと、「外観はオンボロを装っているが、あれにはポルシェのエンジン
が積みかえられているのだ。アウトバーンでのスピード競争ではこれ常識。彼らはシャイ
なのだ。」ということで納得がいった。