「文化は波動する」ということについては、この講座でも折々に話してきたが、今回の
テーマの前書きとして、いま少しくわしくふれておきたい。
ぼくは中学入学時、たまたまHG・ウエルズの地球の創生期から宇宙の未来までの大絵巻
のような世界文化史大系を手にしたことから、少年期の好奇心をそのまま持ち越して、何で
もルーツを丹念に探るのが趣味のようになったところがある。
ところで、物事はル−ツの更にル−ツを探るとさらに興味はつきず、またそれが創作のア
イディアを深めることになる経験もした。
ル−ツとしての文化波動論は、人類学者のマービン・ハリスが生態人類学から見た文化の
起源の中で述べているが、その本の「ヒトはなぜヒトを食べたか」というタイトルには、い
ささかびっくりした。彼は、アステカの食人習俗から話を展開し、「われわれにはなじみが
少なく、退屈でカビ臭いとみられる考古学も、今日の生活に深く関連する」という。
たとえば、骨と死亡時の歯の数から健康状態や世代が分かる。
平均身長で、旧石器(3万年前)は男177cm・女165cm。新石器(1万年前)には、
男165cm・女153cm と小さくなった。これは食物の動物性蛋白質と植物性蛋白質の差
からで、最近やっと旧石器時代のサイズに帰ったという。
人間の身長が変わるほどの変化は、当然文化の変革をも意味する。
マ−ビン・ハリスの大胆かつ挑戦的な発想は、学会内外に広く反響を呼び、全米でベスト
セラ−になったこの本のユニ−クで知的刺激にあふれた内容は、一般にも結構おもしろいと
おもうが本題からややはずれるので今回は紹介にとどめ、つぎのチャンスにゆずる。
ぼくは奈良で国宝級の仏像や建造物、埴輪、古美術を撮っていた体験から、英国の大英博
物館でこれらのル−ツともいえる東洋の大量の特級品にお目にかかり、一週間通い続けて、
「東洋における造形の原理は、紀元前200年、前漢初期にはほぼ完成し、以降は時代によ
る粉飾の差のほうが大きい」といったひとつの見方、概念も併せ持つようになった。
また、ニューヨークの近代美術館の庭で、ジャコメッティのあの細い人体の彫刻を見たと
きには、イランでのルリスタン文化(BC2500年)を見せた青銅の人体彫刻が大きさでは数分
の一だが、ほとんどそっくりの原型であることを感じ、文化は遠い時代を経ても波動するも
のだと思った。
その人の生きざまは、その人の歴史観で決まるといわれるが、今回はその前段階として、
ぼくの写真における特殊表現という仕事の日常における「創作における波動」についての具
体的な感想を述べることにしたい。
例えば、色は曲線で記録されるが、取り組む姿勢によりその振幅が大きくなると派手にな
り、少なければ地味になる。それが過熱して極端に走ると色気違いと呼ばれもする。
そんなことから、ぼくの日常生活は、常に精神的にも肉体的にもさまざまの波動の中にあ
り、中長期と短期の大波、小波が株式のチャ−トのように揺れ動いた。
いわゆる大作といわれるものは、俵屋宗達の「風神雷神」の例に見られるように、やはり
大波動の時期に生まれるようだが、小波動期のものにはまた簡素で静謐、捨て難い精緻さが
ある。宗達は大波動、小波動をうまく使い分けた画家であった。
今回の作品と解説は、ぼくの精神的、肉体的コンディションが小波動にあたる時期の
創作日記のようなものである。
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