part.37                       写真表現の多様性

< 定義不可能な何ものかを >

          

  ぼくのコマ−シャル・フォトグラファ−としての初仕事は、大阪出身の片山利弘という若
いデザイナ−との出会いから始まった。それは1956年7月のことであった。
 その頃のぼくは、玄光社という写真雑誌社をやめて、各写真誌で写真技術の解説を書くと
いったフリ−ライタ−をしながら、フォト・エッセイストを志し、それがほぼ完成をみた直
後、ぼくの不用意からその内容のプライバシ−、人権問題で、朝日新聞社よりの出版予定が
中止になり、すっかり落ち込んでいた。                       
    
 片山君と知り合ったいきさつは、誰の紹介だったかさえおぼろげになってしまったが、銀
座の喫茶店の初対面での様子は克明に覚えている。その時、偶然ぼくが持っていたキャビネ
サイズの花、「百日草」のかなり出来のいいソラリゼ−ションのモノクロ写真をみた彼は、
「これはスゴイ。写真でこんなすばらしい表現ができるとは−−」という。彼は初めて見た
ソラリゼ−ションに感動し、大変な気の入れようであった。              
     
 ぼくは、丁度丹平時代に覚えた特殊技法の再開と新たな写真技法の実験を始めたばかりだ
ったので、彼の賛意は当然、「我が意を得たり」。東京に来て、はじめてぼくを理解してく
れたデザイナ−第1号。同じ関西出身という気安さもあり、貴重な友人を得た思った。  
 とにかく彼の大阪弁を聞いていると丹平の昔に帰ったような気分で、まさに水を得た魚の
よう、何か生気を取り戻したように感じた。
    
    
 その後間もなく片山君に同行して、大阪ではタカラ椅子を、名古屋では白砂電機のテレビ
を撮影したが、当時はまだテレビの試作は珍しく、スイッチを入れるとブラウン管が爆発す
るのではないかと恐る恐るの撮影であった。                     
 ぼくはこのテレビ撮影で、前後左右どちらから見てもサイコロのようなフォルムに微妙な
変化があっておもしろく、それらのシルエットも撮っておいた。彼はこれを切り抜いて、ビ
ルのように積み上げたかなり風変わりなデザインで、当時デザイン界での登竜門、日宣美展
に出品して賞を得た。 こんなキッカケがぼくの広告写真界へのスタ−トになった。  
     
 片山君は、その後日本デザイン・センタ−に入社し、ニコンのポスタ−などでユニ−クな
作品を発表していたが、後にスイスのガイギ−社の招待を受け、続いてアメリカのハ−バ−
ト大学・視覚芸術センタ−に招聘され、同大学の教授になった。       
 ぼくはデザイナ−出身で彼ほどの努力家、変身、脱皮を重ねた人を他に知らない。彼はス
イスに渡ってから、更に彼独自の幾何学的、構造的な手法を執拗に展開しながら、なお奥行
きのある美的、抽象的な世界を創り上げ、独立した造形作家、画家になった。      
 そのすばらしい作品については、また機会を見て紹介したい。
    
      
 ところで、若い写真家の広告写真への入門は、普通「物撮り」といわれるチラシやカタロ
グ用の単品の商品撮影から始まることが多いが、ぼくはいきなりデザイナ−との共同制作に
入ったので、当初から自分の希望や個性も発揮できる企画ものの仕事に恵まれた。   
    
 今回は、ぼくのやや特殊といわれた商品写真のなかでも、ストレ−トに近い作品を取り上
げ、作品への評価は見る諸兄にお任せして、当時は企業秘密ともいわれた制作の具体的な内
容を書いてみることにした。           
 ぼくは、1960年から約12年間、西武デパ−トの新聞広告、ポスタ−、パンフレット
などの撮影を担当したが、本・支店の全広告、ディスプレ−などにも使われるために、著作
権への意識も不十分な当時は、原版の返却もされなかった。              
 そんなことから、この期間はぼくの生涯最大量の撮影だったが保存資料は僅少で、分かり
やすいこれらのストレ−トでバラエティある作品紹介ができないのはいささか残念に思う。

             

 < ARA ・ ネクタイ >

    
  月刊誌、週刊誌などの広告は、バラエティをつけるため短いものは1年ぐらい、長いもの
でも4〜5年で写真家が交代するのが一般であった。
 そんな中で、このシリ−ズは1975〜86年まで12年間、ミセス、プレジデントなど
月刊誌に連載された一連の作品の一部である。ぼくの仕事では最長期であった。 
     
 なぜ、そんなに長く続いたかを考えてみたが、それはぼくの持論とスポンサ−側の前向き
な意向がマッチし、当時のネクタイ広告でこんな大胆な構成も珍しく、他に模倣者もいなか
ったからであろう。                           
                                       
 この仕事の相談で、はじめてARAネクタイの担当役員が、ぼくのスタジオへ訪ねて来ら
れた時は、ぼくももう51歳。世界の広告に対するぼくなりの持論も単刀直入で、どんなに
無関心を装った男性でも、『客は自分でなくなることを目的に店にやって来る』、と話した
ことに共感され、この仕事は決まったようであった。               
   
                                        
 これが売り場で見る女性の衣装選びなら、楽しそうなシンデレラ願望といったことになろ
うが、表にあらわさない男性の心理は見かけとは裏腹もあり、変身願望も複雑である。  
 ぼくは、そんな複雑さを<定義不可能な何ものか>と言い、それは感性でしか受け止めら
れないもの、またそれに対応した表現をしなければ、広告にならないといった話をした。
                                       
 ぼく自身は実感として、それがもう性癖のようになっているかも知れない。      
 例えば、車で銀座の並木通りを走りながら、チラッと目に飛び込んできたネクタイを見つ
けたらすぐ車をバックさせ、気にいればパッと買ってしまう。これに合う洋服はなどと考え
て買ったことはない。それでも自分なりの直感でちゃんと合うものだ。これは衝動買いでは
ない。自分の感性に波長が合ったネクタイの方から飛び込んでくるものだ思っている。  
(家の者に頼むと洋服とネクタイの組み合わせ、ブランドなど、あれもこれもと気を使って
 結局はまったく当たり障りのないものしか買って来ないので頼まない)        
     
    
 男性の周辺への心づかい、身だしなみ、僅かネクタイ1本でのオシャレは、巌流島の決闘
ではないが、大刀一閃の勝負、切れ味を見せるようなもの。それは全く静かな決闘かも知れ
ないが、世の男性方は、みんなもっとそんな粋なスリルを楽しんでいいのではと思う。  
(尤も冠婚葬祭の礼服の決めどころは、白黒モノト−ンの厳しいバランスにあるので、ネク
 タイにもそれなりの配慮が必要だが)
     
 それまでのネクタイの雑誌広告は、椅子の背に何となく掛けられたり、洋書や楽譜、パイ
プなどをバックにしたテ−ブル・トップフォト。どこかで見たような雰囲気を構成してみせ
たものが殆どであった。
    
 ぼくの持論・構成では、そんな陳腐な雰囲気はまったく必要がない。         
そのネクタイのセンスの良さを、独立した空間、豊かで緊張した場で見せることになる。 
 ぼくにとって、この白い球は小宇宙なのだ。ぼくはそこで商品で話かけようとした。
 白い球を使ったこの構成は、毎号一目でARAというブランドがわかり、ちょっとしたパ
ンチがあって男性の評判も仲々良かった。そんなことも長く継続出来た原因であったろう。

          

A.  ARAネクタイ ポスター                    

B. ARAネクタイ

C. ARAネクタイ

         

D. ARAネクタイ

E. ARAネクタイ

            

   A.  ARAネクタイ ポスター 

   
 これは、B全ポスタ−の原画。                          
 ネクタイが実物の3倍近い大きさで、雲を小さく表現しているので、ネクタイのある大風
景に見え、相当の迫力がある。こうしたシンプルな構成にすると、見る位置の遠近にかかわ
らず印象は強い。これはポスタ−の基本的な必須条件である。このポスタ−は、デパ−トで
の展示会用に作られたが、若い人たちの頒布希望が多かった。これだけ大きなネクタイを壁
に貼ると、部屋の雰囲気も変わるだろう。
     
 撮影のセットでは、ネクタイの裏面に型紙を入れ、それに張りつけた太めの銅線でカ−ブ
をつけ、黒い板ガラスに掛けてある。                        
 バックの装置は、アクリルのマット(くもりガラス状)を垂直に立て、その後ろに水平な
台があり、その上に全紙大のクロ−ムメッキ板が置いてある。これに更に後ろから数台のピ
ン・スポットで照明し、クロ−ムメッキ板を曲げると雲状の反射光がバックのアクリル・マ
ットに現れる。雲の色変化はピン・スポットにつけた舞台照明用カラ−・ゼラチンによる。
 
    
             

B.C.  ARAネクタイ 

    
 これは、月刊誌用の原画。
 これが基本的な構成で、毎号ネクタイと球体への画像を変えながら、強固で安定した表現
を心掛けた。ネクタイの色とシャ−プさと質感には特にこだわり、ネクタイへの照明は細か
く、4台くらいのピン・スポットが使われている。                  
   
 球体はバレ−ボ−ル大の石膏で作られ、バックのアクリル・マットから水平に伸びた鉄棒
で支えられている。球体の画像は、右下方から6×6版のプロジェクタ−でカラ−スライド
が投影されている。B.はニュ−ヨ−クの夜景を高所から撮ったもの。C.は、フランス、
ロンシャンのル・コルビジェの教会の窓のスライドである。
 制作年度により、カラ−スライドは人物のスナップ・ショットや風景、彫刻など変化させ
た。もちろん、このスライドも日頃から撮り貯め、モデル撮影もした。
    
 バックの雲は、セットを少し変えて雲の形を変え、球体とネクタイの照明、スライドの投
影、バックのみの3段階に分けて露光をしている。
    
      

 D. ARAネクタイ    E. ARA雑誌広告 

    
  球体は、年度により多角形(14面)に変えたこともあったが、最終の1年間はデザイナ
−の希望もあって、こうしたまったくシンプルな三角形にもしてみた。
 A.B.C.は、合成に見えるが、まったく手のかかるストレ−トなアナログ撮影。
 D.E.は、ネクタイ、三角形、バックとそれぞれ別個に撮った3枚のポジをマスキング
で合成した実験作、CG風を試みたものといえよう。
 ぼくは、やはり手数はかかるが、A.B.C.の方が好きである。
     
 ARAネクタイの広告は、シンプルをモット−に、コピ−も、<E>で見るように、  
 『優しさと、そして強さと。男の香り。』という、だだそれだけで、商品写真だけ
 での勝負であった。
     
 ところで、ネクタイの色については、おもしろい話があった。
 織物によっては、撮影時に偏光で実物とはややかけはなれた発色をすることがある。そん
な時は、プロなら偏光フィルタ−で矯正するのが一般である。
 このシリ−ズを始めて1年後くらいだったが、そのネクタイは現物より偏光した色合いの
方が遥かに良かったので、ついぼくは偏光フィルタ−なしでも撮っておいたが、それをうっ
かり渡してしまい、印刷にまわされてしまった。
     
 ところが、これが大当たりで注文が殺到した。メ−カ−は色ちがいの現物を渡すわけには
行かず、この写真にあわせて急ぎ織り直した。怪我の功名ということで会社側からは笑いな
がらの礼をいわれたが、ぼくとしては、それだけ目の肥えた男性がたくさんいることが証明
され、ぼくの持論もまんざらではなかったと気分を良くしたものである。

   

       

< コスメティック その他 >  

       

F.  アンフィニー カネボウ                    

G. キャロン カネボウ

H. 化粧瓶 カット

         

I. カルチェ デザイン指輪

J. コルム 時計
 

         

    

 アンフィニー その他

   
 ぼくは、ストレ−トに近いコマ−シャル・フォトでも、色光にこだわってきたことがこの
香水の撮影でもよくわかる。
 この「F.アンフィニ−」の撮影の意図は、デパ−トの店内の柱に張り、コスメティック
売り場の雰囲気を盛り上げるための小型のポスタ−で、それは単なる商品を越えた光り輝く
イメ−ジ表現である。水と瓶のフレア−が入り乱れるところがポイントだが、見た目以上に
手の込んだ撮影である。
     
 バックは、ふすま大、90×182cmのアルミ板。遠くと香水の足元には、水の流れと
たまり水がある。そしてこれらの水には渋い赤紫色の光が反映している。
    
 ここまでは普通のことだが、このままでは透明な瓶の中の液体もすべてが赤紫色になる。
そこで、香水のそのままの微妙なイエロ−を出すには、ちょっとした工夫がいる。
 このセットは、横から眺めたイメ−ジを想像するとよくわかるが、正面から見て香水の底
から香水瓶の幅と高さまで、後ろに向かって逆L字型の白い型紙がセットされ、その白紙に
真上から1個づつのピンスポットが照明され、香水の正確な色を出している。
    
 それが形さまざまの瓶の数だけのセットが必要で、手慣れているといっても、大変な手数
がかかる。助手君たちも神経を使い、白紙の明度をスポット・メ−タ−でそろえるところま
で、ワンセットにかなり手のかかる代物である。
     
    
    
 G.これは、ブル−系のバリエ−ション。
 
 H.化粧瓶カットは、パンフレットなどで表紙やカットに使われるので、こうした比例
   を変えての多重露光での構成は多い。
 
 I.カルチェのデザイン指輪のバックは、ポスタ−絵の具を流して作られている。   
   絵の上に物を置いて写すこともある。                     
 
 J.コルムの時計は、金貨で作られているものがメイン商品で、雑誌広告では注目度を 
   あげるために、こんな見せ方もするという代表例である。         
   表面張力でコップの水面が盛り上がったところに、金貨の下端が接しているものは 
   バックからピアノ線で金貨が支えられた実写、他の2枚は後からの合成である。 
   
                                    
     
 ぼくの仕事は、ぼくが色にうるさいことからか、外国の商社から直接撮影を依頼されるこ
ともかなりあった。シャネル、カルチェ、チソット、コルム、バルカン、その他いろいろあ
ったが、外国人はブランドに非常な誇りを持ち、その商品撮影には立ち会いこだわる人が多
かった。日本の商品撮影に、会社の役員が立ち会うのは見たことがない。    
    
 よく見えたシャネルの日本支社長は、あの白黒の香水の箱を持ってきて、撮影直前までポ
ケットから消しゴムを取り出して、箱の白い部分をゴシゴシこすっている。あの箱の白黒の
明暗のバランスなら普通の露出の掛け方で、完全に白は表現できることを説明しても、来る
度ごとに相変わらずまたやっていた。                        
 また、シャネル5のガラス容器は、あのフォルムそのもので勝負するのが会社の建前であ
ったが、よく見れば1個ごとにガラスのひずみでシルエットの形が変わる。      
 それで、ぼくが完全に気に入るまで「ノ−」を続けたら、ついに彼は100個以上も持っ
てきた、といった具合であった。
    
     
 今回は、ストレ−トな商品撮影をした作品を紹介したが、それは初期の商品広告が実物よ
りもきれいに見せること、目立ちさえすれば良いといったことから抜け出し、この半世紀の
間に多種多様な表現と価値観をみせるようになったことの紹介でもあった。       
 そして、外国人の徹底した商品へのこだわりを見て、その正確な造形表現はまた会社の品
位風格を、さらに広告制作にたずさわる人々の人格、資質をもうかがわせ、ぼくは写真家と
して責任の一端を感じるものであった。                       
   
 また、おしゃれの根底は変身願望にあるが、それは百人百様、「定義不可能な何ものか」
であり、それは感性でしか捉え得ないものであることは、ほとんどすべての創作に共通する
ことでもあることをぼくは体験した。 ぼくが言いたかったのはそんなことである。   
 優れた商品広告は、明快単純であり、饒舌でなく無言の魅力がある。