part.34  

写真特殊表現 - 2

< 「よくわかる」「よくわからない」という話 >
    
   
 ぼくの後半生は、写真特殊表現というあまり一般的でない分野の仕事で生きてきた。
 最近はさほどでもないが、こうした作品をポスタ−やカレンダ−、あるいは展覧会や個展
で発表する度に、「まるで絵のような写真ですね」といわれてきた。
 確かにぼくは絵が好きだし、友人に絵描きが多かったので絵の影響を受けた部分もあるだ
ろう。しかし、絵のような写真を作ろうと思ったことは一度もない。同じ平面という2次元
での表現では共通するが、本当に絵を真似るくらいならとっくに絵筆を握っていただろう。
    
 ぼくは、初めての個展で「玉井瑞夫写真展」というタイトルの上に、<インテリアとして
の>というサブタイトルをつけたが、これはせっかくの絵や写真が日頃ほとんど目にふれる
ことのない応接間などに飾られていることへの抗議ともいえる意味からである。
    
 絵でも写真でも、何もかしこまって観るものではない。まして、ぜいたくな部屋のアクセ
サリ−、飾り物ではもったいない。それは、観る人と作品とが心を通じあうためのものであ
る。ぼくのこうした考え方は、もう200年以上も前に書かれ、のちのちの教育論に大きな
影響をあたえた、ルソ−の「エミ−ル」の影響が根底にあるのだろう。
    
 ぼくの考えでは、何時も目にふれるリビングや寝室、子供ベッドの壁などがよい。ことに
赤ちゃんには胎教や生誕直後から、脳のハ−ドウエア−、神経細胞の配線をよくするための
音楽に続いて、絵や写真も身近かに置いてこそ色彩も造形感覚も養われると思う。主婦なら
冷蔵庫の扉でもよい。ホッと一息ついた時お茶でも飲みながら眺めてもらいたいのだ。  
             
 流れるように耳に入ってる音楽のように、リラックスしているときも、考えごとをしてい
るときも何気なく目にふれるところに置くのがいい。そして、折にふれこれらと対話するの
もいいものだ。ぼくはトイレの壁にも瑛九の小さなフォトデッサンがかけてある。    
                                         
 そんな話をぼくは新聞の文化欄に書いたり、個展会場ではサイン帖ならぬ「落書き帖」を
置き、なんでも思うままに言いたいことを書いてもらったりするせいか、ア−トとしての写
真や絵に興味を持つ方から話しかけられることが多くなった。             
 そして話題の究極は、作品の好き嫌いや作品についての鑑賞上での「よくわかる」「よく
わからない」といった問題であった。
    
 ところで、これからのぼくの講座は、<写真特殊表現>がずっと続くので写真にも絵にも
共通するこうした問題を、ごく簡単な美術の歴史、先輩格の絵のおさらいをしながら話して
おきたいと思った。もちろんぼくは美術評論家ではないので、それは日頃、瑛九やその仲間
の画家、写真家たちとの話題にでた一般的、平均的なレベルの話である。

 
< 美術の流れ >
     

 絵画の歴史は、アルタミラの洞窟画から始ま
るが、ずっと古いところは省略して、美術館の
案内パンフレットを見ながら、とりあずレンブ
ラントが生きていた17世紀以降に限ってその
ポイントを引用してみよう。
   
 この頃は、それまでの宗教画から一歩先へ進
んで風景や生活を描き始めている。芸術全体を
通じてはバロックの時代に当たる。
 この後はロココ、新古典主義、ロマン主義、
写実主義などを経て19世紀末の印象主義(印
象派)に至る。
    
 印象派の画家であるモネやルノワ−ルを思い
浮かべるとよくわかるが、それまでの写実的な
ものと比べて、絵に光の輝きが感じられるのは
彼らがアトリエを出て戸外で自然を観察し、明
るくいきいきとした様を描いたからである。
 日本で人気の高いゴッホは、後期印象派に分
類されるが当時としては革命的な描き方で「よ
くわからない」部類であったらしい。
   
 こうした流れを示すと、宗教画→写実的なも
の→印象派と進むにつれて、より内容や描き方
が自由になって行く様子がうかがえる。つまり
美術の歴史というものは、表現が自由になって
ゆく歴史でもあるのだ。

ルノワール  1874年

 20世紀のはじめになると、フォ−ヴィズムが登場する。色彩からも自由になって、その
強い色調からフォ−ヴ(野獣)と呼ばれた。つまり現実に近い色から感覚的な色を使うよう
になったわけだ。さらにキュビズム(立体派)になると形からも自由になる。それらの代表
としてピカソの抽象やブラックの作品をあげれば、なるほどと思われるだろう。このあたり
までの美術は、まあわかりやすいだろう。色や形が現実のものとは違っても、そこには人や
物や風景が描かれているからである。わかりにくいのはこれからだ。
    
 ロシヤ生まれのカンジンスキ−は、物ではなく、音楽のような目に見えないものも描いて
いる。これは色や形ばかりでなく、対象からも自由になったといえるだろう。でもすべての
画家が美術の流れにそっているわけでなく、これらには関係なく独自の世界を展開した「エ
コ−ル・ド・パリ」の画家、シャガ−ルなどもいる。
   
  二つの大戦の後、美術の主流はヨ−ロッパからアメリカへと移って行つた。
 そこでは、それまでの幾何学的抽象(考えられた抽象)から、抽象の抽象ともいうべき無
作為の抽象であるアクション・ペインティングが主流となる。
 これは床の上にキャンバスを置き、油絵具をたらして飛び散ったままを作品としたポロッ
クなどがその代表。さらに時代が進むにつれて、ポップア−ト、コンセプチュアルア−ト、
ミニマルア−トなど、次々と新しい表現行為が試されることになった。
    
 アクション・ペインティング以降の絵は何が描いてあるのかわからない。いわば中心の否
定が特質となる。この中心の否定はロスコの作品についても同様だし、ステラの作品につい
てもいえるだろう。つまり何だかわからないのは当然なのだ。裏を返せば作品のなかに意味
などなく、そこにあるもの、それがすべてなのである。

フランク・ステラ  1960年代
 だんだん哲学めいてきたが、で
はどうすればこれらの作品が「わ
かる」ようになるのか。
    
 あっさりと云ってしまえば、そ
れにはまず、「わかろう」とせず
に、「感じる」ことだ。ロスコや
ステラの絵を前にして何を表現し
ようとしたのかと考えるのはナン
センスである。作家からのメッセ
−ジなど、ないと思った方がいい
のである。
    
 かっての美術鑑賞が絵に込めら
れた画家のメッセ−ジを読み取る
ことにあったとすれば、現代美術
鑑賞のポイントは、作品を鏡とし
て自分を見ることにあるともいえ
るのだ。作品を前に自分の中の何
かが共鳴すればそれでいい。
    
 もしこれらの現代美術を見て、
「よくわからないが迫力があるな
とか、色がきれいだなとか思えば
それでいい」と、するのである。

 ぼくの体験では、小学4年生のころ、教師の父の蔵書、世界美術全集の泰西名画の太り気
味のヌ−ドの盗み見にはじまり、写真を始めた中学2年頃からは、遠近感の強いキリコの風
景や光の満ちあふれたモネ風の絵が好みで、ミレ−の落ち穂拾いは古くさくて好きになれな
かった。25歳で入会した丹平写真クラブ時代には、ゴッホの「烏の群れ飛ぶ麦畑」のモノ
クロ写真に感動したが、その直後瑛九に会った当初2〜3年は、まだピカソの抽象画や瑛九
の油絵はよくわからなかった。
    
 それが瑛九宅に通ううちに、若いア−チストたちとの交友がひろがり、ほとんどの抽象画
が話題にでることから、何となく気にいった、あるいは気になる作品のコピ−などを壁に貼
っていると抵抗を感じなくなった。つまり、見慣れるうちに身近かに感じ、わけもわからぬ
絵にも親しみを持つというか、何となくわかるような気分になっていった。やがてそれが明
確になってくると、同じ作家の作品でも取捨選択が厳しくなり、これが「わかる」というこ
とかと思った。
    
 とにかく、ぼくはそんな環境から絵と写真を分ける垣根を取り払ってしまった。それは絵
と写真だけでなく、すべてのア−ト、創作に共通する。
    
 もちろん、広告写真家という仕事柄からいわゆるノ−マルな写真も撮るが、新しい理念の
もとにグロビウスが設立したバウハウスが芸術家と職人の区別を否定し、芸術家は職人の昇
進であり、独創的な手工芸的要素はどんな芸術家でも必要とされたことにぼくは注目した。
 そして、絵画や彫刻を知るほどに、仲間の絵描きたちアイオ−や池田満寿夫たちの仕事を
意識して、かえって絵には負けていられないられないという思いが強くなり、写真の特性を
拡大追求する新技法の実験に熱中するようになった。
    
 そんなことをしているうちに「人生は二筋道、一つのことだけを追い求めてはいけない。
一つだけだといつか人生は涸れてしまう。右往左往、ジグザグに進むことのほうが面白い」
というのが、ぼくの信条になった。
    
 ずいぶん長い前書きになってしまったが、これからぼくが講座で解説しようとする一番肝
心なところは、理屈でなく体で感じたことである。しかし、それらはほとんど無意識で行っ
ていたことを明確にしなければならぬということで、作品解説も自分の作品ながら毎度表現
に戸惑う。よろしく判読していただきたい。
 クレ−は言った「芸術は目に見えるものを再現しない。目に見えるようにするのだ」と。

          そよ風   玉井瑞夫

            石垣    玉井瑞夫

       

「 そよ風 」

    
 これはごく初期の特殊表現の試みで、何の変哲もないように見えるが、ぼくにとってはひ
とつのエポックをなす作品である。ぼくはある日ふと、泰西名画には殊に雲の表情にすぐれ
たものが多いことに気がついた。
 それらの絵には、さまざまな無音の雲からの荘厳な和音があり、そこにはある色をたっぷ
り含んだ光から、音への転換があるように感じたのだ。こんな見方は変っているかもしれな
いがぼくにとっては大発見で、写真の雲まで変えるのはタブ−のように思っていた頃、この
実験はその第一号になった。
     
 この原画は、風になびく植物のフォルムのバランスがよく気にいったが、もう一息雰囲気
が足りない。そこで下部にやや濃いシアン・ブル−、上部にはシアン系のグリ−ンを入れ、
白い光に濃淡の変化をつけた。この経験は後にスタジオ撮影のテ−ブル・トップフォトで、
割合簡単に色光で雲を作る基礎になった。
    
   
   

「 石垣 」

   
 ぼくはどういうわけか野草が好きで、道路のアスファルトの割れ目から芽を出したところ
や石垣のすき間に生えたこんな葉っぱを撮った写真がたくさんある。しかし、佳作と思える
作品はほとんどない。
    
 この写真も、古びた石垣と2枚の葉っぱから受けた現場の印象からは程遠いものになって
いた。そんなわけで苔や石の表情を、多少の色彩変化で援用し、ぼくのイメ−ジに近づけた
い、なんとかそれらしくしたいといった試みがこの作品である。
    
 技法としては、ポピュラ−なポスタリゼ−ションで下部はやや重いブル−、上部はやや青
味のある紫色を加えてある。
    
 今回の参考作品は、植物を中心とした各種の特殊表現だが、「そよ風」「石垣」は基礎的
なテスト段階を示すもの、後の3点は植物を題材とした色光によるフォトジェニックなバリ
エ−ションである。

   

                

            タンポポ    玉井瑞夫   1974

「 タンポポ 」

   
 花の写真のバック、つまりシチュエ−ションは千変万化、ちょっとした工夫で同じ花がす
っかり趣を変える。
 自然のままでのすばらしい写真を撮りたいが、広告目的にそったすっきり整理された作品
を撮るのは至難のことである。そんなことから、スタジオでのセットがほとんどである。
    
 この写真のタンポポは、ロケ先でたまたま自生している群れを発見して数点撮ったものの
一枚だが、その場合も後で使いやすくするための用意がされている。
 戸外撮影では風に悩まされる。早朝、その他余程の条件がそろわないかぎり、充分絞って
のスロ−シャッタ−は切れないので、アングル自由なストロボと銀レフを使うのが一般であ
る。バックは真黒なラシャ布を使った。ラシャは艶がなく前からのライティングでも光を吸
収してくれる。(バックを白にしたい時は、イラストボードなど表面の質感がでないものが
よい。)
    
 後は合成作業だが、バックになっているのはトレシング・ペ−パ−を折りたたんでから広
げて赤、青の色光を照明した別のポジフィルムに、黒バックで撮られたタンポポを二重露光
するもっとも簡単な合成である。画面の下半分ににある霞のような青白い光は別ポジによる
露光だが、この光は奥行きを出すもので大切なキ−ポイントといえる。
    
 この作品のちょっとした魅力は、いうまでもなくトレペは単なるバックではなく、タンポ
ポが紙の中に入ったようなフォトジェニックな一体感、多重露光の効果である。

    
                         

            黒い野菜    玉井瑞夫   1970

        

「 黒い野菜 」

   
 この写真の被写体は、輪切りにしたきゅうり、アスパラガス、カリフラワ−、キャベツと
さやいんげん、そらまめなどである。撮影時、見た目にはソフトなグリ−ン一色の野菜が、
ここまで変容した表現になったのは、マスキング作業のプロセスにあった。
    
 マスクは光を幾分か透すソフトな諧調をもつグラビアフィルムと完全に光りを遮断するリ
スフィルムを使ったもの、用途に応じてその中間のものやハイライト・マスクなどいろいろ
なものが作られる。
    
 ぼくは、それらを広いライト・テ−ブルに並べて眺めているうちに、一番ハ−ドなリスフ
ィルムのマスクに目が釘づけになった。そのマスクのフォルムは、ソフトな野菜から離れて
うごめく得体の知れぬ動物のように見えた。 
 そんなことからぼくは絵に負けない重厚な作品づくりをやってみる気になったのである。
黒いシャド−に見られる強い色彩は、クッキング・ホイルを細かく揉んで広げ、ギラギラし
た凹凸に赤、青、緑、黄色のスポット・ライトを当てて撮影したもので、そのポジをややア
ンダ−気味に露光したものである。
     
 こうした合成の成否は、作品の内容表現をことさら単純明快に伝えることにつきる。さま
ざまな要素を無差別に積み上げると意味が入り乱れ互いに消しあうものだ。
 黒い野菜というタイトルは、見た目から受けた印象で、別に意味はない。

  

         

   

             ヒマワリ     玉井瑞夫  1974

           

       

「 ヒマワリ 」

     
 このヒマワリは、友人がスタジオに持ち込んで呉れたものだが、ぼくの身長ほどもある大
きく立派なものであった。
    
 ぼくはこの大きなヒマワリを見た瞬間、その辺を裸で走り回っているまだ2才の息子の姿
がダブったイメ−ジが浮かんだが、それはほとんどこの作品に近いものだった。
    
 人はイメ−ジで思考する。言葉だけが浮かんで、イメ−ジが浮かばないときは思考が停止
するが、イメ−ジが先に浮かぶと仕事は速い。
    
 でもこの合成作業は意外に手数がかかった。それは、ヒマワリがあまりリアル過ぎると生
ま生ましくて落ちつかず、イエロ−がこの渋い調子に落ち着くまで何度も色調節を重ねたこ
とである。全体の印象として思いがけない色調や異物を交えるコラ−ジュ的手法では、多少
の雑音は気にしないほうがいい。きれいになりすぎるとリアリティが希薄になるものだ。 
     
 今回の解説は、ぼくの意図をことさら詳しくのべることはしない。前書きに述べたように
感じてもらえればと思う。
 ぼくのやってきた特殊表現技法は、写真の表現範囲を広げようとする試みだが、それはあ
くまで写真の特性の発揮を基本としてきたので、一般のストレ−トな写真撮影にも生かせる
ところが多いと思う。