part.31          

(2)

< グラデーションへの考察 >
   
   
  写真表現の特質といえば、「瞬間の固定」、「精密描写」の2つは、すぐピンと来る 
 が、もう1つの「グラデ−ションの表現」は、成り行きまかせが多いためか、写真学生 
 でもとっさに答えられないとぼけた者が毎年かなりいて、呆れ返ったものである。
     
 グラデ−ションは写真の特性としては非常に地味なものに感じるが、優れた写真家でこれ
をおろそかにする人は皆無で、鋭い観察と表現に感嘆させられることも多い。一方、ベテラ
ンの作品には、意図的な非再現的なグラデ−ションの創造、つまり過剰なグラデ−ションを
切り捨て、必要部分を強調した息をのむような厳しさ、見事な作品が見られることもある。
     
 グラデ−ションの表現は、精密描写と相俟って質感・肌面を表し、さらに時空の構成表現
に重要な働き、意味を持つものだ。ところが、文化史上では写真家よりも画家の方がはるか
にその力を認識し、グラデ−ションのみでの素晴らしい作品を残していたのだ。この講座で
は、そんな話も基礎知識として、片手落のないよう触れておきたい。          
 以下は、おおむね1920年代からの話である。  
    
   
 「全紙大の印画紙が1枚、現像液が入ったバットのなかに沈んでいった。−−−それは、
まだ感光していないのに、手違いで感光ずみのものにまぎれこんでいた印画紙だ。わたしは
数分間、映像のあらわれるのを待ったが、あらわれなかった。印画紙を無駄にするのが残念
で、わたしは小さなガラスじょうご、計量コップ、温度計などを、機械的にバットの中のぬ
れた印画紙の上においた。それから光をあてると、目の前にひとつの映像が浮かび始めた。
   
それは普通の写真のときのように、対象の単なる影ではなく、コップは印画紙に一様に映る
のではなく、映像は黒い部分、じかに光りにさらされた部分から浮かび上がった。わたしは
子供のころ、シダを焼付け枠にいれて印画紙の上におくと、感光して葉の白いネガが生まれ
たのを思い出した。」これは、マン・レイが自伝のなかで、パリでダダ運動に加わっていた
ころ、フォトグラムをはじめた端緒を書いている部分である。

 だが、マン・レイにもまして、フォト
グラムを創造的写真の中心にすえたのが
自然科学出身の独特な思想家であり、画
家でもあったモホリ・ナギ−である。 
     
 彼は1922年頃フォトグラムに関心を抱
いたが、カメラと感光材料とは写真の独
立した2つの領域だと考えるようになり
ルネッサンス以来の新しい出来事として
カメラという機械が民衆の興味をそそっ
て止まなかったのに対して、感光材料の
すばらしい可能性は不当に無視されてき
たとして、印画紙上に光の現象、グラデ
−ションのみにによる造形をフォトグラ
ムと名づけた作品を発表し始めた。
   
 ドイツの美術史家で写真の理論家でも
あるフランツ・ロ−は、このフォトグラ
ムについて次のように述べている。
   
 「動く光線によって、鋭くあるいは鈍
く照らし出される時、まるで空間を交錯
するような、しばしば驚くべき透明さを
もった神秘な光りの領域が生まれる。輝
くばかりの白から灰色の百千の形態をへ
て、もっとも濃い黒に至るまでの、微妙
な諸階段が生み出され、相互浸透によっ
て極度に近いものと遠いものが暗示され
ることもある」。

「フォトグラム」 ラズロ・モホリ・ナギー 1922

  当時の画家は、いずれも芸術と非芸術の境界をとりはらおうとし、まだ絵具と色彩の使い
方の中に伝統的な絵画の痕跡を残していることに対抗して、光が描く絵をつくろうとした。
 フォトグラムの空間構成にとって決定的なものは、黒白の中間階段の調子と変化だが、モ
ホリ・ナギ−はこのような調子がリアルな対象やその連想から切り離されることに写真の最
良の可能性を見いだす鍵があると考えていた。
 理論家の彼は、まず画家であったために、レンズもフイルムを通さないで、印画紙に直接
光を与えたまったく無粒子の印画紙が見せるグラデ−ションの素晴らしさに驚き、美しさに
魅せられたのであろう。

「会話する家」 瑛九 1954

 瑛九は絵画に対する激しい情熱と同時
に、深い懐疑が渦まいていたころ、新し
い表現の手段を光の原理、光のもつグラ
デ−ション、最も微妙な秘密を表現する
印画紙に求め、この材料のもつ科学性を
利用してメカニズムの原理的な美を追求
しようとしたことから、写真の感光材料
をもってするデッサンだからフォト・デ
ッサンと呼ぶことにしたという。
    
 瑛九のフォト・デッサンは、光りと影
のうちに現れるイメ−ジが新鮮・大胆で
オリジナリティにあふれ、日本的な制約
からはなれ、インタ−ナショナルな普遍
性を示している。  
 彼はまたコラ−ジュやフォトモンタ−
ジュも試み、現実的な素材を自在に変形
しながら、鮮烈なイメ−ジの生誕を記録
している。
   
 われわれ写真家は、瞬間の固定、精密
描写に熱中するあまり、成り行きまかせ
のグラデ−ションに安住し、フォトグラ
ムの世界ではもう80年も昔から画家兼
写真家任せで、これらの作品を越える写
真家の作品を見たことがない。恥ずかし
い次第である。

         
 < 特殊表現技法について >    
 写真の特殊表現技法には、10種類以上の手法があるが、この講座では、「Part1」
に始まって折にふれ、幾つかが紹介されているが、ぼくの仕事の多くが特殊表現であったた
めに、これからの『玉井瑞夫インタ−ネット写真展』は、毎回がそんな作品の掲載が多くな
るであろう。
   
 ぼくの特殊表現技法は、教科書的といった基本的なものは少ない。ぼくの意欲のまま、気
の向くまま、勝手気ままな玉井式新技法も多く、新旧いろいろである。         
 それだけに、鑑賞も写真の枠にとらわれず、まったく自由に感じていただきたい。ものの
見方、考え方、手法にいくらかでも参考になるところがあれば幸いと思う。
   
 特殊表現の作品制作には、製版会社なみの器具やフィルム、薬品などが必要なものもある
が、ちょっとした工夫や「PhotoShop」その他の利用で可能なものもある。   
 時に、踏みはずしてみるのも悪くない。その思考、行動が他の芸術の理解への橋懸りにな
ることもあるのだ。
    
 さて、今回は<フォト・モンタ−ジュ>の初期段階のあれこれについて、例によって裏話
のような作品の解説、よもやま話を書いておくことにする。
 だが、何時もぼくはここで一瞬、躊躇する。「作品の自立性、自己完結性に対するぼくの
信仰からすれば、自作に対する過剰な解説、いや、ときにはおこがましくも解説文の方が肥
大して写真の方がイラスト化してはいないか。」などと思うが、「やはりぼくの後からやっ
て来る人たち、殊に初心の人々には道案内として役に立つこともあろう」と、勝手に割り切
って筆を進めるのが昨今である。
               

     
      毎度、繰り返すようだが、作品解説を読むのは後にして、まず、ゆっくり作品を  
  見てもらいたい。手品の種明かしを先に見て、後から本番を見ると興味は半減する  
  というが、そんな簡単なことではない。                     
    
   「写真人は、『目ではなく、脳でものを見る。目はレンズに過ぎない』という」
   『イメ−ジは、精神の純粋な創造物である。』 これは、先人の教えにある。   
      
   人はある作品を見て、その作品と対話しながら、魂のふれあいがある。そして、  
  その人なりのイメ−ジが涌いてくる。 それが自分の体で感じるということ、一番  
  大切なことである。                              
   ぼくの解説を先に読み、その先入観やぼくのイメ−ジ通りで作品を見ても、それ  
  は自分ではない。   

              ぶどう      玉井瑞夫   1968

              

「 ぶどう 」

   
  これは、家の光協会が発行していた農業の技術雑誌「地上」の表紙用に制作したもの。
 表紙の連載をはじめる前に、編集長が希望したひと言は、「これまでのいわゆる農村風物
詩風のものは止めにして、銀座通りを持ち歩いても恥ずかしくないシャレたもの」をという
ことであった。                                  
   
 そんなことから、ぼくは素材は見慣れた材料でも、玉井流の表現でスマ−トなものをと心
がけたのが、Part18「3つのタマゴ」などで、この「ぶどう」もその一連である。
    
 この作品のヒントは、ぶどうの産地、甲州銘菓<星のしずく>という土産にあった。  
 ぼくは、大粒のぶどうの一粒一粒が白い砂糖の溶液でコ−ティングされたお菓子を頬ばっ
たとき、砂糖とぶどうのジュ−スが溶けあった何とも言いようのない上品な甘さの一瞬、こ
れをカラ−写真のイメ−ジで表現できないかと思った。
    
 技法としてのポイントは、マスカットを被写体にして、わずかにずらせた二重露光による
濃度差のある2枚のポジ・フィルムを重ね合わせ、少しだけねじるようにずらせてあるとこ
ろである。右上の数種の円形の色ボケは、Part 29 に掲載した「色光は踊る」の要
領に近いものである。                               
    
 良く熟れたぶどうの甘さ、香りの表現は、思いのほか難しく、グラデ−ションとコントラ
ストの調整には苦労したが、最後に、似たような2枚のポジ・フィルムを重ね合わせるとい
うシンプルなモンタ−ジュが、動きを秘めたビビッドな効果を生んだように思う。

  

      

      

   

             リンゴと手と     玉井瑞夫  1973

            

            

「 リンゴと手と 」

     
 ぼくは、ミッチェルなど映画用カメラを使ったTVコマ−シャルのフィルム現像は、ほと
んど東洋現像所でやっていたが、ある日そこで見せられた不思議な機械が、アメリカからは
じめて日本に輸入したという、かなり大きな図体をしたコンピュ−タ−であった。
 最近20年ほどのパソコンの発達、普及はすさまじいが、いまだに電気に弱いぼくには、
こんな機械は魔法の箱のように見えた。つい30年前のことである。
   
 レンズの下に手を差し入れて、機械の或る部分をいい加減に動かしいていると、ブラウン
管に写ったぼくの手は、伸びたり、縮じんだり、つまりデフォルム自在な映像になった。 
 好奇心の強いぼくは、係の人の説明を聞きながら、随分長い間これで遊ばせてもらった。
   
 ぼくはその変化をしげしげと眺めていたが、その映像はぼくの手という感覚をはなれ、歓
びや諦め、迷いの表現のようにも見えた。
 そんなことをしている内に、色彩を加え随分抽象的な印象になってきたのが、この画像で
あった。ぼくの大きな手は、魔法使いの手のように、つま先はとがり、痩せて不気味ではあ
ったが、この異様なモチ−フには何か惹かれるものがあり、何か月も後にこれを生かそうと
試みたのがこの作品である。
   
 このイメ−ジは、夜明け前、うとうとしているときに浮かんで、その日の午前中に撮影し
た。異様なモチ−フに異様なバックでは当たり前、化けもの風にはしたくない。ありふれた
リンゴとの組み合わせでも、自分の不思議な手が加わると、つい運命などといったタイトル
がつきそうな写真にもしたくない。 この作品に意味はない。感じてもらうだけである。 
             
 構成上では、手の写真を後から写し込むために、リンゴの上部のみを照明し下部をシルエ
ットにするとリンゴのボリュ−ム、存在感が不足するので、バックとなる空間を赤の同色、
相似形の重複で支えたが、これは色と形は不可分というセオリ−のひとつである。    
 上部はシアン、ダ−ク・グリ−ン、バイオレットの交錯でやや不安を感じる空間とした。

     

                                  

                 グラスと窓        玉井瑞夫   1970

                   

            

「 グラスと窓 」

     
  このバックの赤い窓は、アメリカのニュ−オリンズの古い地区でよくみかける民家の窓を
撮ったものの中から6×6サイズのスライドにして、マット状のアクリル板の後ろから、プ
ロジェクタ−で投影した。
 ブル−の濃淡は、やはり後ろから照明光にカラ−ゼラチンをかけたもので、1メ−トルく
らいのテ−ブル・トップの至極一般的なセットである。
    
 ところで、その前に置かれたガラス器は、かなりの時代物である。もう37年ほど前、イ
タリアで買ったもの。老舗のガラス製品専門店のオヤジの口上は、あのシャンソン歌手のイ
ヴ・モンタンも愛用しているめったにお目にかかれぬ限定品、お買い物だという。
 オヤジの口上は、当てにならぬが、ぼくはその頃、デパ−トの宣伝写真撮影が仕事の大半
であったことから、かなり目は肥えていたので、日本ではお目にかかったことのない逸品で
あることはすぐ分かった。
    
 かなり高さもある手造りの、力を入れて持てば折れそうな繊細さ、薄く見事なカ−ブを描
くふくらみ、文句のつけようがない美しさにぼくは惚れ込んでしまい、しつかりしたトラン
クに6個入りで10万円、乏しい旅費も忘れて買ってしまった。
 でも、これは良い買い物で、テ−ブル・トップフォトでは、長年アクセサリ−として役立
ち、クライアントにも褒められ、大切に扱ってきたので未だに健在だ。
    
 余談が長くなってしまったが、照明は通常、ガラスの輪郭を強調するバック、サイドから
が多いが、この場合は繊細なフィ−リングを尊重して、カメラの両側にセットした各色点光
源の写り込みだけというライティングが見せ場になっている。 

     

                           

             枯れ木      玉井瑞夫  1970

                     

            

「 枯れ木 」

    
 これは軽井沢の鬼押出しとその周辺で撮られた。
 軽井沢には、仕事先の西武の施設があるので何度もでかけたが、風景を撮ることは少なく
これは付録のようにできた作品である。
    
 その日は仕事が早くおわり、ちょっと山の方へ寄り道したが、鬼押出しの奇岩は、ありふ
れているので、何か変わったものはないかと物色するうちに、ありふれてはいるが中々フォ
ルムの良い枯れ木を見つけ、その後、山を下りて真っ平なところで苔にしては厚みがあり、
その中から葉っぱが顔を出しているところなど、何気なくメモをするように撮って帰つた。
    
 ぼくの写真ストックには、こんな雑物に近いものもたくさんあり、時折引っ張り出して合
成その他いろいろの技法で遊ぶ。
    
 この枯れ木と苔のモンタ−ジュは、そのまま重ねただけでは、バックの苔が枯れ木に入っ
てしまうので、アナログではマスキングが必要になる。このプロセスでのポイントは、2点
の合成後、ポスタリゼ−ションの要領でマスクを作り、枯れ葉系統の補色のブル−のグラデ
−ションをシャド−に入れてあることだ。補色の効果的な使い方では、枯れ葉の苔が金色に
輝いて見えることもある。それにしても、枯れ木と苔は異質だがよくマッチしていた。
    
 こうした表現の作品は、女性に愛好者が多く、眺めていると心が休まるということであっ
た。個展では建築写真家の第一人者で、日本写真家協会会長、後に東京都写真美術館の館長
になられた写真界の最長老、故渡辺義雄さんがオ−プニング・パ−ティに見えられた時、こ
の前でしげしげと見入られて、僕はこれが好きだと、にっこりされた印象が残る。

       

                  月         玉井瑞夫   1970

                   

            

「 月 」

     
  これは、月という題名がなければ、何か分からぬであろう。
 この時、ぼくが何をしていたかを述べてみよう。
    
 ぼくたちが日常使うコマ−シャル用の4×5カメラのピント・グラスには、方眼紙のよう
なマス目が細かく引かれている。
 ぼくは、よく晴れた夜、二階の屋根に昇って、10時ころから10日月をマス目に1個づ
つ、5分おきに入れながらシャッタ−を切り、朝4時ころまで6時間ほどの撮影をした。
    
 月の数は76個ある。露出を一定にしていると月が中天にいる夜中は白く輝き、夜明けが
近くなると地平線に向かって降りてくるので、空気層の関係から月面はやや黄色味を帯び、
さらに下がると模様もやや濃くなる。
 画面下部のグリ−ンの帯状のものは、夜明け前頃にはカメラが水平に近くなり、隣のビル
の窓の蛍光灯が写り込んだものである。
    
 出来上がってきた写真をみると、このままでは何かが足りない感じ。樹木などを合成して
はと思ったがしっくりしない。そこで、このさるすべりのような艶のある木を、このフィル
ムの上に置いて写してみた。といったことだが、本当のところは、これは木ではなく海草を
干したものである。
    
 この作品が何を意味するのか。何が面白いのかと聞かれても返答のしようがない。
 この問題についてはまた講座で解説するつもりでいるが、今ふとこんな話を思いだした。
    
「氷が解けたら、何になる?」と聞かれたら、答は大体3つある。1番目は「水になる」と
だけ答える人は、ノ−マルだが水平思考が苦手な人。2番目は「春が来る」といった答をす
るタイプの人は、頭が柔らかく何かものをつくる人。3番目は「水割りが薄くなる」などと
いう人は、柔らかすぎてヘソまがり、たぶん漫画家に多いだろう。といった話だった。  
 ぼくは、朝方うつらうつらしている時にイメ−ジが湧いてくることが多いが、1番目では
退屈する性格、おおむね2番目に近いタイプに属するように思う。
    
 もし、これほど空に月があれば、明るすぎて困るだろう。
 でもぼくは、ただ、なんとなく、一枚のフィルムの上にたくさんの月を写したくなった。
ぼくは、それを何の抵抗もなく素直にやった。隣人は、いい年をして何をやっているのだろ
うといった顔付きで、ご苦労さんというが、ぼくは結構楽しんでやっているので、それほど
疲れも感じない。                    
    
 そんな世界はぼくだけのものであろう。 それは、またぼくだけの創作といえよう。