part.30          

   (1)

    
   写真の歴史はまだやっと160年。その丁度真ん中のあたりで大きな変化があった。
 この講座の<Part6>で、「新興写真運動とア−ト」に関連してドイツのバウハ 
 ウスの話をし、<Part27>で、ピエト・モンドリアンの「ニュ−・リアリズム」
 論を紹介した。 
                                      
  今回はモンドリアンの盟友で新興写真運動の闘士の一人でもあったラズロ・モホリ・
 ナギ−を紹介し、彼のいう写真的表現の特質について簡略にふれておきたい。こうした
 人々は、時代の先端を行った変革者、何を言い、それがどうなったか、文化史として一
 応知っておくのも悪くない。
   
        
 戦争というものは、科学の発達を促すとともに芸術の世界にも大きな変革をもたらす。 
 西欧社会では、以前は王冠と教会と資本という三つのものが民衆の運命のみならず、あら
ゆる視覚芸術の方向をも決定していたものが、1918年、第一次世界大戦の終結とともに
それらが崩壊し否定し去られた時、若い世代の芸術家たちの心ある者は、新しい原理を生み
出すような新たな視覚的表象を見いだすことこそ自分たちの天命だと覚悟したという。
        
 モホリ・ナギ−もその一人であった。彼は、1895年ハンガリヤ北部の片田舎に生まれ、バ
ウハウスの教授として1920年ベルリンに定住するようになる以前、すでにカンバス上或はコ
ラ−ジュの画面に、形態と色彩のもつ表現力の価値を明らかにしていた画家であったが、人
間世界の創造に大きな力を持つ決め手である光線に非常な関心を示し、それが濃淡の諧調と
陰影をおりなす世界に興味を持ち、その解決を求めて画家から写真家に転向した。    
                        
 彼はそこで友人の画家マン・レイが偶然に開発したフォトグラムに情熱を傾け、さらにま
たフォトモンタ−ジュも制作した。それは、日常見慣れたものの映像を集め、意表にでるよ
うな特異な配置を行って構成したものや典型的なニュ−ス種をよせあつめて張り合せ、文明
への痛烈な風刺を表そうとしたものであった。
      
 やがて彼はナチの追放に合い、アメリカに渡って、シカゴのインスティテュ−ト・オブ・
デザインに主任教授として迎えられたが、生涯を通じての彼の思考と行動は、抽象絵画、彫
刻、工芸、建築、写真、映画と多方面にわたる新造形運動の発展に大きな影響を与えた優れ
た啓蒙家であった。
  
 日本では、真摯な教育者として印象に残った方に金丸重嶺氏がある。先生は新興写真の研
究、写真芸術に造詣が深く、社会活動も広範でブラッサイ、マン・レイ、ロバ−ト・キャパ
などと親交のあった日本大学学長で、その当時日本広告写真家協会の会長でもあったことか
ら、雑談のうちに何かと個人的な示唆をいただいたが、先生がア−ト志向の強かったぼくの
性格をみて、特に原点として推奨した作家がモホリ・ナギ−であった。         
 「アトリエ No, 321 写真と絵画(1953)」に、次のような金丸氏の記述が見られた。
       
 金丸氏は、「写真のメカニズムの進展が単に機械的所産としてばかりでなく、それを人間
の感情表現の上において、空間的時間的に征服された時、写真はまたさらに新たに資格を獲
得し、常に表現を新しい世界に押し進めて行くだろう。                
 そうした過程は、芸術とメカニズムの知的な同化が新しい環境を生んで、外的と内的なつ
ながりの中にあって、写真家がいつも受動的な立場にあることは予測できない」と言われ、
モホリ・ナギ−の造形理論の集大成といえる著書、『ヴィジョン・イン・モ−ション』の中
から、以下のような部分を紹介している。   
                (文章は直訳的で読みづらいが、そのまま記載する)
      

     
  「芸術家は自分の道具の使用において
能力的に、あるレベルに達するとその手
段の範囲内で自由に表現の新しい分野を
探究して行く。そして手段についての問
題が進むと、創造的なエネルギ−が自由
になった表現の問題に直接集中して行く
ことができる。
    
 そこで問題は、意識的または潜在的の
どちらでもよいが、これらの背後にある
感情の力の存在によって決定される。」
   
また、「これらの感情的な力を表現する
ためのインスピレ−ションは、個性の中
に蓄積されている経験、教養の中から生
まれてくる。そして手段の選択は芸術家
自身の中にあり、芸術家はその表現を自
分の用いる手段の中から芸術的な統一を
導き出す能力を持たねばならぬ。そのよ
うなことによって、写真は潜在意識的な
記録(秘められた心の中にあるリアリテ
ィ−)に発展することができる。」
      
 「写真はその初期から正確な観察に役
立ち直接に現実性をあらわすことで、科
学と理論に貢献した時代の理想的な道具
として発達したものであるから、これは
一見逆説のようにも見える。しかし、止
まるところのない芸術の世界は、常に表
現の領域を押し進めてゆくものである。
そのため芸術の精神の中に進む芸術家の
批判は、逆説を逆説たらしめないところ
に、新しい一つの方向を発見してゆくも
のである。」

「ヴィジョン・イン・モ−ション」         ラズロ・モホリ・ナギ−著

歴史的な著作といわれる。
ぼくの大切な古い蔵書の一冊。いつも
その辺に置いてあるので、カバ−はも
うボロボロ。この赤い表紙とフォトグ
ラムはとても目につく。どこかで見か
けたら即入手されてはいかが−−−。
    
 「そして新しい方向は、合理的な推論のみによって基礎づけられた現実的な<平面さ>や
<単純さ>に反対し、より心理的な時空の領域に向かって進展していることを示唆し、新し
いメカニズムによる視覚をもって、常套的なものや、予期されないものとの融合、組み合わ
せの中に、<チャンス問題>とか<偶然の発見>というものを有意義な結果にすることによ
った作家の表現的内容を拡大することを試みるべきだ。」という。          
   
 また、ナギ−はその著『マンレイ・フォトグラフィ・フィルム』のなかで次のようにも述
べている。「写真家は時代の眼であるのみでなく、良心でもある。その本領は過去の絵画の
伝統を研究して、どこに自らの任務の特異性が存在するかを知り、科学や技術を視覚の具と
してその機能を最高度に生かして思うままに駆使し、また視覚的知識への一般的要求をみた
すものとしてよりは、これを指揮する能力のある鋭い感覚と知識を備えた思索する人間とし
て、真の写真家は現代の普遍像となるべきである。」といっている。
     
 ナギ−の言葉は本筋を述べたものだが、具体的な表現の諸問題、人間の眼とカメラの眼
  絵画的法則への反抗、カメラの眼を肯定する思想的な裏付けなど数多い問題ついては、
  今後折りにふれ述べてゆくことにする。

          
               

     
   
     
   とにかく、ぼくは写真家の眼で、油絵や水彩、リトグラフ、シルク・スクリ−ン、
  イラストなど描いている現場を見過ぎてきた。瑛九やその仲間の多くの絵描きたち
  の生の絵具による原画の生の色彩と写真というカメラのレンズを通し、フィルムに
  定着し、カラ−印画紙に表現された色彩とでは、当然のことながら色その物のリア
  リティがまったく違うのだ。  
  (絵を、写真に撮って印刷したものとの比較ではない)
    
 当然、僕たち写真家は、写真科学の3大特性である物理的な精密描写や瞬間の固定、化学
的な感光材料によるグラデ−ションの表現(材質・肌理)を適材適所にフル活動をさせ、視
覚的に密度をあげた表現で対抗することになる。
    
 しかし、ぼくは色光の加色混合やカラ−エマルジョンを知るにつれて、カラ−写真におけ
る表現は、新しい純粋な化学的色彩の中に、その視覚を創造してゆくことにも一つの方向が
あるのではと思うようになった。例えばカラ−エマルジョンやメカニズムの完全な可能性が
組み合わされば早い速度で動く色の光や色のあるシャド−を作り出すこともできるだろう。
     
   
 また、自然界にある幻想を創造するばかりでなく、色のついた光によってさまざまな色光
が混合し、その反射や透過、重複によって新しい感覚を創造することも出来る。
 これら色光については、ぼくは<写真特殊表現>の一環として、1960年から実験を始
め、いくらかの成果を得たが、その展開はますます果てしない。            
      
 今回からは、それらを「玉井瑞夫インタ−ネット写真展」に掲載することにした。   
 こうした作品は、一般の写真誌などで見られることは少なく、最初は多少理解しがたいか
も知れないが、いわゆるカラ−写真というジャンルにとらわれず、ひとつの表現として絵や
音楽を見聞きするように気楽に接してもらえば、そのうちに存在理由も理解されるようにな
るだろう。                                    
 解説はあまり技術の細かい話では退屈すると思われるので、当分は大ざっぱなよもやま話
になるかも知れない。つまり、こんな写真をやろうという人は少なく、制作プロセスの中で
の作者のざっくばらんな心理的な動きなどの方が、一般の撮影でも何かの参考になるかもし
れないと思うからだ。
    
    
 ところで、こうした類の作品は、解説を読んでから鑑賞しては、本末転倒になる。
    
 ある有名な音楽家が、「あなたの音楽にはどういう意味があるのですか」と聞かれた時、
「鳥が鳴いているのを聴いて、意味を聞こうとした人がありますか」と答えたという話があ
る。作品は視覚を通して体で感じるもの。本末転倒を続けていると視覚も鍛えられない。
 殊に色彩やバランスの機微は、理屈でなく、視覚を通じて体で体得するより方法がない。
ぼくの解説は、作品を創るときのちょっとした心理的、技術的な参考に過ぎない。
 
                                     
 本末転倒といえば、ぼくの本業が<写真特殊表現>の分野であったために、今後はかなり
変わった作品が掲載されると思うが、すぐそれに類するものを勧めるわけではない。また、
写真や造形の基礎を身につけなければ、すぐできる分野でもない。
    
 それは形、技術の分野だけの話ではなく、やや写真を離れる部分もあるだけに他の文化、
類似のアートも理解しての表現が伴わなければ通用しない。近頃は写真家の中に外国語をし
ゃべれるというだけで、自国、日本の文化、色彩の変遷もおぼろげな自称国際人が現れ、外
国での本物の国際人とはまったく歩調があわぬといったことと同様になる。
 もちろん、写真の本筋を志し、あわせて特殊表現への関心を持ち始めた向きには、非力な
がらぼくの体験をアドバイスしよう。
    
    
 ぼくが本業とした広告宣伝の世界では、絶えずかなり個性あるユニ−クな創作的作品が
 要求された。今回はポスタ−・カレンダ−・表紙用などに創られたものの中から比較的
 手数がかからず、おだやかな作品を選んだ結果がたまたま植物の各種表現になった。

             芦ノ湖     玉井瑞夫   1974

              

「 芦ノ湖 」

   
  ぼくは西武百貨店の仕事を16年間していたが、箱根には西武の施設があったことから、
毎年何回もおとずれ、芦ノ湖や仙石原の四季折々の風景は飽きるほど見てきた。
 そんなことから、一風変わった「芦ノ湖」をと思ってトライした実験作品だが、これが案
外あの場所の実感に近いものになっている。
    
 もちろん、こんな「芦ノ湖」はない。ぼくのイメ−ジは、前景の三つの樹木が立ち並ぶ土
手の上に、まるで幻灯機で空いっぱいに投影されたような夕刻の芦ノ湖らしき幻影、心象風
景である。
    
 手法は、今でいうポスタリゼ−ション。(ぼくが実験を始めた1960年ころは、まだこ
の技法には名前がなく、かなり後にコダックが命名した)
 ポスタリゼ−ションというのは、いずれ詳しく解説するが、至極大ざっぱにいえば、おも
ちゃの日光写真のようなもので、漫画の絵が写真のネガやポジで、種板がカラーフィルム、
太陽光線の代わりが色の光といったこと、ネガやポジを露光用に使いやすくしたものを、マ
スクという。
    
 原画は、ハッセル・ブラッドによるカラ−ポジ。逆光の樹木をシルエットにしたオレンジ
色に輝く湖面、上部は向い側の山。それをモノクロのネガ起こしをしてから製版用のコント
ラストの強いリスフィルムでマスクを作った。モノクロ−ムの暗部の濃度が非常に高いリス
フィルムのネガとポジが色光を露光する時のマスクになるわけである。       
     
 湖面は原画の色調にアクセントとしてわずかに赤を加え、シルエットの樹木と山は補色の
紫の色光を露光した。下部前景の木は、この原画にはなく他のポジから持ってきた。   
 この3本の樹木は黒に近いオリ−ブにしたが、これは平面的なこの画面にわずかな色彩の
変化で遠近感をつけるためである。
    
 こうしたポスタリゼ−ションでは、もちろん画面構成も大切だが、各フォルムに対する色
の面積比に従った色相の微妙なカラ−バランス、カラ−ハ−モニ−が決め手になる。  
 ぼくは本来は青紫が好みだが、これはやや明るい赤紫にしたので、全紙サイズの個展では
若い女性の色気のようといわれた色感と、水彩とも異なる写真独自の色光による透明度のあ
る画面からか、やはり女性に好まれた。
 
      
  (註)
    この風景の紫色は、日本女性の国民的愛好色といわれる紫のうち、若い女性に
   特に好まれる赤紫の色そのものである。
    講座 Part17  写真繧絃彩色 <色いろいろ> の解説に出てくる天平時代
      万葉集の額田王(ぬかたのおおきみ)の歌とその返歌など、参考にされたい。

  

      

      

   

            葉っぱ    玉井瑞夫  2001

            

            

「 葉っぱ 」

     
 これは、ごく最近の試作である。新緑の葉っぱをデジタル・カメラで撮り、それをPHT
OSHOPのソラリゼ−ションで処理したもの。
 時折、遊びでやってみることがあったが、不慣れもあってか、色感に不満があった。これ
は思いがけず、ぼくの好みのシアン色がうまく出ていたので掲載した。シアンやセルリアン
ブル−はフォトジェニックな色で、ぼくはアクセントによく使ってきた。
   
 このPHT0SHOPでは、どんな方法でやるのかわからないが、3段階の色変化が見ら
れ、それも一瞬にでき上がり、門外漢のぼくには驚きであった。
 この画面は、全般にかなり微妙な色変化が見られるが、それは、この原画の撮影時、若葉
のニュアンスを伝えるために、半透過光も加えたライティングによる足の長いグラデーショ
ンがあるからだ。           
    
 これをアナログのマスキングでやるとなれば、相当の時間と手数がかかるが可能である。
しかし、このひどく手がかかるところがアナログの醍醐味かも知れない。ちょっと変な例え
になるが、ぼくはオペ−クで修正マスクを丹念に塗り込みながら、赤ちゃんや物言わぬ動物
などへのスキンシップのようなものをしばしば感じることがあった。          
   
 アナログの究極の面白さは、手作りでの人間くさい痕跡が残ることや、とんでもない思い
違いや手加減の失敗がさらに凝ったものを生むバラエティにあるのだろう。
    
 パソコンとかデジタルの世界は、前途洋々何が現れるか、楽しみな世界である。    
 コンピュ−タ−はそれ自体で独立した文化を作ろうとし、美術は数百年かけてそのステイ
タスを築いてきたので、両者が簡単に手を取りあうとは思えないという人もあるが、ぼくは
そんな心配は杞憂に過ぎないと思っている。                     
 その昔の絵画と写真との成行きを考えれば明白だ。かって「将来の明き盲とは、写真を写
せない人である」とモホリ・ナギ−が言ったが、現代は「それはパソコンを扱えない人のこ
とだ」といった世界に、猛スピ−ドで入りつつあるからだ。

     

                                  

             葉 脈    玉井瑞夫   1974

                   

            

「 葉 脈 」

     
  この作品の素材作り、葉脈だけをきれいに残すには、かなり手数がかかった。
 葉脈の撮影は、初めからリスフィルムで行い、そのネガを反転してポジを作るだけでマス
クはできる。後はバック作りの撮影である。この作品の手法もポスタリゼ−ションによる。
              
 葉脈のパタ−ンには、繊細な美しさがありもう何もいうことはない。この魅力を生かすバ
ック・グランド、時空ををどうするか。それが問題である。
                
 毎日がテ−ブル・トップフォトのような仕事が多いスタジオでは、バックとしてちょっと
した雰囲気のある情景をつくる段取りはすぐできる。そんなことから、ぼくは事前に弟子た
ちに頼んで一応、葉脈を通して見える夕空をイメ−ジして、マット状の白いアクリル板の後
から青系と赤系の照明をした上に、ピンスポットで白い雲の流れを作らせておいた。 
     
 この照明でのキ−ポイントは、画面下部に見られる赤に加えた動的なオレンジジと白のフ
ォルムとグラデ−ションの変化で、心理的な奥行きを思わせることである。       
                                    
     
 さて、仕事に入ると、ぼくは、照明のセッティングが進むにつれて、例によって夕景のイ
メ−ジを離れて勝手な方向へ突っ走る。つまり、安易な夕景は素通りしてその先に何が見え
るかということである。それがこの葉脈と関わりあってどんな世界が見えてくるのか。ぼく
の脳裏には、一瞬ルネ・マグリッドが浮かんだが、それも消えた。ここには厳しい色光が描
く何かしびれるような情景(世界)を期待する、そんなぼくがいるわけだ。  
    
 こうした仕事では、このしつこさ、無軌道さが納得が行くまで続けられるかどうかが勝負
どころ。この場合も夕景などとっくにどこかへ素っ飛んで御覧のとおり。白い帯は雲に見え
ようが道に見えようが見る人の思うがままでよいわけで、本来はこんな解説も不要である。
     
 葉脈自体は黒では強すぎるので、濃いグレ−も考えたが結局は同色の青紫で収まった。 

     

                           

            植物たち    玉井瑞夫   1967

                     

            

「 植物たち 」

    
  これは数種類の植物の形だけを借りて、色は勝手気ままといった作品である。
   
 ぼくはこの作品を見ると、瑛九の制作時の話を思い出す。彼はエッチングを始める前、銅
板を前にした時は頭の中は真っ白だったという。彼は下絵をまったく描かず、いきなり錐で
ガリガリ始めるので、何ができるのか第三者にはまったく分からなかった。
  つまり、瑛九の場合、行動を起こすことによってイメ−ジが湧き上がり、それがさらに発
展、結晶しながら画面に定着してゆくという一面もあったのだろう。
   
 ぼくがこの作品をつくる時も、まったく何のイメ−ジもなかった。また目的もなかった。
にもかかわらず、ある日、何んとなくその辺にあった植物に興味を覚え、フォルムを見なが
ら選んだ数点を白いアクリル・マットの上に置き、下からの照明だけでシルエットにして、
リスとグラビアフィルムで写していた。                       
    
 現像されたフィルムは植物のフォルムが白く素抜けだが、それぞれのフォルムの特徴と大
小のバランスが良くて、何とかしようという気分になった。でもまだ何を創るかという目的
もなく、アイディアもなかった。
     
 それから4、5日は、仕事が忙しくすっかり忘れていたが、他の仕事のために雑多なカラ
−フィルムを整理している時、ひらめいた。その辺のカラ−の中で良い色で、おもしろい形
があれば被写体の材質に関係なく選び出し、あの真っ白なフォルムの中に、露光して見よう
ということである。
     
 植物は、左から2つづつ、3つのブロックにわけて、適当に色と形を選びながら部分的な
露光をした。ところで問題は、これら3ブロックの植物を総括するためにどうするか、この
ままでは散漫で写真にならない。                          
 何とかまとめる方法として取られたのが、奥からブル−、バイオレット、グリ−ンとだん
だん大きくした円形の色露光であった。この設定でかなり気を使ったのは、奥のブルーの濃
度とグリ−ンの面積、暗い空間の形とボリュームであった。
   
 こうした作品は、やや写真的特性をはなれているため、大伸ばしには耐えないが、書籍の
表紙やカットには用いられる。
     
 瑛九のような素晴らしいシュ−ルな作品とはとてもゆかないが、頭の中が真っ白からでも
何とか作品はできるものである。スランプ時の打開には、「まず動くこと」というセオリ−
を思い出した。
       
 写真特殊表現に凝っていた時代は、思いつけば何でもすぐ、やって見たものである。