part.27            

(2) 

  

  
      
   前回は、フォルムとその周辺についての概念のような話をした。今回はもう少し  
    奥深いリアリティ、リアリズム論といったことについてのぼくの体験の一部を、
      いくらかの参考になればと思い取り上げた。     
                                         
 今、ここに古ぼけたガリ版刷りの、わずか18ペ−ジの小冊子があり、それを紹介する。
   
 ぼくは関西から上京して、写真誌の編集屋になった26歳当時、丹平の延長で編集者とい
うよりは作家といった意識のほうが強く、だれかれの区別なく怪しげな造型論を吹っかけて
迷惑がられていたが、そんなぼくをまともに取り合ってくれたのが前衛画家の瑛九だった。
     
 啓蒙家の瑛九のところには、レベルの高い瑛九の芸術は、まだよくわからないが、とにか
く彼の人間的魅力にとりつかれた連中、まだ若かった画家や写真家の卵、デザイナ−、編集
者、バレリ−ナなどが絶えずやって来ていた。                    
           
    
 やがて、彼らは封建的、権威主義に凝り固まった日本の既成画壇に挑戦する「デモクラ−
ト」という団体をつくったが、彼らは非常に研究熱心で、当時まだ入手困難な海外の造型に
関する文献を翻訳して「デモクラ−ト叢書」という小冊子をつくって、メンバ−に配布して
いた。ここに紹介するその中の一冊は、ぼくの宝物ともいえるもので、中塚、一之瀬、アイ
オ−君の3人で翻訳、編集し、デモクラ−トのみんなで翻訳を検討し合った労作である。 
    
     
  タイトルは、『リアリティの真の視覚に向かって』(モンドリアン自伝)とある。
  (1942年、ニュ−ヨ−ク、バレンタインギャラリ−における最初の個展に際して   
   出版された英文より)  
    
     
    
                                 緒 言           
    
   文化というものは、リアリティの表現が変化しうるものであるという相対的な意
  識を生み出す。この意識が明確になると、一つの反逆が起こる。すなわちリアリテ
  ィのその表現からの解放が始まる。次にその制約が破壊される。直覚的能力の文化
  が勝利を占める。恒久的リアリティの一層明確な理解が可能となる。
   そして・・・新しいリアリズムが出現する・・・・。  ( A New realism ) 
    
             < ピエト・モンドリアン >
                                
      
     
 ぼくたちは、この緒言とこれから派生する問題を3ケ月も討論し合った。       
この緒言を読んで、はじめは理解しにくい人もあるかも知れない。しかし、そのうちに自然
とわかるようになるだろう。   
 ぼくは年月と共に体にしみるように入ってきた。
    
 モンドリアンは、造型芸術の論理的な発展を『ネオ・プラスティシズム』と名づけ、現代
の新しい建築、ポスタ−、広告、レイアウト、インダストリアル・デザイン、そして写真の
分野にも大きな影響を与えたが、そのころの絵画や彫刻はほとんど影響を受けなかった。そ
れらの分野は伝統的な表現方式により多く束縛されていたからである。         
    
   モンドリアンの造型論はすばらしく、ぼくは、彼の言葉から多くの示唆を得たが、そ
  れを詳述していると今回の話が進まないので、要点をはさみながら先へ進む。


          

                玉井瑞夫   1968

             

      

「 殻 」

       
  卵の殻を写すことは、かねてからのぼくのテ−マであった。
     
 この作品には、田舎生まれのぼくが野生のうさぎを追っかけ、いのししの昼寝を眺めたり
ニワトリを飼い、卵をかえしてヒヨコを育てたことや天体望遠鏡で月の表面や星を見つめた
少年時代のころからのすべてが込められている。
 子供の感性は卒直で、卵の短辺はどれも真円だが、長辺はコンパスでは描けない楕円形、
タマゴ形にもずいぶんデコボコがあることを知り、またあの狭い卵の殻のなかで育ったまだ
くちばしの柔らかいヒヨコが固い殻を破って出てくる必死の力に感動したこともあった。 
          
 やがて、論理と実証を考える成年に達すると46億年前に生まれた地球を含め、長い宇宙
の歴史のなかで、現在は一番華やかな、いわば銀河時代。こうした一様に曲がっていて果て
のない宇宙が知的な生命を生んできた不思議や、あれこれが去来する。つまりこの一枚の写
真には、その撮影の時点までのぼくのさまざまの思いが込められている。そして自分はなぜ
この果てしない宇宙の中で、今、ここにいるのかを思う。
    
 さて、ぼくは何を造形しようとしているのか、モンドリアンの言葉を交えながら考えてみ
よう。
    
 モンドリアンは、<リアリティは、フォルムと色の力学的な運動(ダイナミック・ム−ヴ
メント)の均衡ということによってのみ、表現可能だ。>という。
     
 まず、ぼくは100個以上の卵から10個の典型的なタマゴ型の卵を選び、被写体として
のこの卵の殻は割れてはいるが、それは破壊ではなく生命の誕生にかかわる神秘さをもうか
がえるフォルムを形づくろうとした。ところが、この工作は相当の難物で後一歩というとこ
ろで、せっかくの形がバラバラに崩れたり、ピンセットで決定的なフォルムを捜し求め、6
時間を要してやっとこのフォルムの殻を得た。                    
    
 モンドリアンは、<フォルムは、それを決定することによってのみ凝結する空間だ。>と
いう。          
    
 初期のぼくは、スペ−ス(空間)はまだ単なる背景だった。それが瑛九の<写真家は空間
を粗末にする。>というアドバイスとモンドリアンこの言葉で、これまでの構成は、統一に
欠けることに気づいた。ぼくはそれ以後、スペ−スという用語は余白と間違えられるので、
必ず空間と呼ぶことにし、黒白に関係なく空間としての意識でいつも構成した。
   
 この殻のフォルムは、ぼくが決定し凝結されたものであり、バックの真黒もそれは黒いス
ペ−スではなく、宇宙好みのぼくにとっては果てしなく膨張する空間、宇宙である。   
 この作品は個展に出品したが、玄人好みというのか画家やデザイナ−など専門家にことさ
ら注目された。
  

    

   

卵 B

卵 A

                
  
  
  
  

「 新しい空間 」

    
   
   卵.Aには、この卵の存在を証明する最小限の2つの照明がある。        
   卵.Bは、更に予想外の照明で、ここに新しい空間を創り出し、動きはじめた。
 
   下の4点は、卵.Bとまったく同じ写真を表裏、左右を変えて並べたもの。
   バランスの良いものは、どちらから見ても狂わない。
    
   ぼくがこんな写真を展示したのは、意味がある。
   「水を冷やして氷にすると熱を出すように、位相の変化でエネルギ−が出る」
   ということである。
    
   卵.Bにおける予想外の新しい照明は、位相の変化でエネルギ−を出すように   
   アングルや構成の意外性などでも同様で、自分なりの実験をやって見るのも悪
   くない。
   

   

        

                                         

           ルリタマアザミ ピラミッド   玉井瑞夫   1968

                 

    
    
   

「 ルリタマアザミ ピラミッド 」

 
       
 ぼくは、根を詰めた仕事をした後、時折こんなリラックスした遊びのようなこともやって
みるが、これは「殻」を撮影した直後の、極く短時間のテ−ブル・トップフォトである。
     
 この発想のもとは、小道具箱でホコリを浴びていた石膏の三角錐に卵の殻を三日月に見立
てたことだが、前景の草花の大きさ、向きによるフォルムのバランスには少々手間取った。
 バックの右奥の赤は画面全体のバランスをとるため、ほとんど本能的に入れたもので、そ
の時の意識はほとんどない。
    
 この無意識をモンドリアン流にいえば、これも「空間とフォルムを決定し、フォルムと色
のダイナミック・ム−ヴメントの均衡」ということになるであろうか。
     
 といって、ぼくはいつもそんな理屈を考えているわけではない。ぼくは、人間が日常性か
ら離れ、創造力をかきたてる世界は、ある程度のイメ−ジがつかめるような気がする。  
 ぼくは、何かで強い感銘を受けた時や好きな音楽を聴き、宇宙を想う時などふとそんな気
になり、突然何かをはじめることがあるが、それも良いと思う。

       

           煙の中のタマゴ   玉井瑞夫  1968

                   

    
   
    

「 煙の中のタマゴ 」

     
 これは、まだその辺にタマゴがごろごろしていた、その翌日のトライである。
 左側に見えるカ−ブした色の連続したフォルムは、照明用のカラ−ゼラチン数枚をつなぎ
合わせた帯状のフイルタ−をマルチ・ストロボの前で動かしながら、タマゴを転がして撮っ
たものである。
    
 でも、これだけでは写真にならないので、後で下部にあまり目立たぬよう殻のタマゴを入
れ、上部の空間にはヘビ−・スモ−カ−のぼくのタバコの煙をモンタ−ジュした。
    
 これら2点の作品は、未発表であった。
 こうした写真は、殻の作品とは正反対で、ぼくにとっては頭の柔軟体操のようなものであ
ったが、それがある日リファインされて作品になることもあった。
    
 ぼくは、時折まるでフィクションのような写真を制作する時、もしこれが徹底したらフィ
クションの世界を生きる小説家のように、常識の枠の外側、非常識の領域を、正気をもって
生きなければならないのだ、ぼくにそんな変身ができるだろうかなどと考えていた。
    
 今回、ここに掲載した卵にかかわる作品のすべては、1週間以内の撮影であり、その考
 え方とともに日常的なぼくの絵日記ならぬ「写真日記」といえるかもしれない。

                      

             

  

    
   
   話は変わるが、念のため一言。                         
   リアリティ、リアリズムという用語では、日本は外国語を翻訳する時に日本流にして
    しまったために、多くの写真愛好者に誤解を与えてきた。             
     
 最初に、写真が発明されたのは、1839年8月19日ダゲレオタイプの公表された時と
されているが、日本ではこれを江戸末期に「写真鏡」、さらに「直写影鏡」、「写象新法」
「印象鏡」と訳し、印象を写す鏡といった。日本人は印象的な形をとらえるとか、影を写す
鏡に残る印象とかおもしろい訳し方をしているがこれが誤解を生む元になった。
    
    
 外国では、「ヘリオフォトグラフィ」(太陽で描く)という名をつけている。ダゲ−ルは
「フォトジェニック・ドロ−イング」(光で描く)といい、後にフォトグラフィ(フォトは
ギリシャ語で光り、グラフィは描く)のほうがいいだろうということになった。     
 どこにも「真」を写すという言葉も出てこないし、印象とか影を写す鏡といった意味も入
っていない。
    
 日本では、写真が「真」(真実)を写すという解釈が先行し、その先のリアリズムの翻訳
が「現実主義」といった言葉になって、混乱してしまった。写真は主義まで左右する道具で
はない。レントゲン写真のように骨まで写し、交通事故の写真がおおむね現実を写している
というのは解るが、すべての写真が外見は写すが、そのもののすべての「真実」を写すなど
というのは、誰も信じないだろう。
   
 同一シ−ンを撮っても人さまざまの感銘、解釈があり、冷戦時代の西側と東側では、政治
的な立場からの見方、写し方からまったく正反対の写真になった。ましてア−トの世界にな
れば、さらに個性あるデリカシ−な造形表現でのリアリティの追求は、非常に複雑で、真実
の解釈も表現もまったくさまざまである。                      
                                         
    
 モンドリアンの『ネオ・プラスティシズム』では、「真のリアリティの造形表現は、均衡
のなかの力学的運動によってのみ達成されることが一層明白になってきた。造形芸術では、
「均衡」とは等しからざるもの(しかも等しく対立するもの)の、バランスによってのみ達
成される。」という。
     
   
 モンドリアンがその宣言で、最後に述べていることは、とてもすばらしい。      
「われわれ<自身>は自由であり得ないとしても、われわれの<視覚>は自由であり得る」
といい、「それはすべての実利的な制約から自由であるが故に、造形芸術は人類の進歩と平
行して進むだけではなく、その先頭に立って前進せねばならない。リアリティの明確なヴィ
ジョンを表現することこそ、芸術の課題なのである。」と述べている。
   
 非常に俗な言い方をすれば、彼のこうした確かなヴィジョンにしたがった彼の作品、つま
り彼の絵が示す構成は、曲線がだんだんなくなって行き、ついに垂直線と水平線のみで成り
立っようになった画面は近代的なビルを見るようで、最初に『ネオ・プラスティシズム』の
大きな影響を受けたのが、当時の都市計画をリ−ドする若い建築家であったのは、極当然だ
ったとみるのはぼくだけではないだろう。                      
    
    
   造形論がア−チストだけのものと見るのは、早計である。哲学も宗教も芸術も、文化
  そのものが入っている。ぼくは、モンドリアンの造形論の盲目的な信奉者ではない。
    他の多くの評論も取捨選択し、今は玉井自身の立場からの造形論になった。それはま
  た、そのようにありたいというぼくの生きざまの目標でもある。