< 密度ある表現 >
今回は、写真と絵の具体的な花の例をあげ、密度ある表現についての解説をしてみたい。
ある日、瑛九は、「絵かきは藁屋根時代だよ。写真家はこれから最先端を行く仕事になる
よ」といった。そして、「絵かきは筆一本の使い方、そのタッチにしても習得に何年もかか
る。ことに日本画などは漢字を覚えるに等しいが、写真の技術は科学を理解すれば短期に終
わる。また、一枚の絵に数ケ月以上もかかるものが、写真は一舜のうちに固定される。だだ
それだけに、それ以前の内容と、大変な集中力、燃焼が必要だ。そんな仕事はとても藁屋根
に住む僕にはむつかしい」といった。
これは僕を励ますために言った言葉だが、僕は瑛九が写真のある種の限界を知っていた言
葉として受け取った。
そしてまた、逆に、藁屋根時代を越えた瑛九の生活とその作品をみて、僕にはとてもあれ
だけ長時間の集中力と持続は到底できそうもないから、やはり写真をやるべきかな、と思っ
たりした。
写真も絵画も、いずれも平面芸術だから共通するものがあるが、「絵は密度をあげるため
に、いくらでも描き加えることができるが、写真はそこにあるもので密度を上げるアイディ
アや技術が必要だ。」というのは理屈である。
ところで、画家の梅原龍三郎は、「今が一番美しいと思った時に、パッとやめられる者が
大家になる。」と言う。「密度が高い作品をと粘るうちにだんだんつまらなくしてしまう。
絵はやめる勇気が必要なのだ」というのが正解であろう。絵画もまた余計なものを一切描か
ないでいて、画面全体の完成度の高いものを創ることが難しい。
僕は瑛九のところへ通ううちに、多くの画家の卵達と知り合いになり、かなりの絵を見て
きたがだんだん目が肥えてくるにつれて、彼らの絵の部分で緊張感を欠いたところ、手抜き
したところはすぐ分かるようになった。
つまり、画家は3日か3ケ月か知らないがその絵の完成まで緊張感を維持しなければ高い
密度のある絵にはならず、写真家は画家が長時間維持する緊張感を、一瞬間に集中しきらな
ければ密度の高い作品は生まれないと考えるようになった。
(解説用の作品は簡明で分かりやすいエルンスト・ハ−スの作品と僕のものを掲載した)
以下は、作品の解説に交えてざっくばらんに、キ−ポイントへの感想など述べてみたい。
|