< 写真展のお知らせ >

    

            

          以下は、東京都写真美術館の資料をそのまま引用して案内する。
    
 この展覧会は、昭和20(1945)年8月15日、太平洋戦争が日本の敗戦で終
結した年から、1989年までの記録である。占領下のどん底から這い上がり、貧し
くとも希望を捨てず、新たな国を作り上げようという活気に満ち溢れていた時代。写
真家たちは、そんな時代を直視した。
 それは敗戦から高度成長、そしてバブルまで、めまぐるしく変化する価値観のなか
で写真家たちは何を見たか、激動の時代を生きた写真家たちの作品でつづる写真昭和
史である。

この展覧会は、以下のように<テーマ>と期日を更えながら年末まで展示される。    
 第1部 <オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)>  昭和20年代
             2007年5月12日(土)〜6月24日(日)
   
  第2部 <ヒーロー・ヒロインの時代>  昭和30・40年代パート1
             2007年6月30日(土)〜8月19日(日)
      
 第3部 <高度成長期>  昭和30・40年代パート2     
            2007年8月25日(土)〜10月14日(日)
  
 第4部 <オイルショックからバブルへ>  昭和50年代以降  
            2007年10月20日(土)〜12月9日(日)
    
    
   
                 ≪ 昭和写真の1945〜1989 ≫
    
          東京都写真美術館 http://www.syabi.com

 

    

  

<参考図書>

  この展覧会は、見る人々のために、立体的に理解が深まるような美術館職員3名による
2冊の本が同時に用意されている。『昭和の風景』は、第1部から4部までの概要を展示
写真を入れながらの的確な解説で、あの戦争をよく知らない若い世代にも格好な戦後写真
小史となっている。
 また、『写真の歴史入門』は、19世紀末から20世紀初頭の変遷を辿り、<写真にお
ける「芸術」とは、また「表現」とは何なのか>という問いかけをしながら、モダンエイ
ジの開幕を新興写真運動、写真の特殊技法の例などを挙げながらの解説は懇切丁寧で、入
門書としておすすめしたい。
    
 この2冊は、会場でも販売されているが、新潮社のとんぼの本シリーズとして発行され
書店で容易に入手できる。

  

「眠るモデル」マンレイ 1929

「吉永小百合」秋山庄太郎 1962

「血のメーデー」三木淳 1952

「太宰治」林忠彦 1946

「自己凝視」小石清 1932

「栄養失調児」菊池俊吉 1945

     

< 玉井雑感 >
              
    
 ぼくは、2007年5月22日に、第1部 <オキュパイド・ジャパン(占領下の日
本 )>を見に行った。展示作品はすべてこの美術館に所蔵されているものから選ばれ
125点で構成されていた。
 東京都写真美術館は、1995年開館され、10周年記念として写真の歴史シリーズ
をはじめ、その一環がこの展覧会となっている。
    
  ところで、ぼくの思い出は更に遡る。つまりこの写真美術館の設立準備委員会はさら
に20年ほども前に設立され、当時ぼくもその一員であった。
 準備委員会ではいくつかの問題があったが、一番難航したのは肝心の設置場所が決ま
らず、遠い所沢などの候補地を主張する委員もあらわれはじめた。しかし、終始、地方
から来る見学者には絶対都心でなければという主張のぼくたちとは全くかみあわず、果
てしない論争が続くように思えた。
     
   
 そんなある日、ぼくが日頃ビールのコマーシャル撮影で訪れていたサッポロ・ビール
恵比寿工場が郊外へ引越し、その跡地に「恵比寿ガーデンプレイス」という総合施設を
つくり、その一角に写真美術館も設置されるという朗報に、ぼくは何か因縁めいたもの
を感じ本当にホッとしたものだった。
 今やここには、10ほどの個性あるビルが建ち並び、東京の新名所となり、写真美術
館としても絶好の場所といえるだろう。
      
 さて、体調不良で6年余りもご無沙汰していた美術館へやってきたぼくは、師岡宏次
の「東京大空襲後の銀座4丁目交差点」の廃墟のような光景や菊池俊吉の「浮浪者収容
所施設の栄養失調児」、敗戦直後の尻に皺のよったすさまじい子供の姿を見て、いきな
り半世紀以上も引き戻され一瞬戸惑ったが、出品者の名前を見て、懐かしさの方が上回
ってきた。  
      
 というのは、土門拳・木村伊兵衛・林忠彦はじめ出品者の90%の方々の生前のお顔
を知っており、そんな先輩の間に挟まってぼくの1950年の作品2点(風景・浮浪者
も展示されていたからであった。ぼくより若い人は3人(田沼武能・細江英公・奈良原
一高)のみで、ほとんどが他界され、生き残りは、大竹省二・玉井瑞夫など4名ほどで
あった。
    
(ぼくの1950年の作品2点(風景・浮浪者)のビンテージ・プリントは、収蔵され
 て13年になるがアマチュア時代の定着・水洗処理の不備のためか、収蔵時より更に
 黄変しているように見えた。撮影当時の緑黒色の冴えたモノクロ・プリントに焼き直
 すべきかと気になり、長期収蔵作品の褪色防止処理の大切さを痛感した)

    

「風景」1950 玉井瑞夫

「浮浪者」1950 玉井瑞夫

    

 はじめに掲載したカット写真は、上記の2冊の本も合わせ見て、ぼくの古い記憶の糸が
ほぐれ、当時の鮮明な画像が浮かんできた作品の一部である。
     
 「血のメーデー」の作者、三木淳氏は浜谷浩氏と共にぼくの写真界での保証人であった。
お二人ともロバート・キャパが主宰したマグナムやライフのメンバーと親しく、彼らとの
厳しく愉快な逸話の数々を話してくれていた。
   
 朝鮮戦争でアメリカ海兵隊に従軍取材をしていたデヴィット・D・ダンカンから東京に
送られてきたフィルムを一手に現像していた三木さんは、ある日露出不足で画像が出てこ
ないので捨てようかと思いながら、現地へ電話したら「命がけで撮ったものだ。出るまで
現像しろ。」とどなられ、「あれこれ何時間もやっているうちに何とか画像が浮かび、涙
が出てきた。」といった話など思いだす。 
 
 吉永小百合は、デビューして間なく「キューポラのある街」に出ていた頃。週刊誌の表
紙撮影のモデルとして、麻布にオープンしたばかりのぼくのスタジオへやってきた。
 まだ高校生だったが、小さなニキビを気にしていたので、そんな心配は要らないという
ぼくの言葉に、安心したかのようにはにかんだ笑顔が印象に残った。
 ぼくが撮った女性の中で、彼女ほど謙虚な人はいなかった。現在も、いい年のとり方を
している。
 
 「自己凝視」の小石清は、ぼくの所属した丹平写真倶楽部以外ではもっとも注目してい
た前衛写真家だった。この魅力ある作品はフラッシュランプを使って友人の目を接写し、
そのガラス原版を釘で割り、そのまま引き伸ばしたという。
 ぼくは、お目にかかる機会はなかったが、その発想、写真家魂といった姿勢に最敬礼を
した。
    
<百聞は一見にしかず>、チャンスを見て、これら先輩たちが名作で辿る写真昭和史
 ともいえる写真展、2点の写真の歴史を読み解く写真書をご覧になられてはと思う。