< 新入塾生の受け入れ >      

 僕はこの塾を開いて、1ケ月も経ったころから、たとえボランティアとはいえ、こ
のままで良いのだろうかと考えることがよくあった。
 それは、僕のスタジオでやってきた月例の実際とこのインタ−ネットでの塾との大
幅な違い、つまり自分の過去の体験に照らしての諸問題である。
     
 それを実際の例で考えてみよう。僕のスタジオの弟子たちの人員構成はこじんまり
したもので、平均として有給の正規社員が3〜5名、無給の実習性(インタ−ン)と
して受け入れた写真大学新卒か在学生が6〜10名であった。在学生も大学での授業
以外の時間帯は、他の者と変わらず朝9時から仕事の終わるまで勤務した。(多忙な
シ−ズンやTVコマ−シャルでは、毎夜終電車になることも多かった) 
    
 正規社員は、僕のスタジオでインタ−ンとして、数年を過ごし、なお残りたいとい
う者で、僕の代わりに簡単な撮影なら任せられ、多少難しいものは僕がアドバイスや
指示をすることもあった。他のインタ−ンたちは、玉石混交とはいえ多くの志望者の
中から僕が将来性を見て選んだ者だから、かなり個性もはっきりし、人間的にも信頼
できる者であった。
    
 僕は、彼らすべてを「弟子」と呼んだ。助手(アシスタント)という呼び名もある
(手が足りない時に派遣する貸アシスタントもあり)が、僕のスタジオのように手の
こんだ仕事では、単なるお手伝いの助手君では、かえって邪魔になるくらいのもので
ある。彼らは、いずれもプロを目指しており、ぼくも彼ら一人一人、百人百色の性格
を見抜いて指導しなければ、とうてい一人前の写真家への道はおぼつかない。彼らも
やる以上は単なるアシスタントではなく、僕の片腕のつもりで手だけでなく頭も使っ
て、僕の信頼にこたえる仕事をしなければ、自分の身につく技にはならない。
    
 こうした小さいながらやる気のある集団の例会は、月に1度だが非常に活発であっ
た。ぼくはそれを徹底するために、僕が独学で得た実践哲学の主旨から、例会の場だ
けは、日頃は和気合いあいながらも守られている厳しい先輩と新入りの垣根を取り払
い、まったく平等な発言の場とした。この場では、37歳の先輩も新入りの20歳の
学生も横1線に並ぶ。                            
 そんな環境と雰囲気から弟子の互選での討論は、実に活発な発言が飛び出して、僕
は行司役のようなものだったが、エスカレ−トして収拾がつかなくなった時だけが僕
の出番となった。
     
 作品は、アイディアと表現努力が勝負の別れ目、時に新入りが先輩たちを尻目に、
トップになることもあり、皆さんの鼻をあかしてやりましたなどと、失礼なことを言
う奴が現れたり、結構おもしろかった。そんなわけで、当時の弟子たちは例会を心待
ちにしていたようであった。
     
 この例会での先生選は、僕が目をむくような傑作がそう簡単に出てくるものでもな
い。彼らが見落としがちなある作品の内蔵する可能性を見つけ、これを解析して伝え
るのがおおむね僕の講評となった。ただ、年度賞だけは年間の全出品作の中から僕が
選んだ。
     
     
 前書きが長くなったが、話を元に返す。
 僕がこの繧絃彩色塾で気になっていることは、かっての僕のスタジオでの月例会の
メンバ−は、自動的に毎年若い学生が新顔で入って来る新陳代謝があり、これらと古
参の弟子たちは互いに刺激し合い活気が旺溢していたことから、この塾でも熱心な高
校、大学生、さらにキャリアに関係なくやる気のある社会人を流動的に加えて、お互
いに刺激しあえる環境が必要ではないかということである。           
     
 ぼくは自分が25歳当時に、大阪の丹平写真倶楽部に入会できて自分の道が開けた
ことを想い、そんな人がいれば積極的に受け入れてあげたいとも思った。(自分のホ
−ム・ペ−ジをもたない人でも良いと思う)。                
     
 しかし、誰でも良いということではない。この塾の主旨を読み、十分に理解した上
で申し込み、入塾規定にあるような順序で僕が感性・人物共に認めた者に限る。
      
 塾生諸君の推薦も歓迎する。(だだ、入塾可否の判断は僕に一任し、否とした場合
その理由は開示しないことを本人にあらかじめ了承を求めておくこと)
    
              
「追記」
    
 最近の絵画の世界も大幅に変わり、芸大の油絵科の卒展の作品を見ても、ほとんど
写真に近いものが毎年数点出品されている。僕は昔から若い画家の制作に、絵の技術
的なこと以外の本質的な造形でのアドバイスをすることもあった。        
 それは若い頃、前衛画家瑛九のところへ出入りしたが、その仲間たちは画家の方が
多く、それ以来彼らの制作現場も覗き、造形の原点では写真も絵画も変わりがないこ
とを見てきたからである。
     
 かなり前から、僕がアドバイスしている若い画家のタマゴは、頭はモヒカン刈りで
正装するときは、彼が尊敬するインディアンがつけるという鳥の羽を耳につけてやっ
て来る変な奴だが、人間は全くまともで感性がある。彼は写真を撮りまくり、それを
ベ−スにして独自の色彩で、まるで火事場のようなすばらしい迫力の絵を描く。  
    
 ここ2、3年前から目に見えて良くなってきたが、多摩地方での絵画展で、去年は
奨励賞、今年は最年少23歳でトップ賞を取り、ここは卒業したからこれからは中央
展に撃ってでるという。自己に厳しく、なかなか感性のある男で、ぼくは将来を期待
している。                                 
 もし、こんな男のように絵で写真表現を生かしての絵画を試みる人で、入塾を希望
する人があれば、当塾に受け入れてもよいと僕は考えている。(もちろん、月例出品
は写真、写真を使ったコラ−ジュなどとするが。)

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